取り上げてくださりました、どうもありがとうございます。
「「誰に 誰を 誰が」理解しているのかという問題 」
わたしのエントリと、そこから引用した、
多面体さまのエントリがいっしょに参照されています。
「わからないオトコ」
「「男をわかってない」と言われまくる件」
>自然主義的誤謬
それを受けて,たんぽぽさんも意見を述べておられます。
「男性の性欲は、本質的に理性などで抑え切れないと
信じているかたも、すくなからずいると思います」という指摘は,
一般論で片付けるにはあまりにも病根が深いものと
言わざるを得ないと思いますね。
「一般論で片付けるにはあまりにも病根が
深いものと言わざるを得ない」と、言われております。
たんぽぽは、他人ごとのように、さらりと文章を書くと
言われるのですが、こうして見ると、
あらためてそうなんだなと思ってしまいます。
病根が深いのは、まったくご指摘のとおりだと思います。
「それが自然なんだからかくあるべき」なんて、
「自然主義的誤謬」におちいると、
「科学的」と確信するからなのか、
理解してもらうのは容易ならざるものがあると思います。
EricProstさまのエントリの要点は、
「本能を理性でコントロールできる」のが、
人間の人間たるゆえん、ということにあります。
(性教育とかで、習わなかったですか?)
性欲が本能であっても、「オトコはケモノ」という
「言いわけ」は許されない、ということですね。
>生物学的に壊れた
「オトコをわかってない」と一般論を振り回す人は、
「男の性欲は理性で抑え切れない生物学的基盤がある」と
信じているのだろうと、前のエントリで、わたしは考えたのでした。
彼らが「オトコをわかっている」つもりになるのは、
「科学的根拠」だと思っているからかもしれないです。
こうした人たちは、性欲が「抑えられた」人のことは、
「生物学的に壊れた」とみなすかもしれないです。
そして「生物学的に壊れた」とされた人たちを、
スポイルしようとしたり、あるいはスポイルの裏返しですが、
生物学的に「正常」な状態へ、「矯正」しようと
するのではないかと、わたしは思います。
これは「母性本能」の場合にきわだっています。
「母性本能を熟成」なんて、まさにそうした矯正でしょう。
性欲の場合、弱いとされた男性が、どう扱われるのか
わからないですが、強姦魔を引き合いに出して、
「レイプは元気」などと言われるのしょうか?
ところで、「生物学的に壊れた」のなら、
医学的な治療とか、カウンセルを行なえばよさそうです。
ところがなぜか、そのような主張をすることはなく、
彼らの考える「矯正」とは、教育をほどこすとか、
「学習」させることだったりします。
どこまで自覚しているかはともかく、
ようは、ご自分のカチカンの押し付けなのだと思います。
「本能」や「遺伝」を持ち出して、人間社会を語る人は、
たいていインチキ、というご指摘をいただきましたが、
「生物学的」と言えば、逆らえないと思われやすいので、
抑圧の装置として都合がよいのでしょう。
もっと人間としての可能性があると思います。
「人は遺伝子のみに生きるにあらず」ですかね?
そこで本能にこだわる人がいるのは、
性や生に関することだからかもしれないです。
性交しないと、子どもはできないですし、
子どもは親がいないと育たないのは、たしかですからね。
それをしたい気持ちも、「本能」として
備わっているはずだ(備わってないと不安だ)、
ということなのかもしれないです。
それとあと、「利己的な遺伝子」というのは、
遺伝子の立場で生命を見ると、遺伝子は自己増殖のために、
個体という器に乗っている、という見かたのことですね。
遺伝子や個体に利己的な「意志」がある、
ということではないです、はい。