脳の性差について、とてもよい記事を見つけました。
2003年9月号の『セクシャル・サイエンス』で、
いささか古いですが、ご紹介したいと思います。
「脳の性差研究の最前線」
前半に、よく言われる「とんでも」な脳の性差、
後半で、実在すると考えられる脳の性差という、
まともな科学が、並べて紹介されているのが、
とてもいいと、わたしは思いましたよ。
どちらも偏見の強いことですし、ご紹介の記事が、
その解消に、いくらかでもお役に立てばと思います。
>●女性は生まれつき方向音痴か?
前半は、男性のほうが空間認識能力が優れるとか、
女性は方向音痴とかいう、例の「地図の読めない女」ですよ。
脳の性差が出て来たときの、定番とも言えるでしょう。
「脳の男女差は実験でも確かめられた」なんてお話も
結構あったりして、根が深いものがあると思います。
記事では、ラットを使った実験で、迷路の成績の性差が、
餌の固さに依存したことが紹介されています。
これから人間社会でも、男性のほうが成績がいいのは、
社会が男性に有利になっているからだろう、として、
生まれつきの性差論に否定的になっています。
関連エントリ:
「男女脳の違い?」
「男女脳の違い?(2)」
関連記事:
「脳の解剖学的な男女差」
「未熟な繁茂から選択による成熟」
>●性指向,性自認を決める大脳
同性愛は変えられず、「治療」のしようがないものです。
また性同一性障害も、心の性を変えられず、
肉体の性を転換して、心とからだの性の不一致を
解消することは、よくご存知だと思います。
記事によると、性指向や性自認は、
胎児期にホルモンによって、脳に性差が作られるときに、
生じるものらしいとあります。
となると、同性愛や性同一性障害が変えられないのは、
生まれつきだから、ということになります。
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人間の基本的な生命活動を司る大脳辺縁系-視床下部系にある
別々の神経核が,それぞれ性指向や性自認を決定づけており,
しかもそれらは胎児期のホルモン作用によって
男性型,女性型となると推測されるようになった。
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4月4日エントリですこし出て来た、ジョン・マネーは、
性自認は産まれてから身に付くもので、生来的ではなく、
3歳までなら変えられるとしています。
マネーには、悪名高い「ブレンダ少年」のことがあります。
新生児のときに、事故でペニスを破損した男児を性転換して、
女児として育てようとして失敗したお話です。
よって、マネーの言う、性自認の理論は
間違いなのかと、思いたくなるところです。
小倉氏の本を紹介している、このエントリによると、
もともとマネーが研究していたのは半陰陽、
いまで言う「性分化疾患」ですから、
また事情が変わってくることはあるでしょう。
『バックラッシュ!』の290ページによると、
「ブレンダ少年」同様、幼児期にペニスをなくして
女児として育てられた子が、成人してからも
女性という自己認識で生活している例が出て来ます。
おなじページに出ている、総排泄腔外反症の例と合わせて、
性自認は生来的なだけとも、後天的なだけとも決められない、
両方の可能性があるだろう、というのが、
現在のところの無難な見解のようです。
(『バックラッシュ!』の284-309ページに、
ジョン・マネーや「ブレンダ少年」のことが
くわしく書かれています。)
それを優劣ととらえないのが現代人の倫理だと思いますよ。
「怪獣の名前...」の黒川伊保子も、
「男女のあいだに優劣はない、違いを認めることだ」
なんて言っているのですよ。
これらの「とんでも」論者のやっていることは、
「男女の能力は生来的にこうだ」と決めた上で、
それに合った人だけを「尊重」することになりかねず、
実際には、特定のカチカンの押し付けにつながるんだけど。
なので、単に「優劣をつけない」だけでは、
差別的になるおそれがあるのだと思います。
その「差異」が、本当に根拠のあるものかどうかまで、
理解しておく必要があるのだと思います。
もっとも、それ以前の段階、すなわち、
「差異」を「優劣」と考えない、というレベルで、
すでにあやしい人も、すくなからずいるでしょうけどね...
皆さんが取り上げているものとはまったく違う方向性でだけど。
性差といわずに性差みたいなものといったのには理由があります。性差なら遺伝子と一致しなければならないはずだけど、必ず一致するとは限らない。
統計的にそういう傾向があると言う意味です。
一番顕著なのが攻撃性。
それから、性差がはっきりしているほうが「社会的には評価される」と言う前提で書かれているようですが、最近では性差が少ないほうが「より望ましい」と言う考え方のほうが多くなってきているのではと思いますが。
主な理由は「攻撃」に対する評価が時代と共に変化
してきたかららしいです。
戦勝国の兵士が敗戦国の女を強姦する事も、男が女を殴る事も、また、弱者を暴力で屈服させることも、それが悪い事と言う認識の無かった時代がつい最近まで有ったのではないですか。その時代においては「男らしい男」は評価されましたよね。
現代でもまだそれらの事はありますが、それでもそれらは悪い事と言う認識は広がってきたと思いますよ。
現代では「性差のようなものが有ると認識する人が、男が女より優秀とか、男らしい男が男らしくない男より優れていると考えている」
と言うのは思い込みじゃないでしょうか。むしろ女のほうが優秀とか、攻撃性を抑制できる男のほうが、抑制できない男より優秀という意見を述べている文章を見ますが。
まあ
攻撃=悪
と言うのも価値観ですが。
こちらにもコメントありがとうです。
(お返事が遅くなって、ごめんなさいね。)
でも、それはまさに、文化的に作られた「ジェンダー」で、
後天的に学習するものだろうと思いますよ。
攻撃という性質に、「善」とか「悪」とか、
カチカンが付くのは、あきらかに「文化」でしょう。
でもって、そういうジェンダーができたのは、
おそらく文明ができるとともにだろうと思います。
男性のほうが腕力があることと、女性は妊娠と出産によって、
行動が拘束されることが、大きな理由でしょう。
それで、男性は能動的で攻撃的なのがよいとされ、
女性は男性におとなしく従っていればよいと
されるようになったものと思います。
もっとも、人間の男性に腕力があるのは、
女性を取り合うための男性どうしの戦いのためであって、
女性を攻撃するためではないんだけどね。
ある器官が、進化した理由とは、違った使われかたをするのは、
ほかの動物にもあることだけど。
なんかもう一つ話がかみ合っていないなあという気がしています。
ゴメンね。正直な感想です。
脳に性差があると考える人=男らしさ、女らしさははいいことと考える人。
と言う前提でコメントされておられませんか。
そういう人がいることは知っています。が、私自身はそのような意見の内容については、何も知らないのに近いです。
私が考える性差(みたいなもの)はもっとフィジカルなものです。いや、フィジカルに限定したもののみが性差といいうると言ったほうが正確かな。
「らしさ」はフィジカルではないですよ。あなたがおっしゃるとおりそれはジェンダーだと思います。
例えば男が腕力があることとか、女が子供を産む事は性差ですよね。
でも、男性が能動的で攻撃的なのがよいとされたのは性差ではないですよね。
ここんとこは二人で一致していますよね。
次に空間認識ですが、これを性差といいうるかどうかは疑問です。空間認識は後天的に発達する要素が大きいでしょ。
母性愛も性差ではないと思いますよ。おとなしいのも優しいのも同様です。これらはとっても高度な心(肉体としての脳の単純な動きではないと言う意味で心と言い換えました。)の活動ですから、フィジカルに限定されるべき性差という言葉になじまないと思いますよ。
私が性差と考えるのは攻撃性と性欲。性欲といっても「好きな人とHしたい」と言うような高度で文化的で人間的な感情のことではないですよ。
具体的な行動で言うと強姦が性差にもとずく行動だと思います。強姦する人間はほぼ男に限られるでしょ。
こういうときっと「それは男と女の体の構造の違いでしょ」と言われると思います。それこそが私の考える性差なんです。行動には脳(ここのところは心ではなく脳です)も動くわけですから。
ところでかって強姦が男らしさの象徴みたいな事を言った大臣がいましたけど、私は決してそういう考えの人を尊敬したりしていませんので念のため。
お返事が遅くなってごめんなさいね。
読んでみたけど、なんだかやはりよくわからなかったです。
以下のお返事は、要領を得てないかもしれないけど、
そのときはごめんなさいね。
前提はこのエントリの主旨で、脳の性差は、
生得的か学習による後天的なものか、ということです。
>攻撃性
そういう観点で見ると、男性が女性に対して攻撃的なのは、
時代のカチカンがともなうから、学習によるもので、
生得的ではなさそうだ、ということです。
男性の腕力と、女性の妊娠は、そうしたジェンダーが
できた原因として挙げたものです。
これらは、男女の肉体的、機能的な性差ですが、
脳それ自体の性差ではないですよ。
>強姦
これも、「男性は性欲をあらわにしてよい」という
カチカンによるもので、強姦魔に男が多いのは、
社会的、文化的なものだと思います。
http://taraxacum.seesaa.net/article/144553760.html
ちなみに、性欲自体も生得的かどうか、
うたがわしいところがありますよ。
http://taraxacum.seesaa.net/article/145626639.html
>強姦が男らしさの象徴みたいな事を言った大臣がいましたけど、
>私は決してそういう考えの人を尊敬したりしていませんので念のため。
ご心配のような誤解はしてないので、
だいじょうぶですよ。