2010年08月06日

toujyouka016.jpg ふたたび西部邁批判

6月2日エントリで、わたしが紹介した、
西部邁氏の選択別姓反対の記事について、
批判検討を加えた記事があるので、ご紹介します。

「夫婦別姓に反対する著名人の論理」(1/3)
「夫婦別姓に反対する著名人の論理」(2/3)
「夫婦別姓に反対する著名人の論理」(3/3)

 
>同姓強制と「正しい家族」幻想

前にもわたしは、お話しましたが
西部邁氏は「夫が外で働き、妻は専業主婦」という、
高度経済成長期の「標準家族」が「正しい家族」である
という幻想にとらわれている典型です。

記事でも、これが批判されています。
具体的にはつぎのように書かれています。
私も家庭を重んじることでは西部氏に負けないつもりだが、
歴史的に見ても、家庭は女性だけが守ってきたものではないし、
女性だけの力によって守りきれるものでもない。

総じて西部氏の論調には、夫である自分は
社会で闘っているのだから、家庭のことは妻に任せた
という“丸投げ”の意識が露骨である。

夫婦の一体感を損なうとか、家族破壊になるといった、
スタンダードな反対派の意見についても、
「正しい家族」幻想の崩壊で、説明されています。
こうした西部氏の意見は夫婦別姓反対論者に
共通のものだと思われる。
しかし、私に言わせれば、それは女性の活動を家庭という
枠の中に閉じ込めようとする者たちの焦りでしかない。


ついでに、この部分を読んだとき、
わたしは、またまたこれを思い出してしまい
ちょっと吹き出してしまいました。(笑)
家庭が大事と言いながら、自分は一歩引いた位置にいて、
上から目線で家庭の出来具合を評価する。
子供の成績が落ちたり、非行に走ろうものなら、
「おまえがしっかりしていないせいでこうなった」と
妻をなじろうと待ち構えている気配が満々である。


>女性に改姓させたい男性の心理

記事の最後は、男性はなんでお相手の女性に
改姓をさせたがるのかという、
わたしが、長いあいだ、じゅうぶん答えを
出せなかったことに、解答を与えていますよ。
西部氏は、鬼の首でも取ったように断言するが、
改姓経験者である私の心情を言えば、
旧姓とは父親の姓というよりも、
配偶者に吸収されきっていない自分の象徴なのである

それは、結婚改姓とは、女性が相手の男性の
庇護のもとに入ることを、意味するというものです。
それで男の人は、女性が自分の苗字に改姓しないと、
自分が妻を守っていない気がしてさみしくなったり、
離婚されそうな気になったりするようですね。

また、男性が女性の苗字に改姓して
同姓になるのではだめなのも、「結婚改姓イコール
配偶者の庇護のもとに入る」で、理解できそうですね。


そして、記事では、現行の夫婦同姓が、
「結婚とは女性が男性の庇護に入る」という、
「男の勘違い」を助長しているとしています。
現在夫婦同姓で満足している人たちにとっても、
結婚観を抜本からあらためることになるので、
「選択制」を導入する意義はありそうですね。

それから、こうしたことに気が付いたのは、
自分の結婚のおかげだとしています。
「改姓させたい男性の心理」について、
「おお、なるほど」と、わたしは、思ったのですが、
改姓経験がある男性ならではの洞察だったようです。
私にしても、こうした当たり前のことが
腹の底から分かったのは実際に妻と結婚してからだ。
専業主婦願望の強い女性と結婚していたら、
西部氏とどっこいどっこいの勘違いをしていた
可能性は多いにある。


posted by たんぽぽ at 23:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | 民法改正一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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