菅直人氏の政治家デビューに関して、こんな秘話があります。
いまはむかしの1977年、江田三郎氏が社会党を飛び出して、
新しい政党を立ち上げようとしていたときです。
これは、『民主党10年史』の22ページを、
そのまま転載するのがいいでしょう。
(他の文献の引用なので、孫引きになりますが。)
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江田と行動を共にしていた
今泉清という人物が面白い働きをした。
今泉は作家・司馬遼太郎のファンということだけで、
面識のない司馬に江田三郎の進むべき道を勝手に相談した。
司馬の話は明快で、「江田さんは孫のような若い人と
手を組んだ方がいい」という答えで
今泉は、そのまま江田に伝えた。
(塩田潮『民主党の研究』平凡社新書)
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江田三郎氏のビジョンが陽の目を見るのは、
ずっとさきのことだと、直感したのでしょうか?
このとき見つけてきた「孫のような若い人」が
ほかでもない、菅直人氏だったのでした。
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江田は実に理解が早く、若い政治家を探していくうちに、
市民運動で活躍していた菅直人氏にめぐり逢った。
菅たちのグループと江田との話し合いは菅の地元の
保谷市の東伏見小学校の体育館で公開討論会
という形で行われたが、その時の様子は
いまや有名な語り草になっている。
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現在、菅直人氏が総理大臣になっていることを思うと、
このエピソードが、神秘的にさえ感じられます。
江田三郎氏は、新党結成で心身ともに限界が来たようで、
このすぐあとに、亡くなってしまいます。
このとき作られた「社会民主連合」は、ミニ政党ながら、
江田三郎氏の遺した政治資産を育て、
1994年に日本新党に合流して、政治改革の時代へと
その資産を引き継ぐことになります。
菅直人氏が江田三郎氏と出会って、政治家として
デビューした瞬間は、いまの政権交代、民主党政権の
原点とも言えるのでして、ますます神秘的の感が、
わたしには増してきます。
関連資料:
「早すぎた改革者・江田三郎−議員25年政権とれず恥かしや」
関連エントリ:
「民主党10年史」
2010年06月16日
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Weblog: 日本がアブナイ!
Tracked: 2010-06-17 06:16
初めてコメントさせて頂きます。
僕の政治方面に関する考え方は、かなりの部分たんぽぽさんと違いますが、
たんぽぽさんの日記で、独善的になりそうな愚考を省みる機会を頂いております。
これからも拝見させて頂きます。
よろしくお願い致します。
いつもわたしのつたないブログをご覧になって、
お役に立てているようで、ありがとうございます。
>僕の政治方面に関する考え方は、
>かなりの部分たんぽぽさんと違いますが
具体的にどう違うのか、いささか気になるけれど、
聞かないことにしておきますね。
(聞くと反論したくなったりして、
こわいことになるかもしれないから。(苦笑))
また気が向きましたら、あたりさわりのない
雑談でもしていってくださいね。