いまさらですが、コシミズの本に載ったことを、
『Living, Loving, Thinking』のsumita-mさまに、お祝いいただきました。
ありがとうございます。
いちおう「めでたい」ということにしておきますね。(笑)
「おめでとうをいうべきか」
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090324/1237867323
もうひとつ、3月24日にご紹介の、城内実の排外主義エントリを、
喜八氏が擁護したことですが、こちらも問題視してくださりました。
ありがとうございます。
「評価の仕方(メモ)」
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090327/1238126481
そこへ喜八氏ご本人が、3月27日エントリのコメント欄に現われます。
なんでも「疎外感」は、いつも感じているのだそうです。
「多様性を重んずる寛容の精神」をお持ちなら、大勢の人たちから
受け入れられそうなのに、仲間からはずされたり、
疎外感を味わったりするのは、なんでなのかと思ってしまいます。
喜八氏は、ユダヤ陰謀論のヘンリー・オーツ氏も
「多様性を重んずる寛容の精神」と言って持ち上げています。
排外主義や反ユダヤ主義なんて、いわば「ネオナチ」で、
排他性と不寛容をむきだしにしたものです。
「多様性」や「寛容」を重んじる人が、まっ先に批判するはずのものです。
ようするに、「多様なカチカンを尊重しない
カチカンを尊重しよう」とでもいうべきもので、
「多様なカチカンの尊重」教にはまった人が、おちいりやすいみたいです。
「またか」と言われそうですが、わたしがおつき合いした、
選択別姓のネット市民団体の人たちが、まさにそうでした。
そのむかし、わたしが異論を唱えたら、ヘンリー・オーツ氏は、
わたしに、誹謗中傷をしてきましたし、ブログのコメント欄に
コメントしても、ヘンリー氏は承認してくれなかったです。
ヘンリー氏は、わたしの意見が、自分と違うことが許せないのでしょう。
「人間ひとりひとり違って当たり前」と思えなくて、
「多様性を重んずる寛容の精神」なんてぜんぜんないのだと思います。
排外主義の黙認については、「セクハラ事件が起こったら
「無闇に表にだす」ことなく揉み消して、被害者には
泣き寝入りさせる組織みたいだ」というご指摘もあります。
じつは、(喜八氏ご本人はかかわってないけれど)、お仲間のかたは、
本当にセクハラの泣き寝入りを、わたしにさせようとしています。
(参考1)(参考2)(参考3)
喜八氏は、排外主義や、反ユダヤ主義を「尊重」したくて、
そういう人たちに「寛容」でありたいのかもしれないです。
わたしは、日本国籍からしめだされる婚外子や、
反ユダヤ主義によって、濡れ衣を着せられ、迫害をされた人たちに、
「寛容」でありたいと思います。


