これも時期が過ぎたけれど、敗戦記念の記事。
「終戦の日に考える 歴史は沖縄から変わる」
戦後日本は、冷戦のアメリカ陣営につき、
これにともなって、現在も続いている
アメリカ軍駐留の安全保障体制が作られたのですが、
その発端となったことはなにか?という考察です。
リンクした記事では、豊下楢彦氏の研究を参照しながら、
そのお答えは「昭和天皇」だとしています。
日本の戦後処理にあたったGHQは、
はじめは結構、理想に燃えていたのですが、
冷戦の対立がきびしくなってくると、方針を転換して、
日本を西側陣営に組み込み、東側陣営に対する
防壁にする方向にシフトしていきました。
また、日本側の最大の関心ごとは、昭和天皇を、
いかにして免責させ、訴追を回避するかでした。
そこで天皇制の維持と、日本の旧支配層の温存と引き換えに、
アメリカの反共政策に日本が協力することで、
日米双方の利害が一致することになります。
東京裁判は、日米協力のもとで、この体制の基礎を
堅めることが、むしろ実際の意義でした。
それゆえ、日本の戦争責任の追求は、東京裁判で「終わり」で、
昭和天皇の免責とアメリカの反共政策のために、
これ以上追求しないものとなったのでした。
A級戦犯は第2、第3の公判も予定されていましたが、
アメリカの関心が冷戦に移るにつれて、裁判に不熱心となり、
はっきりしない理由で、戦犯を釈放していきます。
笹川良一や岸信介もそうして放免された「戦犯」でした。
(このあたりは『昭和天皇の終戦史』にくわしい。)
記事に紹介されている、豊下楢彦氏の説によると、
上述のような日米安全保障体制の構築に、
積極的にイニシアチブを発揮したのが、
ほかならぬ昭和天皇というわけです。
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非武装が日本の最大の安全保障とする理想主義の
マッカーサーに対して昭和天皇はリアリストでした。
憲法九条や機能不全の国際連合では日本を守れず、
米軍依拠の天皇制防衛の結論に至ったといいます。
かくして、「米軍駐留の安全保障体制の構築」が
昭和天皇の至上課題となり、象徴天皇になって以降も、
なりふり構わぬ「天皇外交」が展開された
というのが豊下説の核心部です。
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わたしが読んだ本は、アメリカが主導的と
なっていましたが、こちらのほうが新しい史料が
考慮されているので、正確かもしれないです。
日米協力で戦後体制の構築というのはまちがいがなく、
あとはだれが主導的だったかとかで諸説がある、
ということなのだと思いますが。
豊下氏の説によると、東京裁判を切り抜けたあとも、
日米安全保障条約の締結にいたるまで、
昭和天皇が主導的な役割をはたしたと、考えられています。
(未公開の史料があって、推測が結構入るようですが。)
記事で紹介されている『昭和天皇・マッカーサー会見』は、
つぎのエントリに概要が出ています。
最後のほうに、このあたりのことが、書かれています。
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20080831/p1
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「共産主義の脅威」による天皇制の打倒を
なによりも恐れた天皇が講和後の安全保障体制について
積極的に発言することにより、
朝鮮戦争の勃発によって価値のあがった
「基地カード」を有効に活用する可能性を封じ、
「不平等条約」の締結に至ってしまったのではないか、
というかなり重大な含意をもつ仮説が提起されている。
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「共産主義の脅威」による天皇制の打倒が
依然としてありえると、昭和天皇は恐れたようです。
それで、アメリカとの交渉を有利に進める余地があったのに、
昭和天皇はアメリカに接近し、これにより安保条約を結ぶ
結果となったのではないかと、憶測しています。
一部の軍部に引きずられてアメリカと戦うはめになっても、負けてもよかった、負けるのも想定内だった。
負けたからアメリカにすり寄ったという訳ではない。
軍部が対米戦争継続のためには最後にはソ連にさえすがろうとしていたのとは、はじめから思惑が違っていたのです。
アメリカによって開国させられた日米関係史の奥は深いと思います。
日露戦争のすこしあとから、アメリカとの関係は
冷え込んだんじゃないかな?
アメリカ側も、日系の移民規制とかやり出しましたし。
ベルサイユ条約は、日本の不満はなかったと思ったけど、
ロンドン軍縮会議は、アメリカとイギリスの対応に
日本側の不満はあったんじゃなかったかな?
日中戦争は、このまま続けていけば、
アメリカとの対立は深まると、日本の支配層は思っていたし、
対米戦争の勝算は薄いことを承知で、泥沼から引くことができず、
そのまま太平洋戦争に突入したのではありますが。
1944年の春ごろから、天皇の首をつなぐための
敗戦処理の方法を、あれこれ考えはじめていたので、
戦後のなりふりかまわない保身は、
戦中からの連続はあったと言えるけれど。
>軍部が対米戦争継続のためには最後にはソ連にさえすがろうとしていたのとは、はじめから思惑が違っていたのです。
これは事実認識が私とずれているようです。私が典拠とするのは,田中伸尚著「ドキュメント 昭和天皇 第5巻」(緑風出版)ですが,これによれば,天皇,高松宮,最後の外相,東郷茂徳,等々,軍部以外の日本支配層は,決してあり得ないソ連の仲介に最後まで空しい期待を掛けていました。(詳細や人物名に関してはうろ覚えでして,申し訳ありません。)
軍部が「対米戦争継続のためには最後にはソ連にさえすがろうとした」ということはありえないことです。
ソ連を味方にできようはずもなく,単に「ソ連参戦に対しては応戦能力がないのだから参戦してくれるな!」と祈っていたにすぎないと思われます。
それにしても,敗戦後,敵国にわが身を守ってもらうためにこそこそ画策するとは・・・(絶句)
一木一草に宿る”神”の正体がこれではねえ・・・
哀れなり,英霊たち!
これは、究極的には戦争のためには天皇も棄てるということです。戦争が自己目的化していた軍部にはもはや天皇さえ邪魔だった。天皇が戦争をやめると言ってしまえば止めなければならない。これは玉音放送を止めさせようと軍部の小クーデターが企てられたのでも分ります。
天皇制の側も軍部と心中するわけにはいかない。天皇制と軍部はもうお互いが不要になっていた。
そこで軍部のかわりにアメリカが天皇制の守護者となるという帰結を導くのが太平洋戦争の構図だった、というのが自分の解釈です。
コメントどうもです。
またいなくなってしまったかと思いましたよ
>敵国にわが身を守ってもらうために
保身のために、なりふりかまわなくなっていて、
君主としての矜持とか責任感といったものが、
ぜんぜんないんですよね...
こういう人物をありがたがっていた
昭和の人たち(とくに右翼)って、なんなの?
と思ってしまいます。
つぎのエントリに書いたけれど、
こういうことが新聞記事に載るようになったのは、
ひとむかし前とくらべると、隔絶の感があります。
戦争末期に、日本側がソビエトになにを
期待していたかは、わたしはくわしくないので、
あまりコメントできないんだけど...
当時の国際状況からいって、ソビエトが日本に
味方する可能性はまったくないだろうと、わたしも思います。
満州では、ソビエト軍の侵攻にそなえた
演習をやってはいたようです。
(ニトログリセリンのびんをかかえて戦車に飛びこむ、
なんて、それこそ「カミカゼ」の練習だけど。)
軍部に、ソビエトの援助を受けるという案が
あったのだとしても、たぶんそれは
「貧すれば鈍す」的なもので、確固たる考えにもとづいた
計画ではなかったのでは?と、わたしは想像します。
それから、pulinさまがご覧になったという
『昭和史 七つの謎』ですが、書評を見たかぎりでは、
あえて奇抜な見解を書いている、
という印象を、わたしは受けたです。
http://www6.plala.or.jp/Djehuti/502.htm
保坂正康さんと言う人は割と信頼感を持っていました。Pulinさんのご紹介をまともに受け止めるとすれば,おそらく,「軍部」という言葉でひとくくりにしているのが問題でしょうね。
これが保坂さんのオリジナルな表現なのか,pulinさんの翻訳なのかわかりませんが,軍人の一部が自分の都合のよい天皇を戴き,それに邪魔な天皇は抹殺する,ということは当然考えられることです。そんなことは大昔からあったことで何の不思議もありません。
従って,満洲国に籠って云々ということは当然ありえたことでしょう。でもそれはあったとしてもはねっ返りにすぎないと思います。
出どころは同じで繰り返しますが,日本の支配層がソ連を頼りにしてあたふたとあれこれ右往左往する様が,前掲著に描かれていて,生々しい印象が残っています。念のため再確認をこれからしたいと思います。
自分を庇護してくれるものを軍部から米国に変えるための太平洋戦争を起こした,などというのは自己矛盾してますね。
自ら虎穴に入る必要もないわけでして・・・以下省略。
ところで,自らの記事を書く意欲がぜーんぜん湧かなくなりました(^o^)/^^^^^^^
書きかけの記事が結構あるんですが・・・
言いたいことはたんぽぽさんが書いてくださるので,もう出番なくても問題ないです。
虎穴に入るのはいつも,自ら,でしょうから↑は変でした。
敢えて虎穴に入る必要もない
と言うのに代えてお読みいただければ幸いです。
満州に逃げて抗戦するという構想を考えたのは陸軍の一部らしいです。
先に挙げた書では、戦争指導部には対米戦争での勝利のビジョンがなかったと指摘しているのも重要です。つまりどうなったら日本はアメリカに勝ったことになるのか、(おそらく故意に)明確にしていなかった。アメリカ本土を攻略して占領するなどというのはもとより不可能で、消耗戦を行っているうちに、アメリカの方が嫌気が差して停戦を申し出てくるだろう、程度の認識にしていた。全て相手任せ。だから、勝ち方の議論はタブーにしていた。国民の間にもとにかく戦えという意識しか持たせていなかった。
これは結局、日清、日露戦争の「勝ち方」と同じことを見ていたので、本当の意味で勝ったのではない、日清、日露戦争を「大勝利」などと欺瞞していたツケが回ってきたのですね。(ここから、日中戦争では陸軍は相手の首都である南京攻略にとにかくこだわった意味も分かる)
本当にアメリカを倒したいなら、大陸からも戦力を引き上げて、いっさいの国力を打倒アメリカに向けて全力を注いでもいいわけですが、アメリカから、大陸から撤兵しろと言われて、それはできない、ということで対米戦争を始めたのだから、大陸から戦力を引くのなら対米戦争の理由がなくなってしまい自己矛盾になる。だから、本気でアメリカを倒せる構造は含んでいなかったというのが太平洋戦争で、ここにこの戦争の欺瞞性があり、詰まるところ一種の茶番であった、というのが自分の認識なのです。もとより負ける以外の選択肢はなかった。
軍部でも、「日米最終戦争」などを唱えていた石原莞爾が日中戦争は拡大すべきではないと言っていたのも、本当にアメリカを倒せという論からすれば当然でした。だからこの人物は干された。
自説を長々と開陳して、失礼しました。
天皇・重臣・官僚・財界などの日本の支配階層(=国家形態よりも保身と利益が第一、アメリカを究極的な敵とはしない)
とにかく戦争のための戦争をしたい軍部戦争屋
アメリカ打倒を究極的目標とする軍部超国家主義派
の三つの勢力が絡み合っていてお互いに利用し合い、それを結合させていたキーワードが、天皇とか大東亜共栄圏、であったと思います。
>言いたいことはたんぽぽさんが書いてくださるので
え?え?
わたしのどのエントリがそうなの!?
って、訊いちゃいますよ。
>もう出番なくても問題ないです
えー、そんなことはないですよー。
わたしとしては、アルバイシンの丘さまにも、
ぜひともエントリを書いていただきたいと思います。
いろいろとご都合もあると思うので、
無理にとはもうしあげないけれど。
あと、保坂正康さんの本は、わりと信頼できるのですね。
『昭和史 七つの謎』についても、
ネットの書評をひとつ見ただけなので、
偏ったことを、わたしが言っていたとしたら、
ごめんなさいね。>pulinさま
>日本の支配層がソ連を頼りにしてあたふたと
>あれこれ右往左往する様が,前掲著に描かれていて,
>生々しい印象が残っています。
これも「貧すれば鈍す」だよね。
コメントありがとうございます。
拝読したけれど、おっしゃりたいことが、
よくわからなかったです。(ごめんなさいね。)
太平洋戦争は、アメリカに対する勝算は薄いと
見てはいたけれど、わざわざアメリカの庇護に入るつもりで、
戦争をはじめたのではないだろう、という、
わたしの考えは、変わらないです。
いまの段階では、当時の日本は勝算の薄い対米戦争を始めた、勝算は度外視していた、までは言えても、そこから、アメリカの戦略に従って始めから負ける予定だった、とまで飛躍するのは、結果論や状況証拠からそう推論したところで、確実な史料の裏付けが取れない限り、けっきょく「にせ科学」「俗流陰謀論」でしかないのです。
だから、今の異様な小沢一郎バッシングは対米自立主義の小沢を恐れるアメリカ(国際金融資本)の差し金、とキャンペーンを貼って批判している人たちも多いですが、そんなことはあるわけないだろうと広く一般国民には浸透していかない現状です。(でも日本が外国人(韓国・朝鮮・中国人)に乗っ取られる、のような話はころっと信じてしまう人は多い)
こういう現在の状況と重ね合わせたのでいろいろ書かせてもらいました。失礼しました。
小沢総理となるのはウヨもサヨも怖い,と思っているのではないでしょうか。あえて少数意見を書いてみました。
ところで,戦後の天皇の行動ですが,「米軍駐留の安全保障体制の構築」の動機が米国よりも強かったというのはまだ半信半疑です。
ただ,天皇の主導で沖縄に基地を集中させたとすれば,中共を意識したものではないかと思いますが,昭和天皇の沖縄差別の現れと考えられます。(無責任な邪推ですよ)
そうだとすれば,太田実司令官だったか,自決直前の悲痛な叫び,
「沖縄県民斯く戦えり・・・・後世,沖縄県民に格別のご配慮あらんことを」
をまったく無視し,沖縄を再び本土の防波堤とすることしか考えなかったことに唖然とするのみです。
よくわからないけど、中国韓国の陰謀は、
信じ込まれやすいので、対抗するべく
アメリカの陰謀を主張した、ということなのかな?
もしそうでしたら、関心できませんと
もうしあげておきますね。
TBどうもありがとうございます。
問題意識は、わたしとおなじだと思いますよ。
そのあたりについて、わたしもエントリを書こうと思ってます。
>戦後の天皇の行動ですが,
エントリにも書いたけれど、まちがいなさそうなのは、
日米協力で戦後体制を構築したことだと思います。
だれが主導的だったかとか、だれの意見が多く反映されたか、
といったことは、諸説があるのだと思います。
なので、天皇が主導的だったというのも、
ひとつの可能性と考えればよいのだろうと思います。
(もちろん、じゅうぶんありえることですし。)
沖縄に基地を集中させる案を決めたのが、
天皇ということは、たぶんないんじゃなかと思います。
(わたしもしろうと考えだけど。)
そこまで、アメリカの軍事戦略に
天皇がくわしかったとは思えないからだけど。
米軍基地が、沖縄にたくさんある状況に
すでになっていて、それを天皇が積極的に支持した
というのでしたら、ありそうに思います。
この場合でも、自分の保身で精一杯で、
沖縄の住民のことは、ほとんど念頭に
なかったのであろうと、わたしは想像するけれど。
この現実は何とかして解消していかなければならない、これは多くの人たちの思いです。
なんか、そういう見かたが好きなんですねえ...
結論が合っていれば、どのような見かたをしてもよいとは、
わたしは思わないですよ。
まあ、あまりこだわり続けても切りがないのでこの件についてはここまでにします。
日本に来て、天皇の人気がすごい様子を
見たからだと、言われていますね。
天皇をうまく利用したほうが、
占領政策がスムーズに進むと考えたのでしょう。
占領政策が転換して、日本を冷戦の西側陣営に
組み込む方針になる前から、アメリカ側は、
天皇を利用する方針になっていたようです。
それから、アメリカの占領政策に、
日本側の意見は、じつはあまり取り入れられなかった、
という説もありますよ。
日米協力で戦後体制を作る基本方針は一致していて、
アメリカから出される施策も、日本の支配層にとって、
さほど不満はなかったので、
わりあい順調にことが運んだみたいだけど。