7月29日に、「強制的手段」の結果を発表すると、
それまで、わたしを攻撃していた人たちは、きゅうに、
「もうおしまいにしましょう」という雰囲気になってきましたよ。
コメント欄にも、攻撃的な人たちは、めっきり現われなくなっています。
それまでの彼らは、通報の可能性さえつゆほどにも考えず、
「ごん」氏の「成功」を、ひたすらたたえていたのでした。
通報と知ったとたん、態度を変えたもののようですが、
そうでもされないと、自分たちがなにをやっているのか、
わからないところまで、彼らの感覚は麻痺していたようです。
もしかすると、彼らは、「平和と共生を求める人たち」だから、
絶対の正義であり、賛同されて当然で、敵対するものは、
発言や活動に有害だから、無条件に排撃してかまわないと、
思い込んでいたのかもしれないです。
「ごん」氏は、引き続いて、gegengaさまの『かめ?』の
沖縄のエントリに、かみついている最中でした。
このコメント欄が伸びているあいだに、7月29日エントリがアップされました。
http://teagon.seesaa.net/article/103765593.html#comment
おともだちのみなさんは、「ごん」氏を持ち上げながらも、
「ごん」氏の批判のしかたがよくない、
といったようなことを言って、遠回しにやめさせようとしました。
ここで手を引くことに、納得していないのでしょうけれど、
「どっちもどっち」とか、「たんぽぽたちにも問題がある」と言って、
責任転嫁や、自己正当化を計ることはなかったのでした。
プロバイダに処分された事実は、説得力があったのでしょう。
自分たちこそ問題なく悪質だったのだと、認めざるをえなかったようです。
あるいは、これ以上、たんぽぽにかかわると、
さらになにか処分されるかもしれないと、警戒したのかもしれないです。
以下のふたつは、そうした気持ちが出ているでしょうか?
========
お気持ちは大変身に染みてわかっているつもりだが、ここは沈黙しかないべ。
また、騒動が再燃した!
などと、大騒ぎにならないように、なに云われても沈黙だ。
========(死ぬのはやつらだ at 2008年07月31日 05:19)
========
えぇ、僕もここは沈黙しかないと思います。
やつらださんもgonさんも、本意か不本意かは知らないが、
やるだけのことをやって(しまって)、やられるだけのことをやられてしまった。
一度、幕引きでしょう。
僕は「あちら側」の方々にも問題が多いと思ってますが、
やつらださんやgonさんに問題がないとは思ってません。
========(アキラ at 2008年07月31日 11:14)
「たんぽぽが、ブログをやめればいい」などと、うそぶいていた、
「死ぬのはやつらだ」氏も、ご自分がプロバイダによって、
「バーチャル死」させられるのは、さすがにいやみたいです。
騒動をおしまいにするために、本当にだまるべきはどちらさんなのか、
理解したとは思わないですが、受け入れざるを得なかったようです。
「アキラ」氏は、わたし(たち)のほうが問題が多いなどと、
盗人たけだけしいことを、まだ言っています。
それでも、「過剰防衛」とか、「宗教がかっている」とか、
「手前勝手な読み込み」と言えるほど、ツラの皮は厚くなかったようですし、
「ごんさんの自業自得の覚悟にリスペクト」する余裕も、
この期におよんで、もうなかったようです。
さすがの「ごん」氏も、こんどはだいぶ屈折したようで、
[2008年07月31日 16:42]を見ると、自分たちの敗北を認めた感じです。
それでも、あたかも、自分が言論弾圧されそうだ、などという
もの言いは、しっかりやっているのでした。[2008年07月31日 17:49]
これによると、「手前勝手に極端な妄想」を信用して
プロバイダは、自分たちを処分したことになりそうです。
この場合、言論弾圧したのは、「絨毯爆撃」やコメント欄荒らしで、
わたしに圧力を加えた、「死ぬのはやつらだ」氏や、「ごん」氏です。
本来ならユーザが、自主的に律して、こんなことをしない(させない)
ところですが、彼らふたりも、まわりの人も、それがぜんぜんできないから、
プロバイダから、措置をほどこされることになったのでした。
それでも、プロバイダからの警告で、ことはおさまったのですから、
「ユーザの自治」は超えましたが、「ネットの自治」は保たれたと言えます。
しかし、内容が内容なだけに、警察ざたもありえたし、
なまじそうなると、ネットの規制にむかうことにもなりかねないです。
彼らや、ふたりを応援してきた人たちこそ、
ネットの自由をせばめかねない、真の存在なのだと思います。
2008年08月07日
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8月8日−北京五輪開会式と「郵政解散」の日
Excerpt: 2008年8月8日と「8」の3つ並んだ日。日本でも「八」は末広がりというが、中国でも縁起の良い数字だそうで、それで現地時間の今日午後8時8分に開...
Weblog: きまぐれな日々
Tracked: 2008-08-08 07:18
> やつらださん?
> 沈黙しちゃだめだよ!
>
> gonさんのこのエントリーも、わたしは大切だと思うよ!
>
> 何も恐れる必要はないってば!
> 自分に『悪意』さえなければ、ぜんぜん平気だと思う。修正はいつでもきくよ。
>
> Posted by naoko at 2008年07月31日 07:38
この期に及んで、まだ煽っている(笑)。
ある意味、首尾一貫してるのかも知れませんが、独善の世界にはまりこんでいるとも言えますね。信念は人を強くもするが愚かにもする、ということなんでしょう。
>ネットの自由をせばめかねない、真の存在なのだと思います。(by たんぽぽさん)
ヘイト・スピーチの規制に関する議論と、構図が似ていると思います。たとえ「言論(もどき)」の形をとっていても「規制」するなどの形で「社会」が立ち向かわねばならぬことがあるんだなあと、今回の一件であらためて実感してしまった次第です。なんか憂鬱……。
「地獄への道は善意で敷き詰められている」という有名な言葉がありますね。
こんなことをいう人が本当にいるのかと思うと、ため息が出ます。
ぜひとも、相互リンクをお願いします。
m(_ _)m
ああ、それ、やっぱり煽っているのかな...?
(そのコメント欄でふたたびコメントする、ということではなく、
将来的なことを言っているのかと思ってた。)
その「naoko」氏というかたは、わたしのことを
「誠意が感じられない」とか、「びょーき」とか言った人ですね。
わたしのブログを荒らした「ごん」氏に、「おつかれさま」などと、
声をかけたりしていて、「ごん」氏を煽った、なんて批判されていましたよ。
http://chochonmage.blog21.fc2.com/blog-entry-15.html
仲@ukiukiさま、コメントありがとうございます
>たとえ「言論(もどき)」の形をとっていても「規制」するなどの形で
>「社会」が立ち向かわねばならぬことがあるんだなあと、
「あちら側」のあの人たちくらい、自分の発言に責任が持てないなら、
ひとむかしなら「ネットをやる資格がない」と言われたものです。
いまこれを言ったら、「政治を語るのに資格がいるのか!?」なんて、
「あちら側」の人たちは、いきり立ちますからね...
ネットユーザの数が増えて、それだけ変なのも多くなった、
ということなんでしょうけど、そう考えると、だんだんと規制が
やかましくなるのも、必然的なことなのかもしれないです。
かつさま、コメントありがとうございます。
>「地獄への道は善意で敷き詰められている」という有名な言葉
あれは、さすがに無邪気すぎですね〜。
今度の騒動のことだって、自分たちは、平和と共生のためにやっている
と思っていて、「善意」だったんじゃないのかと思います。
(そして、修正がきかないところまで、来たと思うのですが...)
わたしのブログにお越しくださって、ありがとうございます。
あと、貴ブログのご紹介、ありがとうございます。
拝見させていただきました。
http://hakenntaro.blog116.fc2.com/
それで、せっかくのお誘いなんだだけど、
わたしは、相互リンクの申し込みは、受けないことにしています。
わたしからリンクするのは、気が向いたときだけですし、
リンクしてもらうのも、先方に頼んだりしないです。
というわけなので、まことにもうしわけないけれど、
希望にそえなくてごめんなさいね...
(わたしのブログを、貴ブログからリンクなさるのは、
一向かまわないですので、よろしければどうぞです。)
> 「あちら側」の人たちは、いきり立ちますからね...
これはぶいっちゃんさんの常套句ですね。
NewsOLさんだっけ? がこの論法で挑んできたので、私は、「らんきーブログ」は政治ブログの要件を満たしていない、とはっきり書いてあげましたよ。
これは私の基準に照らして、という意味であって、それぞれの人で基準は違って当たり前なんですが、そんなことさえあの人たちには通じるかどうか。
まったくもう...
あの周辺の人たちのあいだで、すっかり浸透していますね。
NewsOLさんは、もしかしてこれかな...?
(「自由」にはかならず、「責任」がともなうものですが、
それがおわかりにならない人たちのようで...)
http://newsol.blog116.fc2.com/blog-entry-18.html
> http://newsol.blog116.fc2.com/blog-entry-18.html
そうそう、これです。
「きまぐれな日々」が専門書的だなんて、買いかぶりなのか、それとも読み手の○○○が○○のか、間違いなく後者だと思いますけどね。
でも、たくさんの「はてなブックマーク」がついていて、そのコメントに笑えました。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://newsol.blog116.fc2.com/blog-entry-18.html
中でも、kmiuraさんという方がつけた「文革2008」というタグには大ウケでした。
このタグを見て、ぶいっちゃんたちがあんなに保守的な心性の持ち主なのに左翼にウケるわけがわかりました。それも、トンデモの傾向のある新左翼たちに特にウケる理由が。
自分たちは、「なにを書いても自由だ」なんてうそぶくのに、
自分が批判されて気に入らないと、「なにを書いてもいいというものではない」
なんて、相手の自由に制限を主張するから、あきれますよね。
コメント欄の最後のほうで、南郷力丸さまと、玄倉川さまが出てくるけど、
ちくりとやっていて、思わず笑えましたよ。
(「らんきーブログ」が、わたしを排除したことを、言っているし。(笑))
>http://b.hatena.ne.jp/entry/http://newsol.blog116.fc2.com/blog-entry-18.html
ところで、「文革2008」というコメントで、
「保守的なのに左翼受けする」になるのは、どういうこと...?
(中国の文化革命を、わたしは、ほとんど知らないので、
どういうふくみなのか、よくわからない...
「スイーツ(笑)、政治を語る」はわかったけど。)
私も歴史には詳しくなく、はてなブックマークも見てはいないのですが、「文革2008」とは、彼等の姿に、文化大革命の時に暴れまわったという“紅衛兵”(反共的もしくは反毛沢東的な人物を厳しく取り締まるMPみたいなものと認識しています)と似たものを見たからでしょうか。もし間違っていたらごめんなさい。
要するに、中国の「文化大革命」の中では、「知識人」というか「知識階級」批判が非常に過激なかたちで行われたわけですよね。一方、そのやや後、西欧でもアメリカでも日本でも、ベトナム反戦というテーマと連動するように学生運動が盛上って、その中で、「大学という特権的な空間の中の知性」を問う、ということは確かにあったのだと思うんですよね。同時代ではないので私の「解釈」ですが。
で、まあ、そういうのは、政治的立場からすれば「左翼」なわけです。
それはそれで意味はあったのだと私は思っていますが、同時にトンデモ的要素(地下猫さんが最近言及しておられましたが、ヒッピー・ムーヴメントの流れから来る、私なんかから見るとトンデモアジア指向みたいな)もそこには含まれていて。当時はいろんなものが混然一体となってそれなりに魅力的な「時代の文化」をつくっていたのだと思いますが、同じ流れで今言われてもね、ということはある。
ともあれ「反体制」と「反知性」あるいは「反知識人」というのが結びつく要素はあるわけだし、むしろ「左翼」気取りの人にウケるのはわからないではないです。ふつうに「右翼」にもウケるとは思いますけど。
> 中国の「文化大革命」の中では、「知識人」というか「知識階級」批判が非常に過激なかたちで行われたわけですよね。
その通りで、なんでもかんでも「ブルジョワ」のレッテルを張られて否定されました。私も「現役世代」よりはもう少し下の世代ですが、小学生の頃に新聞に、「ベートーベンの第9交響曲の「歓喜の歌」が中国で「ブルジョワ的」だとして批判された」という新聞記事を読んで、何じゃそれ、って思った記憶があります。
国内に仮想敵を設けてそれを攻撃することで民衆を煽動した文革のやり方は、コイズミの郵政総選挙での「刺客作戦」なんかに相通じるし、行き過ぎればカンボジアのポル・ポトになる。ありえないけど、独立党が天下を取ったらポル・ポトみたいになるんじゃないかな。もちろんたんぽぽさんや私は真っ先に粛清されるでしょう(笑)。
なお、文革やポル・ポトの「下放政策」とそっくり同じ主張をしたのが稲田朋美(「徴農」発言)でした。
http://d.hatena.ne.jp/kmiura/20080805#c1218361366
> 「文革2008」のタグをつけたご本人にお尋ねしてしまいました(^^;
> http://d.hatena.ne.jp/kmiura/20080805#c1218361366
おおっ、これはありがたい。感謝します。
見に行ったら、答えが返ってきていました。
north-poleさんの解釈で間違いなかったようですね。
文革についてのコメント、ありがとうございます。
「文革2008」は、下から2番目だけど、
「コメント」じゃなくて、「タグ」でしたね。(苦笑)
(隠密ヲチ屋さま、もし混乱させていたら、ごめんね...)
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://newsol.blog116.fc2.com/blog-entry-18.html
タグを入れた、kmiuraさまに、直接お尋ねしてくださった、
碧猫さま、ありがとうございます。
(そこまでしちゃうってのも、すごいかも...)
north-poleさまのおっしゃるようで、合っていましたね。
http://d.hatena.ne.jp/kmiura/20080805#p1
ようは識者嫌いで、反知性に向かうことを、指しているようですね。
(日本サヨクって、こんなのと親和性がよかったんだ...)
「学問を大学から解放しろ」なんてなお題目が、
学生運動のころおさかんだったのは、ちらと聞いたことがありますよ。
「一般の人たちが、学問に触れる機会を解放しろ」ということなのかと、
ずっと思っていたけれど、「不勉強な人間が、
いい加減なことを言うのを容認しろ」という意味だったのか!?
ああ、そうか、きっとそうですね。
さすがに、学生運動のときのは、ずっとまともだったでしょうね。(苦笑)
はじめまして
>「きまぐれな日々」が専門書的だなんて、買いかぶりなのか、それとも読み手の○○○が○○のか、間違いなく後者だと思いますけどね。
私も間違いなく後者だと思います。(どんだけ○○なんでしょうか?)
「きまぐれな日々」は、例えるならば新聞の社説あたりが適切かと。
(単語の意味も、日頃新聞を読んでいれば、少し調べる程度で済むし)
まあ、あのレベルの文章を書けとまでは言いませんが、
大人だったら、読みこなすぐらいは出来ないとヤバいんではないかと思います。
あんなに分かりやすい文章を「ハードルが高い」何て思っていては、
ネットのニセ情報に簡単に騙されてしまうのではないかと心配になります。
こちらでははじめまして。先日は「きまぐれな日々」に拍手コメントをいただきましてどうもありがとうございました。
> 「きまぐれな日々」は、例えるならば新聞の社説あたりが適切かと。
新聞、雑誌や書籍などから、興味を引いた記事を紹介するエントリが多いですからね。新聞の社説の論評なども多いし。
「新聞ネタが多すぎる」と批判されることもあります(笑)。
でも、新聞の社説など読む人は少ないそうだから、そんな記事でさえ「専門書的」に見えるんでしょうね。あんなエントリ上げること自体恥ずかしいと思いますが、本人は大真面目なんですね。「文革2008」の革命家なんでしょう(笑)。
> あんなに分かりやすい文章を「ハードルが高い」何て思っていては、
> ネットのニセ情報に簡単に騙されてしまうのではないかと心配になります。
「水伝」はさすがに本気で信じている人はほとんどいないようですが、「ユダヤ陰謀論」なんかに簡単に引っかかってしまう人が多いですね。
御姉寧さま、こちらにもコメント、まことにありがとうです。
>あんなに分かりやすい文章を「ハードルが高い」何て思っていては、
なにか嫌味で言っているのかと思ったけれど(苦笑)、
どうやら本気で、そう思っているみたいですね。
(わからないことばだって、調べればいいと思うんだけど...
なんのために、ネットをやっているんだってね...)
かくいう、わたしも、なじみのない分野の本だと
新書でも、読むのに苦労したりもするんだけど...
(そういう気分を、kojitakenさまのブログで、いつも味わっている、
ということなのか...?)
ネットのにせ情報は、だまされている人、いっぱいいますよ。
(「ユダヤ陰謀論」も、典型的なそのひとつですね。(笑))