3月18日エントリですこしお話した、
ルワンダの大量虐殺(クォータ制導入の間接的原因)の
いきさつについて、書かれた記事があったので、
ご紹介したいと思います。
「ルワンダ虐殺きっかけの大統領機撃墜、国軍幹部が首謀 報告書」
こちらは謀略についての、より一般的なエントリで、
ルワンダ虐殺の引き金についても、すこし触れています。
「ポーランド航空機墜落のニュースを聞いて」
ルワンダには、多数派のフツ人と、少数派のツチ人という
ふたつの民族が混在していて、対立が絶えない状態でした。
1994年4月6日、フツ人のハビャリマナ大統領を乗せた
専用機が撃墜され、大統領が死亡する事故が起きました。
このあとフツ人住民が、ツチ人と、穏健派のフツ人への
襲撃をはじめ、虐殺事件へと発展しました。
ところが、この飛行機の追撃事件の首謀は、
どうもフツ人政権内の過激派だったらしいことが、
ことしのはじめになって、わかってきたみたいです。
(おそらく、記事中でも述べられている、
フツ人系政府が、ツチ人の反政府組織(RPF)と
和平協定を結んだことに対する反発と思われます。
このほか、フランスの関与も疑われているようです。)
この大量虐殺事件の復興の過程で、国連の指導にもとづき、
ルワンダでは、クォータ制を導入したのでした。
そして、2008年9月の選挙で、女性議員の割合が56.3%となり、
世界でもっとも女性議員が多い国となったのでした。
「女性議員:ルワンダ56%で世界1位、日本11%で97位」
「国際シンポジウム「世界は進む、日本は進まず」」
過激派が穏健派の和解を「腰砕け」と考えて
反発するのは、よくあることだと思います。
テロをやられたほうは、自勢力の過激分子ではなく、
対立勢力の犯行にちがいないと考えて、
大量虐殺にいたったんだろうと思います。