にせ科学の信者を説得するとき、相手の評価できるところを
認めた上でなら、相手にも聞く姿勢ができて、
うまく説得できることがあるだろう、というご意見があります。
この意見をおっしゃったのは、「alice」さんというかたです。
前にこちらでご紹介したかたですよ。
http://shibuken.seesaa.net/article/101726481.html#comment
|まずはお友達が感銘を受けたコーチング講座の良いところを
|できるだけ聞き出して対話を深め、他の良いところは認めた上で、
|「それにしても水伝はまずいから、もし言えるなら
|講師の方に伝えた方がいいよ…」という感じです。
(2008年07月01日 22:34)
この『PSJ渋谷研究所X』の作者のかたは、
「aliceさんのおっしゃることにも一理あると、
ぼくも考えています」とは、おっしゃっています。
しかし、必要があるかとか、効を奏するかは、問題や相手依存だと、
保留がついてはいます。(2008年07月02日 00:08)
ことの発端は、『みみずくからの伝言』の、08年7月3日エントリです。
ここで、作者のとらこさまは、「alice方式」は、
うまくいきそうだと評価していて、自分がそうしないのは、
できない性格だからだとしています。
「わたビリ(11)」
http://sea.ap.teacup.com/mimizuku/29.html?rev=1
|一般論としてaliceさんが
|提案してくださったようなやり方は有効だろうと思います」と、
|しかし相手の話を聞いてるよ、人格否定してないよというポーズのために
|わざわざ相手の土俵に乗っていってあげるほど私は親切ではない。
わたしが想像するに、aliceさんご推奨の方法は、
たぶんうまくいかないだろうと思います。
「話せばわかる」相手なら、評価できるところを探して、
わざわざ認めることをしなくても、きっと説得できるでしょう。
そうでなければ、「相手の土俵」に乗っても、だめだろうと思うからです。
すくなくとも、選択別姓の反対派は、説得できないです。
じつは、このやりかたは、わたしがおつきあいした、
ネットの市民活動家たちが、さんざん使ったものだったりします。
彼女たちは、それこそ、目をさらのようにして、
反対論者の「評価できる」ところを、探し出していました。
そして「あなたの、これこれのことは理解できます」と強調して、
くだんの反対派を、せっせと持ち上げていました。
しかし、ほかの「懐柔策」とおなじように、
反対派と説得できないばかりか、体よく利用されるのがおちでした。
くだんの反対派は、なまじ賛同されるので、
かえって自信を持ってしまうのかもしれないです。
一般論として是々非々で相手にも実際に認めるべきところがあるなら、alice方式の歩み寄りも可能かなとは思います。しかし水伝みたいな認めるべき点がどこにもないものに対してまで譲歩するのはばかばかしい。否定すべきは否定するのが親切でもあると思うし、まず持ち上げてもらわないと話が聞けない相手もどうかと思うのですがそれが現実的と言われればそうなのかもしれません。結局、私はその方法はとらない、としか言えないです。
「声のでかい無徴」のエントリで、御姉寧さまが
リンクして紹介したとき、つらつらと読み返したんだけど、
そのエントリが目に止まったので、思うところを書いてみたのでした。
わたしの考えは、「alice方式」自体、懐疑的ということです。
実際、あまり聞く耳なさそうな相手に対して、
せっせと持ち上げてみたら、うまく説得できた、
というお話、あまり聞かないように思います。
あと、わたしが思うに、とらこさまの友人さんも、
はじめに持ち上げていたとしても、たぶん、説得できなかったと思います。
コーチング講座にはまった時点で、なにを言っても
考えを変えることがなくなったのだと、わたしは想像します。