7月14日エントリでご紹介した、うちゃさまの7月2日エントリの
コメント欄をご覧になったかたは、みんなわかっていると思いますが、
「バーチャル殺人」発言の、ふぉっくすさまは、今西進化論も信奉しているようです。
(林道義センセイも信じていて、「父性の復権」の根拠にもしているあれですよ。)
http://uchya.blog109.fc2.com/blog-entry-943.html#comment
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もし、進化論をダーウィン進化論としてお考えなら、
今西進化論もお読みください。
「キリンの首は何故長いか? 長くしたかったから」っていう
精神分析学者の意見が僕には一番気に入ってますが。
「お互いに争いあい、軍備を増強しあうというのは、
人間にとっても非常に”自然”なことであるのかもしれないのだ。」
そうそう、そうかも知れませんね。
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それから、「キリンの首は何故長いか? 長くしたかったから」
なんて言っているけれど、進化というのは、遺伝子の本体である
DNA分子の構造の変異の積み重ねで、生物の意志なんて入るはずもないです。
「長くしたかったから」長くなるなんて、あるわけないです。
(じゃあ、意志なんてなさそうなバクテリアは、どうやって進化したのよ?)
http://jvsc.jst.go.jp/earth/sinka/index.html
http://www.kazusa.or.jp/j/dna/index.html
「社会発展段階説」は、マルクスの唯物史観のことだと思います。
(わたしも、あまりくわしくないけれど)、「生産力」というのは、
しだいに発展していくもので、現在の体制で発展が行き詰まると、
革命などで、政治システムが変革する、というものだと思います。
(でもって、原始共産制→奴隷制→封建制度→資本主義→社会主義、
のように、具体的には変わっていくはずだ、というのね...)
http://www.yk.rim.or.jp/~mitsunob/c-econo1/c45.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E7%89%A9%E5%8F%B2%E8%A6%B3
生物進化では、現存生物はすべて、淘汰を受けずに生き残っている、
という意味で、ひとしく環境に適応していると考えます。
何億年も前から変化していない、深海を泳ぐシーラカンスや、
台所のごきちゃんより、ずっとあとに出て来た人間さまのほうが高級、
などという考えかたはしないので、ご注意ください。
「適者生存」が、似ていると言いたいのかもしれないですが、
「社会発展段階説」は、あとに出て来た経済体制のほうが、
すぐれていると考えるでしょうし(たぶん)、
原始共産制が、「進化」しないで、世界のかたすみに現存して、
資本主義社会と共存していることもないですから、
「生物進化」とは、だいぶ異質の理論ではないかと、わたしは思いますよ。
それで、ふぉっくすさまだけど、戦争をするのは、人間にとって
自然なのかもしれないと言われて、「反論」したくなったみたいです。
(そうでなくても、ダーウィン進化論を、「弱肉強食」の理論のように
かんちがいして反発して、抜け道を探したくて、今西進化論などに走ることが、
「リベラル」で「平和」なかたの中には、ときどきいるらしい。)
遺伝子を残す競争は、種ではなく個体レベルです。
人間のように、ほかの生物に補食される心配がないと、
同じ種どうしの遺伝子競争のほうが激しいかもしれない...
すなわち、人間どうしの殺しあい(戦争)をするのも、
もしかすると「自然」という可能性も、なくもないことになります。
そういう状況がいやでしたら、人間は自分の生活している社会環境を、
自力で変えられるのですから、人間どうしで殺しあいをしないほうが、
各人が遺伝子を残すことに、有利な環境を作ることを考えたほうが、
終わっちゃった学説なんか持ち出すよりも、よいのではないかと、
わたしは、思ったりもするのですが。
(それが「平和と共生をもとめる人たち」の課題でしょ?)
2008年07月18日
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おかしいものはおかしい
Excerpt: 例えばあなたが一緒に仕事をしている同僚や、尊敬する先輩が、明らかな事実誤認にもとづいた発言をしたり、すでに否定されている学説を引...
Weblog: 百丁森の一軒家(本館)
Tracked: 2008-07-21 15:45
というそれぞれの”棲み分け”があるように思います。進化論も大変ですね。
(ふぉっくすさま、おもしろいねたをくださったと思ってます。)
>勝手な印象なんですが、
ああ、いえいえ。
わたしも、「そういえばそうかも」という気がしますよ。
>ID(インテリジェント・デザイン)
アメリカ合衆国の宗教右翼は、「創造科学」なんて、
ID理論のきわめつけみたいなものを主張していて、
理科教育をおびやかしてもいますね〜。
>今西進化論=サヨク系
林道義というのは、バックラッシュなので、政治的旗振りは、
宗教右翼に近いんだけど、もともとは左翼の活動家だったので、
そのときに、今西とか、ケストラーなんかを、仕入れたのかもしれないです。
>ID理論のきわめつけみたいなものを主張していて、
>理科教育をおびやかしてもいますね〜。
これはかなり危なくて、何回も裁判になってますし、創造論者が勝利したこともありますからね。もっとも日本もあんまりアメリカを笑えないのですが。(前にエントリーを書きました)
http://uchya.blog109.fc2.com/blog-entry-682.html
http://uchya.blog109.fc2.com/blog-entry-683.html
なぜか、進化論というのは人を刺激するらしく、自分の思想なり行動の是非を進化論に求めてしまうようなところがあると思います。科学的なお墨付きが欲しい、ということでは「水からの伝言」にも通じるところがあるのではないでしょうか?
>http://uchya.blog109.fc2.com/blog-entry-682.html
>http://uchya.blog109.fc2.com/blog-entry-683.html
エントリ、拝見させていただきました。
進化論というのは、もともとキリスト教世界では、
創世記の影響で、受け入れられにくいんだけど、
アメリカ合衆国は、開発途上国並みに、宗教が市民意識の中に
浸透しているので、とくに激しくなるみたいですね。
http://people-press.org/report/167/among-wealthy-nations-%85
>なぜか、進化論というのは人を刺激するらしく、
>自分の思想なり行動の是非を進化論に求めてしまうようなところがあると思います。
やはり生命、とりわけ人類が、どうやって地球に現われたか、
というのは、だれもが思う、根本的な疑問でしょうからね...
それへの回答というのは、人を刺激するものなのかもしれないです。
>科学的なお墨付きが欲しい、ということでは「水からの伝言」にも
>通じるところがあるのではないでしょうか?
遺伝で決まっているというのは、命あるものとして、
逆らいがたい宿命を感じさせますからね...
「科学的なお墨付き」という意味では、「水からの伝言」の
比ではないのかもしれないです。
>今西進化論
地下に眠るM氏のブログで言及されていた長谷川寿一・長谷川真理子共著の「進化と人間行動」を図書館で探している時に見かけた「ダーウィンを超えて」という著名を見て、ID論系かと思い込んでいました(^^;
個人的には、「現状を認識し」「改善を望み」「対策を考え」「実現する」って別々の段階の話だと思うのです。少なくとも後半二つは割と大きな脳を持っていないと厳しいし、そうでなくても意思が遺伝子に関与できるはずないよねー、みたいな。
ちなみに先ほど挙げた「進化と人間行動」では、決定論的な読み方を出来るだけ避けてもらおうとする記述が散見されましたよ。
(同じ理屈だと思うのですが、「「意思の自由」は事後的に権利を主張する自由だ」という話が「バックラッシュ!」の斉藤環氏の論文(119ページ)にあり、その意味では進化論で科学的なお墨付きは与えられないはずなんですよね)
「科学」と「決定論」と「自由」については、もっとちゃんと論じられていい。みんなすごく混同してると思う。
酔っぱらってるんで雑なコメントですみません。
http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20080723/p2
「こうである」と「こうであるべきだ」の違い。
いえいえ、コメントどうもありがとう、ですよ。
>個人的には、「現状を認識し」「改善を望み」「対策を考え」「実現する」って
>別々の段階の話だと思うのです。
>少なくとも後半二つは割と大きな脳を持っていないと厳しいし、
わたしも、それは思ったのでした。
意志が進化に影響するなら、脳がかなり発達している必要がありそうだと。
(それで、エントリには、バクテリアはどうしたの?って書いたのだ。)
>ちなみに先ほど挙げた「進化と人間行動」では、
>決定論的な読み方を出来るだけ避けてもらおうとする記述が散見されましたよ。
『進化と人間行動』という本は、これかな?
http://www.bk1.jp/product/00017315
わたしは、その本は、読んだことないんだけど、
「生物学的にこうだからこうなった」と書いてあるのを読むと、
「こうなった」を「こうあるべき」と、思ってしまう人が多い、
ということなんでしょうね...
「こうなった」を「こうあるべき」と思ってしまうことがなければ、
そもそも、「水からの伝言」も「なんとか進化論の援用」も、
なかったんだろうと思います。
うちゃさま、コメントどうもです。
>http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20080723/p2
ご紹介、どうもありがとうございます。
「適者生存」を「弱肉強食」と取り違えて、推進したり、
忌避したりするのは、自然主義の誤謬のよくあるパターンですね...
(そういえば、「人間は戦争で殺し合わないのが、生物として自然だ」
と言う人は、「人類の歴史が戦争の歴史」なんてのは、
どうやって説明するのかな...?)
後半は...なるほど、「自然主義の誤謬すれすれ」、ですね...
人間は、非血縁どうしで、利他的行動を取らないと、
生きて行けない生物なのは、適応の結果なのは確かそうだけど、
「弱者を排除せず、助け合わなくてはならない」というのは、
自然科学とはべつのところから来る結論、ということなんでしょうけど。
(ついでながら、フリーメーソン精神のような、相互扶助の精神が、
人類誕生のころからあったという、根拠にする人がいるのを思い出した。)
はい、それです。
これの中には脳の話もしばしば出ておりまして、「脳はきわめて燃費の悪い贅沢な器官」というようなことが書かれており(P.92)、ヒトに近い類人猿の言語訓練でさえ、3つ以上の単語を繋げた文章の作製(理解は可能)や、人間にとってはそこまで難しくない「カテゴリー化」や「概念の理解」が困難であるという研究結果が紹介されておりまして(P.101〜102)、
>割と大きな脳を持っていないと厳しい
はバクテリアほど極端な例を出すまでもなさそうだという感想を持ったのと、ネアンデルタール人にまつわる記述(P.110〜115。大雑把に言うと「多様な領域の知能を上手く組み合わせる能力の有無」)より、
「現生人類的知能・思考をそうそう動物に当てはめて想像するものじゃない」
と思ったのでした。
>「である」と「べきである」の分離
実は私もうっかりそういう臭い勝手に感じ取りかけることが度々あるので、えらそうなことを言うと激しくブーメランになったりするのですが(^^;
ただ、上述の本に関しては誤解の可能性を丁寧に取り除いた文章が書かれており、その辺がかなり丁寧に注釈されていると思っていいと思います。
(なるほどねえ...)
わたしは、本を読んでいないので、あまり深入りしないほうが、
よさそうだけれど、せっかくだから、あとちょっとだけ...
言語を扱うことや、抽象的な思考というのは、
人間以外の生物には、なかなかむずかしいみたいですね。
(ちょっと、意外なくらいかも...)
言語能力を重視するのは、人間中心的な考えかたなので、
このあたりは注意が必要だけれど...
それでも、他の生物が、人間と同じような思考をする、
というわけではないというのは、まちがいなく言えるようですね。
>>「である」と「べきである」の分離
>実は私もうっかりそういう臭い勝手に感じ取りかけることが度々あるので、
これは、わたしも、気をつけなければならないところだったりします。
(エラそうなこと言っているけど。(苦笑))