前のエントリで書いたことを、『現代アラブの社会思想』
(池内恵著、講談社現代新書)という本の40-82ページを読んで、
わたしは、はじめて知ったのですよ。
それまでは、「あちら側」の人たちが、「連合赤軍」とか
「総括」とか言ってもなんだかわからず、ぴんと来なかったのでした。
(ひどく暴力的なもののたとえ、くらいはわかったけど。(笑))
だからと言って、興味がわいたのではないし、
そもそも必要もなさそうだったので、わからないままにしていました。
『現代アラブの社会思想』を読んだのも、日本赤軍や連合赤軍のことを、
調べたかったからではなく、偶然出て来ただけでした。
見つけたときは、正直びっくりしましたよ。
じつは、それまでは、なんで日本の過激左翼団体が、
パレスチナでテロをやるのか?と、いぶかしく思っていたのですが、
これでようやく、どういうことだったのか事情がわかりました。
わたしの意見を、遠慮なく言わせると、「わけがわからない」ですね。
過激な暴力集団だから理解できない、というのもありますが、
そうした手段の不可解さよりも、「世界革命」「人民闘争」の一環として
パレスチナ解放を位置付けるという、背景思想自体がわからないです。
当時はマルクスの階級史観が、現実の政治分析に役立つと、
共産主義者でない一般の識者のあいだでも、信じられていました。
そうした時代背景は割り引いたとしても、
当時としても現実を直視しない、イデオロギーでこじつけた見かた、
という感はあったのではないか?と思います。
失敗に終わっても無理もないというのが、わたしの率直なところです。
「あちら側」のかたは、なにかあると「連合赤軍の総括」と言うのですが、
いまだにトラウマになっているかたも、いらっしゃるみたいです。
わたしに言わせれば、茶番劇だったとしか思えないのですが、
なにか正義を信じて、彼らの活躍を見ていたかたの心には、
重くのしかかったのでしょう。
心に引きずっているだけなら、まだわからないでもないです。
日本赤軍や連合赤軍の活動に、ノスタルジーや羨望を覚えたり、
さらには、いまだに意義を主張したりするとなると、
わたしにとっては、まったくわからなくなります。
(たまたま去年映画があって、一部で受けたようだけど。)
パレスチナの人民闘争が失敗に終わり、冷戦も崩壊してひさしい、
21世紀の初頭のいまとなれば、日本赤軍や連合赤軍の活動とは
なんだったのかは、はっきりしているのではないかと思います。
それにしても、知らなくてもいいことを、また知ってしまったという感じです。
純粋で無垢だった、あのころを返してと、すこしだけ思います。(笑)
それから、こういうやたら暴力的で、不可解な茶番劇と、
わたしの「水からの伝言」批判が、いっしょくたにされたのかと思うと、
とってもむかつく、とも付け加えておきます。
2009年05月05日
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もう何月だろうと同じ、麻生なんて放っておいて雑談日記は断固臨戦モードに入る。で選挙に行こう衆院選バナー制作す。
Excerpt: ↓できたてのほやほやの「選挙に行こう衆院選」バナーです。 2007年参院選時には、もともとぶいっちゃんが制作したものを(コマ数が確か60前後)コマ数を大幅に整理し、ファイルサイズも小さくしたものを..
Weblog: 雑談日記(徒然なるままに、。)
Tracked: 2009-05-07 17:16
らんきーブログの管理人やその取り巻き連中こそ赤軍派やカルト宗教とその精神構造が共通しているんですけどねぇ…。もう少し自分を客観視できるようになってほしいものです。無理な要求でしょうけど…。
「あちら側」が「連合赤軍の総括」を持ち出す心性について、私はたんぽぽさんの理解とはちょっと違う印象を持っていました。
彼・彼女等の多くは、おそらく、80年代以降の政治風土に育ったと想像します。きっかけは単に、「総括」が日常的に使用されている言葉であることを知らず、連合赤軍の専売特許であるかのように誤認していたからに過ぎないでしょう。
彼・彼女等はむしろたんぽぽさんの言動に「連合赤軍の総括」と同質のものを感じ取り、そのことを批判したわけです。そこには、逆に日本共産党の「過激派左翼」に対する攻撃姿勢との感覚的なシンパシイがあったのかもしれませんが、そのことは本質的はないと思います。
「逝っちゃってる人」の訳のわからない「解同」発言に、「あちら側」の方々が何も異義をはさまなかったのも、彼・彼女等の政治的未熟さを証明しています。この点についてはkojitakenさんの的確な批判もありましたね。
いずれにしても、「水伝騒動」における「連合赤軍の総括」に関わるこじれは、単なる無知に由来するもので、「トラウマ」なんていう「高尚な」ものではないと思います。
「連合赤軍的テロリズムを見るとうっとりしちゃう遅れてきた新左翼」=A氏と
「その人物とネット内友好関係な人」=B氏がいて、
B氏は、歴史的因果関係も調べず「リンチされる側に感情移入すること」自体を目的として「騒動」とありもしない類似性を騒ぎ立て、
その後に、A氏が事情も知らずに「自分を被害者扱いするB氏」を無邪気に信じ込み、暴れ出した。
・・・というだけの話だと思いますよ。
連合赤軍(や、日本赤軍およびよど号グループ)が、数々の歴史的誤謬を犯した(犯しつづけている)ことは議論を待たないことですが、その誤りも含めて「あの時代」に突きつけた「問い」の意味は大きく、多くの人々が、いまなお自問しつづける世代的課題であることは議論の余地がありません。
単に上記A氏やB氏(や、その「暴力」に共感し、しつつけている人々)が連合赤軍を「ネタ」にしたからといって、連合赤軍をあの連中と同水準のように言ってしまうのは、あんまりでしょう。
「世代的課題」ということですが、私が、彼等を、「80年代以降の政治風土に育った」と書いたのは、とてもその「世代的課題」を背負っているようには見えなかったからです。
コメントどうもありがとうございます。
おそらく50代より上のかたは、リアルタイムで知っていると思います。
それより下の世代は、リアルタイムでは知らず、
親とか親戚とか、あるいは、身近なおとなから聞いたとか、
あるいは、「ニケ」氏のような、リアルタイムで見ていた「お仲間」から
教えてもらって知っている、というかたたちだと思います。
(「喜八」氏あたりの歳で、ボーダーかな...?)
わたしが思うに、「あちら側」の人たちは、
「自分たち『リベラル』は、『内ゲバ』が原因で分裂していったので、
現在のような小さな勢力となってしまった」という意識があって、
コンプレックスみたいになっているのでは?と思います。
それで、自分たちが「内」と思っているところから批判が来ると、
「内ゲバ」だと言って、やたら封じようとするのだと思います。
(このコメント、「あちら側」の自己規定に合わせて、
「リベラル」と書くけれど、彼ら彼女らが本当に「リベラル」かどうかは、
おおいに異論があることは、言うまでもないですね。)
「連合赤軍の総括」は、そうした悪しき「内ゲバ」の
典型にして代表というのが、彼ら彼女らの認識なのでしょう。
「水からの伝言」批判も、彼ら彼女らにとっての
「内」からの批判だったので、「連合赤軍の総括みたいだ」と、
「内ゲバ」の代名詞のように言い出すのだと思います。
彼ら彼女らの中は、「日本赤軍」や「連合赤軍」の基本的な理念は、
支持している人も、結構いるのではないかと思います。
それで理念が正しくても、わずかな意見の違いで対立して、
「内ゲバ」を起こすと分裂して失敗する、
という意識も、おそらくあるだろうと思います。
「連合赤軍」事件は、リアルタイムで見たかたでしたら、
ある種の正義を期待していたでしょうから、「あさま山荘事件」は、
かなりの屈折、挫折を感じているだろうと思います。
身近なおとなから聞かされた人たちも、
こういった挫折感は伝えられていると思います。
これに「内ゲバ」に対するコンプレックスが合わさって、
(「トラウマ」と言ったら、語弊があるかもしれないけれど)、
自分たち「リベラル」の挫折ないし屈折として、
受け止めているのではないかと思いますよ。
ところが、彼ら彼女らが、「水からの伝言」騒動で、
やっていた(いる)ことは、気に入らない批判を
「内ゲバ」と決めつけて、揉み消そうとしただけなのでして...
それに失敗すると、誹謗中傷とか、ひとりコメントスクラムとか、
トラックバック荒らしとか、ことばによるセクハラとか、
ウェブで可能なかぎりの「暴力」に訴えるのですからね...
精神構造は赤軍派とおなじと言えるでしょう。
彼ら彼女らの「政治的未熟さ」でもあるのでしょうね。
(直接お話しするのは、はじめてのような気もしますが・・・)
>なるほど、「騒動」を丁寧にフォローしてこられたja e w ckvさん
ならではの観察だと思います。<
いやぁ、個人的には「巻き込まれた」だけだと思っていますが---。
さまざまな異常な出来事のなかで、思考が深まった部分もあるとは
思います。
ところで---。
>「世代的課題」ということですが、私が、彼等を、「80年代
以降の政治風土に育った」と書いたのは、とてもその「世代的
課題」を背負っているようには見えなかったからです。<
ご存知かとは思いますが---。
ウーマンリブの旗手と呼ばれた、田中美津氏による
「永田洋子は、あたしだ」
という言葉が残されています。
一方、
騒動のごく初期に
(連合赤軍のリンチにより殺害された人物に関して・・・)
「彼女は私だ」
と言うことを、田中美津氏の発言を知ってか知らぬか
(フェミニストだという自己申告からして、知らないはずもない
とも思ってましたが・・・)
発言した人もいました。
(前コメントでいうところのB氏です。ちなみに、その発言に
感銘した、という人もいました)
一見、じつによく似た、この二つの発言が背負っているものの、
あまりの「落差」に愕然としつつ、そして、同時に、この「落差」
こそが、一連の騒動のバックグラウンドに流れるものであったの
ではないかと、最近、思うことが多いです。
ついでながら---。
フェミニズムと連合赤軍事件の絡みということでいえば、
永田洋子の一審判決のなかに
「女性特有の執拗さ、底意地の悪さ、冷酷な加虐趣味が加わり、」
という有名な一節があります。当時学生だった私の配偶者は、
「この国では憲法なるものはまったく機能していない」と痛感し、
ある意味で、それが彼女の出発点になっている、ともいうの
ですが---。
この騒動のなかでは、
「オンナ特有の同性に対するドロドロした嫉妬心」
という言葉を平然と使い、批判を受けると、血相を変えて暴れ出した
人もいました(もちろん、上記A氏です。そして、暴れ出したA氏に
「共感」を示した人々が何人もいました)。
連合赤軍絡みのエントリーを数多く残しているA氏ですが、所詮、
彼が、そこから得たものは「その程度のもの」ということでしょう。
A氏とB氏が結びつきながら、騒ぎを拡大していったということは、
ある意味で必然だったとも思っています。
>とてもその「世代的課題」を背負っているようには見えなかった<
という、さつきさんのご意見に心から同意します。
(横レスの長文、すみません)
>彼ら彼女らの「政治的未熟さ」でもあるのでしょうね。<
と、いうより「人間的未熟」でしょう。
レスありがとうございます。
私は、大江健三郎の書く「遅れて来た青年」のような者で、正直に言えば、私自身その「世代的課題」を背負っているとは言い難いものがあります。
敢て背負うべき「世代的課題」を言うなら「オウム」でしょうか。麻原と同世代です。
>一見、じつによく似た、この二つの発言が背負っているものの、あまりの「落差」に愕然としつつ、そして、同時に、この「落差」こそが、一連の騒動のバックグラウンドに流れるものであったのではないかと、最近、思うことが多いです。<
実に的確な指摘だと思います。
>& たんぽぽさん
>(横レスの長文、すみません)
ああ、いえいえ。遠慮なくどうぞです。
(コメント投稿者どうしのレスが、ちっともないのはさみしい、
というのが、わたしの考えなもので。)
>さつきさま
>(直接お話しするのは、はじめてのような気もしますが・・・)
あら、そうなんだ。
(ちょっと意外かも。)
>連合赤軍をあの連中と同水準のように言ってしまうのは、あんまりでしょう。
ああ、もしかして、ja e w ckさまは、連合赤軍に、
なにがしかの肯定的な意義を、考えていらっしゃるのかな?
もしそうだとしたら、ごめんなさいね。
わたしの考えは、エントリの通り、「ぜんぜん評価できない」なので...
(リアルタイムで知らず、時代が過ぎてから、本で読みかじっただけの人の、
裁断にすぎないと言ってしまえば、それまでだけど...)
それと、同水準のように言ったのではなく、「あちら側」の人たちは、
なんでいつまでも、連合赤軍にこだわっているんだ?くらいです。