2008年06月29日

toujyouka016.jpg 光るナス(2)

前のエントリでご紹介の、『光るナス』コメント欄ですが、
[2008年06月19日 00:06]で、pならばqというのは、
pが真ならqも真になる、ということを、わたしは言っています。
ところが、これが納得いかないかたもいて、
つぎのエントリのコメント欄で、アキラ氏をふくめて、
なにやら意義を唱えているかたが、いらっしゃります。
http://anarchist.seesaa.net/article/101420366.html#comment

「p→q」は、p=0のときは、qの値にかかわらず、「p→q=1」と定義されます。
(「pならばq」を、「pであり、かつqでない、ということはない」、
と考えて、「p→q = 〜(p∧〜q)」と定義する。)

したがって、「"「pならばq」全体が真となるためには
qが真でなければならない。"というのが正しいはずです」という
[2008年06月24日 23:00]のコメントは、まちがいです。

p q | p→q
------------
1 1 | 1
1 0 | 0
0 1 | 1
0 0 | 1

 
それから、わたしがお話したことは、
「pならばq」と「p」から、「q」が推論できる、ということですが、
これは、r = ((p→q)∧p)→q がトートロジー(恒真命題)であることから、
推論が「有効」であることが、たしかめられます。

p q | p→q ((p→q)∧p) | r
-----+----------------------------
1 1 | 1    1      | 1
1 0 | 0    0      | 1
0 1 | 1    0      | 1
0 0 | 1    0      | 1

このあたりは、入門的な論理学の本かサイトを、
ご覧いただけたらと思います。
http://www.crew.sfc.keio.ac.jp/projects/2001ipl-text/info-2001-4/text-b/ronrimain.htm
http://www004.upp.so-net.ne.jp/s_honma/logic/logic.htm

簡単に読める本として、科学振興社のモノグラフと思ったのですが、
いつのまにか改訂して、『集合と論理』の巻がなくなったみたいです。
(高校生向けの自習書ですし、100ページ程度の薄い冊子なので、
あたまも痛くならない(たぶん)と思ったのですが。)
『論理と集合のはなし』(日科技連出版)も、簡単に読めます。


ところで、もともとは、「A=水からの伝言のこと」として、
「Aをふくむ一般論を言っている→Aのことを言っている」なのですが、
なんで、こんなお話をしないとイケナイのか、わからないです。
とにかく自明ではないかたもいる、ということのようです。

posted by たんぽぽ at 22:25 | Comment(40) | TrackBack(1) | ウェブサイト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

はてなブックマーク - 光るナス(2) web拍手
この記事へのコメント
「Aをふくむ一般論を言っている→Aのことを言っている」
こんなの自明なので、わざわざ証明しないんですけどね。
その後のエントリーを見ると揚げ足を取りたかったらしいですよ。取れてませんけど。
Posted by うちゃ at 2008年06月30日 00:08
エントリーー>コメントでした。
Posted by うちゃ at 2008年06月30日 00:09
うちゃさま

揚げ足を取った...つもりが、しっかりまちがえていた、
というのが、失笑ものだよね...


>こんなの自明なので、わざわざ証明しないんですけどね。

アキラ氏のコメントを見ていると、まったくわけがわからなくて、
証明の必要な人もいるのかな、という気がしてきます。
(すくなくとも、「りんごが赤いならば、りんごはまずい」と、
つながっていないと、条件文の例にならないのとちがう?)
========
p「リンゴは赤い」、q「リンゴはまずい」で、
「リンゴは赤い」ならば「リンゴはまずい」、
「リンゴは赤い」が真ならば「リンゴはまずい」も真?なの??って。

一般的なこと言う場合と、数学的なこと言う場合とでは
何か違うのかとも思いましたが、もう少しほかに
条件があってもよさそうなものだ・・・と思っていたものですから。
ありがとうございました!!

Posted by アキラ at 2008年06月25日 22:48
========


あと、[2008年06月29日 19:26]のふぉっくすという人も、
ぜんぜん関係ないことを、言っていますね。
(「逆」とか「対偶」のことではないぞ...)
Posted by たんぽぽ at 2008年06月30日 23:49
がち文系の悲しいサガでありましょうか。
(p→q)∧p
新型の顔文字かと思いました。一瞬だけど〜(p∧〜q)

Posted by 仲@ukiuki at 2008年07月01日 06:37
仲@ukiuki様に、はじめまして。
便乗して、与太を一つやらせていただきます。

…私、論拠の妥当性が云々とか言いながら、記号論理学の授業は記号の意味が分からなくなって脱落したクチでございます。
………文章ならまだ分かるのに………(悲)
…その授業で使った教科書、また開いてみようかなぁ(ああ積読が増える…)
Posted by 七重 at 2008年07月01日 07:23
仲@ukiukiさま

>新型の顔文字かと思いました。

ああ、それ、いいかも。(笑)

>一瞬だけど〜(p∧〜q)

「pならばq」に泣いたのね...



七重さま

もう一度、教科書を見ているといいと思いますよ。
こんどは、結構わかるかもしれないですよ。
Posted by たんぽぽ at 2008年07月01日 22:06
はじめまして。
< たんぽぽさん
「他所でのコメント」にリプライみたいなもん、ありがとうございます。
> ぜんぜん関係ないことを、言っていますね。
>(「逆」とか「対偶」のことではないぞ...)
そうそう全然『関係ない』っていうか『教科書以前のこと』をアドヴァイスさせていただいただけです。
< うちゃさん
>>「Aをふくむ一般論を言っている→Aのことを言っている」
>>こんなの自明なので、わざわざ証明しないんですけどね。
つまりね、「自明」なのは「Aを含む一般論」ならば「A以外のことも言ってる」ってことですね。
しいて言えば「Aのこと『も』言ってるかも」ってことですよ。この『も』が肝心ですね。日本語はロジックの記述に向いてないのでしょうがないのですがね。
「自明」なのはここまでで、それ以上でも以下でもありません。
Posted by ふぉっくす at 2008年07月02日 02:48
>ふぉっくすさん
>日本語はロジックの記述に向いてない

そう断言するのはいささか乱暴じゃないでしょうか。それでは翻訳という作業も成立しませんね。日本語が論理的な記述に向いていないという人はその人の思考が非論理的なのだと思いますよ。
Posted by SIVA at 2008年07月02日 03:01
奇数を2で割ると余りは1である。
3は奇数である。
3を2で割ると余りは1である。

なにか問題でも?
Posted by うちゃ at 2008年07月02日 06:51
七重さま、はじめまして。

>………文章ならまだ分かるのに………(悲)

そうなんですよね。
要は慣れの問題だと思うのですが、記号を見た瞬間に、顔文字だか何だかが浮かんできてしまいます(笑)。
使いこなせれば、文章の整理にも大いに役立ちそうな気がするので、一度勉強してみようかなあ……。


たんぽぽさん、

>ああ、それ、いいかも。(笑)

一連の騒動が一段落したら、
『顔文字で学ぶ論理学』シリーズ、いかがでしょうか(笑)?
ご検討のほど、よろしくお願い申し上げまする〜n(OK→爆)n。
Posted by 仲@ukiuki at 2008年07月02日 07:40
<<うちゃさん
> 奇数を2で割ると余りは1である。
> 3は奇数である。
> 3を2で割ると余りは1である。
>
> なにか問題でも?
いえいえこの例については問題ありません。
そのくらいならわかる…ということがわかってよかったです。
Posted by ふぉっくす at 2008年07月02日 11:04
>「自明」なのは「Aを含む一般論」ならば「A以外のことも言ってる」ってことですね。
>しいて言えば「Aのこと『も』言ってるかも」ってことですよ。

「しいて言えば」の使い方 『も』 間違っている。
「A以外のことも言ってる」といったん断定しておいて、
それを「言ってるかも」と意味を弱めるときに、「しいて言えば」とは言わない。
後者は前者に含まれているのだから、「しいて言う」必要などない。それは当然のこと。
「しいて言えば」とは、むしろいささか無理だけど、強引だけど、あえて言えば、
というように、論理を飛躍させるときに使う。
Posted by かつ at 2008年07月02日 11:20
失礼、ちょっと間違えた。
あなたの原文は「A以外のことも言ってる」だった。
でも、前提で明確に「Aを含む一般論」と言い切っているのだから、
その一般論は「Aのことも言ってる」のは「自明」のこと。
したがって、「Aのこと『も』言ってるかも」と、
「かも」をつけてことさら断定を避けた表現にするときに、
「しいて言う」必要などないのは、同じこと。
Posted by かつ at 2008年07月02日 11:35
<<かつさん
レスポンスに加えて修正までいただきありがとうございます。
引用していただいた一行目だけで私としては十分なのですが、
「わかっていただけないかな?」という一抹の不安をもって二行目の「蛇足」をつけただけです。
も を『も』にしたのはそういう意向です。

<<SIVAさん
レスポンスしていただいてありがとうございます。
「いささか乱暴じゃないでしょうか」まぁ、その可能性は高いですね。「断言」はすべきでなかったのでしょう。
ただ経験的に集積回路などの日本語データシートを読んでると「なんだこりゃ」って結局英語の本家本元のをひっぱりだして(しかも私の低すぎる英語力で読むわけですが)「あ、そうなんだ」ってことがおおかったです…ということです。
もちろん「訳が悪い」ってのもおおいにありえますけど。(早川書店の文庫みたいですね。)
Posted by ふぉっくす at 2008年07月02日 14:14
 論理的な日本語文を読んだことがない。なので、日本語が論理に向かないって思ったわけですよね。
 だったら、世界のほとんどの言語は論理を記述するのに向かないですね。ワタシは読んだことないし。
Posted by 南郷力丸 at 2008年07月02日 19:56
出過ぎたマネをお許しください.
『p=0のときは、qの値にかかわらず、「p→q=1」となる』
これは正しいです.前提が間違っている時はどんなことを言っても真となる,ということです.例えば・・・

『小泉首相は歴史に残る名宰相だったなぁ』(=Pとしましょう.)
という誤った言明に対しては,それを前提とした
『もしそうであれば・・・
お天道様が西から昇らあ!!!』(=Qとしましょう.)
という言明は真となります.そのほか,『へぞが茶を沸かす』,『水伝は正しい』,『きくちゆみは立派な平和運動家だ』などなどQにどんな言明を入れても真となります.
次に,
((p→q)∧p)→q
をみてみましょう.
{「小泉首相は歴史に残る名宰相であるならばお天道様が西から昇る」かつ「小泉首相は歴史に残る名宰相である」}とするならば,「お天道様が西から昇る」
となりますが,これは前提部分{}内が誤っているので全体は真となります.
P=「Aをふくむ一般論を言っている」
Q=「Aのことも言っている」
として上に当て嵌めてみます.
{「Aをふくむ一般論を言っているならばAのことも言っている」かつ「Aをふくむ一般論を言っている」}とするならば,「Aのことも言っている」
となりますが,もしPが真でP→Qも真ならば最後の「Aのことも言っている」も真ですから,言明全体は真です.
またPが偽であればP→Qは真ですが,((p→q)∧p)→qは{}内の前提部分が誤っているので言明全体は真となります.
またPが真でQが偽である場合も前提が誤りとなるので言明全体は真となります.
いずれにしても,P,Qの真偽に関わらず,((p→q)∧p)→qという言明全体は恒に真になります.
Posted by アルバイシンの丘 at 2008年07月02日 21:43
すみません.書き忘れたことがありました.
上に書いたことから明らかなように,
『「pならばq」全体が真となるためにはqが真でなければならない』
は誤りです.pが偽ならばqの真偽に関わらず全体は真になるからです.
それから,上のコメントの下から3つ目のセンテンス中,
『((p→q)∧p)は前提が・・・』とあるのは
『((p→q)∧p)→qは前提が・・・』です.→qが抜けました.
Posted by アルバイシンの丘 at 2008年07月02日 22:05
ふぉっくすさま、いらっしゃいませ。
こちらのほうで、議論させていただきました。

>>(「逆」とか「対偶」のことではないぞ...)
>そうそう全然『関係ない』っていうか

関係ないことを言っても、アドバイスにならないですよ。
関係あることを、おっしゃってくださいね。


>つまりね、「自明」なのは「Aを含む一般論」ならば
>「A以外のことも言ってる」ってことですね。

B={Aをふくむ一般論}、C={A}とすると、B-C=φ(空集合)のとき、
おっしゃることが成り立たないので、まちがいです。
(B-Cが空集合かどうかは、べつにしめしておく必要があります。)
Posted by たんぽぽ at 2008年07月02日 23:25
間の抜けたコメントですみませんが、「モノグラフ」ってとっても懐かしいです。「集合と論理」を読んだかどうかは覚えていませんが、たしか高校一年のときに、たんぽぽさんが書かれている論理学の初歩について勉強したのを覚えています。たしかに直観と反するところがあって、だから余計に記憶に残ってるんですね。

で、ネット検索で調べてみたら「集合と論理」は1976年2月の発行。この年月から私が思い出すのはロッキード事件で、国会での証人喚問における小佐野賢治の「記憶にございません」という言葉は、リアルタイムで見てました。当時中学○年生でした(って、年齢が3年以内の精度で絞り込めてしまいますね)。
Posted by kojitaken at 2008年07月03日 00:10
すみません.もう一つ大事なことがありましたね.
『Aをふくむ一般論を言っているならばAのことも言っている』
という言明が真であるかどうか,ということでしたね?
これは
P⊃Qの関係がありますから,当然,真である,自明のこと,と言えます.
書き漏らしましたが,
『pが真ならqも真になる』
というのはこういう包含関係にある場合に成り立つことでしょう.
一般的には,真理値表の二行目に
p=1,q=0の時は「p→q=0」
とありますから,pとqの値は無関係のはずです.
本質と関係のないことを言ってるのならご容赦ください.
Posted by アルバイシンの丘 at 2008年07月03日 00:33
<<南郷力丸さん
はじめまして。レスポンスありがとうございます。
>  論理的な日本語文を読んだことがない。なので、日本語が論理に向かないって思ったわけですよね。

できれば『論理的でない日本語文を読むことが多かった、なので日本語が論理記述に向かないことをおうおうにして経験した』と読んでいただきたかったですね。つまり「論理的には飛躍」してます。
> だったら、世界のほとんどの言語は論理を記述するのに向かないですね。
「だったら」でのつながりが私には理解できません。そこまでお話を広げたつもりはないです。(文学的飛躍なんでしょうか?)

<<たんぽぽさん
> B={Aをふくむ一般論}、C={A}とすると、B-C=φ(空集合)のとき、
おっしゃることが成り立たないので、まちがいです。
(B-Cが空集合かどうかは、べつにしめしておく必要があります。)

おっしゃるとおりです。
B-C=φになるためには Bの要素すべてがCの要素と一致する必要があるのですね。

<<アルバイシンの丘さん
はじめまして。
> とありますから,pとqの値は無関係のはずです.
本質と関係のないことを言ってるのならご容赦ください.

いやいや、おっしゃってることは本質的なことだと思います。(大昔を思い出しました。)
集合論まででてきちゃったので、それ風に文章で書くといいかも。
「pと言う集合にqは含まれている」
ということは「pにはq以外の要素もありうる」
たったこれだけを言ったつもりです。

<<kojitakenさま
「集合と論理」…1976年ならまず知らないですね。二十歳こえてますからね。個人的にはハードロックオンリーの時代でした。
中学校の時の数学教師が「趣味的に」こういう授業を押し付けただけです。で、中間テスト期末テストは普通の文部省検定の教科書からでした。
「そいうのは読めばわかるから授業でやらなくてよい」って言われました。ひどいでしょ?
Posted by ふぉっくす at 2008年07月03日 03:29
>ふぉっくすさん

なるほど。でも下記の文章もいささか「論理的には飛躍」してますね。

>論理的でない日本語文を読むことが多かった、なので日本語が論理記述に向かないことをおうおうにして経験した

ふぉっくすさんが論理的でない日本語文に出会うことが多かった個人的体験をもって「日本語が論理記述に向かない」と一般化するのは無理がありますよ。

集積回路などの日本語データシートなどに論理的でない記述が多いというのは、日本語そのものの問題ではなく納期が短かいゆえに文章をきちんと推敲できないまま公開してしまってるという、どちらかというと文章作成者の環境や能力に拠るのではないでしょうかね。

個人的な体験や印象を一般化することの危うさはふぉっくすさんもわかっていらっしゃるとは思いますが。
Posted by SIVA at 2008年07月03日 21:12
> SIVAさん
リプライありがとうございます。

ご指摘の
<<個人的体験をもって…
その点は重々承知しているつもりです。「そういうこともあるので」という意味合いです。

<<集積回路などの日本語データシートなどに論理的でない記述が多いというのは…
については「もちろん『訳が悪い』ってのもおおいにありえますけど。」ということでエクスキューズしたつもりでいました。

SIVAさんの二度にわたってのご指摘はさらに勉強させていただきます。

ちょいと思うところがあって、ここにはもうコメントさせていただかないと思います。
もちろんSIVAさんの文章には全く関係ありませんので、誤解なきように。
それでは。
Posted by ふぉっくす at 2008年07月03日 21:31
ここは、コメントがいっぱいですねー。
(みなさん、関心がおありなのね...)
コメントをくださったみなさん、どうもありがとうございます。



仲@ukiukiさま

記号は、「ならば」を「→」とか、「かつ」を「∧」にとか、
日本語から、世界共通のものに、置き換えただけとも言えます。
慣れれば、本当にだいじょうぶですから、
ちょっとがんばってみるといいと思いますよ。
(エントリで紹介した、日科技連の本は、わかりやすいですよ。)

>『顔文字で学ぶ論理学』シリーズ、いかがでしょうか(笑)?

いいですねー。
...と思ったけど、たんぽぽは、顔文字のセンスがないです。(笑)
(でも、本当に顔文字で、数学的に意味のある式が書けたら、すごいけど。)



kojitakenさま

>「モノグラフ」

いまもあるんだけど、内容が整理されちゃって、
ちょっと減っているのが残念なんですよね...
(前の版のときは、「線形計画法」とか「在庫の問題」とか、
変わったのもあって、買っておけばよかったと思ったりもしています。)

>たしかに直観と反するところがあって、だから余計に記憶に残ってるんですね。

「「pならばq」を、「pであり、かつqでない、ということはない」、
と考えて、「p→q = 〜(p∧〜q)」と定義する。」というのは、
日科技連の本に書いてあったので、それを使ったのでした。
(0!=1とか、a^0=1なんかとおなじように、理由を考えないで、
「そう定義されている」と覚えてしまうのも、一案なんだけど。)



ふぉっくすさま

>B-C=φになるためには Bの要素すべてがCの要素と一致する必要があるのですね。

C-Bが空集合でなくても、B-Cが空集合になりえるので、それもちがいますよ。
Posted by たんぽぽ at 2008年07月03日 23:31
アルバイシンの丘さま、コメントありがとうございます。
いえいえ、出過ぎた、なんてことは、ちっともないですよ。

ご指摘のことは、わたしもエントリで、書いてはいるんだけどね...
でも式と真理表だけで、簡潔にすましているので、
(あちらのかたたちには、やさしくしてあげないの...)
具体的な例を挙げて、解説してくださって、ありがとうです。
========
「p→q」は、p=0のときは、qの値にかかわらず、「p→q=1」と定義されます。
(「pならばq」を、「pであり、かつqでない、ということはない」、
と考えて、「p→q = 〜(p∧〜q)」と定義する。)
したがって、「"「pならばq」全体が真となるためには
qが真でなければならない。"というのが正しいはずです」という
[2008年06月24日 23:00]のコメントは、まちがいです。
========


>『「pならばq」全体が真となるためにはqが真でなければならない』
>は誤りです.

「やつらだ兄さん」のところで、CKというかたが、
「揚げ足を取った」なんて言って、得意げに書いていたんですよ。
でもそれが、しっかり間違いだった、というわけですね。
http://anarchist.seesaa.net/article/101420366.html#comment

>→qが抜けました

これは、わたしのほうで、直しておきますね。


>『Aをふくむ一般論を言っているならばAのことも言っている』
>という言明が真であるかどうか,ということでしたね?
>これはP⊃Qの関係がありますから,当然,真である,自明のこと,と言えます.

アキラ氏は、自明でなかったようです。

それで、わたしは、このエントリの最後で、
「Aをふくむ一般論を言っている→Aのことを言っている」ことが、
「とにかく自明ではないかたもいる」と書いたんだけど、
アキラ氏は、「僕が受けとって欲しかったことを
ちゃんと受けとってくださってます」と書いてきたのでした。
http://blog.livedoor.jp/appie_happie/archives/51423100.html

「こんなわかりきったことが、わからない人がいる」ことを、
わたしが、受け取ってくれたと、アキラ氏は納得したみたいです、はい。(笑)
Posted by たんぽぽ at 2008年07月03日 23:32
>文学的飛躍なんでしょうか?
 トンデモ的飛躍というやつです。

 話を広げたというよりも、単に「だから」で繋いでいるだけで、そもそも、因果関係はないですよね。
 言語はツールですから、使いようで、どうにもなるってことで。
Posted by 南郷力丸 at 2008年07月04日 02:19
舌の根も乾かないうちに再度失礼します。

> 南郷力丸さん

>>トンデモ的飛躍というやつです。
いきなりぶっとんでしまいました、面白くて。
ワタクシ、あんまりユーモアのセンスの持ち合わせが少ないもので申し訳ありません。
>>「言語はツールですから…」おっしゃられるとおり、必要十分なご意見ありがとうございます。
南郷さんとまたお話したくなってきましたが、
私はといえば、脳みその硬化しつつあるじじぃなんで、ちょっとツラいかも知れません。
   (肝臓はもうアンキモ状態ですが。)

> たんぽぽさん

>> > B-C=φになるためには Bの要素すべてがCの要素と一致する必要があるのですね。
>> C-Bが空集合でなくても、B-Cが空集合になりえるので、それもちがいますよ。
すいません『ひっかけ』です。申し訳ない。
二行目の発言が出るべくして出るだろうな…とね。
(ちょいとずるかったですね。申し訳ありません。重ねてお詫びしておきます。)

>>> B={Aをふくむ一般論}、C={A}とすると、B-C=φ(空集合)のとき、
>>> おっしゃることが成り立たないので、まちがいです。
これを、噛み砕いて言うと「B-Cが空集合であってもC-Bに要素が残っちゃう可能性」があるわけです。
これを普通に流していうと
>>「pと言う集合にqは含まれている」
>>ということは「pにはq以外の要素もありうる」
と、たったこれだけのことです。

もっと「平たく日常語」で言うと
『「Aを含む一般論」ならば「A以外のことも言ってる」』ってことです。

ま、引っかかっていただくと「話がはやい」ので、ちょいとイタズラしてみました。申し訳ない。

> SIVAさん、アルバイシンの丘さん
お二人には的確な問題点の指摘、真摯なアドヴァイス、まことに感謝しています。

これでほんとに失礼いたします。他の皆さんもありがとうございました。


Posted by ふぉっくす at 2008年07月04日 11:31
ふぉっくすさま

>『「Aを含む一般論」ならば「A以外のことも言ってる」』ってことです。

それは、B={Aをふくむ一般論}、C={A}とすると、B-Cが空集合のとき
成り立たないから、ちがいますよって、前に言ったじゃん。

すこし前で言っている、「『B-Cが空集合であっても
C-Bに要素が残っちゃう可能性』があるわけです」は、
数学的にまちがいはないと思います。

「B→C」からは、B-CやC-Bが、空集合か要素があるかは導けないです。
B-CやC-Bの要素の存在については、なにも語っていないのでして、
「空集合だ」とか、「要素がある」とか断定できない、ということです。
(言えるのは、「空集合の可能性がある」とか、
「要素が存在する可能性がある」と言ったことだけです。)


>トンデモ的飛躍

それから、横レスだけど、「トンデモ的飛躍」というのは、
「読んだことない」なんて、個人的経験をもとにして言ったら、
こんなことも言えちゃいますよ、という皮肉じゃないかな...?
(主旨として、SIVAさまのコメントと、おなじようなことでは...?)

...なんて、南郷力丸さまの、2回めのコメントを見るまで
わたしも、ぜんぜんわからなかったけど。(苦笑)
...なんて、このわたしの「解釈」が、ちがってたりして。
もしちがってたら、ごめんなさいね。>南郷力丸さま
Posted by たんぽぽ at 2008年07月05日 12:55
「ふくむ」を数学記号で置き換えるときに部分集合と真部分集合の区別があいまいになっているのが気になります。

あと日本語表現としてはA∩B≠φの条件だけで「ふくむ」と表現するので、そこがアキラさんとのすれ違いを増幅しているように見えます。
Posted by taka at 2008年07月05日 15:17
 たんぽぽさんの「解釈」は間違ってはいません。
 実は、他で「経験」と「体験」の違いなんてことが話題になっていて、個人的「体験」→経験化→一般化という2段階の飛躍があると思って、同じような飛躍を考えてみたのです。
 でも「体験」の有と無という「裏」から出発した飛躍なので、「種あかし」に書いたように、因果関係がないわけですね。
Posted by 南郷力丸 at 2008年07月06日 05:31
takaさま、こんにちは。

あなたは、こちらでコメントされていた、「TAKA」さまかな?
リンクさきは大文字で、あなたは小文字なので、
もし違ったら、失礼しましただけど。
http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2008-05-16
http://plaza.rakuten.co.jp/kngti/diary/200805220000/


B-CやC-Bが空集合かどうかで、「部分集合」か「真部分集合」かが決まるのでは?
「BならばC」だけでは、どちらかは決まらないということでしょ?

それから、アキラ氏は、つぎのコメントから考えて、
「ならば」と「イコール」が同じことと、思っていたみたいですよ。
(「A∩B≠φの条件」というのは、どう関係あるのか、わからないです。)
http://blog.livedoor.jp/appie_happie/archives/51407881.html

|ですから、「水からの伝言をふくむ一般論」ではあるかとは思っていますよ。
|しかし、だからといってイコール「“水からの伝言”に関する
|(イコールの)直接的な批判」ではありませんね。
[2008年06月17日 08:48]

|「〜を含む」と「イコール」はまったく同じ意味ではないですよね?
|当たり前のことですよね?
|それとも、たんぽぽさん的にはまったく同じ意味なのでしょうか?
[2008年06月17日 08:48]
Posted by たんぽぽ at 2008年07月07日 12:20
南郷力丸さま、こんにちは。

>たんぽぽさんの「解釈」は間違ってはいません。

フォロー、どうもありがとうございます。
(あいかわらず、むずかしいのね、なんて思っちゃったけど...)


>実は、他で「経験」と「体験」の違いなんてことが話題になっていて、

それも、ふぉっくすさんが、かかわっている話題なのかな...?
(なんだか、込み入っていそうだけど...)
Posted by たんぽぽ at 2008年07月07日 12:21
>たんぽぽさん  お返事ありがとうございます

大文字の人とは別人です。かつさんの所のは自分です。ヤフーBBとイーモバでアクセスしてます。

>B-CやC-Bが空集合
そのあたりまで定義に含めていないことと、話が数学的一般モデルと定義域を定めたモデルと言葉を扱うものに拡張したモデルの間をオーバーラップしてるので、ややこしくなっていると思います。特に拡張モデルは自明を判断するのが難しい。
(ふぉっくすさん、ひっかけとはイジワルだなー)

アキラさんは解釈の課程のグラデーションがどのような結論のグラデーションにつながるのかを提示してないのでこの先は一般論段落についての自分の見解なんですが、全体集合A{一般論の段落の中の話の要素}のなかに集合B{水伝の話}、集合C{どちらとも取れる話}があって各々の話の要素をどの集合に分類するかは個別の判断、というモデルで捉えられるのではと考えています。個別判断が介在するゆえに解釈にグラデーションが生じると。

この時、非Bの要素がどのように分布していてもA∩Bにあたる集合Bに入る要素が存在すれば日常表現では「ふくむ」と表現すると思います。アキラさんの「ふくむ」はこの意味かと。

このモデルで考えるとアキラさんはたんぽぽさんの意見を全否定しているわけではないのでこの点でのアキラさんの発言は矛盾してないと思います。
Posted by taka at 2008年07月07日 21:46
フリテンリーチがうまく伝わってないようなので補足を。

フリテンは自分のミスで、あがる確率が1/4になってしまいます。手牌を入れ替えることでフリテン状態を解消することもできます。

リーチはそれ以後の手牌の交換を放棄することで役をもらえますが同時に対戦相手の邪魔も出来なくなります。

この二つが組み合わさると勝つ事象も引き分ける事象も減って負ける事象だけが増え、そこから脱出する方法がないという悲惨な状態になります。
Posted by taka at 2008年07月07日 22:48
>大文字の人とは別人です。かつさんの所のは自分です。

ああ、そうでしたか。
大文字のかたと、かつさまのところと、おなじかたかと思ってました。
(じつは、べつのかたでしたのね...)


>>B-CやC-Bが空集合
>そのあたりまで定義に含めていないことと、

これは、おっしゃることがわからないです。
「BならばC」だけでは、C-BやB-Cが空集合かどうか定まらないから、
C-BやB-Cは空集合とか、そうでないとか、断定できないというお話ですよ。

>この時、非Bの要素がどのように分布していてもA∩Bにあたる
>集合Bに入る要素が存在すれば日常表現では「ふくむ」と表現すると思います。
>アキラさんの「ふくむ」はこの意味かと。

これは、もっとわからないです。
「ふくむ」ではなく、「ならば」と「イコール」を混同したことが
問題のはずですが...?


あと、「フリテンリーチ」は、解説してくださったことは、
それはそれで、「どうもありがとう」だけど、
じつのところ、どうでもいいですよ。
(わたし、マージャン、ぜんぜんわからないので、
言われても、ぴんと来ないですし...)
Posted by たんぽぽ at 2008年07月09日 12:16
>たんぽぽさん

たんぽぽさんが挙げたアキラさんのコメントの

|ですから、「水からの伝言をふくむ一般論」ではあるかとは思っていますよ。
|しかし、だからといってイコール「“水からの伝言”に関する
|(イコールの)直接的な批判」ではありませんね。

の部分は、「しかしだからといって、{「水からの伝言をふくむ一般論」}イコール「“水からの伝言”に関する(イコールの)直接的な批判」ではありませんね。」の{}内が省略されたものと読めるので「ならば」と「イコール」を混同してるようには思えないのですがどうでしょう?

数理では「ふくむ」=「⊇,⊃」ですが日常用法では「〜にも分類される要素の一部がこの分類の中に混ざっている」という状態でも「〜をふくむ」と表現します。今回の場合、一般論段落の中にある十数個の要素のうち、水伝騒動の要素が1つでもあれば「水伝をふくむ」と表現できます。

以上を踏まえて、たんぽぽさんが思い描いている集合モデル(たぶん一般論段落が段落丸ごと水伝騒動の話とする見方)とアキラさんが思い描いている集合モデル、および「ふくむ」「ふくまない」の用法の違いによるグラデーションの有無の見解が違うので話が噛み合っていない様に見えたのですが。
(もっともいくら自分の庭とはいえ、アキラさんの議論展開は禅問答を挑んでいるように見えてしまう)


空集合については、たんぽぽさん一人がどうこうと言うのではなく、各コメンターの話すモデルが違っていたりオーバーラップしていたりして混乱してるように見えたということです。
Posted by taka at 2008年07月09日 22:32
レスを読んでみたのですが、やっぱりわからないです。
もしかすると、つぎのエントリの「まあ、確かに」という、
管理者からのコメントが、なにか参考になるかもしれないです。
http://uchya.blog109.fc2.com/blog-entry-949.html#comment

それよりは、こんなところで、ごちゃごちゃ言ってないで、
アキラ氏に直接お尋ねになることを、お勧めします。
どういうことを言いたかったのか、もっとわかりやすく
おっしゃってくださいと、本人から解説してもらうのがいいでしょう。

アキラ氏も、解釈に迷ったら本人に訊くのがよいと、言っていますし、
そうするのが、当人にとってもよいのではないかと思います。


空集合については、BならばCから、B-CやC-Bが
空集合とは決まらない、というのは数学的事実であり、
わたしは、この事実を言っただけです。
各人がこれに反したモデル(空集合かそうでないかが決まる)を、
思い浮かべることはできないことを、指摘させていただいたまでです。
Posted by たんぽぽ at 2008年07月12日 22:23
>たんぽぽさん

アキラさんの意見は何かという話ではなくたんぽぽさんの発言や理解の仕方がどうなのかという話しをしているのですが…

アキラさんの意見はエントリーとコメント欄から「一般論段落についての深い考察は不要である(南郷力丸さんの意見に近い)」事が容易に読み取れるのですが、コメント欄を見た感想は、たんぽぽさんのコメントがjabberwockさんのようなまともな対話なっていなかったのが残念だったというものです。論理学が論を説明するツールではなく口げんかに勝つためのツールとして使われているのでは?と危惧しています。まともな論者と対話する機会ができたと思っていたのですが…    RPG風に言えば協力者になりえるNPCを敵対者にしてしまったような感じです。

以下、引用はすべて http://blog.livedoor.jp/appie_happie/archives/51407881.html コメント欄からのものです。





論理式による自動的な真偽判定を行うには、適切な命題設定とあいまいさを排除した定義がなければ成り立ちません。うちゃさんが示したWikiの論理包含のページには真判定でも日本語としておかしい例や、単純に「だから」でつなげられない例が示されています。

今回の場合、論理式を持ち出すことで「ふくむ」の意味を論理学上の限定された意味にすり替えていて、さらに相手が論理式に詳しくないことや「水伝の話」の適用の仕方が詰められていない事もあるので、たんぽぽさんの意見が間違いでない事を示せてはいても、日本語的に自明でありアキラさんの意見を排除できるほどの厳密な証明にはなっていません。

うちゃさんは「も」をつけたことであいまいさを排除したと見ていますがgegengaさんはそう単純に解釈はできない理由を書いています。自分はgegengaさんの意見を支持します。


>「ふくむ」は、「水からの伝言も、ほかのことも言っている」「イコール」は、「水からの伝言のことだけ言っている」で、おなじ意味ではないですよ。そして、わたしが言ったのは、「ふくむ」のほうです。
わたしが言いたいのは、「『水からの伝言も含む一般論』ならば、『水からの伝言のことを言っている』」ということです。
たんぽぽ at 2008年06月17日 23:15

>たとえば先ほどの「も」問題で言えばたんぽぽさんはこういった場合、限りなく「は」に近いニュアンスで読みとる傾向があるようです。だから、話がずれてくる。「も」には、これ以外も含むぐらい広い「も」もあれば、「は」に近い「も」もあるのだから、どちらも間違えではない。しかし、「も」を広くとらえる「アキラワールド」と、狭くとらえる「たんぽぽワールド」、接点がないように見えます。
gegenga at 2008年06月18日 13:43


論理式で考えるのは有用ですが、論理式で真ならば常に正しく常に相手は同意する(逆に言えば同意できない相手は間違っている)と考えるのは危険です。言葉の領域では真の否定でさえ「偽」と「真ではない」という似て非なる意味に取れるのですから。
Posted by taka at 2008年07月15日 01:16
二項的と評されたたんぽぽさんがしている言い換えは「真ではない、偽ではない」を半自動的に「偽、真」と読み替えている所から来るのでは?と感じます。やつらだ氏やごん氏のコメントに対しては文脈が伴っているので間違ってはいないのですがアキラさんに対しては文意、文脈を無視した言い換えになってしまっています。


>「書いてないものは書いてない」を基準にしないと、ある統一見解をつくることは無理だろうという立場です。
アキラ@たんぽぽさん at 2008年06月15日 01:32
>たんぽぽさんが「間違っていない」とお感じになっていることに僕は別段異論はありません
アキラ@たんぽぽさん3 at 2008年06月15日 01:34

>「水からの伝言と関係ない一般論」と主張するあなたは「書いていないもの」を読んでいる
たんぽぽ at 2008年06月16日 23:18


また問題を感じるコメントとして水葉氏並の脳内ソースさえあります。


>「水からの伝言と関係ない一般論ではない」とは、あなたは、どこにも「書いていない」です。その「書いていない」ことを、読まなかったのもあります。
たんぽぽ at 2008年06月17日 23:19


筋が悪いとか論がぶれるというレベルを超えてしまっています。
これではまともな対話は望めませんし論理で固めても論の妥当性を疑われてしまいます。イナゴの身勝手な希望ですが反論の技術的手段についてもう少し考慮してもらえたらと思います。
Posted by taka at 2008年07月15日 01:19
>論理学が論を説明するツールではなく
>口げんかに勝つためのツールとして使われているのでは?

>これではまともな対話は望めませんし
>論理で固めても論の妥当性を疑われてしまいます。

んん...?
これは、takaさまのことかしら...?
Posted by たんぽぽ at 2008年07月17日 12:25

この記事へのトラックバック

陰謀論者「きくちゆみ」と「統一協会」のつながり
Excerpt: 「きまぐれな日々」にTBいただいた記事を紹介する。コメントはつけないので、リンク先をたどってご判断いただきたい。 かものはしのまるやき カルトの培地としてのNGO/NPO : 「山元学校」? (54..
Weblog: kojitakenの日記
Tracked: 2008-06-30 21:47