2008年09月13日

toujyouka016.jpg 小さな世界(2)

8月29日エントリでご紹介の、McRash氏、「水からの伝言」の騒動に、
関係あるらしいエントリを、またまた書いていますよ。
「したたかに、しなやかに」
http://mcrash-f2.workarea.jp/archives/2008/09/08/post-169.html

このかたは、自分ではどちらにもつかないと、言ってはいます。
このような、自称中立のスタンスは、いままで見てきたかぎりでは、
かならず「あちら側(「水からの伝言」批判黙殺・抹殺派)」ですね。
直接本人にお尋ねしても、まっこうから否定するだけでしょうけれど。

 
ところで、前にリンクした、McRash氏のエントリやコメント、
あるいは、これまで出て来たいろいろなかたを、
ずっと見ていると、「あちら側」のかたたちが考える世界観、
というか社会観を描き出すことができそうです。

彼ら「あちら側」の人たちは、リベラルという世界に住んでいる、
というか、そのように、自分たちを規定しているみたいです。
McRash氏も、「リベラリズム」「リベラルブログ言論」と書いています。
「リベラルという小さな世界」と言うかたもいましたが、(参照)
これらのかたたちにとって、自分のいる世界は小さいもののようです。

彼らは、「権力」と呼んでいる存在と、対峙しているそうです。
この「権力」というのは、大きくて強いのだそうです。
そして「権力」と闘うべく、彼らは活動をしているつもりなのだそうです。
ネットのウェブログでの発言も、その活動の一環に当たるのでしょう。
「真の敵に怒りを向けよ」なんて言う人もいたりしますし、(参照)
かかる「権力」との闘いが、彼らの至上課題なのでしょう。

ようするに、「小さな世界」の自分たちと、「強大な敵」である
「権力」という図式が、彼らの中にはあることになります。
「権力」は邪悪らしいので、それと闘っている
自分たちは「正義」、ということになるようです。


「小さな世界」にいる彼らは、かかる「権力」に、
追い詰められている意識があるらしく、「強大な敵」が、
いつ自分たちに牙を向けるかと、疑心暗鬼にもなっているようです。
それで、自分たちのブログ言論を、「権力」が弾圧する、とか、
あるいは、「権力」が後退すると、「ブログ言論の勝利だ」なんて、
おおげさで自意識過剰なことを、言ったりもするのでしょう。

また、自分たちが、だれかから批判をされたとき、
彼らにとって「身内」と思えるなら、「内ゲバ」と思うし
敵側なら「権力の手先」と思われることになります。
「権力」でない自分たちの「外側」も、認識されてはいるようですが、
それでも、自分たちに批判的なら、「権力」と決めつけたほうがやりすいようです。

そんなとき、もともと猜疑心が旺盛ですから、自分たちをおとしいれるための、
「権力」の手先のしわざだなどと、「陰謀論」を持ち出すことにもなります。
陰謀の主体は、自分たちの気に入らない、政治勢力や思想集団が多いようです。
深刻な集団妄想に発展したことは、いまのところないようですが、
こうした状況を見ていると、その素地はじゅうぶんあるでしょう。


なにかと、「連帯」とか「共闘」とか、言いたがるのも、
「強大な敵」を前にした、「小さな世界」の自分たちという、
社会観なので、すこしでも大きくまとまろうとするからでしょう。
お仲間を増やすためには、門口を広くする必要がありますから、
「ゆるやか」とか「つながれるところだけつながる」とか言うのでしょう。

「自分たちは正義だ」という意識が強いせいなのか、
それとも、周囲に対する不信感が強いからかのか、
実際には、彼らは、おそろしく独善的で、非妥協的であり、
連帯なんて「ゆるやか」にもできなかったりします。
一連の騒動で、わたしがどういう扱いを受けたかを見れば、あきらかでしょうね。
(自分たちができないから、「連帯」とか、「共闘」とか、
ことさらに言いたがるのもあるのかもしれないです。)

「水からの伝言」の疑似科学性の指摘を、まったく受け入れることができず
「謝罪要求してまわった」などと、デマを流して印象操作をしたり、
「絨毯爆撃」と称してブログを荒らしたり、セクハラ発言を続けるなど、
自分たちに批判的というだけで、ただひたすら排撃する以外になかったことが、
彼らの不寛容さを、じゅうぶんすぎるくらいしめしています。

posted by たんぽぽ at 23:11 | Comment(2) | TrackBack(2) | 政治活動・市民運動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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この記事へのコメント
>自称中立のスタンスは、いままで見てきたかぎりでは、
かならず「あちら側(「水からの伝言」批判黙殺・抹殺派)」ですね。

「中立」と言いつつ「あちら側」の人をまともに批判した試しがないですよね。
(批判するにしてもエクスキューズ程度だし)

>「小さな世界」にいる彼らは、かかる「権力」に、追い詰められている意識があるらしく

無茶苦茶な理屈を使ってでも自分やお仲間を「被害者」認定したがる人達だという
印象が私にはあるんですが、やはり上記のような理由によるものなんでしょうかね?
Posted by 御姉寧 at 2008年09月16日 23:42
コメント、ありがとうございます。

>「中立」と言いつつ「あちら側」の人をまともに批判した試しがないですよね。

そうそう。
「あちら側」はぜんぜん批判せず、わたしにばっかり妥協をせまるのに、
なんで自分は中立だと思えるのか、とってもふしぎなんですよね。
(立場を偽証している様子でもないんだよね...)

McRash氏も、「二者択一しない」と言いつつ、お仲間になっているし...
(きっと非公開ブログも読めるのでしょう。)
しっかり「あちら側」を選択していますね。
http://amember.ameba.jp/amemberListGive.do?oAid=eboli-fr


>無茶苦茶な理屈を使ってでも自分やお仲間を
>「被害者」認定したがる人達だという印象が私にはあるんですが、

それもあると思うし(実際増幅させていると思うし)、
自分たちは、「権力と闘う正義」という意識も、あるんだと思います。
それで、批判を受けない特権でもあるかのように思っていて、
批判されると、なにかの被害にあったかのように、騒ぐのでしょう...
Posted by たんぽぽ at 2008年09月17日 23:51
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Tracked: 2008-09-15 21:32

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