2009年03月06日

toujyouka016.jpg 愚樵空論(2)

前にご紹介のコメント欄ですが、愚樵氏はなぜか、
「オバマ演説」のエントリのことを、持ち出してきました。(#2074)
(愚樵氏みずから言い出したのであって、わたしからではないですよ。)
http://gushou.blog51.fc2.com/blog-entry-217.html#comment-top

愚樵氏は、わたしのブログに来て、「あいさつ」と言って、
長いコメントをして、さらにこちらも意見が聞きたいと言って、
トラックバックもたくさん送ってきたのでした。
ところが、いちばん肝心の、わたしがエントリで
指摘したことについては、なにもコメントしないのでした。

そこで、「わたしのところに来たのは、対話したいからでしょうし、
それだけ長いコメントをする労力と時間があるなら、
わたしが指摘したことに答えるのが、さきだと思うが、
そうしないのはおかしい」と、わたしの見解を述べました。
(#2082)(#2085)

 
愚樵氏は、自分がお答えしないのは、わたしがTBで知らせなかったので、
「たんぽぽは自分の意見を求めない」と判断したからだそうです。
(#2074)(#2087)
それで、「知らせない」=「意見を求めてない」ではないと、
わたしは、お断わりをしたのでした。(#2090)

すると、愚樵氏は、「知らせない」=「意見を求めている」が、
たんぽぽの「思い」だと言うなら証明しろと、言ってきました。(#2098)
それで、「知らせない」=「意見を求めている」でもないと、
わたしは、お断わりをしたのでした。(#2099)

やけにこだわるのですが、おそらく愚樵氏は、
「自分はなにも言いません」とか、「お好きなように思ってください」とか、
ものわかりのよさげなセリフを、都合の悪い批判から逃げる、
「殺し文句」にしているのだろうと思います。
そこをつつかれている気がして、むきになるのかもしれないです。


さらに、愚樵氏は、「あいさつ」だけという、自分の行動が
ありえないというなら、論理的に証明しろ、などと言ってきましたよ。(#2098)
「いやありえますよ、都合が悪いから逃げたんでしょ?」と
わたしは、はっきりもうしあげてみましたよ。
http://gushou.blog51.fc2.com/blog-entry-217.html#comment2099
|「オバマ演説」エントリの、わたしの批判を見て、
|あなたは反論できなくて、むかついたけれど、都合の悪いことは避けたいので、
|うやうやしくあいさつだけしてお茶を濁して、肝心の論点は無視黙殺した。

そうしたら愚樵氏は、「あはは。そうですとも」と、
わたしの推測を、全面的に認めてきましたよ(!)。
http://gushou.blog51.fc2.com/blog-entry-217.html#comment2101
|>あなたは反論できなくて、むかついたけれど、都合の悪いことは避けたいので、
|あはは。そうですとも。そうお考えになっていただいて結構です。

おおおお!
自分からはっきりおっしゃるなら、お話は早いですよー。
「都合が悪いから逃げる」という、とても容認できないことを
追求するべく、つぎのステップに入るまでだと思います。(#2106)


そうしたら、愚樵氏は、「『あはは。そうですとも』は、
だれに言ったんでしたっけ?」という意味のこととか、(#2108)
「文脈を読めば、自分が認めたことにはならない」とか、(#2121)
いよいよもって、わけのわからないことを言ってきました。
自分が、すぐ前に書いたコメントの文脈も、わからなくなったのでしょうか?
もう「その場しのぎの言い逃れ」も、できなくなったみたいです。(笑)

愚樵氏は、ついにあきらめたのでしょうか、
たんぽぽのコメントを削除すると、言い出しました。(#2121)
「削除はするけれど、アクセス禁止ではない」という、
これまた、その場しのぎの言い逃れつき(笑)です。(#2134)
いままでのことから、たんぽぽをアクセス禁止にすると、
あとがやっかいとでも、思ったのかもしれないです。

おかまいなしにコメントしたら、やっぱり削除されました(#2146)
どうせ消されるのならと、2回目は大盤振る舞いで、
3つのエントリにコメントを、5つ投稿しました。
「水葉」氏と、「taka」氏もいたので、このふたりにもレス。)
全部消されたけれど、ひとつだけ引用してレスしているので、
3回目のレスを、ここだけ入れておきました。(これも消された。)

削除された、わたしのコメントを見たいかたは、こちらをどうぞ。
3月2日(No.217)
3月3日(No.206)3月3日(No.217)3月3日(No.224)
3月4日(No.217)

posted by たんぽぽ at 22:30 | Comment(4) | TrackBack(0) | ウェブサイト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

はてなブックマーク - 愚樵空論(2) web拍手
この記事へのコメント
(これは、taka氏についても言えることですが---)
「見ようによっては、たんぽぽさんが、最初に挙げたエントリーが、
ある人物に対する人格攻撃ととらえる余地があるかも知れない」など
という「論点」は、すでに、何十人もが同工異曲の「論」を立て、
それに対する「反論」も成されているものです。
(おそらく再反論再再反論再再再反論再再再再反論再再再再再反論
・・・ぐらいまで行っている)

・・・という議論プロセスをまったく踏まえず、
>そんなのをすべてフォローしてません。<
http://blog.livedoor.jp/jabberwock555/archives/51470123.html#comments
(17. Posted by 愚樵 2009年03月03日 03:19)
とまで公言しながら、

あたかも「切り札」を取り出すかのごとく自信満々に、ゼロ地点に
戻った主張をはじめられても、
・本当に知らないのなら、とんでもなく不誠実。
・知っていてやっているのなら、とんでもないデマゴーグ。
と呼ぶしかないわけです。

このような箸にも棒にもかからない「議論」をもとに、他人のことを
「中学生程度の読解力が」ないようにいったり、ご自分の幼稚な議論を
「論理を読める」なら、わかるはずだと勝ち誇ったり・・・まったく、
恐れ入る人物としかいえません。
Posted by ja e w ck at 2009年03月13日 12:35
ja e w ckさま、コメントありがとうです。

ろくに議論を見ていなくて、憶測や伝聞でものを言っているんでしょうね...
そうやって「手前勝手な決めつけ」をして、
相手(わたし(たち))を攻撃するのが、彼ら「共感派」の手口、
というのが、すっかり「共通認識」になってしまった。

>あたかも「切り札」を取り出すかのごとく自信満々に、
>ゼロ地点に戻った主張をはじめられても、

本人の中では、「切り札」ではなく、「本音」なのかも。(苦笑)
なかなかはっきり言わないのは、内心でもどこか不当なことだ、
という意識があるからかもしれないです。

>まったく、恐れ入る人物としかいえません。

なれあいと罵倒は得意だけど、議論と対話は苦手な人たちですからね...(悲)


それから、上の「また二次加害」に、トラックバックありがとうございます。
(コメント欄で、「カクレフェミニスト育成主義者」と言っている人が、
本当に「育成主義者」に手を貸すようになったのが、とっても皮肉。(悲))
Posted by たんぽぽ at 2009年03月14日 14:04
こちらにも。

たんぽぽさんの新しいエントリーに誘導されて、久しぶりに
愚樵氏のブログを見に行ったら「引っ越し」をなさるそう
ですね。
そのエントリーのコメント欄に集まっている人々の顔ぶれを
見ると、先月来のプチ騒動の構図も見えてきます。

「片方」がうじゃうじゃ群れている場所で「双方」を叫ぶ
滑稽さに気づかないところが、愚樵氏の「悲しきピエロ」たる
所以でしょう。

じつをいうと私は、たんぽぽさんが「向こう側」という言葉を
使うことに関して「そういう十把一絡げな言い方は誤解を招く
のでやめた方がいい」と助言しようと思ったこともあります。
でも、現在の状況を見ると、完全に「向こう側」というべき
「グループ」の実態は明らかになってきていますね。

きわめて生理的な理由によって「気にくわない人物」を
バッシングしようとして、墓穴を掘った人物(複数)が
お仲間をつぎつぎと刺客に仕掛けてバッシングを蒸し返す
(そして、そのたびに惨めに敗れ去り、さらに逆恨みを
つのらせていく)。

彼等は、自分たちの「グループ」の共通項が「リベラル」
ですらなくなく「ハラスメント」そのものとなっている
ことに気づいているのでしょうか?

悲しむべきことです。
Posted by ja e w ck at 2009年03月29日 13:11
ja e w ckさま、いっぱいコメントありがとうございます。
お返事が遅くなってもうしわけないです。

>「引っ越し」

「らんきー」っぽかったですね。(笑)

>「片方」がうじゃうじゃ群れている場所で「双方」を叫ぶ滑稽さに気づかない

わたしから反論の機会を奪っておいて、自分たちだけで、
勝ち誇ったように悦に入るというのも、滑稽さに環をかけていますね。


>「向こう側」

むこうの動機は、集団の自己保身ですから、
党派性があったのは、最初からだったと思います。
本人たちが、いくら「一派というものはない」と口で否定しても、
実際の行動が、集団の(目先の)利益のためですから、
しらじらしい言いわけにすぎないと思います。

「十把一からげにしてうんぬんはイケナイ」というのは、
最近はやりの「多様性の尊重」のおかげで、説得力ありげに聞こえます。
そういう態度を取るのが、偏見に捕われず対象の本質に迫れると
信じられているところはありますね。

とはいえ、あきらかに党派を作っているものに対して、
それを示すことばを忌避するのは、かえって本質が見えなくなると思います。
「らんきー一派」とか「共感派」とか、バイアスのともなう呼称よりは、
「むこう側」というのは、遠慮した言いかただと思います。


>(そして、そのたびに惨めに敗れ去り、さらに逆恨みをつのらせていく)。

とはいえ、ほとんど毎回、相手を撃退しているから、
わたしは助かっているのも、あるのだと思います。
(一度でもやられていたら、大変なことになっていたのではないかと...)

>自分たちの「グループ」の共通項

「リベラル」ではなく、「ぶさよく」なら、わたしはしっくり来るかな。
(べつのところでも言ったけれど。)
Posted by たんぽぽ at 2009年04月01日 00:22

この記事へのトラックバック