前のエントリの続きです。
「反対派は絶対に納得しない」という前提のもとで、
選択別姓を実現するにはどうしたらよいかを考えます。
「議論の方法」
この場合、国民投票で多数決を適用しても、
賛成派はマイノリティなので、けっして過半数を得られず、
選択別姓は実現しないだろうと考えます。
そして、マイノリティの権利を保証するために、
多数決を適用するのは、そもそも無理があるとしています。
http://yukinko629.blog7.fc2.com/blog-entry-198.html
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もし夫婦別姓賛成派が過半数に満たなかった場合、
夫婦別姓がいいです!と言っている人たちの要求は
棄却されるのが妥当なのだろうか。
民主主義なんだから、いいんじゃないの?
というのは、民主主義じゃないと思う。
過半数を超えること、を常に機会的に適用し続けたとしたら、
マイノリティの権利が回復されることなんて永遠にないじゃないか。
これは、正義の問題なんじゃなかろうか。(サンデル風に)
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まったくおっしゃるとおりですね。
マイノリティの権利を多数決で決めていたら、
多くのものは実現されないままになり、
かえって非民主的な社会になることと思います。
マイノリティの権利が否定される状態が
多数によって賛成される、というのは、
社会の中で差別が支持されていることになります。
積極的に差別を禁止するために、
立法措置をほどこすべきだとも言えるでしょう。
とくに選択別姓の場合、反対派の理由は、
根拠は事実にもとづかない、非理性的なものです。
そんな理由で絶対に納得しない相手など、
説得を試みるだけ無駄で、それよりはさっさと法律を変えて、
慣れさせたほうが定着するというものです。
女子差別撤廃委員も、「世論調査を理由に
法改正を先送りするな」と勧告しています。
この問題はもう多数決によるのはまちがいで、
条約と法律の整合を取ることを優先させて、
民法改正をするべきだ、というわけです。
結局、エントリ作者が述べているのは、
「選択別姓の反対派は、どんな理由や事実をしめされても、
絶対に納得しないので、民法改正は多数決によらず、
少数派の権利保証を軸足に置いて推進する問題だ」
ということになるだろうと思います。
ひとむかし前の選択別姓の推進派でしたら、
絶対に考え付かなかったであろう、
するどい洞察力だと、わたしは感心するしだいです。
関連エントリ:
「東京新聞の記事」
「夫婦別姓と少子化」
「条約の法制化」
「差別的法規」
2010年07月26日
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Google対策で、一時的にタイトルを変更します
Excerpt: 読売などの報道では、民主党代表選を9月11日に実施するとのことですが、この日だけは避けて欲しい。9・11は民主党の敗戦記念日ですから。 さて、7月30日〜8月6日の第175臨時国会と、9月11日(?..
Weblog: 下町の太陽
Tracked: 2010-07-27 06:55
少数派=異分子が、なんかの共同体(という幻想)の喉に突き刺さった小骨のような存在に感じられるのでしょう。
そのような架空された共同体幻想にすがらなければならないほど、こういうことに対する反対者は精神的に追いつめられているということです。
つまりは自分自身に自信が欠如しているからこそ、そういう幻想にすがらずにはいられないということです。
自分の幻想に突き刺さった「小骨」に対する焦燥感は、
反対派たちにはありそうですね。
理詰めで正当化できないので、数にものを言わせよう、
というのは(某騒動じゃないけど)、
その自信のなさのあらわれだろうと思います。
もっとも、数で押え込めると思っている反対派たちは、
「自分は選択しないけれど、選択制には賛成」
という人たちが、ほとんど念頭にないようだけど。
「反対派が多数決に頼りたがる」という精神構造は、
研究するところかもしれないです。