5月18日エントリでご紹介の、アジア女性資料センターの緊急署名ですが、
最高裁判所の回答は、対策がはっきりしないという、要領をえないものでした。
「5月19日の最高裁申し入れのご報告」
http://ajwrc.org/jp/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=455
そこで、緊急アクションの「第2段」です。
「性犯罪被害者の安全を保障しないまま裁判員制度を開始しないで!
被害者の安全とプライバシー保護を求める緊急アクション第2弾」
http://ajwrc.org/jp/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=456
あした21日のお昼に、最高裁判所の前に集まることになりました。
近く(東京)にお住まいで参加できるかたは、ぜひ行かれるとよいでしょう。
========
日時:5月21日(木)12:00〜13:00
場所:最高裁判所前(三宅坂交差点近く・地下鉄永田町駅4番出口下る)
========
2009年05月20日
この記事へのトラックバック
被害者の安全とプライバシー保護を求める緊急アクション第2弾
Excerpt: 昨日、最高裁に申し入れを行ってくださったアジア女性資料センター様が、緊急アクションの呼びかけを行っています。 性犯罪被害者の安全を保障しないまま裁判員制度を開始しないで! 被害者の安全とプライバシ..
Weblog: akira's room
Tracked: 2009-05-20 21:46
私はそれでも基本的に国民の良心を信じているし、
やや暴論ですが、性犯罪被害を知られたくない「恥」と考えることによりそれをなおさら陰湿なものにしてしまっているのではないでしょうか。
どんな犯罪被害も人に知られたくない恥ともいえませんか。
一般の場合は、そうでもないのでしょうけれど、
性犯罪に関しては、「国民の良心」はあまり信用できないと思います。
「被害者にも問題がある」のように、被害者を批判するという
偏見が強いので、それが「市民感覚」としてまかり通り、
裁判員による二次加害を引き起こす恐れもあるからです。
(性犯罪の二次加害は「あなたのために言っている」のように、
被害者に対して「良心的」と思われることさえあります。)
>知られたくない「恥」
性犯罪にあったことを、「恥(スティグマ)」とする感覚は、
残念ながら「暴論」ではなく、わりあい「普遍的」なものだと思います。
こうした感覚が蔓延していることが、守秘義務のない裁判員候補者に、
自分の住所や氏名を知られることを、被害にあわれたかたにとって、
ひどく恐ろしいものにしていることになります。
pulinさんは,ご自分の稼ぎだとか高校時代の成績だとか会社で上司に叱られて奥さんに愚痴ったとかいつも養毛剤を使っているがちっとも効いてないとか子供の成績は下の中ぐらいとかカードローンを借り過ぎているとか(いろいろ失礼な例をお許しください),その他,あなたの家庭のすべてのことをご近所全部に知られるのは平気ですか?
人に自慢したいことは知られても望むところでしょうが,別に恥とは思わない普通のことでも不必要に人に知られるのは気持の良いものではないでしょう。たとえ相手が素晴らしい『良心』を持っていても関係ないはずです。そういうのをプライバシーといいます。
性被害者は別に「恥」だと思って知られたくないというのではないです。それは本人にとってはプライバシーの問題であり,加害者を罰する時以外には人に知られることを拒否できるものです。
犯罪の加害者にはその罪を裁かれるためにプライバシーは犠牲になっても仕方ないでしょう。しかし,被害者がそういう目に遭うのはきわめて理不尽なことです。そういう『二次被害』は何としても避けなければなりません。
『性被害者は別に「恥」だと思って知られたくないというのではないです』
という部分は多少問題と感じる人も居られましょうか?
ある被害者ご本人が,このように思われるはずだ,という意味ではありません。
「恥」と感じる方もおられましょう。しかし,真の問題は『恥だと思い込まされる風潮』だと思います。
一つの理不尽な犯罪の被害者ですから本来は「恥」なんかであるはずがありません。
ということを言いたかったのだとご理解ください。
全くそうは思わないです。
性犯罪被害者のプライバシーの問題だけでなく、裁判員制度のあらゆる問題が
「よい制度に育てていきたい」などと語られているのを見ます。
何十年と続く(予定の)制度の中では1〜2年の間の事例は些事かも知れませんが
当事者とすれば一生に一度の重大事なのです。
でも、ひとつ目のコメントの主旨が、わたしにはよくわからないです。(苦笑)
(やましくなくても、人に言えないプライバシーはだれにでもあるし、
それを不必要に公開させられるいわれはないのは、そうだれど...)
被害にあったことが「恥(スティグマ)」とされるので、
被害者が泣き寝入りするケースが多い、というのが現実ですし、
そうした現実がある以上、性犯罪にあったかたの個人情報が
裁判員に知られることも、被害者の心理的負担になる、ということだけど。
性犯罪の被害を「恥(スティグマ)」とする、社会通念があることが、
本来なら理不尽というのは、おっしゃる通りですね。
pulinさま
>過渡期の混乱は残念ながら仕方ないでしょう。
性犯罪に関しては、そうではないと思います。
上のエントリでも紹介したけれど、つぎの記事を見ると、
性犯罪の被害者にとって危険があることは、半年前から言われていました。
ところが、このときもほとんど議論されずに、過ぎていったのでした。
http://blog.goo.ne.jp/midorinet002/e/73e612f52d4e69890f0973d2fb7bed3c
つまり、事前にわかっていて、なくす機会がいくらでもあった
「混乱」にもかかわらず、なんら対策をしなかったというわけです。
>「よい制度に育てていきたい」などと語られているのを見ます。
そんなふうに言われていたんだ。
(なるほどねえ...)
それは裁判員制度推進派に、広く見られる考えなのかな...?
もしそうなら、「よい制度」と思いたくて、都合の悪いことを
黙殺したのではないか、という可能性が、やはりあることになるけれど。
>当事者とすれば一生に一度の重大事なのです。
まったくそうだと思います。
(この場合、「運が悪かった」では、すまないレベルですからね...)
性犯罪にかぎらず、裁判員制度の導入が話題になると、
裁判員になったときのことばかり関心が集中して、
被害者や被疑者の立場が、あまり顧みられていないように思います。
わたしなんて、自分が裁判員になるときより、
自分が裁判員に裁かれるときを、考えてしまいますよ。
(わたしが、ひねくれているのかもしれないけど、
はじめて裁判員制度なるものを、聞いたときからでした。)