4月9日エントリで出て来た、『光るナス』3月1日エントリのコメント欄、
「うちゃさまとアキラ氏の対話」について、内容を見ていきたいと思います。
http://blog.livedoor.jp/appie_happie/archives/51590807.html#comments
話題になっているのは、わたしが「ごん」氏に、ブログを荒らされたとき、
「ニケ」氏が喝采した、あのエントリのコメント欄です。
そのとき、「ごん」氏の荒らしを、「自業自得の覚悟」があると、
「リスペクト」したという、アキラ氏のコメントです。
「お前はすでに死んでいる。」
========
自業自得の覚悟、なかったんですかねぇ。。。>野草の人
ごんさんの戦法、手法としては???というところは僕としてはありますけれど、
少なくともごんさんには「自業自得の覚悟」はめっちゃあったと感じます。
そこに関してはリスペクトです。
========(2008-07-23 00:27)
うちゃさまの結論は、(2009年03月09日 23:03)に出て来ます。
当該エントリは「ニケ」氏による、わたしへの二次加害であり、
そこへアキラ氏は、全体としては、「ごん」氏のことは肯定的、
わたしのことは否定的に扱かったコメントをしています。
あとに続くかたも、アキラ氏のコメントを引用して、
さらにわたしを揶揄するコメントをしていますが、
それをアキラ氏は、だまって見ていたのでした。
よって、「ニケ」氏の二次加害に積極的に加担し煽動したと、
取られてもしかたないことを、アキラ氏はしたというものです。
しかもアキラ氏は、これに対して、責任を「直接的には感じ」ないと言います。
だから「旧交を温める気持ちにはなれない」というものです。
うちゃさまの議論でとても巧妙だと、わたしが思ったことは、
「あなた(アキラ氏)が内心どのような真情を持っていたかにかかわらず」
とあるように、アキラ氏の言動が「どう見えるか」であって、
「どう思っていたか」を一切問わないことでしょう。
文字に現われない心情に触れると、いかに常識的な判断であっても、
「そんなことは書いていない、手前勝手に変換された」と言って、
いきり立って否定してくるのは、これまでからあきらかです。
それで、心情に依存しないことについて、追求をしたものと思われます。
さすがのアキラ氏も、逃げられなかったようです。
「その通りです」「これもその通りです」と、ほとんど無条件に
すべてを認めていましたよ。(2009年03月10日 10:25)
それでも、「見解としてそうとられてもしかたない」と、
うちゃさまの見解を尊重しつつ、自分の「真意」がどうだったのかは
言わないという、用心深い立ち回りをしていたのでした。
プロバイダに警告される反社会行為を、「リスペクト」して、
ニケ氏の二次加害への加担と扇動をしたことに対して、
「そう思われてもしかたない」と言って、相手の思考の自由を
尊重するポーズをしめしつつ、「真意じゃありませんから」と
自分の中で責任逃れする余地を残しておくというのは、
じつにたくみな「言葉による表現」だと、とっても思います。
ところが、こういうところから「滲み出る人間性」を、
「自己顕著欲」と言う人がいたのでした。(2009年04月02日 17:41)
それは「自己欺瞞欲」のまちがいではないのかね?と、
わたしは思ったので、訂正してさしあげました。(2009年04月02日 20:27)
でも、わたしは、さっくりと無視されてしまいました。
http://blog.livedoor.jp/appie_happie/archives/51602486.html#comments
2009年04月10日
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ゲバラ&イチロウバージョンバナーです。いささか、悪乗りの感じもしますが、ご意見を謙虚に受け入れるのもいいかなと。(大汗)
Excerpt: 「平成海援隊 Discussion BBS政治議論室」でHN・小沢一郎・勝手連と言う方に提案されてちょっと躊躇したのですが作っちゃいました。(汗) ↓クリックするとジョン・レノンのイマジンに飛びます..
Weblog: 雑談日記(徒然なるままに、。)
Tracked: 2009-04-11 09:45
「そんなことは書いていない、手前勝手に変換された」と言って、
いきり立って否定してくるのは、これまでからあきらかです。
それで、心情に依存しないことについて、追求をしたものと思われます。
その通りであるのですが、もう一点。
たとえその場の真情がどのようなものであったとしても、現在に置いて明白に加害行為と見なされるものに対して、なんら責任を感じない、謝意もみせないのであれば、その態度は批判に値します。
仮にその場では意図せずに傷つけたとしても、後からそれがわかっていながら、何もしない、責任も感じない、それは普通は許されないでしょうし、そう言う態度をとるのであれば、その時点で害する意図が無かったなどと言っても信じてもらえないのは当然のことです。
彼は「批判は甘んじて受けます」などと書いていますが、ふざけたことを言うな、と思いましたね。
コメント、まことにありがとうございます。
>もう一点。
そうそう、もうひとつ大事なことがありますよね。
意図や考えにかかわりなく、結果で判断されるというものですね。
(ご指摘まことにありがとうございます。わたしも、ちょっと忘れていた。)
こちらは残念ながら、追求があまり深まらなかったけど、
「責任を感じない」と言わせたので、言質は取れていますね。
たぶん、「責任を感じない」と言ったときは、
とにかく目先の追求から逃げることしか、考えてなかったんじゃないかな?
あとから、うちゃさまが、ご自分の考えをしめされたので、
なにに対して「責任を感じない」と言わされたのか、
ようやくわかったんじゃないかと思います。
あとは、「見解としてそう取るのは自由です」と言っておいて、
自分の中では、「真意でない」と言い逃れる余地を残しておくのが、
精一杯だったんじゃないかと思います。
(「真意でないから責任はない」なんて態度は、じゅうぶん批判されるのだ、
ということに気を回す余地は、もうなかったのでしょう...)
>彼は「批判は甘んじて受けます」などと書いていますが、
>ふざけたことを言うな、と思いましたね。
はじめから、逃げ回ろうとしているのが、見え見えですからね...
あまり逃がさずに言質を取った、うちゃさまは、やっぱりすごいと思います。