6月6日エントリでご紹介した、9.11陰謀論を教えた先生が、
抗議されたニュースですが、とんでもなさの程度は同じくらいなのに、
「9.11」は対応が早くて、「水からの伝言」は対応が鈍いのが、
アンバランスだというご意見もあります。
「911陰謀論と水伝との温度差」
http://www.cml-office.org/archive/12128911046.html
「水からの伝言」や、コメント欄に出てくる「ゲーム脳」は、
子どもの教育上都合がいいから、しがみつく人がいるけれど、
「9.11」は、学校の先生の利益と、ぜんぜん関係ないから、
まともな判断ができるのでは?と、わたしは考えてしまうのですが、
こういうのは、「属人的議論」として、避けられるのかな?
2008年06月20日
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「植草一秀さんを中心にした反自民の結集」には応じられない
Excerpt: 「植草一秀の『知られざる真実』」に、植草さんから「kojitakenの日記」、ならびに「きまぐれな日々」主宰者のkojitaken様、ご丁重なメッセージを...
Weblog: きまぐれな日々
Tracked: 2008-06-26 01:10
そういう意味では「水伝」や「ゲーム脳」に「反体制性」はないわけで、わざわざ問題にしたりしない。
そこらあたりノダブルスタンダードが、また、きくちゆみ氏なんかが「圧力だ!」と怒ってみせる「理由」にもなってしまう。
「政治的」というのは、「(2)」のコメントで書いた、
「アメリカに配慮」とか、「日本の平和運動に配慮」のような、
特定の政治スタンスに立ったもの、ということですか...?
それとも、単に、学校教育の場に政治色のあるものを
持ち込むのはよくない、という考えのことかな...?
きくちゆみは、くだんの学校が、「水からの伝言」に
潔癖な対処を取っていても、「言論封鎖」と言いそうな気がするけど、ね...
(「水からの伝言」はとんでもって、わかるのかもしれないけど、
「9.11」はとんでもではないと、信じて疑わないですからね...)
「水伝」や「ゲーム脳」とのいちばんの違いというと、やはりそのへんではないのかな、と。
アルバイシンの丘さまが、「アメリカへの配慮ではないか?」と考えて、
「それなら、日本の平和運動への配慮のほうがありそう」と、
わたしが答えた、というだけだったりします。
http://taraxacum.seesaa.net/article/101067745.html#trackback
もとの記事は、抗議した動機までは書いていないので、なんとも言えないです。
単純に、「ばか言ってんじゃないよ」と思ったんじゃないか、
というのが、わたしが最初に思ったことでした。
(なんらかの政治色を感じて、拒否反応を起こしたのもあるかもしれないですね。)
舌足らずですみません。
(こちらこそ、すみませんです。)
でも、もしかしてそうかなとも思ったので、
前のコメントの後半部分を、書いていたんだったりする...
それで、藤沢の経緯だけど、「だれが」は、生徒の親族とありますね。
「親族」なので、親御さんでない身内なのかもしれないです。
(それ以外のことは、記事にないので、だれもフォローしてないけど。)