2010年05月06日

toujyouka016.jpg 殺し合いの遺伝子

「生物は同じ種どうしでは、殺し合いをしない、
そんなことをするのは、戦争をやる人間だけだ」のように、
お考えのかたは、結構たくさんいらっしゃるのでしょうか?

この背景には、「生物は種の保存をする必要があるが、
同種どうしで殺し合いをやると、それが不利になる」
という考えがあるのだと思います。
「生物はみな本能的に、同種どうしで、
殺し合わないようにできている」なんて、
考えていらっしゃるかたも、いるかもしれないです。

さらにこれを、平和活動の根拠として使うかたも、
いらっしゃるだろうと思います。
戦争をしないのが、生物としての人間の
理にかなっている、と言いたいわけです。
(中には、逆手に取って(?)、「戦争ができるのは
人間の特権ですから、お国のために戦いましょう」なんて、
コワイことを考える人たちもいるけど。(参照)

 
結論を言うと、上に書いたことは、あやまりです。
生物の生存競争は、種単位ではなく個体単位だからです。
それぞれの個体は、自分の直系の子孫(遺伝子)を、
いかにして残すかのために行動をします。

保存したいのは、自分の属する種ではなく、自分の遺伝子です。
したがって、自分の遺伝子を残そうとするのを
さまたげるライバルが、同種の生物のときは、
同種どうしで殺し合いも、ありえることになります。

かのダーウィンは、生存競争は同種どうしのあいだで
もっとも激しいと、有名な著書、『種の起源』で述べています。
これをもって「ダーウィンは、同種間の殺し合いの
可能性を予想した、さすがは慧眼だ」と、言われたりもします。


とは言っても、同種どうしでの殺し合いは、
そんなにたくさん起きているのではないです。
メスを取り合うための、オスどうしの戦いにおいてとか、
より優秀な子(遺伝子)を残すため、育てるのに
負担のかかる子を殺すとか、ある程度かぎられています。

これは、同種どうしで殺し合うと、自分の遺伝子を残すための
繁殖の相手が減るからで、めぐりめぐって間接的に
遺伝子を残すのに不利になるからと、考えればよいでしょう。

じつは、同種どうしの殺し合いをしないよう、
遺伝的にプログラムされている生物もあります。
たとえば、犬や狼は、オスどうしの闘いに敗れると、
お腹を上にして寝転がる姿勢を取ります。
これは、「あなたに負けました、もう戦えません」という、
「降参のポーズ」であり、これを見た相手は、
これ以上攻撃を続けられなくなります。

犬や狼はするどい牙を持っているので、
闘いをやりすぎると、相手を殺してしまいます。
相手を殺せば、勝った個体は、確実にメスと交配できるので、
自分の遺伝子を残すのに有利ではあります。
しかし、同種の個体が減りすぎると、間接的に自己の遺伝子を
残すのに不利ですから、それを抑制するために、
攻撃を止めるプログラムがあるのでしょう。


一般に、するどい牙や爪、毒などを持った、
攻撃力の高い動物は、同種間の殺し合い防止のプログラムが、
遺伝子の中に組み込まれていることが多いです。
強い武器を持たない、攻撃力の弱い動物や、
攻撃力が高くても、負けたほうが逃げやすい動物は、
同種の殺し合いを防ぐ遺伝子は持たないようです。

そして、このような同種の殺し合い防止の遺伝子を、
人間という生物は持たないらしいと、わかっています。
人間は、強い武器を持たない、「弱い」生物ですから、
これは納得できるのではないかと思います。

(付記:この研究があったかどうかわからず、未確認です。
よって、人間は、「弱い」か「強い」かは、さだかではないです。
人間が「強い」動物だとすると、武器の発達によって、
殺し合い防止がかかりにくくなった、と考えることになります。)

ところが人間は、殺し合い防止のプログラムがないまま、
殺し合いの道具だけ発達させてしまいました。
この規模がとても大きくなったものが、
人間どうしで繰り返される「戦争」であると言えます。


「憲法9条の存在」なんて、人間が本能的に
戦争をさける生物でないことの、証左だと思いますよ。
本能的に人間どうしで殺し合いをしないなら、
眠くなるとか、お腹がすくのと同じくらい
自発的でしょうから、憲法9条なんていらないでしょう。

憲法の条文に「戦争はいけない」と書いて、
それを守らせるということが、なんの抑止もなければ、
人間は戦争をやりかねない、罪深い生物であることを
しめしているのだと思います。

かくして、戦争をこの世からなくしたいあなたは、
生物学的でないべつの方法、たとえば「思想」として、
「戦争はいけない」という考えを、人類社会の中に普及させる
といったことをする必要が、出て来たことになります。


(ちょっとすぎたけど、5月3日の憲法記念日によせて、
ひねくれものらしいお話をしてみました。)

参考資料:
「コンバンワ、孔雀ですが!」
「ヒトを殺す遺伝子」

posted by たんぽぽ at 00:13 | Comment(26) | TrackBack(3) | 科学一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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この記事へのコメント
社会ダーウィン主義というのか、人間も戦うことで進歩していく
のような思想も昔はありましたね。
Posted by pulin at 2010年05月06日 12:15
「憲法9条の精神は生物学的基盤にかなっている」
といったことを言う人、たまにいるみたいなんですよね。
憲法記念日もあったことですし、探せばどこかで
そう書いている人もいるかもしれないです。

でもこれは、「母性は本能だから、女性はかくあるべき」
というのと、おなじ主張なんだと思います。


社会ダーウィズムは、生物学的基盤からはずれていると
思われる(決めつけた)人を、スポイルすることだけど。

「改憲派は生物学的におかしな存在だ」と言って
排除する動きは、平和運動家の中には、
さすがに見られないようですね。
(そこまでいったら、それこそ本末転倒だけど。)
Posted by たんぽぽ at 2010年05月07日 00:00
 こんばんは.
 遠い昔に類似のテーマで書いたことがあったのでトラバさせて頂きます.
 それとテーマはまるで違いますが,最近書いたローカルな話題からも.
 以上ご参考まで.
Posted by Ladybird at 2010年05月07日 03:35
そうですね。
生物的にそれ(のみ)が正しいのだ、と言う考え方は
神様がそう決めたから、と同義で、そこで思考停止しちゃいますね。
Posted by pulin at 2010年05月07日 15:24
Ladybirdさま、
コメントとTB、ありがとうございます。

>「なぜ人を殺してはいけないか」
>http://plaza.rakuten.co.jp/tosana/diary/200712060000/

おおおお、ほとんどそっくり同じことを、
以前、書いていらしたのですね。

「種の保存のために、同種どうしで殺し合わない」は、
ローレンツの学説だったのですね。
犬などに見られる、殺し合い防止の遺伝子という、
強力な根拠もありますし、ひじょうに説得力が
あったのではないかと思います。
(いまでも、そう考えているかたは、多いと思いますし。)

それから、ローレンツは、人間も殺し合い防止の
遺伝子を持つ「強い」生物と見ていたのですね。
もっとあとの研究で、人間はそうした遺伝子のない
「弱い」生物だと、わかったみたいだけど。


人為的に、ケージの中に入れられた鳩は、
際限なく相手を攻撃して、死にいたらしめることがあるけれど、
武器を持った人間も、これと同じような「人為的」な状態と
考えればいいのではないかと思います。

生物学的には、人間は人間を「殺してよい」とも
「殺していけない」とも決まっていない、
ということでよいのだろうと思います。

わたしたちが、人を殺そうとするときの強烈な抵抗感は、
「人を殺してはいけない」と、「知識」や「思想」として、
伝えられたものではないかと思います。


あとふたつ、トラックバックをいただいているけど、
いまは読んで考えている時間がない...
Posted by たんぽぽ at 2010年05月07日 18:39
pulinさま

>神様がそう決めたから、と同義で、そこで思考停止しちゃいますね。

「生物学的基盤」というのは、おうおうにして、
特定のカチカンや道徳の正当化に使われるのですね。
「生物学的」と言うと、さからいにくいと思われるからだけど。

そのつぎは、それこそ某所でやっている、
「良心と不寛容」とか、「みんな正しいことに絶望せよ」とか、
そういうお話になっていくわけですね。


それにしても、「種の保存のために、人間どうし殺し合わない」
という考えは、ものすごく魅力があるんじゃないかな?
(おそらくは、「母性」や「性欲」や、
「陵辱ゲームの規制」なんかよりも、はるかに。)

戦争や殺し合いが嫌いな人はたくさんいるし、
そうしたかたは、「みんななかよく生きて行く」
という考えには、相当に魅せられるでしょう。
「遺伝子は利己的だから、同種間でも殺し合いはありえますよ」なんて、
受け入れ難いんじゃないかと思います。
Posted by たんぽぽ at 2010年05月07日 18:40
失礼します。“中国 人命軽視(人命重視でも)”という検索ワードで検索してみてください。
人命軽視の中国と人命重視のアメリカが戦争したら、アメリカが負けるだろうとも言われます。
先の中国の首相は“中国は人口が多いから、核爆弾が落ちて少々死んでも平気”と言ってます。
チベットやモンゴルでも現代になっても尚殺戮を繰り返しています。中国の歴史は殺戮の繰り返し、新興勢力は、前人民を根絶やしにしてから盛り上がります。調べて見るとよくわかります。
中国で大切な命は“支配層の人の命”です。各国で“命”に対する扱いや重みは全く違うのです。
その他大勢の命は一人のために…という文化も世界中にはたくさんあることを知らないとならないです。
これはいいとか悪いとかで分けられない民族の価値観の相違です。
Posted by 通りすがり at 2010年05月08日 12:44
>通りすがりさん
アメリカが本気で戦ったら勝てる国はもはやこの地球上に存在しませんよ。
すでに世界一人命軽視していた過去の日本軍を赤子の手をひねるがごとく撃滅してますから。
Posted by pulin at 2010年05月08日 13:40
Ladybirdさま

>「子供はじょうずにウソをつく」
>http://plaza.rakuten.co.jp/tosana/diary/200710290000/

これを逆に見れば、親や教育関係者のように、
ふだん子どもと接する人は、注意が必要ですね。
うっかりすると、オトナ受けばっかり考える、
打算的な子どもを育ててしまいそうだからね。

それにしても、オトコの人が巨乳好きなのも、
ある程度は、生物学的な基盤があるらしいのね(苦笑)と、
「性的魅力に逆らえない」のくだりを見て、
ちょっと思ったです、はい。


>楠瀬喜多
>http://blog.livedoor.jp/uradowan/archives/51450045.html

楠瀬喜多のことは、おはずかしながら寡聞にして初耳でした。
19世紀の日本に、かなりかぎられているとはいえ、
女性参政権があったなんて、すごい意外だと思います。

あと、地方が進歩的というより、
高知という土地だからではないかと思います。
高知は明治維新の立て役者を排出しましたから、
明治時代は革新的だったことは考えられます。

現在は明治維新体制の後継なので、
立て役者を排出した土地は「保守本流」となるから、
いまでは、保守の牙城なのでしょう。
Posted by たんぽぽ at 2010年05月08日 23:02
通りすがりさま

はじめまして(なのかしら?
以前お会いしたことあるかも...)

わたしのブログでコメントなさるときは、
「通りすがり」のような、不特定多数を連想させるハンドルではなく、
もっとユニークなものをお使いください。

でもって、拝読しましたが、コメントの主旨
(エントリとの関連や、ここに投稿した目的など)が、
よくわからなかったです。



pulinさま

コメントしてくださって、ありがとうございます。

>すでに世界一人命軽視していた過去の日本軍

程度にもよるんでしょうけど、軽視しすぎると、
人的資源を無駄にしすぎて、人口が減りすぎて、
かえって戦力が低下して、戦争に弱くなるのではないかと思います。
Posted by たんぽぽ at 2010年05月08日 23:04
 トラバ記事へのご訪問ありがとうございます.
 元の話に戻して...

>「種の保存のために、同種どうしで殺し合わない」は、ローレンツの学説だったのですね。
 というより,昔の生物学者は大抵そのように考えていたのでないでしょうか.
 たとえば,チンパンジー(だったかな?)の子殺しの話を聞いた今西錦司さんが,それは本来の野生状態では起こりえない異常行動だろうというようにコメントされています.

>ローレンツは、人間も殺し合い防止の
遺伝子を持つ「強い」生物と見ていたのですね。
 そうですね.武器の進歩によって,人が本来持っている抑制の仕組みが働かなくなるのだと警告しています.

>もっとあとの研究で、人間はそうした遺伝子のない「弱い」生物だと、わかったみたいだけど。
 これは私の知らない話です.
 ある作用をもつ遺伝子が存在するかどうかが、簡単に証明できるとも思えません.

>「子供はじょうずにウソをつく」
 野鳥の世界では「子殺し」は習性に組み込まれている,という主旨でトラバさせて頂きました.

>楠瀬喜多
 もう少し勉強してから,また書きたいと思っています.
Posted by Ladybird at 2010年05月10日 05:42
Ladybirdさま、いらっしゃいませ。
トラックバックについての解説、ありがとうです。

>昔の生物学者は大抵そのように考えていたのでないでしょうか

たぶんというか、きっとそうでしょうね。
研究者のあいだでも「常識」だったんだと思います。

そのせいか、いまのわたしたちでも、
ドーキンズ式に、「遺伝子」を主役にして考えるのは、
(そんなにむずかしいことではないけれど)、
慣れないうちは、注意してやる必要があると思います。


>>もっとあとの研究で、人間はそうした遺伝子のない
>「弱い」生物だと、わかったみたいだけど。
>これは私の知らない話です.

もう一度見てみたら、質問したかたが、
むかし新聞記事で読みかじった、という記憶があるだけでした。
いちばん上の回答のかたが、よくご存知という感じで
信用してよさそうだけど、実際に記事を見たのでも、
探して確認したのでもなかったですね。
http://okwave.jp/qa/q887778.html

よって「人間は同種殺しを抑制する遺伝子を持たない」
という研究があったかどうかは、わからないですね。(苦笑)
(エントリに追記をしておきます。
ご指摘ありがとうございます。)

ゲノム解析が進んだので、いまはもしかしたら、
なにかわかっているかもしれないけど。
Posted by たんぽぽ at 2010年05月10日 21:48
 丁寧なお返事ありがとうございます.
 OKWaveですか.いちばん上の回答者は,たしかに良くご存知ですが,反対側から見てしまっています.最後の回答者が最もマトモです.
 回答者の中にアポトーシスの話をしている人がいますね.これはハズれですが,示唆的です.というのは「利己的な遺伝子」の問題は,より一般的な問題として,「利己的な主体が集まって,どのようにして協調的な全体ができるのか」と定式化できるからです.生物体は利己的な細胞の集まりであり,その細胞はアポトーシスという「自己犠牲」により全体に奉仕しているように見えますね.
 そしてゲノムは利己的な遺伝子の協調的な集まりです.それは社会が、利己的な個体の協調的な集まりであることと同じでしょう.
Posted by Ladybird at 2010年05月10日 23:38
>いちばん上の回答者は,たしかに良くご存知ですが,
>反対側から見てしまっています.

「反対側から見」るって、「遺伝子→種」ではなく
「種→遺伝子」という意味ですか?


>最後の回答者が最もマトモです

この回答は、主体が遺伝子で、種の保存は目的でない、
よって種の保存と矛盾していてもよい、ということを、
きっちり指摘していて、よくわかっている感じですね。

(でも、最初の質問のかたが、聞きたかったであろう、
「殺し合い抑止遺伝子とは、いかなるものなのか?
それは人間には存在しないのか?」については、
お答えしてないので、ものたりなさがあるけど。)

========
同種を殺す行為は、種の保存とは確かに矛盾しますが、
遺伝子の目的とは矛盾しません。
遺伝子の目的というか、機能とは「自分自身(遺伝子)を保存すること」
にあります。
種の保存は遺伝子にとってはどうでもいいことなのです。

詳しくは「利己的な遺伝子」というキーワードで情報収集してみると
わかると思います。
========


>回答者の中にアポトーシスの話をしている人がいますね.

アポトーシスでノーベル賞を取ったのは、
2002年ですが、質問があった2年ほど前でした。
この回答をしたかたは、ノーベル賞のニュースを聞いて、
ちょっと覚えていたのかもしれないです。

>これはハズれですが,示唆的です.

そう言われると、ちょっと考えてしまう問題ですね。
アポトーシスを起こす細胞の中にも
遺伝物質はあるし、これは壊れますからね。

じつは、わたしは、よくわからないんだけど、
「アポトーシスも利己的な遺伝子のいとなみで、
一定期間が経つと寿命が来るのが、個体の中で生き延びられた
(アポトーシスの来ないものは淘汰された)」
という理解でいいのかな?
Posted by たんぽぽ at 2010年05月11日 23:17
 こんばんは.じつは私もよくわかりません.

>「種→遺伝子」という意味ですか?
 そうですね.最後の数行で,結局のところ「種の保存」に回帰しています.

>ものたりなさが
 全然ものたりないですね.ただ,「種の保存」の概念に振り回されてないという意味でマトモです.

>アポトーシスの来ないものは淘汰された
 よくわかりません.「自殺遺伝子がなぜ生き残ってきたか」は,働きバチの「子孫を残さない性質がなぜ子孫に伝わったか」という問題と同質である気がします.
 ミツバチの場合は,「姉妹が遺伝子を共有する確率」が高いこと,が1つの要因でしょう.
Posted by Ladybird at 2010年05月12日 02:10
きんしこうと呼ばれるサルやチンパンジーでも、未成熟の子供を養育中のメスとカップリングしようとするオスが、そのこどもを殺す事が知られているけど、人間にも明らかにその傾向はあるよ。人間のオス場合、カップリングしようと思っているメスの子供を攻撃したケースは少なくないはずだよ。児相の職員に以前このことを質問した事があるが、話はぐらかされた。
Posted by 遠い人 at 2010年05月12日 22:47
Ladybirdさま

ああ、いえいえ。
いろいろとお答えくださって、ありがとうございます。


>結局のところ「種の保存」に回帰しています.

最後の段落を見たら、「生物種としてのバランス」
ということを書いていますね。

それはともかく、「利己的な遺伝子」説だと、
犬や狼にある、殺し合い防止遺伝子の説明が、
むずかしくなりますね。
(「繁殖の相手が減るから間接的に不利」と、
わたしは考えちゃったけど、だいじょうぶなのかな?)


>全然ものたりないですね.

はっきりおっしゃりますね。(笑)
ものたりなさのせいで、せっかくの回答が、
ピントはずれに見えてしまわないかと、ちょっと心配です。

最初の質問の中に、「同種を殺すということは
種の保存上矛盾しているのに」という
くだりがあるので、ここにかぎって、
お答えしたつもりだったのかもしれないです。


>「自殺遺伝子がなぜ生き残ってきたか」は,
>働きバチの「子孫を残さない性質がなぜ子孫に伝わったか」
>という問題と同質である気がします.

ああ、なるほど。
(そういえば、蜜蜂とか、昆虫の中には、そんなのもいましたね。)
個体レベルより、細胞レベルのほうが、
そうしたことは、たしかにありそうですね。

細胞は簡単に分裂できるので、ふたつにわかれて、
子孫を残すのは片方だけに託す、なんて、
結構起きやすいことなのかもしれないですし。
Posted by たんぽぽ at 2010年05月13日 00:08
遠い人さま、いらっしゃいませ。

>人間にも明らかにその傾向はあるよ

ああ、そうなのかな?
(「利己的な遺伝子」であれば、そういうことは、
たしかにあってもふしぎではないけれど。)

さすがに調べたことはないけれど、
犯罪の統計とか見れば、なにかわかるかもしれないですね。

いずれにしても、人間も他人の子どもに
愛情を注ぐのは、結構難しいのかもしれないです。
(「子どもは社会で育てる」という意識が
なかなか定着しないのも、無理もないことなのかも。)


>児相の職員に以前このことを質問した事があるが、話はぐらかされた

ははは...
(なんて、笑いごとではない?)

都合が悪いお話だったので、言いたくなかったのか、
単にわからなかっただけなのかは、
なんとも言えないけれど、ね...
Posted by たんぽぽ at 2010年05月13日 00:10
またまたお邪魔します.

>殺し合い防止遺伝子の説明が、むずかしくなりますね。
 そうですね.だから未解決の問題で,だから検討する価値があるということでしょう.
 「囚人のジレンマ」
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4791753607/
的なアプローチでは,「ゲームの繰り返し」に活路を見出せそうですが,それで「殺し合い防止遺伝子」が説明できたことになるのか,私にはわかりません.
Posted by Ladybird at 2010年05月13日 01:56
ああ、いえいえ、わたしはとても歓迎ですので、
遠慮なくコメントをいただけたらと思います。

>http://www.amazon.co.jp/gp/product/4791753607/

ああ、ゲームの理論ですか。
やはり直感では無理で、数学できっちり示さないとわからない、
ということなのかな。

交配相手の取り合いで、相手を殺す確率とか、
個体数とかをパラメータにするんでしょうけど、
それらが妥当なら、計算結果はそれなりに
信用してよいのでは?と思うけど。
Posted by たんぽぽ at 2010年05月13日 22:34
 そういう具体的な理論があるわけではありません.ゲームの理論的な方向から,殺し合い防止遺伝子の存在を予測できないだろうかという,あくまで可能性の話です.
Posted by Ladybird at 2010年05月14日 03:44
たんぽぽ様、お返事有難うございました。

以前私たちのグループで、児童相談所の方を呼んで勉強会を開いたのですが、そのときの話です。
もちろんよーく知っていて、というか、あまりに知りすぎていて、しかも自分も関係者の一人だから、ついでに守秘義務とかいろいろあるから、視線を宙に浮かせて話をスルー。児童相談所の最終的な目標は子供を家庭に帰す事だから、(子供を虐待していた親が虐待を止めて、子供といい関係を作れるように支援して)話せない事情もよくわかります。
児童相談所はマスコミから子供を守れていないとたたかれてばっかりだけど、でも、圧倒的に少ない人数でよく頑張っていると思いますよ。一人の職員が抱える子供の数(もちろん問題を抱えた子供の数です)が3000人とのことでした。これじゃいくらなんでも子供を守れないですよね。この話を聞いてからいろいろな機会に、児童相談所に対する職員配置をもっともっとあげるように要望するようにしました。
虐待されたり、殺されたりした子供の背景について、児童相談所はちゃんと分析し、しかるところに発表していますよ。関係機関向けの刊行物があってそれに書かれています。

虐待と言えば、要介護高齢者に対する虐待もありますが、これも分析されています。

人間は自分自身の自我要求を満足させるために、しばしば自分より弱い者に対し攻撃性を発揮しますよ。
Posted by 遠い人 at 2010年05月14日 16:33
Ladybirdさま

>あくまで可能性の話です

ああ、そうでしたか。
わたしが誤解してしまい、失礼いたしました。
Posted by たんぽぽ at 2010年05月14日 23:31
遠い人さま、コメントありがとうです。

ああ、児童相談所でしたね。
(前のコメントでもそうおっしゃっていた。)
「その道のプロ」ですから、資料もふだんから
たくさん見ているでしょうし、知らないことはないでしょうね。

でも、勉強会に出るくらいでしたら、
意識も予備知識もあるかたでしょうから、
そうしたかたに対しては、守秘義務に抵触しないようにして、
お話してもよいのでは?とも思いますが。
だれの眼にも触れる、というほどではない刊行物でも、
資料を公表しているのは、隠していないわけですから。

>一人の職員が抱える子供の数(もちろん問題を抱えた子供の数です)が
>3000人とのことでした。
>これじゃいくらなんでも子供を守れないですよね。

なぜ、かくも、人手がたりないんだ...?


あと、前のわたしのコメントの
「いずれにしても、人間も他人の子どもに
愛情を注ぐのは、結構難しいのかもしれないです。」は、
生得的な要素も多少はあるかもしれない、くらいの意味です。

人間は、慣れ親しんだものには、愛着がわきやすいですからね。
それで、直接触れることの多い、自分の子に愛情がわくのであり、
それが「思想」として受け継がれることで、
他人の子に愛情を、注ぎにくくなっていることもあるでしょう。

「子どもは社会全体で育てる」という意識が
よく定着している、アメリカ社会の例もありますしね。


それと、前のコメントでもうひとつ、

>ははは...
>(なんて、笑いごとではない?)

ぜんぜん笑いごとではなかったですね。
(失礼しました。)
Posted by たんぽぽ at 2010年05月14日 23:34
 いえいえ.
 あいまいな書き方をしてしまいました.
 コメント欄が長くなったので,ひとまず退散いたします.ありがとうございます.
Posted by Ladybird at 2010年05月15日 04:42
ああ、いえいえ。
たくさんコメントをくださって、
こちらこそ、まことにありがとうです。

またいろいろと教えてくださいね。
Posted by たんぽぽ at 2010年05月15日 20:09
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