「「子ども2人、義務果たした」=直後に発言撤回−首相」
「生んだら大変という話ばかりしていないか。
わたしは43歳で結婚し、子どもは2人いる。
最低限の義務は果たしたことになるのかもしれない」と語った。
すぐに撤回したので、大事にはいたらなかったようです。
首相はその後「肉体的な理由で産めないなど、
いろいろな理由があるとも思う。
義務という言葉は不適切なので撤回する」と釈明した。
これは、7日午後の衆院予算委員会で、民主党の西村智奈美議員から、
質問されたときの、麻生首相の回答の中にあったものです。
こういうところで、子どもを持つのは「義務」なんて言われると、
麻生太郎首相のようなかたの、少子化対策観が垣間見えますね。
年金とか、将来の労働力不足とか、「お国の都合」がさきにあって、
そのために子どもが産まれてくる、という考えかたがあるのでしょう。
(大平洋戦争中の、富国強兵のための「埋めよ増やせよ」や、
高度経済成長期の企業利益のための産児制限と、おなじ感覚だと思います。)
子どもとは、一個の人格を持った人間として、
社会から歓迎されて産まれてくるのであり、少子化対策も、
子ども本人のためであり、また子どもを持つ親御さんのためである、
というのが、現代の「自由な社会」なのだと思います。(参照)