2010年04月16日

toujyouka016.jpg ルワンダ虐殺

3月18日エントリですこしお話した、
ルワンダの大量虐殺(クォータ制導入の間接的原因)の
いきさつについて、書かれた記事があったので、
ご紹介したいと思います。

「ルワンダ虐殺きっかけの大統領機撃墜、国軍幹部が首謀 報告書」


こちらは謀略についての、より一般的なエントリで、
ルワンダ虐殺の引き金についても、すこし触れています。

「ポーランド航空機墜落のニュースを聞いて」


 
ルワンダには、多数派のフツ人と、少数派のツチ人という
ふたつの民族が混在していて、対立が絶えない状態でした。

1994年4月6日、フツ人のハビャリマナ大統領を乗せた
専用機が撃墜され、大統領が死亡する事故が起きました。
このあとフツ人住民が、ツチ人と、穏健派のフツ人への
襲撃をはじめ、虐殺事件へと発展しました。

ところが、この飛行機の追撃事件の首謀は、
どうもフツ人政権内の過激派だったらしいことが、
ことしのはじめになって、わかってきたみたいです。

(おそらく、記事中でも述べられている、
フツ人系政府が、ツチ人の反政府組織(RPF)と
和平協定を結んだことに対する反発と思われます。
このほか、フランスの関与も疑われているようです。)


この大量虐殺事件の復興の過程で、国連の指導にもとづき、
ルワンダでは、クォータ制を導入したのでした。
そして、2008年9月の選挙で、女性議員の割合が56.3%となり、
世界でもっとも女性議員が多い国となったのでした。

「女性議員:ルワンダ56%で世界1位、日本11%で97位」
「国際シンポジウム「世界は進む、日本は進まず」」

posted by たんぽぽ at 23:06 | Comment(2) | TrackBack(0) | 政治・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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この記事へのコメント
そうだったのですか。
Posted by ガラック at 2010年04月17日 05:56
「そうだった」って、専用機追撃の真相のことかな?

過激派が穏健派の和解を「腰砕け」と考えて
反発するのは、よくあることだと思います。

テロをやられたほうは、自勢力の過激分子ではなく、
対立勢力の犯行にちがいないと考えて、
大量虐殺にいたったんだろうと思います。
Posted by たんぽぽ at 2010年04月17日 11:45
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