またまた夫婦別姓のエントリです。
選択制でも反対する、反対論者の精神構造の考察です。
(コメントとTBでお知らせしてくださった、
アルバイシンの丘さま、ありがとうございます。)
「夫婦同姓婚は近代天皇制の外堀」
7月29日にご紹介の、みつどんさまのエントリでは、
反対派にとって、「選択させない」という強制力が必要で、
そこまでして守りたいものは、「イエ制度」だ、
というところまで考察されたのでした。
アルバイシンの丘さまのエントリでは、
「イエ制度」の背景にあるものまで、踏み込んでいます。
それは、「近代天皇制」である、というものです。
よって、「たんぽぽさんたちは遠く「近代天皇制」と
戦っておられる」ことになるそうです。
(これは大きく出ました。そうか、そうだったのか。)
近代天皇制とは、明治以降、太平洋戦争までの天皇制ですが、
実際、「イエ制度」は、天皇を中心とした
統治機構のために作られたものでもあります。
富国強兵政策のためですが、明治の新政府は、
納税、徴兵、義務教育を課すために、
すべての国民を掌握する必要がありました。
それは、「イエ」に基礎を置き、家長(戸主)を通して、
家族のメンバーを把握する方法を取りました。
この結果、江戸時代まで武士の特権だった苗字は、
すべての国民が持つことになり、特権的価値はなくなりました。
苗字は、戸籍法の意味する「イエ」を、表わすものとなり、
国民全体が「イエ」意識を持つようになりました。
(このお話は、『夫婦別姓への招待』(有斐閣選書)の
156-174ページにくわしいです。)
そういえば、イエ制度はそれぞれの「イエ」が、
小天皇制のようなもので、家長は小天皇だとも言われます。
それから天皇制自体が、日本国臣民全員が含まれる
巨大な「イエ」だと言われることもあります。
近代天皇制と「イエ制度」は、おたがいに関係が
深いものだと言えるでしょうね。
近代の天皇制は「一木一草に天皇制が宿っている」と
言われるくらい、強烈に浸透しました。
このメンタリティが、まだ残っているから、
反対論者たちは、選択的夫婦別姓、というより、
夫婦同姓強制の維持に必死になる、ということです。
しかも、「一木一草」のメンタリティは、
ひとり歩きしているらしく、「民族主義」というかたちで、
人びとの意識に入り込み、右派か左派かを、
問わなくなっているとあります。
http://papillon99.exblog.jp/14311194
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この心性は実は左翼,右翼を問わないことである。
左翼でも夫婦別姓に積極的でない人もいる。
つまり,右翼,左翼ということで決まるのではなく,
民族派かどうかで決まることである【注2】。
むろん,左翼は天皇制に賛成しているわけではないだろう。
しかし,民族の一体感,日本国民の優秀性,
といったものに対する至上の価値観を,無意識のうちに
一木一草から教えられた左翼も存在するのだ。
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近代天皇制も、イエ制度も、ヨーロッパの制度に
ならったもので、どちらも輸入品です。
それが国民の意識に深く染み込み、あたかも日本民族に
固有のものと思いこむのは、よくあることです。
右派で選択別姓に反対する人たちは、
こういう考えを持っていることは多いでしょう。
そして、天皇制には反対のいわゆる左派の中にも、
「一木一草」由来の民族主義が浸透しているらしいです。
「均一幻想」や「選民意識」は、選択別姓をこころよく
思わないモチベーションに、たしかになりそうですし、
左派でもこれらを持ち合わせている人はいそうです。
でも、夫婦別姓を主張していた人たちは、皆が(全員と言う意味ではなく多くの人たちが)天皇制の尻尾を咥えていなかったかというと疑問ですね。
天皇制(と言うより天皇なき天皇制といったほうが正確だと思いますが、)を維持するものが戸籍制度でしょう。
いや、戸籍制度の為に天皇なき天皇制があるといったほうが正確かな?この辺りは卵と鶏の関係ですからね。
戸籍制度に最も破壊な作用を及ぼすのは、婚外子の存在です。
なぜなら、戸籍は巨大なネットワークですが(そのネットワークこそが天皇無き天皇制そのものですが)そのネットワークは時間軸の方向は血縁の親子関係によって、横の関係は婚姻届によって作られているからです。
それによって、日本国籍を持つもの全員が、一つのネットワークに組み込まれている。
婚外子はその中に入らない異物です。異物が増えるとネットワークが破壊される。だから激しく差別される。
夫婦別姓の人たちだって、婚外子の差別に積極的に協力してきたじゃ無いですか。しかも誰よりも強力な打撃を与えてきたじゃ無いですか。
苦しむ婚外子を見て嘲り笑ってきたじゃないですか。
自分たちの子供が私生児扱いされるのは不当だ」とか、「別姓さえ認められたら婚姻届を出すのに」とか、親の自由意志で婚外子を産んだんだから、差別反対をいうのはおかしいとか、いろいろおっしゃいましたよ。
このタンポポの涙を見てください。
自民党の餌に釣られて婚外子差別反対運動の妨害をしたことが暴露されています。
夫婦別姓の人たちのなかの決して少なくない人たちが、自分では自覚していなくとも天皇制が大好きなんだと思いますよ
すると,遠い人さんの強烈なコメントをいきなり目にすることになりましたね。
戸籍制度に私は鈍感だったのですが(コメントで暴露),もう一段,充実できないか考え直してみます。
循環小数0.9999....について r=0.9999...…@ とおくと 10r=9.999...…A A−@より 9r=9 ∴r=1 ∴0.9999...=1…B が成り立ちますが、 f(x)=x^2とおく (@) [0,1)で定義されているとき Maxなし (A) [0.1]で定義されているとき Max 1 としますが、0.999...∊[0,1) ∴1∊[0,1) (∵B) となり(@)の場合でも最大値が存在するのではないでしょうか? このような矛盾が生じたのはどうしてでしょうか?.......
という疑問がTBされていましたので,私の考えを書かせてくださいね(まじめに考えておられるようだから真面目に考えてみました\(^o^)/)
0.999...∊[0,1)で最大値がないという結論が問題でしょう,
0.999...の「...」の意味がないがしろになっています,無限に続く「...」をしっかり救済してあげたら解決すると思えますが,,,
エントリに賛同してくださり、ありがとうございます。
それと熱く悲痛のこもったメッセージ、
いつもお聞かせくださり、とても恐縮です。
>戸籍制度に最も破壊な作用を及ぼすのは、婚外子の存在です
戦前の民法は、いまよりずっと男性本位的で、
男性は「めかけ」を作ることができました、
その「めかけ」の子を父親が認知すれば「庶子」、
認知しなければ「私生児」として、婚外子が区別されたのでしたね。
嫡出の女子より庶子の男子のほうが、相続上優位だったり、
妻の相続上の権利がほとんどなかったりで、
女性と婚外子が利害対立させられていたのでした。
複数の女性と関係を持ちたい男性のエゴは保ちたいけれど、
その結果、産まれてくる婚外子の処遇には、
もてあましていた、ということかもしれないです。
>自民党の餌に釣られて婚外子差別反対運動の
>妨害をしたことが暴露されています
選択別姓の市民団体なんだけど、婚外子差別のことは、
彼女たちも、わかっていたんじゃないかと思います。
民法改正運動とは無関係に、婚外子差別についての見解を
訊かれたときは、いちおうふつうに答えていたからだけど。
それよりは、むしろこういうことかもしれないです。
http://macska.org/article/123
>自分では自覚していなくとも天皇制が大好きなんだと思いますよ
彼女たちの中には、コイズミ・シンパがいた
(いまでもシンパなのかな?)ことはたしかみたいです。
こういう人たちは、自覚していないけれど、
天皇制の感覚が染み込んでいるかもしれないです。
きょうはいっぱいコメントをくださって、
ありがとうございます。
>真っ先に覗いてみました
貴重なお時間を、わたしのつたないウェブログに
使ってくださりとっても恐縮です。
>遠い人さんの強烈なコメントを
このエントリは、もともとアルバイシンの丘さまの
エントリが下敷きになっていますからね。
アルバイシンの丘さまが、賛同を得られた、
ということだと思います。
>戸籍制度に
戸籍は戦前の場合、イエ制度を推進するために、
作られているものですからね。
イエ制度が近代天皇制と関係があるなら、
戸籍制度も天皇制と関係があることになるでしょう。
戸籍についても、なにか考えてくださりましたら、
論考をまた拝見したいと思います。
>ついでに見てしまいましたっ!
そちらをご覧になったのですね。(笑)
c(1) = 0.9
c(2) = 0.99
......
c(n) = 0.99...9(9がn桁)
だけど、
c(n)に最大値がないのは、間違いじゃないですよ。
どんな大きなnを持って来ても、c(n) < c(n+1)だからだけど。
TBさきのかたの誤解は、極限値が最大値だと思っていることです。
極限値は最大値というわけではないですよ。
それから、区間[0,1)に、すべてのc(n)は含まれますが、
極限値1は区間[0,1)に含まれないですね。
極限値1は、いかなるc(n)とも異なる値です。
任意のnに対して、c(n)<1にはなっていて、
1は(「最大値」ではないけれど)「上限値」ではあります。
sup c(n) = 1なんて書きます。
また、1の近傍にどれだけ小さな有限の区間を取っても、
その中に入っているc(n)は、無限にたくさんあるので、
1は「集積点」にはなっています。
長年にわたり抑えてきたものが出てしまいました。
強烈なコメントになってしまい失礼しました。
たんぽぽさんへ。
戸籍はいま、現在も存在しています。
今現在、存在し続けている理由は、戦前それが作られた理由と同一ではないですよ。
また、婚外子が、現在差別され続けている理由も、
イエ制度の維持のためなんかではないですよ。
現在、メカケから生まれる婚外子がどれほどいると思いますか。
婚外子が差別されているのは法律婚制度を守るためです。
これは、最高裁の婚外子差別の合憲判決の判決文にもはっきり書かれています。
では、法律婚制度を守るのは何のため?
正妻とその子を守るため?
あるいは婚姻道徳を守るため?
両方とも違いますよ。
男性が法律婚をしながらそれ以外の女性と男女関係を持った段階で、正妻とその子の立場も、婚姻道徳も守られていないのです。
考えても見てください。
もしあなたが正妻の立場に立たされたら、婚外子さえ生まれなければ、夫がどれほど浮気しようと気になりませんか?夫は婚姻道徳を守ってくれていると安心していられますか?
では、国連の各人権委員会の度重なる、しかもかなり強い調子の勧告にも関わらず、婚外子に対する差別を維持してまで、法律婚制度を守りたいのは何故?
これはもう婚姻届が日本全体をカバーするネットワークとしての戸籍制度を形成している重要なパーツだからでしょう。
ある一人の人の戸籍から、全ての日本人の戸籍が検索されます。国民の管理にこれほど便利なツールはないでしょう。戸籍と住民票は繋がっていて、住民票と年金制度は繋がっていて、それと税金や所得の情報も繋がっている。
一般の人は他人の戸籍を自由に見せてもらえませんが、役所も、警察も、検察も、税務署も自由に戸籍を検索できます。
想像してみてください、AさんとBさんは夫婦でBさんの父がCさんでCさんにはDさんという前妻とEさんという後妻がいて、Eさんの子でBさんの腹違いの子供がFさんでFさんの夫がGさんで、FさんとGさんの間にはHさんという長男とIさんという長女がいて、それぞれに配偶者がいて
これが延々と続きます。それぞれの人の戸籍には住民票とその他いろいろがついてきます。それが戸籍を検索するだけでいっぺんに解るのです。
この日本国民全員を網羅した巨大なネットワークこそが戸籍です。
そして「日本国民の統合の象徴」として天皇があるわけです。
私がここで「日本国民」という右翼的なイメージで見られている言葉を使ったのは、戸籍が証明あるいは定義しているのが「日本国民」だからです。
婚外子だけでなく別姓夫婦の存在もネットワークとしての戸籍にとってはありがたくないものです。
そりゃ婚外子ほどに有害ではないにしろね。
同一戸籍に二つの姓があると検索の能率は悪くなるよね。
これは私の感想ですが、夫婦別姓を求める人たちのなかの、少なくない人たちが、自分たちは巨大なネットワークとしての戸籍に打撃を与えようとしていると言う自覚を、持っていなかったのじゃないですか?
その戸籍と天皇制は卵と鶏のような関係だってことも。
だから、婚外子さえ切り捨てれば、自分たちは受け入れてもらえると信じていた。
誤解の無い様に言っておかねばならないと思いますが、現在も婚外子差別撤廃のために活動している多くの人たちは、夫婦別姓を求める人たちと共闘しようとは思っていません。その理由は昔の恨みとかじゃないですよ。
婚外子差別撤廃のためには、前国家的権利、前憲法的権利と言われる基本的人権を掲げての真っ向勝負しかないからです。
夫婦別姓はそうじゃないでしょ。だからです。
強烈な現実を勉強させていただきました。これまでの無知を深く恥じ入る次第です。
「婚外子差別撤廃」ということはまさに「基本的人権の発現」そのものですね。このことは頭では理解しておりますが,現実にどのような差別がおこなわれているのか,くどいですが恥ずかしながらよく知りませんでした。
恥ずかしついでに教えて戴きたいことがございます。
婚外子の出生届と戸籍につきまして,以下の2ケースで現状ではどのような内容になっているのでしょうか。初歩的でお手数をかけますが,よろしければお願いいたします。
1。父親あるいは母親の片方の認知が得られた場合。
2。同上の認知が得られない場合
それから,遠い人さんは,戸籍制度がすべての諸悪の根源だと主張しておられますが,戸籍の代わりに個人番号制のようなものが必要と考えておられますか?それとも国家管理につながるので,こういうものもない方が良いというお考えですか?よろしければご教示ください。
私は未だに(御説を拝聴した後でも),戸籍制度は「近代天皇制の残滓」のような気がしています。(鶏と卵の関係というよりも一木一草の栄養分のような感じです)。たとえ,「婚外子が差別されているのは法律婚制度を守るためです」であってもです。
でもまあ,ここは自信があるわけではないし,ここでの文脈からすると重要な意味があるわけでもないと思いますが,感想をちょっと書かせていただきました。
でもきょうは、それを読んで考える時間がないので、
お返事はのちの機会としたいと思います。
(ごめんなさいね。)
>アルバイシンの丘さん
>1。父親あるいは母親の片方の認知が得られた場合。<
「母親が認知しない」とは、出生届を出さない、または子を遺棄する(犯罪)のケースかと思います。
出生届には出生証明書が付いています。出生証明書は医師や助産師(その他出産に立ち会った人)が書き、母親の名前を書くようになっています。
出生届を出せば母親は明らかであり、「母が認知しない」はあり得ないと思います。
お尋ねの件は↓こういうことかと。
1.父親が認知する(父親と母親が結婚していない)
→子は母親の戸籍に記入され、母親の姓(氏)になる。父親の欄に父の氏名が書かれる。父親の相続権はあるが嫡出子の半分。
2.父親が認知しない(父親と母親が結婚していない)
→子は母親の戸籍に記入され、母親の姓(氏)になる。父親の欄は空欄。父親の相続権なし。
出生届には「嫡出/非嫡出」のチェック欄があります。
非嫡出子が、父の認知により父子関係が確認された場合には、家庭裁判所の許可を得て、父の氏を称し、父の戸籍に入ることができます。(民法791条1項、戸籍法18条2項)
無知をさらけ出した質問に対し,丁寧にお答えくださり,まことにありがとうございます。
初めて知った感想を書きとどめておきたいと思います。
1.「母が認知しない」はあり得ない
言われてみてようやく自分がなんともおめでたい人間かということがわかりました。母親は犯罪以外に逃げることができない,という男女非対称を改めて痛感します。
2.「嫡出/非嫡出」のチェック欄があります
今更ながら現実の厳しさを感じました。しかし,出生届にあって,戸籍にはその欄がない,というのはどういう意味でしょう。戸籍にその欄が無いということは一つの救いのような気がしますが,出生届にあるということは,被差別の衣を着て生まれたということですね。一夫一婦制の担保のつもりなんでしょうか。しかし,少なくともその子の基本的人権は侵害されていることになります。
3.非嫡出子が、父の認知により父子関係が確認された場合には、家庭裁判所の許可を得て、父の氏を称し、父の戸籍に入ることができます
この部分が良く理解できないのですが,婚姻関係にない女性が母親でもこの認知した父の戸籍に入れるのですか?すると,母親の名前が消えてしまいますね。これは多重の意味で問題を感じます。
非嫡出子の母親の名前を書き残すと,婚姻関係を結んだ女性も嫡出の一人一人の子供に母として名前を連ねなければならなくなり,これは明らかに不合理でしょう。
なんかよくわからなくなりましたが,勇気をふるってまとめてみます。
「戸籍制度がある限りは,一夫一婦制の維持と非嫡出子の基本的人権の保証とを両立させることはきわめて困難である」
と言えないでしょうか。
コメントを読んでみたのですが、
おっしゃることが、よくわからなかったです。
>戸籍はいま、現在も存在しています。
>今現在、存在し続けている理由は、
えーと、戦後の戸籍のお話をしているのですね?
戦前のお話をしているのかと思いました。
(前にいただいたコメントでは、どちらかわかりにくかったです。)
現行の戸籍や住民票は、国民の福祉のためにあります。
国家が国民を管理し把握するためではありませんよ。
警察や司法関係者も、裁判のときなど、
他人の戸籍を閲覧できる機会はかぎられていて、
いつでも職権で見られるわけではないです。
もちろん、現行民法には「イエ制度」はなく、
したがって戸主というものもなく、
戸籍の筆頭者は、単なるインデックスでしかありません。
天皇制との関係も、まったくありませんよ。
ただし、国民の意識の中に、依然として
「イエ制度」的なものはあると思いますし、
現行の戸籍の書式は、そうした誤解を招きやすいと思います。
また、その意識の背景として、戦前の天皇制も
影響していることは考えられます。
戦後の民法は、言うまでもないですが、
婚内と婚外の子を、相続において差別します。
これはよく言われるように、法律婚を守るためです。
それでも、このように民法が改正されたことで、
戦前の民法にあった(前のわたしのコメントでお話したような)
女性と子どものあいだの複雑な対立関係が解消されました。
男性は「めかけ」を作りにくくなり、
法律婚の妻の立場が守られるようになりました。
子どもどうしの差別は残りましたが、
婚外子差別とは、このように同じ父親から産まれた、
子どものあいだの差別だと思います。
認知されない婚外子でも、戸籍が作られますし、
身分登録されたことで、行政から福祉を
受けることには変わりはないです。
察するに「国家による管理に都合が悪いので、
婚外子を正規の身分登録から排除するのだ」と
お考えのように思うのですが、婚外子も身分登録はされますし、
そもそも戸籍は「国家による管理」のためではないです。
それから、夫婦別姓だけを望む市民団体ですが、
彼女たちは、前のコメントですこし触れたように、
「婚外子を民法改正からはずせば、
夫婦別姓が実現するだろう」という、
政治的打算的なものだと思いますよ。
ようするに、婚外子差別はよくないと、
わかっていたのですが、打算から無視黙殺していた、
「自分に正直」な人たちなのでしょう。
それで、この点を批判されると、「無規範なシニシズム」に
見えるような反応を示すのだと思います。
「個籍制度とすること」
「個籍」には次の事項が記載されているものとします。
1.両親の名前と生年月日と出生場所または出生地
2.自分の配偶者の名前と生年月日と出生場所または出生地
3.自分の子供の名前と生年月日と出生場所または出生地
4.各子供の父親,もしくは母親の名前と生年月日と出生場所または出生地
この個籍であれば,兄弟は自分の両親の記録を見なければわかりません。
出生場所または出生地は,個人の特定のために必要と思われますが,他に代わるものがあればそれでも可でしょう。例えば個人識別番号ですが,これは別の意味で嫌う人が多そうです。
なんか,頓珍漢な話題になりそうであればやめますが・・・(問題点を自分なりに掴むために思考実験をしているつもりなんです。すみません。)
ご回答を読まずにまた書いてしまいました。
戸籍制度についてのたんぽぽさんのご意見,そちらもなるほどと思います。
(なんかふらふらしてすみません)
現在,これについては勉強中ということにさせていただきます。
kiriko様
コメント有難うございます。
遺棄された子供が発見された場合や、赤ちゃんポストの赤ちゃんなどで、母親がわからない場合、まず、戸籍筆頭者無しの戸籍が作られます。後日母親が名乗り出た場合、母の認知で母子関係が生じます。
ここまでは確実な話ですが、これ以下は推測です。
母親の戸籍に就籍するには、家庭裁判所の決定がいるんじゃないかなあ?
だって、一戸籍一氏が現在の戸籍の原則でしょ。(だから選択性夫婦別姓すら認めてもらえない。)
遺棄された赤ちゃんは遺棄された場所に因んだ氏名がつけられて、とりあえず戸籍が作られる。
一度作られた戸籍は絶対に破棄されないから、その戸籍からいろいろ移していく。そのためには家庭裁判所の決定がいるはずだけど。
戸籍の話が続きます。
子供の名前の横には父と母の名前が書かれています。認知されていない婚外子の場合、父の欄は空白です。どの戸籍からどういう理由で移されてきたかは身分事項覧に書かれています。従前戸籍と言う形で書かれています。それから前の戸籍を検索すると、子供の母の戸籍が出てきます。
現在の戸籍制度では三代戸籍は禁止されているので、未婚のままで子供を産んでもその親の戸籍からはなれ、女性を戸籍筆頭者とした戸籍が作られています。その戸籍には除籍された子供の名前とその戸籍が移った先の戸籍と移された理由が身分事項覧に書かれています。
その女性(子供の母)の戸籍にはその父と母の戸籍のある場所(本籍地)か書かれていますので、父と母の戸籍が検索できます。その戸籍にはその女性の名前が書かれていますが、女性の名前の上には罰印がされ、(他の戸籍に移ったと言うしるし)除籍の理由が書かれています。
戸籍はざっとこのように作られているわけです。そして、一つの戸籍から他の戸籍を検索していけます。そうしていくことで何人もの人間の人生を丸々覗けます。
これが延々と続いています。
戸籍制度と近代天皇制は確かに繋がっていますよ。
人によって繋がり方の表現はまちまちだと思いますが。
現在の戸籍は戦前の戸籍と違います。戦前の戸籍はまさしくイエ制度を戸籍と言う紙の上に表現したみたいなものでした。戸主がいてその下にいいろいろな人が書かれていました。男の子は結婚しても戸籍を出てゆきません。結婚相手の女性がその戸籍に入ってくるのです。文字通り入籍です。子供が生まれれば、その後ろに書かれます。
まさしく戦前の戸籍はイエ制度と、現在の戸籍は近代家族制度と結びついています。どちらにしろ、戸籍は日本人全てを登録し、管理すると言う役割を担っている。
戸籍に登録された日本人の一人ひとりの中にある日本人と言う意識の中に天皇制が潜んでいると言うのではないかと思っています。
一方戸籍は為政者には大変便利なツールです。より効率的に国民を管理できるから、管理費用が安く済む。これは戸籍によって差別されていない多くの日本国民にはメリットです。
つまり戸籍は一部の被差別者の不利益を代償として差別する側にいる多くの日本人に利益をもたらすものです。だから苦しい戦いを強いられるわけです。
婚外子差別反対は、日の丸とキリストの荊冠(水平社運動の旗)の戦いです。
基本的人権は近代ヨーロッパで成立した概念ですが、それは、キリストがキリスト自身の十字架上の死と引き換えにして全人類に与えたものと考えられています。だから、国家に先立つ、いかなる法律にも先立つものとして考えられています。
ですから基本的人権は前国家的権利、前憲法的権利と言われていますし、水平社はキリストの荊冠を旗印にしたのです。
ちなみに戸籍制度と最も激しく戦い続けてきたのが部落開放同盟だと言う事はもうご存知の事と思います。
私たち婚外子にはもうこの戦い方しか残されていません。
長々と思うところを書かせていただきました。
感謝です。
個籍はわたしたちも望むところですが、
まずもって認めてもらえないでしょうね。
選択性夫婦別姓すら認めてもらえない現状ですから。
それから、
「現行の戸籍や住民票は国民の福祉のためにあります。」
婚外子の差別のためにも大活躍していたツールです。
遅くなりましたのでま今日は失礼します。
おそくなりましたが、わたしからもお答えしたいと思います。
>「嫡出/非嫡出」のチェック欄があります
>戸籍にはその欄がない
欄自体はないのですが、比較的最近まで、
婚内子は続き柄を「長男」「二男」...「長女」「次女」...と書かれ、
婚外子は「男」「女」で区別がありました。
この表記の違いで、婚内子か婚外子かの区別が
わかるようになっていました。
「戸籍続き柄裁判」の結果、これが差別的であるとなり、
現在では表記に区別しないようなっています。
http://www.geocities.co.jp/NatureLand/2255/page017.html
>婚姻関係にない女性が母親でもこの認知した父の戸籍に入れるのですか?
>すると,母親の名前が消えてしまいますね。これは多重の意味で問題を感じます。
母親は父子とべつの戸籍にいますよ。
おなじ戸籍にいないだけで、母親は存在している扱いに
なっていると思います。
(男性が認知しないときの、父親の欄の空欄は、
父親が本当に存在しない、という扱いだと思いますが。)
>出生場所または出生地は,個人の特定のために必要と思われますが,
現在の戸籍にある「本籍地」は、
日本国内で住所があるところなら、どこでもよく、
出生地とは関係ない場所にしている人もいます。
本籍地があるのは、じつは個人の特定
(同姓同名を区別するためらしい)のためだそうです。
戦前の戸籍のように、出生地にすると、
同和地区出身であることが、わかってしまうことがあり、
このましくないと思います。
ちなみに、「個人籍」の書式は、つぎのような試案があります。
http://lacrima09.web.fc2.com/figs/kojinseki.html
http://taraxacum.seesaa.net/article/129511735.html
いつもコメントありがとうございます。
ああ、いえいえ、ご意見がありましたら、
遠慮なく横レスしていただけたらと思います。
(わたしも、助かってもいますし、お勉強にもなっています。)