9月23日エントリや、10月4日エントリなどで、すでに触れていますが、
民主党について、中立的に書かれた本はないかと、探し求めて、
『民主党10年史』(橘 民義編・著、第一書林)という本を読んだのでした。
何人かの人たちで執筆している本で、議員秘書が多く、
民主党と関係ない部外者ではないのですが、事実を客観的に書いていて、
よくまとまっている本だと、わたしは思いました。
わたしも、はじめて知ったこともたくさんあって、とても参考になりました。
この本を見れば、民主党にについて、一通りのことがわかると思います。
序章と、第一部「民主党の歴史」(1-4章)は、タイトルどおり通史です。
リアルタイムで見てきたかたは、「そういえば、こんなこともあったなー」
なんて思いながら、読むといいかもしれないです。
わたしも、2000年の森政権のあたりから、見てきているので、
ちょっとした回想の旅を味わったりもしましたよ。
民主党の系譜は、大きくふたつあると言えるでしょう。
ひとつは、1993年6月、宮沢内閣の不信任案に賛成して、
自民党を割って出た、小沢一郎氏と羽田孜氏が中心のグループです。
もうひとつは、1977年に社会党から飛び出した(追い出された)、
江田三郎氏(ほかでもない江田五月参議院議長の父)の、
「構造改革論」と「江田ビジョン」に端を発するものです。
岡田克也氏は、羽田グループの中心的人物でしたから、
『政権交代』も、前者の系譜を中心に書かれています。
最初のところも、宮沢内閣不信任案の前後が、大きく取り上げられています。
これに対して、『民主党10年史』は、後者の系譜を中心に書かれていて、
江田三郎氏の簡単な略歴や、「構造改革論」や、
「江田ビジョン」の内容が、取り上げられています。
途中経過も、『政権交代』は、新進党の様子にくわしいですが、
『民主党10年史』は、一時的に政権入りしたさきがけや、
96年9月の、旧民主党の立ち上げの事情に、くわしくなっています。
2冊とも読むと、両方の視点から眺められて、見通しがよくなると思います。
江田三郎氏の構造改革論は、コイズミカイカクとは似て非なるものですよ。
実態のはっきりしない、「社会主義革命」を夢見たり、
「右」とか「左」とかの、イデオロギー論争をするのではなく、
現実にある不公平の是正や、国民の多数からの要望を
ひとつずつ解決していくことが政治の役割だとしたものが、その骨子です。
「江田ビジョン」で、その目標がより具体的に示されます。
さらに実現のためには、政権を取る必要があるとして、
中道政党をふくめた、野党連合政権の樹立を呼びかけます。
こうして見ると、現在の政治改革の基本姿勢は、
江田三郎の構想の中に、すでにあったことになります。
いや21世紀に入って、ようやく芽を出したというところでしょう。
2007年10月12日に、没後30年経ってから、「江田三郎を記念する集い」が
盛大になされるのも、納得できるというものです。
左翼というのは、江田三郎の時代から狭量だったようで、
「構造改革論」の現実路線は、イデオロギー論争のすきな
社会主義者たちには、資本主義への日和見と取られたのでした。
(アメリカの生活水準が目標にあったことが、とくに嫌われたらしい。)
このため、1977年に江田三郎氏は、社会党を追い出され、
のちの社会民主連合(社民連)を作り、90年代の政界再編の時代に、
その政治思想と政治資産を、継承させることになります。
第2部「民主党の分析」と終章は、民主党の現在の活動です。
党組織、代表選のしくみ、国政選挙の概要や、支持率の変化、
立候補者の決めかた、政策決定のしくみ、地方組織、政治スクール、
シンクタンクなど、マスコミであまり話題にならないことも出てきます。
始めて知ることも多いと思いますし、
ある程度ご存知のかたは、知識の整理にもなるでしょう。
(わたしも、勘違いしていることとかに、気がつくのに役立った。)
7章後半に出てくる、総選挙の結果分析は、とてもくわしいです。
(できたら、240ページと245ページの当選者の内訳の図は、
グラフだけでなく、数値データも載せてほしかったけれど。)
資料として使えるところもたくさんあって、わたしにはなかなか便利です。
この機会に、民主党のことをぜひ知りたい、というかたはもちろん、
あまり民主党に興味のないかたも、参照しやすい資料を手もとに
置きたいとお思いでしたら、ご覧になるといいと思いますよ。
(あえて言えば、第一部の党史が、コンパクトすぎる感じがします。
紙面の都合でやむをえないのだとは思いますが、
もうすこしページを割いて、くわしく書いてほしかった気もします。)
「似て非なる」というより、コイズミが名前だけパクったものですね。似ても似つかぬものです。
江田三郎氏は、もともとは社会党左派に属していまして、出発点はマルクス主義の修正だったと認識しています。それが、最晩年には社会民主主義にいきついたものでしょう。
> 1977年に江田三郎氏は、社会党を追い出され、
> のちの社会民主連合(社民連)を作り、90年代の政界再編の時代に、
> その政治思想と政治資産を、継承させることになります。
1977年の1〜3月頃、江田氏は向坂逸郎氏らの「社会主義協会」と激しく抗争しており、江田氏は3月に新党を結成して、江田氏自身が7月の参院選に出馬するつもりだったのが、5月に急死し、江田五月が急遽政界入りしたのでした。前年の1976年に結成された新自由クラブとともに政界再編の起爆剤になるかと思われましたが、77年の参院選で自民党が過半数を確保すると、以後自民党の党勢は86年の衆参同日選挙をピークに急伸したのでした。
「社会市民連合」でGoogle検索すると、菅直人の「社会市民連合への参加の決意」というのが引っかかります。
http://www.eda-jp.com/books/usdp/2-3-kan.html
民主党関係では、「論座」に載った菅直人のインタビューをまとめた本が、最近朝日新聞出版から出たようです。私はまだ現物を確認していませんけど。
江田三郎氏のこと、くわしそうですね。
(前に、貴ブログでも、エントリを書いていたけど...)
70年代は高度経済成長が終わって、経済政策は転換期でしたし、
「生活者の政治」は、それなりに求められていたんでしょう...
もうひとつの要因である冷戦構造は、まだ堅牢だったので、
55年体制から脱却する力は、じゅうぶんなものとはなりえなかったのでしょう。
結局、55年体制の支持のほうが強く、自民党が政権を維持し、
80年代のバブルで最盛期となったんだけど...
>菅直人の「社会市民連合への参加の決意」というのが引っかかります。
江田三郎は、「孫くらい若い人と組んだほうがよい」と
アドバイスされて、若い人を探すことになって、
当時市民活動で活躍していた、菅直人氏に出会ったそうです。
そのあとの、江田と菅たちの公開討論会(ご紹介のページにも
ちょっと触れられている)は、結構有名だそうで、
社会党からの決別を決めた、最後のきっかけだったようです。
この結果、江田と菅とで、新党(社会市民連合)を作ることになったのでしたね。
でもなんで、孫のように若い人というアドバイスを、
江田三郎氏が聞いたのかは、わからないけれど。
自分の構想が実現するのは、ずっとさきで、
自分の世代ではとても無理というのを、予感したんでしょうか...?