年ごとの推移をしめした、つぎのグラフを載せましたが、
1966年に異変があるのがわかります。
1966年はなんなのかというと、「ひのえうま」の年です。
「この年に産まれた女性は男勝りでよくない」なんて迷信を信じて、
出産を控える人が多く、出生率が前年の27%も下がったのでした。
(迷信以前に「男勝りな女はイカン」というカチカンも問題だが。)
ところが、婚外子の数はそれほど減っていなくて、
出生数全体に対する、婚外子の割合が相対的に高くなり、
1966年のところだけ、グラフがすこし飛び上がるのでした。
おそらく、因習にとらわれず、合理的判断ができることが、
迷信を信じないことと、嫡出にこだわらないことの
両方に影響したのだろうと思います。
ついでですが、ひのえうまの出生率の激減は、
ほかにもさまざまなミステリーを作るみたいです。
たとえば、乳児の死亡率も、ひのえうまの年は高くなっています。
しかしこれは、単なる統計のトリックで、
医療に本質的な変化があったのはないのですが。
わたしのサイトの関連エントリ:
「ひのえうま」
ひかると申します
ひのえうまの女性は男勝りでいけないというより
その迷信のおかげで結婚できなかった例がある
という事実の方が重いと思います
私の祖母もひのえうまで
婚家を滅ぼすといわれて苦労したそうです
1966年当時その差別を肌で知っている年代が祖父母にあたり
産む当人が何とも思ってなくても
嫁に行けない娘を産む気かと
親世代に止められたケースが多いのではないでしょうか
実際ひのえうまに女の子を産んだ家庭は
思慮がないように言われていた記憶があります
婚外子の場合
そういった親世代や周りの干渉が少ないこともあるのでは?
と思うのですが・・・
夫婦別姓論議もそうですが
根拠があろうとなかろうと
子供が差別されるぞという脅しは強力です
一年送ることで子供が差別されないで済むと言われたら
いつの時代も親は考えてしまうのではないでしょうか
コメントありがとうございます。
おばあさまも、「ひのえうま」伝説のせいで、
苦労されたとのこと、はじめに心中お察しもうしあげます。
それで、おっしゃりたいことの主旨だけど、
「迷信を信じてなかったけど、まわりの圧力で
出産を控えた人たちも多い」ということでいいのかな?
個人的な事情を離れて、一般論をもうしあげれば、
自分では信じてなくても、「まわりの信者の圧力で、
迷信に乗ることにした」というのは、「因習にとらわれて、
理性的な判断ができなかった」ということだと思います。
そうやって差別は再生産されるのだしね。
不本意だけれど、理不尽な攻撃にあって、迷信にしたがうことを
余儀無くされたは、被害にあったのではあると思いますが。
それから察するに、おばあさまは1906年産まれと思いますが、
このころ「ひのえうま」伝説を知っていたのは、
東京とその周辺の人たちだけでした。
よって、差別を肌で知っている人は、
当時東京やその近辺にいた人に、かぎられるだろうと思います。
全国的になったのは1966年ですが、人の移動があるとはいえ、
地方の人すべてが、差別を直接知っていて圧力をかける人が、
近くにいたのではおそらくないでしょう。
かなりの人たちが、周囲の圧力を受けることなく、
メディアなどの情報から自発的に、
迷信に動かされたのではないかと思いますよ。
その手の迷信は地方によって色々あるようで、実は私の母方の祖父も被害者(?)でした。
祖父は富山の裕福な商家の次男坊だったのですが、富山では「(長男を除く)丑年生まれの男の子は家を食い潰すので養子に出さねばならない」という迷信があったため、養子に出されていたそうです。
もっとも旧制商業学校を卒業した後なぜか実家に出戻り、(若くして裕福な商家に嫁いだため)世間知らずな曾祖母は大喜びしたそうですが(笑)
レスありがとうございます
私もせまい経験の中からのコメントですので
私の田舎がそうだっただけかもしれませんが
ひのえうまの女性が身近にいるだけに
ひのえうまに関するあの嫌な空気が忘れられず
もし私があのひのえうまの年に子供を産むような年齢だったら
果たして迷信だからと親も世間も突っぱねられたかな?
と思うことがあるくらいです
でもそれがたんぽぽさんのいうとおり
差別の再生産につながるんですから
きっぱり否定しないといけないんですよね
ちなみに私の出身は岐阜の山間部で
東京近辺とは言えないような気がしますし
1906年当時は広まってなくても
その年代が結婚する20年後には広まっていた可能性もあるのでは
と思ったのでコメントしました
エントリーの本筋から離れたコメントですみません
コメント、ありがとうございます。
>「(長男を除く)丑年生まれの男の子は家を食い潰すので
>養子に出さねばならない」
なるほどねえ...
でも、むかしは、たくさんいる子どもを、
あっちこっちに養子に出すことは、わりとあったでしょうから、
それに紛れてしまいそうですね。
それにしても、「長男を除く」という条件がついているのは、
迷信なのにゲンキンで、ご都合主義的なものを感じます。
>(若くして裕福な商家に嫁いだため)
>世間知らずな曾祖母は大喜びしたそうですが(笑)
あらあら、なんで養子に出されたのか、わかってなかったのね。(苦笑)
前のわたしのコメントは、さすがに冷たかったかなと
気になっていたのでした。
好意的に受け止めてくださって、ありがたく思います。
かくいうわたしも、強い圧力がまわりからかけられたら、
抵抗をあきらめて、屈してしまうかもしれないです。
前のコメントで、「個人的事情を離れて一般論」というのは、
「個人」には自分も含まれると、逃げたのもあったりします。
(せっかく気を取り直していただいたのに、
こんなことではいけないと思いつつ...)
>ちなみに私の出身は岐阜の山間部で
岐阜はたしかに東京周辺ではないですから、
1906年にひのえうま伝説は、伝わってない可能性が高いですね。
(もっとも、すべての地方の人が知らないと、決まってはいないので、
たまたまご存知だった特例なのかもしれないですが。)
>1906年当時は広まってなくても
>その年代が結婚する20年後には広まっていた可能性もあるのでは
ちょっと調べて見たけれど、日本でラジオ放送が始まったのは1926年、
1937年で普及率30%、1944年で50%を超えるようになります。
それでも戦前はまだいささか高価だったようで、
一般の庶民が手に入れやすくなったのは戦後、1950年ごろからのようです。
http://homepage3.nifty.com/webpress/index.55.htm
http://homepage3.nifty.com/webpress/index.30.htm
ラジオは娯楽番組もありましたから、「ひのえうま」のお話が
番組で出てきたことも、あったかもしれないです。
また、日中・大平洋戦争のころは、職を求めたり、
兵役についたりして、内地と植民地のあいだを
行き来する人も多かったから、東京出身の人とほかの地方の人が、
外地で出会ってお話をする機会も、いくらかはあったと思います。
というわけで、1906年のころは、知らない人ばっかりでも、
おばあさまが結婚してしばらく経ってから、伝説を知る人が増えてきて、
ごちゃごちゃ言われ出したことは、ありそうです。
丙午の話を聞いたのは小学生の頃だったと思いますがで、「なんで丙午の迷信って男は関係ないのにその年生まれの人全体が少ないんだろう」と思った記憶があります。当時は生まれないと性別わかりませんからね…。
当時は子供だったので、そこらへん分かってなかったんですよね…
仮に生まれる前に性別が分かったとしても、男だから産む、女だからおろす…とはいかないでしょうから、産むこと自体を控えようと考えた方が多かったので…のは今になるとわかる。
1966年生まれからもうすぐ60年。60年あると世の中もだいぶ変わりましたが変わらない、変えようとしない動きも多々あり…それでも変えようとしていくしかないですよね。
コメントありがとうございます。
最近の若いかたは、「ひのえうま」伝説なんて
知らないかたも多いのですね。
(ノストラダムスの予言も知らなかったりする?)
わたしは2020年台になっても
「ひのえうま」伝説は健在ではないかなんて、
悲観的なことを思っていたのですが、
そうでもないみたいですね。
>叔父がドンピシャ丙午なのに
女性ほどではなかったでしょうけれど、
スティグマはあることなので、
言いたくなかった可能性はありそうです。
ほかに「わざわざ言うほどのことでは
ないと思った」「すでに知っていると思って
言わなかった」なども考えられますが。
2000年の前後は、「ひのえうま」伝説を
知っているかたは多かったと思います。
男性は女性ほど結婚に不利では
なかったかもしれないですが。
それでもスティグマがあることや
前後の世代と比べて圧倒的に人数が
少ないことから、ちょっと変な眼で
見られることはあったみたいですし、
それが結婚に影響することは
男性でもあったかもしれないです。
コメントありがとうございます。
>2026年生まれの子供がガチでいなくなりそう
2026年にひのえうま伝説が
どこまで出生数に影響するかというのは
しばし気になるところです。
ただでさえ出生数が減っているご時世に、
本当に出生数が減ったら、社会の維持に
影響が出るレベルかもしれないです。
1966年のひのえうまの年に
男女とも出生数が下がったのは、
女児を産みたくなかったら出産自体を
控えるしかなかったからですね。
http://lacrima09.web.fc2.com/teardrops/related/hinoeuma.html
ご指摘にあるとおり、男女の産み分けが
できないし、それ以前に胎児の
性別もわからなかったからです。
>60年あると世の中も
変わったこともあるけれど、
変わらないこともありますね。
変わらないことのほうは、
言いたいこともたくさんありますが、
またの機会にしておきます。
いくつか直しました。
画像も表示されていると思います。
わたしのちょっとしたお尋ねに
お答えくださり、ありがとうございます。
ノストラダムスの予言は、
ご存じではあったのですね。
(とうぜんみんな信じていなかったのですね、
それは結構なことです。)
ノストラダムスの予言は1999年がすぎると
めっきり話題にならなくなりました。
なので、物心ついたときは21世紀、
という世代だと、知らないかたが
多くなるのではないかと思います。
わたしが子どものころは、
ノストラダムスの予言の存在は、
ほとんどの子が知っていたと思います。
上の世代がオカルトブームの世代
(ユリー・ゲラーのスプーン曲げとかね)
だったので、「そっち」の知識は
常識として定着していたと思います。
信じている子は、さすがにあまり
いなかったと思います(たぶん...)
結婚にさしつかえた、ということは
あるところにはあるようです。
このエントリの最初にコメントを
くださったかたも、だいぶ差別的扱いを
受けた例をお話くださりました。
「ひのえうま」産まれのかたの
結婚に関しては、わたしも資料がないので、
くわしいことはわからないです。
だれか調査するかたはいないかとも思います。
(都市伝説とか「そっち」方面の興味での
研究になるのでしょうけれど。)
自分に子供ができたら「ひのえうま」生まれになる可能性がありますが正直関係ないと思います。
それは結構なことです。
有害な都市伝説など、知らない人が
多いに越したことはないです。
>自分に子供ができたら
そういえば、それくらいの世代ですね。
>正直関係ないと思います
3年後はそのように「合理的」「理性的」に
判断なさるかたばかりになっていることを、
わたしは期待したいです。
丙午という言葉を知ってしまうと両親の還暦祝いをしづらいです。
父も母は特に気が強い訳ではありません。祖父母は丙午のことを気にしなかったのだろうと思います。
僕に子供ができると丙午の生まれになる可能性が高いですが気にはしません。
「男勝り」をご存知なかったのですね。
女性しか指さないことばです。
そしてかならずではないですが、
否定的な意味合いをともなうことが多いです。
「男を凌駕するような強い女は
このましくない」という差別的な
ジェンダー規範があるということです。
>両親にも聞きづらい
無理して聞かないほうがいいかもしれないです。
(いちおうスティグマのあることなので。)
ご両親はぜんぜん気にしていなくて、
「案ずるより生むがやすし」になる
可能性もあるとは思いますが。
>両親の還暦祝いをしづらい
このエントリ、余計なことを
お話してしまったかしら?
(しばしもうしわけなく思います。)
還暦祝いは、みょうに気にすると、
かえってご両親に失礼になると思います。
やりにくいかもしれないですが、
つとめてなにごともないかのように
お祝いするのがよいと思います。
>祖父母は丙午のことを気にしなかったのだろう
もちろんそうだと思います。
合理的な判断をなさるかたでよかったと思います。
>僕に子供ができると丙午の生まれになる可能性が
あいうえおさんと同じですね。
やはりおふたりは世代が近いのですね。
もちろんひのえうまなんて
気になさらないのがいいことです。
ノストラダムスの予言詩をご存知ない、
やはりそういう世代なのですね。
ノストラダムスの予言詩なんて、
無理して知らなくてもいいことだと思います。
ネットをやっていると知らなくいいこと、
知らないほうがいいことまで
知ってしまうことがある、という
ひとつの見本かもしれないです。
ノストラダムスに関しても、
わたしが余計なお話をしたみたいで、
ちょっともうしわけなく思います。
>丙午が結婚に不利という発想がありませんでした
ひのえうまに関して、偏見がないのは
よいことだと思います。
現実には、1966年のひのえうま
産まれのかたには、残念ながら
スティグマになったみたいですが。
>両親の還暦祝いについては余計なことでは
こちらもお心遣いありがとうございます。
>結婚についての改姓などアドバイス頂き
ああ、いえいえ。
わたしはそんなにたいしたことは
言えてないと思うので、感謝をいただくと、
かえって恐縮です。
自分の周りで子どもが出来そうな人の話を聞いても「丙午」が話題になったことはありません。
そもそも皆知らないのだと思います。こちらから振る話題でもありませんし、知ってたとしても言うべきではないと考えているのだと思います。
昭和41年の時も子供を産む世代は知らなくてもその親世代が伝えてしまったのかもしれません。
昭和40年当時は来年が丙午だとマスコミで騒がれていたのでしょうか?
これは祖父母に聞けばわかるかもしれませんが。
>「丙午」が話題になったことはありません。
>そもそも皆知らないのだと思います。
「ひのえうま」が話題にならないのは
結構なことだと思います。
ご想像の通り、知らないかたが
ほとんどになったのでしょう。
「ひのえうま」なんて忘れられたほうが
いいことだと思います。
>知ってたとしても言うべきではないと考えている
たしかに知っていても言わないほうが
よいことだと思います。
(ほとんど忘れられているとはいえ、
スティグマのあることではあるので。)
1966年ごろは、「ひのえうま」のことは、
ほぼ日本中で常識的に知られていたと思います。
当時のメディアが、「ひのえうま」について
どう言っていたかは、わたしも知らないです。
ちょうどテレビが急速に普及した時代なので、
テレビで取り上げられたことも、
あったかもしれないです。