2009年07月12日

toujyouka016.jpg 護憲ブログの世界

いわゆる「護憲ブログ」の特徴についてです。
08年1月15日エントリなので、「水からの伝言」騒動も、
多少見ているのではないかと思うのですが、
このスケッチ、結構あたっていると、わたしは思いますよ。

「護憲ブロガーは相手を見て群れろw」
http://kinpy.livedoor.biz/archives/51249891.html
彼らの特徴は、自分と同意見だと思えるブログを見つけ、
トラックバックを打ってすぐ仲良しになる。
が、その後のやりとりで思想的な違いが明らかになると、
争いの末に相手を否定し、分裂するように思える。
仲間だと思っていた者を批判することで評価を下げる人も多い。

批判で評価を下げる理由は、ネコかぶっていた品性が
あらわになるからだろうが、それよりも個人的に気になるのは、
彼らは「信頼できる敵」という感情は持てないのかと言うこと。


 
「ネコかぶっていた品性があらわに」なんて、言われちゃっていますよ。
隣人どうしでも、このくらいいがみ合うのですから、
絶対に反論しない有名人に対しては、もっと口さがなくなります。
「護憲ブロガー」から、公明党や前原誠司の悪口なんて、
わたしは、たっぷり聞かされましたよ。

公明党は、自民との連立は解消しないだろうと、
わたしはあきらめていましたが、悪口はほとんど言わなかったです。
女性局のページなんて、むしろ活用したくらいです。
政敵に関しては、民法改正にかかわった人たちのあいだでは、
高市早苗でさえ、のべつ悪口を言われることはなかったです。

「護憲ブロガー」の特徴として、「大きな権力と対峙する、
小さな世界の自分たち」という独特の社会観があると思います。
敵味方がきっちり色分けされるので、「信頼できる敵」が、
(「信頼できない味方」も?)いないのかもしれないです。


「9.11同時テロ自作自演説」に代表されるような、
陰謀論やにせ科学にはまりやすいのも、彼らの特徴だと思います。
「ニューエイジ」に感化されたとおぼしきかたも、結構いるようです。
また、デマを流したり印象操作をすることも、平気なかたもいます。
佐藤優や、リチャード・コシミズや、子猫さんのような、
「黙示録」の「にせ救世主」みたいな人に、影響されやすかったりもします。

言動がエキセントリックで、あちこちで問題を起こす人も、
ときどき見受けられることがあります。
他人のブログを荒らして、プロバイダから警告されるような、
反社会的なことをしても、すこしも悪びれなかったりします。

「とんでも」にはまったり、エキセントリックな性格の人が、
すくなからずいるというのは、「護憲」というのは、
政治的立場としてそれだけ偏っている、ということかもしれないです。
世論調査をすれば、「9条は守るべき」という人は、
多いのでしょうけれど、これを優先度の高い政治課題とする人は、
おそらく少数なのではないかと思います。


わたしの個人的なことを言えば、「女性だから」という理由で、
理不尽な扱いをされたのも、「護憲ブロガー」からが最初でした。

「たんぽぽが女なら、こんな理詰めの議論をするはずがない」
という意味のことを、複数の人から言われたことがあります。
こむすめが、自分に議論をいどむのは、分不相応でなまいきだと言うのでしょう。
また、「水からの伝言」騒動も、セクハラとその揉み消しや、
二次加害で約半分をしめられています。

これらも、それ以前には、どこでどんな議論をしてもなかったことです。
「女性差別」というのを、「護憲ブロガー」の特徴として、
わたしは、あえて挙げておくことにします。

posted by たんぽぽ at 14:33 | Comment(2) | TrackBack(1) | ウェブサイト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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この記事へのコメント
この前はblogへのコメントありがとうございました。

「護憲」というのは「政権交代」などと同じく、「平和な社会」や「人権が守られている社会」、などを実現するために「手段」に過ぎないはずですよね。「護憲」を唱える方々のある程度の比率が「護憲」そのものが目的と化しているところ、そして自分と「護憲」と同一視してしまうところにここで書かれている問題の原因があるような気がします。だからこそ「改憲」につながりそうなものの足を引っ張れるなら陰謀論にも飛びついたり、「護憲」である自分を批判するものを叩いてしまうのかなぁと思います。
Posted by いるか缶 at 2009年07月12日 22:01
いるか缶さま、コメントありがとうございます。

>自分と「護憲」と同一視してしまう

そういうメンタリティは、わたしも感じるところがありますよ。
(というか、そういうところへ、かなりいっちゃっている人、いると思う。)

タカ派の人だと、自分と「国家」が同一視されるらしく、
たとえば、従軍慰安婦のことを批判されると、
自分自身の旧悪を突かれた気持ちになって、躍起となって否定する、
というお話だけど、それと同じようなものかもしれないです。


それと、わたしが「護憲ブロガー」に感じているのは、
「自分も政治のことが語れると思いたい」という、
メタな動機でやっている、ということかな...?
それで批判されると、「あなたは政治のことは語れない」と
言われているような気がして、批判の存在自体を、
否定しようとするのかもしれないです。

あと、にせ科学にはまるのは、「小さな世界の自分たち」という
閉塞感もありそうに思います。
それで、味方にできるものならなんでもと、陰謀論であっても、
無節操に飛びつくのもあるのかもしれないです。
Posted by たんぽぽ at 2009年07月12日 23:48
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