2009年05月01日

toujyouka016.jpg 感慨深い

4月2日エントリのコメント欄で、むかしのアキラ氏のコメントの中に、
とても「感慨は深い」ものがある、というコメントをいただきました。
昨年の1月9日、「騒動」がはじまったころの、
『HERIKUTSUなる日々』のコメント欄です。(こちらで紹介した。)
http://blog.livedoor.jp/jabberwock555/archives/51178134.html

わたしも見てみたのですが、感慨深いを通り越して、
(まことに失礼ながら)とても笑えるものさえあると思いましたよ。
当該コメント欄で、すでにわたしは引用していますが、
ここにあらためてご紹介したいと思います。

 
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6. Posted by アキラ 2008年01月09日 18:07
非常に的確な分析だと思いました♪
こういう勝負、確実に「論理的でありたい」人間が敗北しますね。 (^o^)
かくいうわたしも、「論理的でありたい」人間なので、忸怩たる思いです。

僕はこの1年くらいは、「共感性を重んじる」人たちに
いかにしてリクツを受けとってもらうかに腐心しております。
打率は5割くらい。
これは成功してる方なんでしょうか。。。
========

アキラ氏、ご自分は「論理的でありたい」人間って...
つい先日、自分は「想いルール」だって、言ってなかったでしたっけ?
(もちろん、「想いルール」=「共感性を重んじる」でしょう。)
http://chochonmage.blog21.fc2.com/blog-entry-42.html#comment

去年の1月のときは、アキラ氏は、「共感性を重んじる」人たちの
「勝利」を確信していたのだろうと思います。
そのときの状況で、ご都合主義的に自己規定しているのかもしれないですね。


posted by たんぽぽ at 22:54 | Comment(3) | TrackBack(0) | ウェブサイト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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この記事へのコメント
ま。

過去1年半「いままで言ってきたことと正反対」のことを平然と言い放つ人々を、いやというほど見てきたわけで---。

「いまここにある」問題を解決するために「想いルール」などという「新しいルール」を発明しなくては、自分の行為を説明できないということは「通常のルールでは説明できない」=「社会的規範に反する行為をしている」告白にほかなりません。
(「想いルール」なるものは、たとえば野球で当然場面になるべきプレイをセーフにするために、その場でルールをつくり、これに従え、というようなことだと、いい加減気づいてほしいものです)

結局のところ
「共感」派なるものは、
「暴力に共感」派にすぎない
ということは、もはや明らかで、詭弁と強弁と健忘症による事実と論理からの逃走をつづけている限り、彼(等)は軽蔑の対象でありつづけるしかないということです。
Posted by ja e w ck at 2009年05月06日 15:29
誤)野球で当然場面になるべきプレイをセーフにするために、
正)野球で当然アウトになるべき場面でセーフにするために、

・・・でした。失礼しました。
Posted by ja e w ck at 2009年05月06日 15:45
ja e w ckさま、コメントありがとうございます。
むかしのエントリ、ご紹介させていただきました。

>「新しいルール」を発明しなくては、自分の行為を説明できないということは

「あちら側」の人たちは、場当たり的に、
体のよい自己正当化をしている感じが、わたしにはしますね。
(論理や整合性は無理と思ったから、「自分は想いルールでいくんだ」と
言い出したようにしか見えないですし...)

議論でやられるとかすると、「自分はこういうスタンスでいきます」なんて、
よくわからない弁明を、「アナウンス」することがよくあるけどね...
自分の表現力や議論の、なにがだめだったのか向き合うことなく、
心地よい言いわけを考えるのが、彼らのやりかたなのでしょう。

>その場でルールをつくり、これに従え、というようなことだと、

そういえば、こないだの「手前勝手な読み込み」も、
その場で作ったルールじゃないですかね...?

このエントリの、[2008-01-19 00:00:22]のようなコメントを、
「手前勝手な読み込み」と言わせないようにするため、
「『...と思った』をつけたら、『手前勝手』じゃないんだ」なんて、
「俺様ルール」を作って、わたしに押し付けようとしたのかもしれないです。
http://web.archive.org/web/20080121140511/http://ameblo.jp/aqualeafree/entry-10066347486.html


>「共感」派なるものは、
>「暴力に共感」派にすぎない

「共感派」というのも、つまるところは、場当たり的な、
自己正当化の言いわけだったんじゃないかな?
自分たちが、都合悪いことをもみけす「自己保身」を、
「共感」と言えば、聞こえがよくなると思ったのかもしれないです。

実態は、「共振」とか「狂感」という感じだけど。
でも「暴力に共感」なら、当たっていると思うけど。(悲)
Posted by たんぽぽ at 2009年05月07日 23:07

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