政治をやろうとすると、おのずと強い意志や精神力が必要となります。
世の中の、大勢の人間の気持ちをつかみ、自分の思うように、
社会を動かしていこうというのですから、それは当然でしょう。
そうした意志を持続させるには、自分のやっていることへの、
確信ないし信念を、強く持つ必要も出てきます。
自分の思想や行動が、相当に強く信じられなければ、
続ける気持ちなどわかなくなってくるし、
そうなると政治活動は、もはやできなくなってしまいます。
つぎのエントリに出てくる、政治的「狂気」も、そういったものだと思います。
政治的信念にもとづいた行動というのは、はた目には破天荒だったり、
リスクが大きそうで無謀だったりに見えることもあるので、
まともな神経ではできない、「狂気」だというのかもしれないです。
http://kinpy.livedoor.biz/archives/50999738.html
政治がなされているところでは、そのような政治的「狂気」を
持った人たちが、たくさんいることになります。
自分が正しいと思う方向が、それぞれ異なっていて、
利害が抵触しあえば、おたがいの「狂気」がぶつかりあうことになり、
人間関係に軋轢を生じることもあるでしょう。
泣いたり傷付いたりも、たくさんあるだろうと思います。
自分が持つだけでなく、他人の「狂気」と対峙する必要もあり、
それにたえられなければ、政治は続けられないことになります。
わたしは、いくじなしなので、そうした軋轢に耐えられないため、
政治活動はやらないと決めているのでした。
また、自分の言動に信念を持ち過ぎると、現実や周囲が見えなくなって、
疑似科学理論のような、おかしな思想にはまったり、
見当違いの活動に走ったりして、現実から乖離をすることになります。
組織であれば、自分たちへの批判を受け付けなくなるなどして、
自浄作用をなくして、不健全になってきます。
したがって、わたしがかかわった、選択別姓の市民団体をふくめて、
たいていの市民活動は失敗しているのだろうと、わたしは憶測していますし、
おなじことを思っているかたも、ほかにもいらっしゃるのでした。
最初にご紹介のエントリのコメント(2007年08月04日 23:56)によると、
政治的「狂気」を、「狂気」であると自覚することが、
現実から足が離れず、おかしな方向に走らないための方策のようです。
そうは言っても、政治的「狂気」を保ちつつ、理性的に現実を見極めるのは、
相反する要求ですから、とてもむずかしいことになります。
市民活動を続けるとか、ましてや政治家になる人というのは、
相当な力量の持ち主であり、よくよくかぎられるのだと思います。
ところで、一部で話題になる、インターネットで、
政治について語る「資格」というものが、あるとするならば、
相応の政治的「狂気」を、持ち合わせていることだと、わたしは思います。
市民活動を続けるとか、議員に立候補するほどの
はげしい「狂気」は、さすがに必要ないでしょう。
それでも、しかるべき批判は受け止め、周囲の攻撃から
自分の発言場所を守り抜き、「とんでも」に、
ひっかからない力量くらいは、求められることになります。
それができないなら、公開されたウェブで政治を語るのは、
自分には無理だと思って、やめておいたほうが無難でしょうね。
穏健な話題にかぎるか、非公開の場所で政治を語ったほうがよいと思います。
(じつは、わたしは、批判や攻撃にたえる自信がなくて、
はじめのころは、自分のウェブサイトを、目立たないようにしていたし、
ブログをはじめるのも、長いこと躊躇していました。)
> 相反する要求ですから、とてもむずかしいことになります。
熱くなっている自分を冷静に見つめる、もう一人の自分を持っていなければ難しいですね。
私の場合は、30年の長きにわたって溜め込んだものを一昨年から一気に放出している形だから(もちろん専門に勉強していたわけではないからレベルは低いけど)、それなりの「狂気」(笑)は持っているので、そんなにやりにくさは感じません。
「インターネットで、政治について語る「資格」というもの」という表現ですぐに頭に浮かぶあの方は、邪推ですが、比較的最近政治に関心を持つようになった方ではないかと思います。「世に倦む日日」が大騒ぎした、ライブドア事件に絡んだ野口英昭氏の「沖縄の死」が、彼が政治的発言を始めたきっかけじゃないかな。
だから、有名になって批判を受け始めた時に、それに耐えられなかったんじゃないかと思います。
いや〜スンバラスィー
あなたも、政治的「狂気」はあるな、というのは
ウェブログを拝見していて、感じられますよ。
>熱くなっている自分を冷静に見つめる、もう一人の自分を持っていなければ難しいですね。
幸か不幸か、熱くなっている自分を、冷静に見られなくて、
ひどい目にあったことが、わたしにはあるのでした。
そのあたりの屈折も、あるのかもしれないです。
>すぐに頭に浮かぶあの方は、
ウェブで政治的発言をすれば、かならず反対意見があって衝突もするし
社会に影響を与えることを標榜すれば、
きびしい批判の眼で見る人が出てくるという、
あたりまえのことが、わかっていなかったようですね。
(いまもわかっていないのかもしれないけれど。)
エントリにも書いたけれど、わたしなんて、はじめのころは、
いつだれに批判や攻撃されるかわからないと思って、
おっかなびっくり、ウェブをやっていたけれどね...
(いまにして思えば、さすがに過剰だったかもしれないけど...(苦笑))
こういう警戒心が、「あの方」たちには、ちっともなかったみたいですね。
「クソヤロー」「仲間」と、ハンドルを変えてコメントしていること、
ちっとも釈明なさらないのですね。
また、「仲間」というハンドルは、不特定多数的とも言えます。
それで、冷やかしとも取れる内容のコメントを、続けるのであれば、
今後、わたしのブログへの投稿は、お断わりいたします。
気が付きませんでした。
仲間は姓です。
ほかのことは勘違いと思われます。
くるな!と言われて来ることはありません。ご安心下さい。
益々のご発展をお祈り申し上げます。
ハンドルを変えたら、別人を装っていないことをしめすために、
釈明をするというのは、言われなくてもなさることです。
ハンドルをいくつも使われると、たいへん紛らわしく、
わたしやほかの読者に対して、混乱をまねくことになります。
意図的に別人を装っているのなら、なおのこと容認できません。
よって今後は、コメント投稿はお断わりいたします。