2009年05月05日

toujyouka016.jpg 日本赤軍・連合赤軍

ときは1967年、第3次中東戦争が起きた年です。
みなさんも、よくご存知のように、この戦争はイスラエルが圧勝し、
パレスチナの全土を領有します。
わずか6日の戦いで敗れたアラブ各国は、大きな衝撃を受けるのでした。

この大敗北のショックと、折り合いをつけようとして、
アラブ世界では、マルクスの階級史観で、理解しようとした識者がいました。
ようするに、「アラブ諸国は、第二次世界大戦ののち、
ヨーロッパの植民地支配から独立して、ブルジョア政権でなくなった。
しかし、新政権はプチブルジョアであって、真の人民の政権ではなかった。
だからわれわれはイスラエルに敗れたのだ」ということです。

かくして、アラブに真の人民が目覚め、立ち上がることで、
イスラエルに勝利し、パレスチナの地を取り戻すことができるという、
「人民闘争論」が、さかんに唱えられるようになります。

 
またこのころ国際的には、ソビエト連邦が、冷戦の対立を避けて、
アメリカ合衆国と積極的に妥協するようになりました。
これによって、冷戦構造はデタント(緊張緩和)に向かいますが、
膠着状態が長期化して、「世界革命」は停滞することになります。
そんな中、つぎの「世界革命」が起きる蓋然性の高い地域として、
パレスチナ、アラブ世界へと、世界の眼が注がれることになりました。

こうして、パレスチナの失地回復は、マルクス主義的な
「世界革命」「人民闘争」の一環として考えられるようになったのでした。
パレスチナからアラブを、そして世界を変えていこうということです。
パレスチナ解放機構(PLO)の諸組織は、世界各国の「世界革命」を
支持する勢力から、さまざまな支援を受けることになったのでした。

1970年代は、パレスチナ・ゲリラによる、テロが相次ぎました。
テロの被害者は、イスラエルばかりではないのですが、
西欧や日本の論調は、かならずしもテロに批判的ではなかったのでした。
これも、パレスチナ・ゲリラが、「世界革命」の一環と
見られていたので、期待感が持たれていたからです。


パレスチナを支援した外国人で、とくに過激だったのが「日本赤軍」です。
彼らは、日本でも活動していたのですが、日本国内で「革命」を
起こそうとして、何度か「蜂起」を試みて失敗に終わります。
そして1971年7月、この日本赤軍に、「日本共産党革命左派」が、
合流して作られたのが、「連合赤軍」なる組織です。
「水からの伝言」騒動で何度も出て来た、あの「連合赤軍」ですよ。

彼らは71年12月から、山梨の山岳地帯で、軍事訓練を行なっていました。
そして訓練のはざまに、仲間を粛正して(!)山に埋めていました。
「あちら側」の人たちが、「連合赤軍の総括」と言っていたものは、
このおどろおどろした「粛正」のことに、ほかならないです。

連合赤軍にも、警察の追求の手はおよぶのですが、
1972年2月、メンバーが人質を取って山荘に立てこもる、
「あさま山荘事件」という有名な事件を起こします。
彼らが逮捕されると、「総括」という名の「粛正」もあかるみになり、
赤軍派の活動自体が、致命的なダメージを受けることになります。

こうして、日本国内での活動が行き詰まると、
赤軍派はいよいよ、パレスチナのテロ活動にいそしむようになります。
日本赤軍は、PLOの中でもとりわけ極左的なPFLPと連携し、
1970年代は、彼らのテロやハイジャックが、世界各地で起きました。

posted by たんぽぽ at 22:35 | Comment(10) | TrackBack(0) | 政治・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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この記事へのコメント
>1971年7月、日本赤軍に、日本共産党のうち、過激な一派が合流して作られたのが、「連合赤軍」なる組織です。

これは事実誤認だと思います。
Wikipediaの「連合赤軍」の冒頭段落にある「日本共産党革命左派神奈川県委員会」のリンク先をお読みになられたらわかると思います。

「ブントML派からの加入戦術者など、日本共産党の外で毛主義の洗礼を受けた若い党員が多く、日本共産党との縁は結成当時より存在しない。それどころか、日本共産党よりその妄動が権力機関の泳がせ政策に悪用されていると激しく断罪されていた。今日でも日本共産党から激しく断罪されている。」

とあります。
Posted by さつき at 2009年05月06日 11:05
『現代アラブの社会思想』の72-73ページは、つぎのように
「71年7月には、日本共産党革命左派と統合し、「連合赤軍」を結成」と、
書いてあります。
========
日本赤軍が過激化した背景には、赤軍派が日本国内で行った革命活動の挫折がある。

赤軍派の日本国内での革命活動として、具体的には
1969年9月の「大阪戦争」「京都戦争」といった蜂起の失敗がある。
その後、大菩薩峠での軍事訓練中に53名が逮捕された。
これに対して1970年3月、田宮高麿らが
日航機よど号をハイジャックし、北朝鮮へ渡る。
日本国内に残された赤軍派は、ゲリラ戦術と銘打って、
銀行襲撃による資金調達などを行った。

また71年7月には、日本共産党革命左派と統合し、「連合赤軍」を結成する。
同年12月、山梨の山岳地帯での軍事訓練中に、摘発の手が及び山中を逃走する。
森恒夫や永田洋子をはじめとするメンバーが次々と逮捕された末、
72年2月19日、5人のメンバーが人質を取って、あさま山荘に立てこもり、
28日まで警察隊と銃撃戦を繰り広げた。
========


ウィキペディアは、なにを参照して書いたのかわからないけど、
日本共産党の公式の党史から採ったのでしたら、
そちらのほうがまちがっているのでは?と思いますよ。
Posted by たんぽぽ at 2009年05月06日 23:06
>そちらのほうがまちがっているのでは?と思いますよ。

どちらも間違っていないと思います。
「71年7月には、日本共産党革命左派と統合し、「連合赤軍」を結成」は事実です。

そのことは、ウィキペディアにも書いてありますが、その「日本共産党革命左派」が、現在多くの人が知る「日本共産党」とは歴史的にも組織上も無関係というのが私の認識ですし、ウィキペディアにもそう書いてあります。

我こそは正統な「日本共産党」であると主張したグループは他にも存在したと思います。「全学連」が複数存在したのも似たようなことでしょうが、それらを混同していた人も多かったようです。

Posted by さつき at 2009年05月07日 00:08
たんぽぽさん、さつきさん

そのへんはややこしい話ですが、山口(下関)に今も日本共産党左派を名乗るグループ(長周新聞とか「はぐるま座」も関係してます)がいます。彼らは、もともと60年代に共産党から除名された毛沢東大好きの親中国派が作った組織です。

で、日本共産党革命左派(神奈川県委員会)を名乗る組織があって(この組織が大衆団体として作っていたのが京浜安保共闘と言います。実体はほぼ一緒でしょう)、これが赤軍派とくっついて「連合赤軍」を名乗ることになります。

たしか、このグループは系譜的には、日本共産党左派から分かれたのだと思いますが、実態としてはさつきさんの言うように、60年安保闘争のときの共産主義者同盟(通称ブント)の流れをくむ若い学生とかが行き場がなくなっていったん潜り込んでから、また分裂したものなので、共産党との直接の関係はないといっていいと思います。

たまに、日共左派と革命左派を混同する人もいますが、日共左派(山口左派とも言います)は、武装蜂起などという過激なことを言ったことはないグループで、連合赤軍とは直接関係ありません。

以上、ややこしい話でした。
Posted by かつ at 2009年05月07日 13:22
かつさん、
どうもありがとうございます。

私もうろ覚えで、確か他にも似たような組織があったなあという程度のことしか知りません。山口のグループが除名されたのも五十年代と勘違いしていました。

ただ、このエントリー本文からリンクされている「騒動が再燃した(8)」でウィキペディアの記述を引用されたのはたんぽぽさんの方なので、そこに書いてあることに注意を喚起したかっただけです。
Posted by さつき at 2009年05月07日 23:16
かつさま

解説してくださって、ありがとうございます。
ようやく事情が見えてきました。

>たしか、このグループは系譜的には、日本共産党左派から分かれたのだと思いますが、
>実態としてはさつきさんの言うように、60年安保闘争のときの
>共産主義者同盟(通称ブント)の流れをくむ若い学生とかが
>行き場がなくなっていったん潜り込んでから、また分裂したものなので、
>共産党との直接の関係はないといっていいと思います。

なるほどねえ...
これは、たしかに、じつにややこしいですし、
わたしに、わかるはずもないことですね。



さつきさま

ご指摘ありがとうございます。
(遅れましたが、お礼もうしあげます。)
エントリの当該箇所は、「日本共産党革命左派」と書き直しておきます。

>このエントリー本文からリンクされている「騒動が再燃した(8)」で
>ウィキペディアの記述を引用された

んん...?
リンクしたのは、「連合赤軍」の項目であって、
「日本共産党革命左派」ではないですよ...?
(あと、このエントリじゃなくて、つぎのエントリだけど...)
Posted by たんぽぽ at 2009年05月08日 00:20
たんぽぽさん

お手を煩わせてしまいました。

どうでも良いことですが、先のコメントに書きましたように、このエントリから
>あの「連合赤軍」ですよ。
のリンク先の過去記事「騒動が再燃した(8)」がリンクされていて、そこにウィキペディアの「連合赤軍」がリンクされています。
その記述を読んで、「日本共産党のうち、過激な一派が合流して作られた」とのエントリ本文の記述を真にうけてしまう人が居たかもしれません。

しかし、そのウィキペディアの記述には「日本共産党革命左派神奈川県委員会」がリンクされていて、そこには、もう少し丁寧な記述がありますよ、ということです。
Posted by さつき at 2009年05月08日 01:12
つぎのエントリの、リンク先のリンク先のそのまたリンク先では、
さすがの(?)わたしも、注意がまわらないですね...

最初のコメントをいただいてから、「革命左派」の項目は見たのですが、
このときはウィキペディアを疑ってしまいました。
これについては、たいへん失礼しましたと、おわびするしだいです。
Posted by たんぽぽ at 2009年05月09日 14:32
たんぽぽさん、

しつこいようですが、
「つぎのエントリ」ではなくて、このエントリからリンクされています。
Posted by さつき at 2009年05月09日 21:12
下から4番目の段落の、「連合赤軍」のところのリンクですね。

かさねがさね、失礼いたしました。(大恥)
Posted by たんぽぽ at 2009年05月09日 22:54

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