2006年01月23日

toujyouka016.jpg 趣味のWebデザイン(2)

きのうの続き...
http://deztec.jp/design/05/fertility.html

|仕方なく人は生きているのか(2006-01-13)
|(つまらないところにこだわってしまってすみません)

いや、つまらなくはないんじゃないかな...?
この問題の考察に、影響を与えていると思いますよ。

 
|それでも50〜70年代には多くの女性が「お嫁さん」になって
|「仕事」から解放されることを望んだのでした。

|人は現実問題として価値観の奴隷だけれども、
|「そうではないはずだ」と信じたい。
|ひとりひとりの主体的な選択の結果として、
|多くの子を産み育てる女性が多い時代が形成された、そう考えたい。

この認識は、いささかナイーブじゃないかな...?

たとえば、統計数理研究所が行なっている、
日本人の国民性という調査によると、
「生まれ変わったら、また女性がよい。」と、
答えた女性は、1958年には27%でした。(2003年は69%。)
また、「男性と女性とで、楽しみは女性のほうが多い。」と、
答えたのは、1963年には、男女とも約10%程度です。
(2003年は、男女平均で42%。)

これなど、むかしの人のほうが、女性は生きかたの選択が狭く、
女に産まれると損と感じていたことを、しめしているんじゃないかな...?


これまでの歴史は、おおむね「男社会」であり、
(フェミの説教みたいで、いやだな...ごめんね。)
社会規範、法律、価値観などは、男性の基準で作られてきました。
その中で、主体的に生きられるのは男性であり、
女性はその都合に従って、生きるよりなかったと、
ごく簡単にでしたら、言うことができるでしょう...

高度経済成長を築いた、戦後改革の担い手たちも同様で、
当時の男性たちが、「女の幸せは、結婚して家庭に入って、
子どもをふたり産むことだ」という、社会通念を作ったと言えます。
だから、幸せになれたのは、そういう女性だけだったし、
また、幸せになりたい女性は、みずからそれを
望むことになったのだと思います。

こうした現状が、理不尽だと思っても、
それを口に出せず、隠すことも多かったと思います。
(結婚しても、女性が仕事を続けたり、子どもを産まないことに、
風当たりが強く、拒否しようにも、ほかの生きかたが
ひどくむずかしい状況で、おいそれと不満が言えるでしょうか...?)

むかしは、いまよりも、「お嫁さん」になることに、
不満を感じる人は少なくて、時代が下るごとに
増えていったのは、たしかでしょう。
それでも、上述の調査などから察するに、見えない犠牲はあったわけで、
たとえば、50代、60代になってからの「熟年離婚」などに、
その一端が現れるのだと思います。

posted by たんぽぽ at 20:43 | Comment(10) | TrackBack(0) | 家族・ジェンダー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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この記事へのコメント
私が少子化を「止めなくていい」と考えるのは、ご指摘のような「問題」があるためです。

ライフスタイル選択の自由を含む総合的な生活水準向上の意欲を持つことには大きな利益があります。その利益を守るためなら、「少子化」もやむをえないとするのが個々の国民の価値判断だったと思います。

無論、本当は子どももほしい人が多い。だから出産と子育てのコスト・デメリットを軽減する「少子化対策」が期待されます。けれども、どんな対策をしても、前述の総合的な生活改善意欲が昂進し続ける限り、少子化対策もエスカレートせざるをえない。しかし社会は有限なのです。だから、何かを諦める他ない。

私は、「ある程度」の少子化対策には賛成した上で、究極的には少子化が進むことを諦める、という立場なのです。少子化以外の問題について、現状のままずっと足踏みしていいだろうか。他の全てを諦めなければならないほど、少子化は重大な問題ではないと私は考えています。
Posted by 徳保隆夫 at 2006年01月24日 13:02
少子化現象を深刻と捕らえず、
人口の減少を前提とした、政策を考えるべきとしていること、
また人口維持の目的で、女の人の社会進出を、
抑えることではないと、考えていることは、だいたいわかりました。
(それはそれで、とても結構なんだけど...)


ところで、あなたは、人がよりリッチで、水準の高い生活を求めて、
ぜいたくになることを、「問題」だとして、
「足るを知る」とか、おっしゃっているようですね。

でも、あなたが念頭にある「生活改善要求」と、
「権利を求める」ことは、異質のことですよ。
人間として、だれしも、基本的な権利を持つのはとうぜんで、
それはつねに、最大限認められるものです。

同じ人間なのに、持って産まれた権利に
差があったら、それこそ、理不尽なことでしょう。
ごく簡単に言えば、男性はすでに享受している権利と、
同じだけのものを、女性は持てないから、
上の「日本人の国民性」のような結果になるのだと思います。


わたしが、このエントリで、お話したことや、
あるいは、女の人も、子どもを持ってもお仕事を続けられる、
といったことは、こうした人間の権利にあたるのものです。

本来は、少子化が進んでいないとしても、
これらは、認められる必要があることだけど...
(たまたま、ふじゅうぶんな権利の保証が、
少子化というかたちで現れたから、それを解決することが、
権利の保証につながるとも言えるでしょう...)
Posted by たんぽぽ at 2006年01月25日 10:15
こういった分析は、ただ「少子化対策」と一括りにして批判するのではなく、その内容を一つ一つ吟味する必要はあるでしょうね。
Posted by うがんざき at 2006年01月25日 13:22
うがんざきさま
わたしと、徳保隆夫さまと、どちらを批判なさっているんでしょう?
(それとも両方...?)

わたしとしては、こういう一般論に、
大風呂敷を広げるのは、あまりやりたくないんだけど...
(「少子化現象」なんて、せまい枠では、
とうてい収まりきれないお話ですし...)

でも、徳保隆夫さまの、権利についての理解が、
このようだとしたら(単にナイーブなだけだったとしても)、
はっきり言ったほうがいいと思ったので、あえてコメントしたしだいです。
(このあたりの認識のずれが、議論を噛み合わなくしていると、
思ったのもあるけれど...)
Posted by たんぽぽ at 2006年01月25日 19:10
えっと書き方が足らなくてすいませんね。
少子化対策を批判されているのは、徳保さんだと思います。
趣味のwebデザインの少子化の記事は読ませていただきました。頷けるところもたくさんあります。
ただし、「少子化対策」のひと括りにして、費用対効果の面から疑問視するのはどうなんだろうか、と疑問に思ったまでです。(疑問に思っただけで、批判しているほどではないんですが)

Posted by うがんざき at 2006年01月26日 12:40
↑もうちょっと対策の中身を具体的に見る必要があるでしょう、と。
ズレてたらすいません。
Posted by うがんざき at 2006年01月26日 12:42
うがんざきさま、コメントどうもありがとうです。
(ああ、いや、ずれてないですよ。)

>もうちょっと対策の中身を具体的に見る必要があるでしょう、と。

徳保隆夫さまは、少子化現象のいちばんの理由は、
未婚や晩婚だとしていますね。
(未婚、晩婚が増えた原因までは、書いていないようですが。)
対策としては、結婚や恋愛への政治的介入のようで、
それは、はなはだ非現実的だから、少子化現象の解決は
実質不可能だとしているみたい。


もうひとつ、わたしが、議論のずれを感じるのは、
出生率がどのくらい上がったら、「少子化が解決」と
見なしているのかがわからない、ということなんだけど...
(わたしと、徳保隆夫さまとで、基準が違うように思います...)

出生率を、人口置き換え水準の、2.05以上まで
上げると言うなら、これはとても無理でしょう。
しかし、1.5程度でしたら、諸般の事情で子どもを持つのを
あきらめている人への救済で、達成できなくもないでしょうし、
このために予算を使うことは、無駄ではないと思います。

「解決」の基準ラインを、はっきりさせないで、
「費用対効果の面から疑問」と言っても、
あまり意味ないんじゃないかなと、わたしは思うんだけど...
Posted by たんぽぽ at 2006年01月27日 12:00
 ローマの市民は「労働」は奴隷のすることだと考え、「労働」の免除を当然の「権利」と考えていました。何を当然の「権利」とみなすかということは、ある社会の文化が決めることです。たんぽぽさんが当然だと思っている権利も、地域や時代が異なる社会では当然ではありません。
 現代の日本人は、女性が男性と同等の条件で勤労する権利を「当然のこと」と規定しました。その代償が少子化の加速だったりするわけです。60年前、憲法に書かれなかったプライバシー権が、今度の憲法改正では書き加えられる予定だそうですが、「当然の権利」というのはドンドン増え続けています。きりがない。経済的な豊かさにせよ、権利の拡大にせよ、十分に満たされなければ少子化が進むわけで、永久闘争なんですね。
 ちなみに未婚・晩婚が進んでいるのは、「嫌いな人と結婚しない」ことが当然の権利になったからです。人々がこの権利を捨てれば、未婚も晩婚もなくなります。でも嫌いな人と結婚するより、結婚しない方が幸せなんだから、誰も権利を手放すわけがない。昔の人が我慢してきたのは、一人暮らしでは病気や怪我や高齢化が「餓死」に直結していたためです。一人暮らしが可能な社会の到来が、人々に婚姻の自由を求めさせました。
 ところで【「解決」の基準ラインを、はっきりさせないで、「費用対効果の面から疑問」と言っても、あまり意味ないんじゃないかなと、わたしは思う】とのことですが、それは逆に、こちらが問いたいですね。いくら遣って、どれだけの結果を目指す計画なのか、と。来年度からの育児支援金増額が3千億円でしたっけ? タバコ税の値上げで予算を組むようですが、焼け石に水で効果がないという批判が強いですよね。
 企業に出産・育児支援のコストを負担させようという方向性の提案も多いのですが、企業の利益から何兆円分を消尽させるつもりなのか、疑問に思うところです。ともあれ私は、現在、政府が投入している金額を減らせというつもりはないです。大雑把な主張になりますが、消費税が5%上がるくらいまでで足りるなら、増額してもいいのではないかと思っています。出生力は回復しなくても、国民生活の改善には寄与しますからね。
 やっぱり育児休暇くらい、気兼ねなく取りたいですよね。少子化なのに保育園が足りないのも、いかがなものかと思います。前者の社会的コストは分かりませんが、後者は2兆円くらいあれば必要数を完全確保できたはず。消費税1%分未満です。それくらいの税金は、払っていいと思っていますよ。それで子どもが増えるかどうかは別にして。
Posted by 徳保隆夫 at 2006年01月28日 17:59
たんぽぽさんとのやり取りの中で、私自身、ようやく自分が何をいいたいのか見えてきたような気がします。

大筋で、生活改善のための施策には賛成なのです。かなりの増税も、そのためなら受け入れていいと思っているのですね。ただ、それで少子化が解消されるのかというと、疑問があるのです。

育児と仕事を両立させたい、それはそうだろうと思う。だから、支援策には賛成なんです。けれど、それで少子化って改善するのか、と。短期的には有効でも、長期的にはダメなんじゃないか。

私が一番強くいいたいのは、少子化というのは、多少の緩和はできても、根本的には生活改善の流れの中で受け入れざるを得ないものであって、「少子化を前提とした社会制度の構築にこそ真剣に取り組むべきだ」ということなんです。

少子化対策を旗印に生活改善闘争を進めるのは、あたかもそれで少子化が解消できるかのような誤解を招き、不可避の未来から目をそらすことにつながるので、危なっかしい感じがします。

「少子化減速の効果」で政策を評価するとなると、どんな政策も「費用の割には……」ということになるでしょう。だから、生活の改善は真正面から要求するべきで、少子化と切り離した方がいいのではないか、と思うのですね。
Posted by 徳保隆夫 at 2006年01月28日 18:56
>たんぽぽさんとのやり取りの中で、
>私自身、ようやく自分が何をいいたいのか見えてきたような気がします。

いろいろと考えてくださって、どうもありがとうございます。
(わたしも、徳保隆夫さまの、おっしゃりたいことがなにか、
いただいたコメントをせっせと読んで、考えてみることにします。)
Posted by たんぽぽ at 2006年01月29日 22:52

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