2010年05月05日

toujyouka016.jpg 良心ということ

なるほどねえ...

「大文字の「良心」と小文字の良心」

簡単に言えば、大文字の「良心」は、いわば外から
与えられるもので、道徳とか規範とでも言えるものでしょうか。
小文字の良心は、自分の判断で、内から自発的に
沸き起こるものではないかと思います。

革命遂行のために、セルゲイ大公の乗った馬車に
爆弾を投げようとしたが、幼い子どもが同乗していたので、
思いとどまったお話が出て来ます。
「貧しい民衆のために革命を」が、大文字の「良心」で、
「子どもをいっしょに殺すべきでない」という判断が、
小文字の良心だと言うのでしょう。

 
このお話から、わたしが思い浮かべたのが、このサイトです。

「妖精の国からのお知らせ」
「妖精の国への招待状」

ここで言う、「内心いいと思ったこと」
「正しいと思ったこと」「あなたにとっての真実」のように
書かれていることが、いわば小文字の良心に
なるのではないかと、わたしは思うのです。
自分のあたまで判断して、「正しい」と思うことです。

これに対して、既成道徳や、既成正義のお題目とか、
他人からの評価という、外から与えられるものが、
大文字の「良心」にあたるのではないかと、わたしは思います。

老人をいたわることや、ごみ拾いや、
子どもにうそをつくことが例示されていますが、
これらは、外から与えられる道徳や正義のたぐいで、
大文字の「良心」ではないかと思います。
そして、小文字の良心である、「正しいと思ったこと」とは、
かならずしも一致しないことが、
ちょっとくどいくらいに、述べられています。


自分のあたまで考えるのですから、小文字の良心が、
かならずしも結果的に正しいとはかぎらないです。
「いいと思ったことが、失敗だった」こともありえます。

また、各人の判断にもとづくのですから、
人によって、良心の中身が、異なることもあるでしょう。
善悪の区別は絶対ではなく、相対的なのであり、
あくまで「あなたにとっての真実」というわけです。


すなおなかたでしたら、これくらいでじゅうぶんと思います。
ところが、世の中には、ひねくれた考えの人もいるので、
そうしたかたたちの対策(?)も、すこし書かれています。

たとえば、各人の判断にもとづくと言うと、
「自分は悪人を殺すのが正しいと思っているから、
これが自分にとっての真実だ」のように、
混ぜかえす人が出てくると思います。
しかし「目覚めた魂」は、こんなことは考えないとして、
無節操な自由を制限してもいます。

とはいえ、どこからが無節操かの線引きは難しいし、
線を引くこと自体、危険でもあります。
したがって、「目覚めた魂」ならわかると、
漠然とした書きかたしか、できないのではありますが。
これはなんとなく、理解してもらうしかないですね。


また、いくら自分で判断すると言っても、
自分の暮らしている社会と無縁ではないから、
既成道徳のお題目から、逃れられないのではないかと
考えるかたもいるでしょう。
でも、大文字の「良心」と、小文字の良心が一致したら、
それが「あなたにとっての真実」と、思えばよいだけのことです。

「正しさを妨げる高度な問題」で、
これに近いことが出て来ますが、既成道徳に、
無理して反しよう思ったり、他人の評価を気にして、
「偽悪的」になる必要もない、ということになります。

posted by たんぽぽ at 01:39 | Comment(0) | TrackBack(0) | ウェブサイト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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