2010年07月29日

toujyouka016.jpg 選択制が嫌われるわけ

またまた夫婦別姓のエントリがあるので、ご紹介します。
導入したいのは、別姓も同姓も選べる選択制なのに、
なぜに嫌われるのか、という反対派最大の疑問を考察しています。

「そもそも夫婦別姓が好かれないわけ」

 
選択制の導入によって毀損されるものが
ひとつだけありまして、それは「選択の余地なく」です。
この「強制力」を維持したくて、反対論者たちは、
選択制に反対するのだ、と考えられることになります。
http://d.hatena.ne.jp/T-3don/20100726/1280141773
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選択的夫婦別姓の導入によって毀損される唯一のもの、
それは「選択の余地無く同姓とする」という強制力です
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ここでの問題は、「強制したい対象それ自体」と、
「選択の余地なく」したい理由のふたつがあると思います。
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今回の件では「選択の余地無く」継承されていくイエ、
と言う前提は、選択されうる時点で崩壊してしまう。

選択制が「個人の意思に優越する伝統」を否定しかねない以上、
反対派は選択制にも反対せざるを得ない。
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強制したい対象として、エントリでは、
「イエ制度の伝統」と考えています。
これは多くのかたが、納得するのではないかと思います。
この発展として、「家族破壊」とか「国家解体」とか、
すさまじいことを言う、反対論者がいるのは、
みなさまもご存知のことと思います。


このほかにも、「強制したい対象」として、
もっと新しく導入されたものの影響も
大きいかもしれないと、わたしは考えています。
それは高度経済成長期に定着した「標準家族」です。

この構成員は、夫婦と子どもたちだけの
核家族ですから、みなおなじ苗字です。
祖父母は「家族」にいないことになるので、
「おじいちゃんとおばあちゃんは
苗字が違うけど家族じゃないのか?」という疑問は、
わいてこないことになります。

もちろん「標準家族」は、日本人どうしでしょうから、
「外国人と結婚すると原則別姓だけどいいのか?」
という疑問も、わかないことになります。


それから「個人の意志に優越する」理由ですが、
これも、高度経済成長期の家族政策が
影響しているのではないかと、わたしは考えています。

企業利益のためですが、従業員は子どもの数を
減らしたほうが家に帰ってから負担がすくなく、
会社で労働する効率もよくなると、根拠もなく信じこまれました。
そしてそれが、「標準家族」として、
あっというまに普及していったのでした。

これは戦後の経済復興のための国家目標ですから、
国民全員が「標準家族」でしあわせになると、
感じなくてはならないことになります。
夫婦別姓のような、「はずれた」家族があると、
国家目標の足を引っ張られたと感じて、
国民全体まで影響をおよぼすと、考える人も出てくるでしょう。

それで、反対論者たちは、戦後60年経ったいまでも、
国民全体のしあわせのために、国民全員が
「標準家族(夫婦同姓)」でなければならず、
選択制であっても、そこからはずれる人たちの存在を
許さないと考えるのだと思います。

posted by たんぽぽ at 22:33 | Comment(2) | TrackBack(0) | 民法改正一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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この記事へのコメント
反対者の持つのは、自分らと違う発想のライフスタイルが公認される形になることに対する生理的拒否感、ある種の宗教的な感覚。
日本ではまだ問題提起もほとんどされてないですが、欧米などでの、「同性婚」に対する反発に近いようなものだと思います。
Posted by pulin at 2010年07月30日 07:27
またまたコメントありがとうです。

>生理的拒否感、ある種の宗教的な感覚

その「宗教的な感覚」が、どのようなもので
どこから来るのかを考えたのが、このエントリです。

「どのようなもの」は、高度経済成長期の「標準家族」で、
「どこから」は、国家目標ゆえに、国民全体が
それを望まないことへの反発、ということだけど。
Posted by たんぽぽ at 2010年07月30日 23:30
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