こちらも、閉め出されてしまいました。
またまた「らんきーブログ」の1月11日エントリのことです。
途中に出てくる「ここから先は一般論ですが」は、
「水からの伝言」のことをふくむお話で、「わかったか!謝れ!」は、
「批判側からあやまれと言われた」ことも言っているというお話です。
http://blog.livedoor.jp/appie_happie/archives/51407881.html
「水からの伝言」と無関係の一般論を、きゅうに書く理由がないし、
ふつうに読めば、こう受け取るのが自然で、なんらおかしくないことです。
水葉さんもそう読んだこともあるし、ほかにもいくつか根拠もあります。
([2008年06月19日 00:07][2008年06月19日 00:08])
ところが、さきのリンク先のブログの作者、
アキラ氏に言わせると、「水からの伝言のことを含む一般論」とは
「書いていない」ので、そう読むとは決まらないのだそうです。
「書いてないものは、書いてない」のだから、
わたし、たんぽぽは、「解釈で返した」にすぎないのだそうです。
それなら当該箇所は、ほかにどんな解釈があるのかと、
わたしは訊いてみました。[2008年06月17日 23:17]
そうしたら、「水からの伝言をふくまない可能性がある」とか、
「『水からの伝言をふくむ・ふくまない』が論点になっていないのでスルーする」
とか、1ダース並べてきましたよ。[2008年06月18日 08:48]
これらがみな「機能的に等価」らしいのですが、
このリストを見ただけで、吹飯もののように、わたしは思います。
アキラ氏は、自分では、そのようには解釈しないのですが、
そう解釈する「ほかの人」がいる、というのだそうです。
それなら、その「ほかの人」は、どうやってそのように解釈するのか、
理由を訊いてみました。[2008年06月19日 00:08]
ところが、アキラ氏は、「そう解釈する人がいる可能性が
否定できない」というだけで、理由は述べないのでした。
([2008年06月22日 08:59][2008年06月22日 09:00])
おそらく、いくらお尋ねしても、根拠は挙げずに、
「可能性が否定できない」と言うだけだろうと思います。
これは、「反証不可能」な主張と言って、にせ科学の信者が、
根拠のとぼしい自説を正当化するときに、よく使われるロジックです。
そんなに「否定できない」なら、さっさと肯定すればいいのに、
それをしないのは、どうやっても肯定できないからでしょう。
情報リテラシーの原則を言えば、根拠のある情報ほど大きく扱い、
根拠のとぼしい情報は、小さく扱うことになります。
その主張を支持する根拠に比例して、ウエイトをかけないと、
主張を支えているたくさんの根拠に対して、
無視や軽視をすることになり、かえって不公平になるからです。
アキラ氏のやっているのは、ありそうにない「でたらめ」を、
たくさん並べて、根拠の多い主張と「機能的に等価」と言って、
不当に有利に扱い、根拠の多い主張を、相対的に矮小化することです。
いわば、「天動説と地動説を公平に扱え」と同じです。
自説に根拠がとぼしいと、内心ではわかっている、
にせ科学の信者が、よく使うロジックでもあります。
しかも、アキラ氏は、自分でもそんな「でたらめ」は、
信じていないというのですから、意図的に偏ったことをして、
「公平」と思われようということになります。
わかってやっているのですから、偽善的でさえあると思います。
こういうかたが大好きなことばが、「多様なカチカンの尊重」です。
アキラ氏も、ご多分にもれず、さかんに言っています。
[2008年06月15日 01:32][2008年06月24日 15:28]
「でたらめ」をかばうことで、「寛容」と思わせ、
根拠を挙げて反論することを、「不寛容」と決めつける、
「カチカンの多様性の濫用」の典型と言えるでしょう。
これをもっと徹底させると、つぎのようになると思います。
ビリーバーより、信じないけれどかばう人が、「たちが悪い」そうですよ。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1212837778
|陰謀論を信じてもいないくせに「多様なものの見方」などという言葉で
|陰謀論を許す連中のほうがたちが悪いですよ
2008年06月29日
この記事へのトラックバック
「科学」の立ち位置。
Excerpt: 実はこんな騒動をちらりと覗き見していて、ほんのちょっとだけ口出しっぽいことをしてきてしまいました。 http://blog.goo.ne.jp/kurokuragawa/e/4fb1e9846..
Weblog: 七重のまったり日記
Tracked: 2008-07-04 13:54
アキラさんのことを「偽善的」とまでいうのは、彼にとって酷なんじゃないかなと思う。
(少なくとも彼の意識のなかでは)
あちらの方でも、お二人に言った気がするんですが「アキラ語」と「たんぽぽ語」はコミュニケーション不能なほどに噛み合わなく、そのことをお互いに悪意と読みとってしまった気がしています。人の理解力は、誰しも万能ではなく、お二人もまた例外ではない。それぞれが、ことごとく相手の苦手な方向に話を持っていってしまったことが、互いの不快感につながったのではないか。
(その点、アキラさんはじぶんの議論能力を買いかぶっていたんじゃないかな)
ただ、もちろん彼のエントリー内容が、たんぽぽさんについて「とやかく言う」ものであり、たんぽぽさんに反論する権利はあるはずです。そして(あちらでも書きましたが)、たんぽぽさんの反論に対して、挑発するような言葉で応えたところに、議論が紛糾してしまった理由はあると思うし、その責はアキラさんにあるでしょう。
そして、そもそも彼の出発点が、議論の上手な「調理のしかた」
http://blog.livedoor.jp/appie_happie/archives/51402205.html
であり、彼自身がまったく上手に「調理」できなかった、ということは議論の余地がないわけで、その一点からしても、彼の仮説は成立しなかった、ということは、私も指摘しておきます。
あと「閉め出した」というのは、アキラさんが私以外のコメントを削除すると言ったことだと思うけど、あれは、彼が私のクレームに配慮してくれた、と理解しているので、「閉め出された」とたんぽぽさんが感じられているなら、これは私からお詫びします。すみません。
(いま言ってもとても無理だとは思うけど、私はお二人とも「好き」なので、いますぐは無理でも、何年か経って「異者」として認め会える日が来ることをじつはちょっとだけ期待しています)
「解釈有り無しはあえて言うなら『論拠の妥当性の検討』という土台を前提とした上で検討されるべきテクニックの問題であって、土台を棚上げしてテクニックだけの話にしようとした時点で「議論」が建設的に「収束」するはずはない」
と思いますね。(たんぽぽ様が既にエントリーで指摘されているところですが)
その土台があくまで「たんぽぽ語」に過ぎないといわれればそうかも知れないけれど、そうなると「建設的な議論とは何か」からすり合わせ始めなきゃいけないような。
…この記事へのコメントを考えていて、
「「議論」の土台を大事にするか否かの「論争」」
というステージが、今更改めて身にしみた次第です。(私が一番最初にこの騒動に絡めて書いたのはこの手の記事のはずなんだけどなぁ…(^^;)
上の訂正コメントは
>(たんぽぽ様が既にエントリーで指摘されているところですが)
にかかります。
…脊髄反射で本当にすみませんー;
あれは、おそらくは、わざとやっているんだと思いますよ。
ありそうにない「でたらめ」を、自分は信じてないと言いながら、
ふたこと目には、そう信じている人もいるので、
可能性が否定できません、なんて言うのは、根拠が多い説得力のある意見を、
矮小化したい人が、よくやることだったりします。
自分は信じてないと言うことで、「自分は非常識でない」と、
予防線を張れるし、非常識で賛同できなくても、
「尊重」していると主張することで、
異質なものに対して、「寛容である」とも見せかけられるし、
根拠を挙げて反論すると、「カチカンの否定」として、
不寛容と決めつけられるので、とても「効果的」だからです。
この手の議論に、あまり慣れていない人は、トリックを見破りにくいし、
見破っても反論が難しいですから、その意味でも効果的だと思います。
これは、わたしがむかしかかわった、選択別姓の市民団体の人たちが、
さんざん使ったやりかたで、そのえげつなさゆえに、
「多様なカチカンの尊重」が、わたしは嫌いになったくらいです。
(...というわけなので、「偽善的でさえある」というのも、
わたしとしては、精一杯遠慮したのだと、ご理解いただけたらと思います。)
いえいえ、暴言なんてこと、ないですよ。
(わたしが、エントリでお話しているのは、根拠の多寡のあたりまでかな?)
コメントが、いくつもになったのも、まあ、気にしないでいいですよ。
前のjabberwockさまのレスで、しゃべったような、
「多様なカチカンの尊重」が大好きな人たちに、
反論する手立てのひとつが、情報リテラシー、
ここでは、根拠の量に比例させた、ウェイトではないかと思います。
エントリにリンクしたけれど、「反証不可能性」とか、
研究もされていて、蓄積もありますからね...
勝手にローカル扱いされるいわれのない、普遍性があるんだけれど、
そういうのにおかまいなしに、「それはあなたのシュカンにすぎない」と、
軽がるしく一蹴するのが、「多様かカチカンの尊重」の
大好きな人たちだから、いやになってしまうんだけど...
「閉め出された」のことは、あやまらなくてもいいと思いますよ。
あのようすだと、わたしとの議論も、打ち切りたそうでしたし、
どのみち、コメント欄を閉じたいと、思っていたのかもしれないですし。
(新しいエントリを作って、そっちで議論を続けることは、
やぶさかではなかったのかもしれないけど。)
>七重さん
>>その土台があくまで「たんぽぽ語」に過ぎないといわれればそうかも知れないけれど、そうなると「建設的な議論とは何か」からすり合わせ始めなきゃいけないような。<<
と、七重さんが考えるのも当然だと思うし、その通りだと『私』も感じる。
ただ、
そういうのは、七重さんや『私』が
「たんぽぽさんの発言は、すらすらと頭に入ってくる」
けれども
「アキラさんの言葉は、よく読んでも租借しきれないところが残る」
からかもしれないなと思うようになったということです。
たとえば、
「たんぽぽ発言」は、普通に読んで80%わかる。
「アキラ発言」は、一生懸命読んで25%しかわからない。
という理解に従って、論を立てた場合、相手は
「たんぽぽさんのことばかり理解を示して、じぶんのことは悪意をもって誤読ばかりする」と感じるかもしれない。
ところが、世の中には、その真逆に
「たんぽぽ発言」は、一生懸命読んで25%しかわからない。
「アキラ発言」は、 普通に読んで80%わかる。
という人もいるわけで(どうしたら、そうなるのか『私』に『も』想像つかないが)その人が、たんぽぽさんについて語ると、上とは逆の状況になる。
その両者が「議論」をしても、相手の悪意ばかりを感じる絶望的なものにしかだろうと思うわけです。
で。
こういう構図は「この関係『以外』」にもいろいろ起こっているんじゃないか思う。とくに、最近は強く思う。
とはいえ、そんなレベルではなく、明らかに悪意がある「誤読」の方が多いのも事実なんですが。
(私がここまで「わかった」のは、けっして私がエライわけではなく、当家に「日本有数のアキラ語通訳」=ウチの奥さん・・・彼女の理解度は、たんぽぽ語80、アキラ語60ぐらいでしょうか・・・がいて、その人と話をしているうちに、ああ、そういうことか、と、わかってきただけのことなんですが。ちなみに、某所で、アキラさんに「そうだそうだ」と言っている人たちで「私程度」にも「アキラ語」を理解できている人は、ほとんどいない気もしていますが)
>たんぽぽさん
>>あれは、おそらくは、わざとやっているんだと思いますよ。<<
と、たんぽぽさんが言われるのはまったく正当だと思う。
(以下の内容は、アキラさんのところにも書きましたが)
とりあえず、「たんぽぽさんについて『とやかく』言った」のはアキラさんだし、それに対して意見を述べたたんぽぽさんへの最初の対応は、初対面の人に対するものとしては、相当に無礼なものでしたから。
http://blog.livedoor.jp/appie_happie/archives/51407881.html
Posted by アキラ@たんぽぽさん at 2008年06月15日 01:32
Posted by アキラ@たんぽぽさん2 at 2008年06月15日 01:34
Posted by アキラ@たんぽぽさん3 at 2008年06月15日 01:34
「議論」が「共同作業」であるための「土台」をつくるための「調理」の仕方を、明らかにここで失敗している。
(でも、http://blog.livedoor.jp/appie_happie/archives/51423100.htmlの追記(7/2)を見ると、「成功」したといってられますね。これは私には、彼がたんぽぽさんと「共同作業」をしたかったんじゃなく、はじめから「足を引っかけて転ばせようとした」ように、どうしても読めてしまうんだけれど「悪意ある誤読」かな)
このエントリーにつけた、2つのコメントは「その上で」という話だと思っていただけると、ありがたいです。
これは、上のエントリ「光るナス(2)」の最後に書いた、
「とにかく自明ではないかたもいる」のことですね。
http://taraxacum.seesaa.net/article/101826208.html
「Aをふくむ一般論を言っている→Aを言っている」なんて、
わかりきったことも、わからない人もいるんだねえ、
という意味で、わたしは書いたのでした。
よって、「自分の理解力は、こんな自明なこともわからない程度なんだ」と、
アキラ氏は、受け取ってほしかったことになりますよ。(笑)
>たんぽぽ様
jabberwock様の「2008年07月02日 08:58」と「2008年07月02日 09:02」のコメントをもとに、そしてこのエントリー内で挙げられている先方のエントリー内の
>そして、まさにjabberさんが仰るように、
>MEDAMAさんも「解釈はあり」派なんです。
>そうしてそここそが、彼女が自身で抱えている
>問題からなかなか抜け出せないポイントになっ
>ていると、僕は思っています。
等の記述からめいっぱい善意で「曲解」すると、
「実証主義的基準や論理的帰結が分からなくて置いていかれている人がいるから、それを自明として話を進めるのは上手くない」
というようなことをアキラ氏は書きたかったのかなぁ、と思い始めたのです、が。
アキラ氏自身が件のコメント欄をはじめに「グラデーション」の話を展開しているところからするに、ご本人にも「実証主義的基準」に対して極々初歩的な誤解か知識の欠如の部分があって、それゆえに徹底的なすれ違いを生む結果になった…というところかな、と。
ご本人も、程度の差こそあれ一般論として提示したかった「置いていかれている人」の範疇だった、というところで、たんぽぽ様に部分的な同意をする次第です。
(同意しない部分は、先方の意図的にご自身のみというところはなさそうだ、という点で)
>jabberwock様
というわけで、ご意見参考にいただきつつ曲解を試みてみましたが…こんな感じの解釈でよさそうでしょうか(^^;
で、
「実証主義的基準が分からない人がいる」
というような(あくまで私の曲解による仮定なのですが)ところをたんぽぽ様に理解してもらえればアキラ氏の目的はひとまず達成で、その意味で「成功」なのではないでしょうか?
ただ、「置いていかれている人」に留まることを否定しない言説は「実証主義的基準によって議論を進め、問題を解決に導こうとする人」にとっては停滞(最悪破綻)を意味するので、jabberwock様のような「悪意ある誤読」を生み、私の最初のコメントの
>>その土台があくまで「たんぽぽ語」に過ぎないといわれればそうかも知れないけれど、そうなると「建設的な議論とは何か」からすり合わせ始めなきゃいけないような。<<
のような解釈に至るのではないかと。
まったく、その通りだと思います。たぶん。
私もじつは、
「世界はグラデーションでできている」
といわれても
「どっかで、えいっと決着をつけて2つに分けなきゃ、話は先に進まんだろ」
という人間なので、これ以上理解できなかったりするわけで。
「わかりやすい」ということも、人それぞれということですね。
「グラデーション」の件ですが、たんぽぽ様は何も二項対立的な話をしているんじゃなくて、
「正しさの度合いによって言説の軽重が変わる」
(例1)言説の正しさの度合いがそれぞれ70%・30%・5%・0.2%・0%なら70%の言説が「現時点では」一番重んじられるべきである
(例2)言説の正しさの度合いがそれぞれ50%・50%・10%なら50%の二つが「現時点では」共に重きを置かれるべきである
という話をしているのだと思うのです。実際あちらの
>Posted by たんぽぽ at 2008年06月17日 23:14
>Posted by たんぽぽ at 2008年06月17日 23:17
>Posted by たんぽぽ at 2008年06月24日 06:36
辺りのコメントで
「言論の正しさの度合いの比較認識に不備があるならその部分を理由をつけて説明して欲しい」
というようなことを書いておられますし。
より正しい新しい言論が登場したり、今までの検証を覆す論拠が出てきたりすれば度合いや軽重は変化を起こしますから。
ただ、その変化が起こっていないなら「現状でもっとも正しい言論」が「現時点では」一番重く見られるべきであり、「ひとまず」その前提で話を進めるべき(もちろん、既存の言説の再検証や新しくより正しい言説の追求を捨ててはいけないけれど)、というところで。
決着をつけるという意味で大差はないので、限りなく重箱の隅をつついている状態で恐縮ですが。
…私がこの騒動がらみで一番最初に書いたのはこの手の記事なので、ここにトラックバックしてみます。お暇でしたらご笑覧下さい。
(とても余談ですが、私はその意味で「どっちもどっち」的言説は、「どちらも正しくない部分を含んでいることに変わりはない」的に、「オールオアナッシング」「二分法」の行き着いた反転の面もあると思っております。)
>たんぽぽ様
…えーと。
>コメントが、いくつもになったのも、まあ、気にしないでいいですよ。
で、前回本当に何事もなかったかのように挨拶もなく横レスしてしまったのは、さすがに行儀が悪かったかなぁと思います。大変失礼致しました(^^;
あと、事後報告になりますが、一番最初にこちらにトラックバックさせていただいたエントリーを、関連するだろうこちらに改めて送信させて頂きました。
いえいえ、わたしは、二項対立を主張したんじゃないですよ。
根拠を挙げて、この場合「ふくむ」「ふくまない」の
ふたつのケースしか考えられないと、言っているんです。
第三の解釈があれば、それは検討すると、わたしは言っているから、
二項対立ではないはずだし、第三のケースが出て来ないのは、
存在を主張しながらしめさない、アキラ氏のせいだと思います。
>等の記述からめいっぱい善意で「曲解」すると、
>「実証主義的基準や論理的帰結が分からなくて置いていかれている人がいるから、
>それを自明として話を進めるのは上手くない」
おお、それは本当に、めいっぱいの善意の「曲解」ですね。(笑)
わたしの推測は、アキラ氏の目的はエントリに書いたようで、
客観公正を装いながら、「実証主義的基準」がわからない人も、
うまくだまして、仲間か理解者のように見せかける、というものだけど。
>「グラデーション」
アキラ氏の言う「グラデーション」は、[2008年06月18日 08:48]で並べた
1ダースのケースのことじゃないかな?
わたしは、それは「ふくむ」「ふくまない」のケースだけで、
グラデーションといっても、そのふたつの可能性の比率を変化させただけだ、
と言ったのでして、つぎのエントリのようなことだと思います。
http://d.hatena.ne.jp/PledgeCrew/20080627
ところが、アキラ氏は、それが理解できなかったようで、
「たんぽぽは、二項対立でしか言ってない」などと、息巻いていたわけね。
(わたしは、第三の解釈があるなら検討すると、言っているのだから、
二項対立ではないはずだし、第三の解釈が出せないのは、
存在を主張しながらしめさない、アキラ氏のせいなんだけど...)
>「正しさの度合いによって言説の軽重が変わる」
ご指摘のようなことも、もちろんあるのでして...
(ようは、わたしがエントリの後半で、書いたことですね、はい。)
>(とても余談ですが、私はその意味で「どっちもどっち」的言説は、
>「どちらも正しくない部分を含んでいることに変わりはない」的に、
>「オールオアナッシング」「二分法」の行き着いた反転の面もあると思っております。)
おおー、なるほど。
(「どっちもどっち」は「二分法」思考の裏返しって、思わず感心しましたよ。)
>前回本当に何事もなかったかのように挨拶もなく横レスしてしまったのは、
>さすがに行儀が悪かったかなぁと思います。
いえいえ、お気になさらないで、結構ですって。
あと、トラックバックもくださって、どうもありがとうです。
えーと、では、気にしなくて良いということで前置きはなしで。
>アキラ氏の目的
確信犯で、あそこまで分かっていない様子を出すのも、それはそれで凄いなぁと…まあこれは私のうがった見方ですが。
>「グラデーション」
この言葉自体はイメージですけれど、典型例が1ダースのケースですね。
その1ダースのケースの正しさの度合いを挙げる論拠を求めて、たんぽぽ様の、先のコメントで列挙した先方へ書かれたコメントがある、という認識でした。
>「どっちもどっち」と二分法
一見対極ですけれども、「正しさの度合い」というのを理解しないで特効薬のようなものを求めると、そういう方向に流れるかな、と思っています。
あ、そういうことだったんですか。
(まだまだ、理解度が低かった)
私はたんぽぽさん以上に、二分法しか理解できない人間だということになりますよね。
そうなると、一層あの場で、アキラ氏が、
「jabberwockとは対話が成立したが、タンポポさんとは成立しなかった」という主旨のことを言ったか、不思議になったりするわけです。
>確信犯で、あそこまで分かっていない様子を出すのも、それはそれで凄いなぁ
あれは、「自分は反対派に賛同しないけれど、尊重はする」と
思われたい人が、よくやる手口だったりします。
(上のほうのコメントでも、しゃべったけど、
「多様なカチカンの尊重」をしていると思われたい、
選択別姓の市民団体の人たちが、得意だったのでした。)
「カチカンの多様性」とか、「カチカンの相対性」とかいうお題目を、
常づね言っている人なら、わりとすぐに思い付くことだと思います。
jabberwockさま
>私はたんぽぽさん以上に、二分法しか理解できない人間だ
>ということになりますよね。
いや、そんなことはないと思いますよ。
>「jabberwockとは対話が成立したが、タンポポさんとは成立しなかった」
>という主旨のことを言ったか、不思議になったりするわけです。
「たんぽぽは、二項対立しか理解できない」というのが、
アキラ氏の考えですから、「たんぽぽは二分法で語っている」と
受け取ったのなら、「自分の思っていることが理解された」と
アキラ氏は、受け止めると思います。