10月27日エントリの続き。
ビデオニュース・ドットコムの民主党の家族政策の検証、民法改正編。
「子どもを生みたくなる国に変わるための処方箋」(ビデオニュース)
「子どもを生みたくなる国に変わるための処方箋」(Yahoo)
選択別姓を認めると少子化対策になる、という主張があります。
これは、現行法では、別姓のためには事実婚にせざるをえず、
産まれてくる子が婚外子になるので、出産をためらうというものです。
こうしたかたがいるのはたしかですし、救済は必要なことです。
しかし、数の上ではたいして多くないので、
「少子化対策」としてはあまり効果がないだろうと、わたしは見ています。
ビデオニュースもそう考えたのか、夫婦別姓については、
少子化対策と直接結び付けることは避けて、
反対する人たちのメンタリティと、具体的な対処法を
考察するにとどめています。(宮台真司氏のコメントですが)
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夫婦別姓を導入すると、家族の絆が弱まる、
家族制度の根幹に触ると思う人は多いですね。
しかし、そこでそのような人たちが問題にしているのは、
家族とはこういうものだという自分の実存と結びついた家族イメージを、
実は保とうとしているのです。
実際、何が家族的であるのか、何が相互扶助の実質を
最も発揮できるスタイルなのかを検証して、
特定の家族形態を守ろうとしているのではないのです。
だからといって、実証的なデータをもって、
その不合理性を指摘しても、何も始まらないので、そこが難しいところですね。
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上記引用に、わたしのページを、勝手にリンクしたけれど、
「家族イメージ」は、たぶん反対派たちの「理想の家族」で、
具体的には高度経済成長期の「標準家族」だろうと思います。
「不合理性を指摘しても、何も始まらない」という、
反対論者たちの頑迷きわまりなさにも触れています。
選択別姓の推進派がとくに好む、「話せばわかる」幻想は、
ここにはなく、とてもよくわかっている感じです。
これも、まったく同感ですね。
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ただ、社会学的な処方箋は、単純に「慣れ親しみ」なのです。
つまり、政権交代という最も慣れ親しみのない事態が起きた
今のうちに制度を一気に変えてしまうのです。
それで問題ないという事実性が突きつけられれば、
人々はその制度に馴染んでしまいます。
馴染みさえすれば、特定のイメージに固執する必要はなかったと
特に若い世代から学習していきます。
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民法改正が実現したところで、なんら問題は起きないでしょう。
そして反対派の生活が、具体的になにか変わることもないでしょうから、
きっとすぐに、おとなしくなるだけだと思います。
(国籍法改正の騒ぎを見れば、容易に類推できるでしょう。)
したがって、いまのうちに法案を可決して、
既成事実を作ればいいだけのことだと、わたしも思いますよ。
そのために政権交代に、期待をつないで来たのもあるのですからね。
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こういう感情的に抵抗がある問題は民主制に開いて
人々の民意を参照にするやり方はダメです。
事実性を導入してあとは慣れさせる。これしかありません。
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反対の理由として、法務省は世論調査を持ち出します。
これが反対を続けるための体のよい方便であることが、
ここで暗にしめされていると言えます。
とおっしゃる方がいて、なるほどーと思いました。
抵抗が大きくても、導入してみれば何てことなかった
って。
>「ちょんまげ禁止」
おおおお。
わたしも、「なるほど〜」と思ったよ。
本当にそんな感じですね。
選択別姓のネットの市民団体は、宮台氏のような考えかたは、
なかなかできない、というか、むしろ忌避しますね。
「民意を問うてはだめ、事実を作って慣れさせろ」なんて、
「危険思想」と決めつけて、眼を剥いて反対しそうだし。
『「フェミニズムって感情面でそんなに受け入れられてるの?」』
とかぶっちゃけたことがありましたが、実際、いわゆる先進的な思想や施策が必要で、且つそれを認識する人って、基本的には現在の多数派なりスタンダードなりから部門や程度の差こそあれはみ出るタイプの人ですよね。
道理を備えたまま上手く回り続けるなら、社会全体が革新を望まないことは全然おかしなことではないというか、あたしとしては「保守」ってそういうことなんじゃないかと思っております。
あたし自身は、
「実際にはみ出て困ってる人がいるんだから、たとえ利用者が少数でも選択肢広げる位いいじゃん、寧ろ利用者がいなくても選択肢は用意しとこうよ」
ぐらいに思っていますけどね。
多数派なりスタンダードなりからはみだした、
ちょっと進んだ考えが、感情的に反発されるのは、
ある意味無理もないことではあるんですよね...
フェミニズムとか、性やジェンダーに関することは、
このあたりの反発がとくに強いと思います。
きょう、トラックバックをいただいたエントリに、
「発想の転換は保守でも必要」とあったけれど、
いままでと変わらないことを望んでいても、視点なり発想なりを変えて、
自分を客観視する必要はあるんだろうと思います。
そうすれば、もうすこし変革を望む人たちを、
理解できるのかもしれないです。
http://ericprost.at.webry.info/200910/article_6.html
>寧ろ利用者がいなくても選択肢は用意しとこうよ
選択制ならそれでもいい、というかそれでも賛成してよい、
というのが「選択制」の本質なんですけどね...
それでも異質なものの混在を、許したくない人は多いようです。