「水からの伝言」の「騒動」と、その余波をご覧になって、
左派リベラルブログが嫌いになった、というかたがいらっしゃりましたよ。
(エントリ本体ではなく、コメント欄。)
http://blog.goo.ne.jp/kuroneko0158/e/df233bbfdb62e27550b709b500ee4440
|そういや、露骨に左翼ブログが嫌いになったのは、
|たんぽぽさんの水伝批判に対して、ぶいっちゃん及びそのシンパ達
|(もちろん竜宮城の住民も含む)の見っとも無い対応を見せられてからですねー。
|(いまだに反省の色が見えない連中ばっかだし)
おそらく、「あちら側」のうちで、だれひとりとして、
本質的な反省をしていないのではないかと思います。
それでも、すこし離れたところにいるかたの中には、
批判的に見ているかたもいるとわかって、すこし安心しました。
さきのコメントをなさったのは、仮)山田二郎さまです。
わたしのコンテンツ、「共産党哀歌」もご覧になっていて、
(どうもありがとうございます)、
コメントの中で、共産党の批判もなさっています。
以前、わたしのブログでくださったコメントと、おなじ主旨ですね。
ところで、「あちら側」の中で、とりわけみっともない対応をしたひとりが、
「自分たちのおかげで、護憲派のイメージを塗り替えたら本望だ」
なんて主旨のことを、言ったことがあったのでした。
http://teagon.seesaa.net/article/101301252.html
わたしは、たしかに、イメージが変わりましたよ。
もともと、いい印象はなかったのですが、ますます悪くなりましたよ。
護憲派というだけで、知性や人間性を疑うほど、
こじらせてはいない(たぶん)と思います。
でも、だいじょうぶかどうか、その人を見きわめるまで、
相当に用心してかかる必要がありそうに思いました。
おそらく、まともなかたが特例で、ずっと少ないのかもしれないです。
このあたり、「文学」と「ブンガク」を、区別するみたいに、
「護憲派」と「ゴケンハ」を、区別したほうがいいのでしょう。
(ついでながら、最近、『政権交代』(講談社)という本を読んだのですが、
「騒動」のせいで、岡田克也氏が、聖人君子のように見えてしまいました。)
くろねこさんとこでのコメント読まれていたとは、思いませんでした。
正直、私も水伝騒動の最初の頃は、左翼への身びいきや御都合主義の理論が好まれるのを知っていた事もあり、「そこまで追い詰めなくてもなー」ってな程度のものだったのですが、途中からの開き直りや破綻した論理を正当化する態度や暴言の数々を見てしまうと、さすがにねー。
また、ちょうどその頃からリアルでも、実際に左翼活動へ協力したりする事が増えた為に、ブログやっている人とも直に接する事が多くなったのですが、リアルで平和だなんだと言っている人達のブログ上での攻撃的で非論理的な事と言ったら、ひどいもんでしたよ。
しかも自分でやっている事の醜さに気付きもしない事に加えて、普段から自分達が批判していた言論統制を正当化するような事をやっているのをみてしまうとね…。(その点、読解力にヒューマニズム(?)フィルターが何重にも装着されていても、東西南北君なんかは、まだマシなのかも)
>くろねこさんとこでのコメント読まれていたとは、思いませんでした。
見ていましたよ。
というより、アクセス解析で、見つけてしまいました。
>リアルで平和だなんだと言っている人達の
>ブログ上での攻撃的で非論理的な事と言ったら、
「これは正しいことなのだ」と、天下り的に信じていて、
自分のあたまで考えて理解していなかったりするのかな?
そこらのネットウヨクが言いそうな、「想定反論集」にありそうなことは、
それなりに答えられるけれど、それ以外のことになると、
受け答えができなくなったて、ごり押しになるのかもしれないです。
>しかも自分でやっている事の醜さに気付きもしない事に加えて、
>普段から自分達が批判していた言論統制を
>正当化するような事をやっているのをみてしまうとね…。
あとのほうは、わたしへの人格攻撃が、とうぜんになっていたし、
「たんぽぽがいなくなればいい」などと、露骨に言う人もいて、
「平和と共生を求める人たち」(「にせ科学批判をする人たち」も
一部含まれる?)の人間性とはこういうものかと思ったけど。
「絨毯爆撃」と、その弁護ぶりと、「ごん」氏による荒らしと、
そのよろこびようは、じつに醜悪でしたね。
いまも、あっちこっちのブログを見ていると、
「それは自分たちのことじゃないの?」と言いたくなることを
言うことがあって、盗人たけだけしかったりしますよ。