8月7日と8月12日にご紹介の、イルカのお話に
反響がたくさんあったので、以下に触れたいと思います。
「自然主義的誤謬」
「自然主義的誤謬」とは、自然界における事実から、
価値判断や、人間社会の規範を導くあやまりです。
とくに問題なのは、「自然的なものによって
道徳的なものを説明しようとするあやまり」でしょう。
前にご紹介した、武田邦彦氏の記事は、
「イルカは母と子のあいだに会話がある」という事実から、
「人間も母親が直接子どもを育てるべきで、
託児所にあずけるべきではない」という
価値判断を導いています。
それゆえ自然主義的誤謬になるわけです。
ほかの例として、浮気の言いわけとして、
「雄は多くの子孫を残そうとするから、
たくさんの雌を追い求めようとするのは、
生物学的基盤による」なんて言うことでしょう。
こんなことを言う男性も、本当にいそうですが、
これも自然主義的誤謬です。
「自然は人間の鑑?− 自然主義の誤謬」
また、前にこのブログでお話した、
「母性は本能だから、女性は子どもを産みたがり、
育てたがるのが、本来あるべき姿だ」とか、
「男性の性欲は本能だから抑えられないのであり、
女性の側が自衛して避けるよりない」なども、
自然主義的誤謬になります。
「母性本能を熟成?」
「生物学的に壊れた?」
これに対して、「母乳はきわめて栄養バランスが
取れているから、赤ちゃんにはできるだけ
母乳を与える」というのは、科学的事実にもとづいた
合理的判断というだけで、なんら誤謬ではないですよ。
「母乳で育てないのは、赤ちゃんに対する
愛情がたりないからだ」のように、よくありがちな
道徳を持ち出してくれば、自然主義的誤謬になります。
自然主義的誤謬で問題なのは、導きたい価値判断に、
都合のいい事実を使うことではないかと思います。
自然界には、鳩の育児放棄など、育てている途中で、
子どもを捨てることもめずらしくなくあります。
この事実を持って、「育児放棄する生物がいるのだから、
人間も育児がいやになったら、子どもを捨ててよい」
という「カチカン」を導いたとしたら、
どのようにお考えになるでしょうか?
「七章 社会の中の進化論 1−進化的倫理をめぐって」
謝辞:
コメント欄で、「ダイヤモンド」の記事を
ご紹介してくださった、pulinさま、ありがとうございます。
コメントどうもです。
>社会的な問題を生物学的問題にする人が多いですね
残念ながら、あとを絶たないですね。
「生物学的基盤がある」と言うと、抗しようがないと思われて、
正当化がしやすくなるからだと思います。