「『市民派議員』の悲哀」のようなお話は、
ネチズン受けしないだろうと、前にすこし書いたけれど、
やはり、不評だったみたいです。
(わたしの発言は、>>25からはじまっているが。)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/5329/1141137120/
「たんぽぽは、言論の自由を否定するのか?」と、
言われるだろうと、予想したのも、当たっちゃったし。(苦笑)
(それとも、わたしのウェブログを、ご覧になっていて、
機会があったら、言うつもりだったのかな...?)
言いたいことを、言いたくてしょうがないかた、
というわけでは、ないんでしょうけど。
でも、相手や場合によっては、言論の自由を容認すると、
好ましくないことや、かえって危険なことも、
ときにはあるのも、たしかなのでして...
ヒトラー・ナチスは、まちがいなくそうでして、
歴史の見解としても、定着していることのようです。
すくなくとも、「事実がそうだった」という、
お話ではあるので、ここに反論しても、
どうにもならないと、思うのですが。
ドイツはナチス崇拝の言論を政府が規制することで、国際社会に「ナチスだけはゴメンだ」と信号を送っているのら。これはたまごどん的にアリな政策だと思うピョン。
次のナチスを生まないために言論の自由を規制するってのは、なんか本末転倒の気がするピョン。第一次世界大戦に負けたドイツは、不当に債務を負わされたのも事実なんで、そのことを不当と表現するのも問題なのら。どこからナチスでどこからナチスじゃないのかを判断するのは誰だピョンかな?
ナチスが台頭したのは、ケインズ的な政策が当たってドイツの好景気を実現したというのも、要因の一つだと思うんたピョン。「政治は結果が全て」なら、ポーランド侵攻前までのナチスドイツは、理想の経済を実現した有能な政党だったのら。
ヒトラー・ナチスのような「蛇」を、擁護したため、
彼らが権力を掌握して、言論の自由が抹殺されたりしたら、
そっちこそ、「本末転倒」ですよ。
というか、戦後のドイツが、ナチスに厳格なのは、
そういう「本末転倒」を繰り返さないという、
反省をこめているのも、あるんだけど...
>その線引きを誰がするのかっちゅうのが問題なのら。
>どこからナチスでどこからナチスじゃないのかを判断するのは誰だピョンかな?
それによって、「蛇」のような存在に勢力を持たせる
リスクが増えますから、取り立てて安全な態度とも思えないです。
(「とにかく言論の自由は、保証するべし」と、
教条的になりやすいぶん、かえって危険かも...)
それから、第一次世界大戦後、ドイツに課された賠償は、
莫大すぎたのはたしかだし、これを不当というのは、
べつだん問題ないと思いますが?
(二次大戦後の欧州共同体は、こうした、
対ドイツ復讐主義への反省が、こめられたものもありますよ。)
ポーランド侵攻前までの、ヒトラー政権の繁栄は、
ユダヤ民族などの、犠牲の上に成り立っていますから、
「理想」とは言えないでしょう。
オームの上祐は「オウムは事件の犯人でないかもしれない」とテレビでべらべら喋っていたピョンな。当時のオウムは真っ黒に近い灰色だったピョン。そして上祐のディペート力は、追及側を上回ることもあったんだあ。
オウムは反対者の殺人をも肯定する教義があるピョン。だから上祐は発言させるなってことやね?そうすると、冤罪事件の弁護士の発言は?これを明確に分けることは、たまごどんには不可能に思えるピョン。
「法の下の平等」という建前が崩れて、誰かが「ナチス的な思想」を規制できるとするピョン。これは破防法や共謀法の乱用に繋がるとたまごどんは判断しているのだ。
たんぽぽピョンに聞くけど、「チョンは帰れ」「ユダヤ人は汚い」こうした発言はナチス的なのらか?違うのらか?
あと、ナチス政権は軍備増強と公共投資によるケインズ的経済政策で、世界恐慌時代の大不況を乗り切ったというのが通説だピョン。ユダヤ人の迫害と搾取が本格化するのは、だいぶ後じゃなかったピョンかな?ヒットラーは日本だと赤尾総裁みたいな只のアジテーターと思われていたんだあ。
ダブルスタンダードではなく、あたりまえのことだと思いますが?
(水島氏の本にも、市民派議員の陥りやすい
矛盾のことが、書いてあったけれど。)
法学理論はくわしくないので、
「法のもとの平等」との関係は、わからないけれど。
でも、自殺行為を封じるのは、
正当とされているんじゃないかな...?
上祐や、オウム真理教のことは、
わたしは、あまり知らないので、言及は控えておきます。
(上祐を黙らせるより、信者をどうにかすることではないか?と、
憶測しておきますが。)
裁判の意義は、もともとディベートすることに、
あるでしょうから、極端な意見も含めて、
おおいに議論することじゃないのかな...?
(裁判のことも、あまり知らないので、多くは言えないけれど。)
>「チョンは帰れ」「ユダヤ人は汚い」
内容的には、じゅうぶんネオナチ的でしょう...
(いつ、どこで、だれが、どのような状況で、これを言ったかで、
そのさきの扱いは、変わってくるでしょうけれど。)
ヒトラー・ナチスのユダヤ人迫害政策は、
政権を取った年から、すでにはじまっていましたよ。
(ニュルンベルク法は、1935年。)
経済に関しても、資本のアーリア化(政令施行は1938年)とか、
やってませんでしたか...?
ナチス党が、世界大恐慌を乗り切ったのは、
事実であっても、ナチスの政策は、それだけですべてではないし、
「ケインズ的政策」は、ナチズムの本質でもないでしょう。
また経済政策は、つぎの世界大戦の準備でもありました。
景気回復だけ取り出して、「ナチスは有能な政党だ」と、
強調するのは(通常は、特定の視点をしめすために使われる)、
一面的な見かただと思いますよ。
たまごどんも詳しくはないピョン。だけんど、「思想を発言する権利が、その発言内容で規制される」という状況が好ましい社会になるとは思えないのら。(1)誰がその判断をし、(2)どのように規制する社会なのかにゃ?
例として出した「チョンは帰れ」「ユダヤ人は汚い」という発言に、どういった規制を考えればいいピョンかな?言論の自由はなくなってよいという発言に至るまでには段階があるんだピョン。つまり、どこからがナチス的なNG発言で、どこまでがOKなのらか?
表現の自由とポルノ規制法の関係と同じで、たまごどんは線引きできないと思うのら。昔はヘアーだったけんどね。
ナチスが有能な政党とは思っていないけんど、インフレなき好況を実現したことが、ナチス政権の支持を確実にしたのも事実なのら。もっともこれは本筋の話じゃないんだピョン。
調べてみてはいかがでしょう...?
(わたしも、具体的にどんななのかは、
あまり知らないので、くわしくは述べられないです。
いつか調べてみたいとは、思っていますが。)
法律に抵触しているかどうかは、
憲法裁判所が判断していて、かなり強い権限を持っていますが。
(法律で定められているなら、「線」はわりあい
はっきり引かれているとも、言えるでしょう...)
ナチス戦犯の追求は、過去にナチス党に、
かかわっていたかどうかでしょうから、
これも基準は、かなりはっきりしていると思います。
>例として出した「チョンは帰れ」「ユダヤ人は汚い」という発言に、
>どういった規制を考えればいいピョンかな?
かかる発言が、ドイツではぜんぜんないことは、ないでしょうし、
出版物になったりすることも、たぶん、あるんだろうと思います。
そのあとの周囲の対応は、日本よりも、ドイツのほうが、
批判的な雰囲気が強く、手きびしいのだろうと思いますが。
政治家がこんなこと言ったら、マスコミはこぞって、
くだんの政治家の批判を書くようです。
そんなやからに、政治家をやる資格はないと、思われるようで、
つぎの選挙で、あっさり落選するみたいですよ。
(これは、ドイツにかぎらず、欧米諸国一般の傾向らしいけど。)
>インフレなき好況を実現したことが、
>ナチス政権の支持を確実にしたのも事実なのら。
それが、「特定の視点」なんだと思いますよ。
ナチスのような破壊的な政党が、
なぜ12年の長きにわたって、多数の支持を得続けたのか?
...ワイマール共和国がなしえなかった、
不況からの脱出が、その大きな原因のひとつだった、
のような、考察をするときに、使われるのでしょう...
たまごどんが分からないのは、「ナチスと直接の関係がない言論を規制するとはいったいどういう状況なのか」ということなのら。ナチス的な言動は洋の東西を問わずに存在するんだあ。その発言を公権力で封じるってのも、将来ロクな事が起きない気がするピョン。
たんぽぽピョンが記述した西洋の状況は、「自由な言論が存在している」ということなのら。言論の自由ってのは、公権力との関係で測られるべき概念なんだピョン。政治家の発言内容をマスコミが叩くってのは、言論の自由あってこそなのら。(ひょっとしてマスコミが公権力だとたんぽぽピョンは考えているピョンかな?)
「君の意見にはちっとも賛成しないけんど、君がその意見を述べる権利は保障しよう」と公権力が認めるのが、言論の自由なんだピョン。その中の特例が「ナチス賛美はNo!」なのら。こうした特例は少ない(無い)ほうが良いピョン。
かかる強制的な取り締まりが、必要かどうかは、
程度の問題だと、わたしは、思っていますけど。
(すくなくとも、ここでの議論では、わたしはそのつもりです。)
法律や公権力で抑え込む必要があるくらい、
危険で強大な存在というのも、
はなはだ残念なことだけれど、あると思いますよ。
そういう存在が、例外的なのも、たしかだとは思うけれど。
(あと、ナチスと関係ない言論や集会、結社に対して、
ドイツに、法的な規制があるのかどうかは、わたしは知らないです。)
>政治家の発言内容をマスコミが叩くってのは、言論の自由あってこそなのら。
周囲が、批判的な雰囲気を、自発的に作っていくなら、
法律や公権力が出てこなくても、じゅうぶんでしょう。
マスコミや有権者たちは、ネオナチを攻撃することが、
なかば当然視されていて、擁護する発言はやりにくいらしく、
それで、「ドイツには、言論の自由がない」
などと言う人も、日本には、いるみたいだけど。
(でも、たまごどんに言わせると、このケースでは、
法律や公権力が直接介入してはいなくて、
各人は、自分の持っている言論の自由を、
行使しているだけだと言えるから、それはそれでよい、
ということなのでしょう...?)
それでも、マスコミや有権者たちによる、淘汰が働かず、
ネオナチ議員が、議会当選することもあるみたいです。
そのときは、憲法裁判所が、弾劾することになるんだけれど。
>「君の意見にはちっとも賛成しないけんど、君がその意見を述べる権利は保障しよう」
与えられた権利や自由を悪用して、権利や自由のない社会を
築こうとする「助けた男を噛む蛇」が、現われるのは、
権利や自由自体が、一般市民全体に行きわたる、
近代以降の、市民社会になってからの現象だと思います。
くだんの格言はヴォルテールのものですが、
18世紀に生きた彼が、近代以降の市民社会に
現われうる存在に対して、気をまわすはずもないと思いますよ。
(というか、自由や権利を一部の特権でなくして、
市民社会を作ることを、めざしていた時代に、
「さきの心配」をするのは、かえってナンセンスでしょう...)
その通り。ナチスに反対か賛成かという明確な基準があるならともかく、たいていの場合はそうじゃないピョンよ。明確な線引きができる、言論の自由を制限する法律って、人間には作成不可能と思うんだピョン。唯一の解決策は、「言論だけでは罰せられない」という立場を堅持することだと思うのら。
どんなものでも、人間が判断するところはあるんだし、
「言論の自由」だけ、特別に神経質になる理由が、わからないです。
それとあと、自由を逆用して、周囲の自由をむしばむ「蛇」から、
身を守る権利や自由もあるでしょう...
「蛇」の自由を容認するのは、こうした自由と抵触するので、
法律は、均衡を取る必要が、あるはずです。
「蛇」の自由だけが、いつも一方的に認められて、
「蛇」の攻撃から保護することを、いっさい認めないなら、
そのほうが「法のもとの平等」に反すると、思います。
たまごどんはたんぽぽピョンのイメージする「蛇の叩き方」が理解できていない可能性が高いのら。そこんとこをもうちょい語って欲しいんだあ。どういった法律・処罰なのかにゃ?
議論が長くなって見難くなってきたのら。議論の場所や方法で提案があれば、たんぽぽピョンに従うピョン。このままでも、たまごどんはかまわないピョン。
一般的なことを、くわしく述べるのは、さすがに無理だと思います。
言えそうなのは、法律や公権力まで持ち出すかは、
程度の問題なので、きわめて強大で、危険な勢力に対しては、
かかる強制力を用いる可能性も、残しておいたほうがよい、
くらいでしょうか...?
(そして、そのような危険で強大な「蛇」も、ありうるという、
「存在証明」くらいのことしか、言えない。)
>話が一巡しちゃったピョンな(笑)。
前に保留にして、なにも言わなかった、
「法のもとの平等」との関係を、はっきり述べましたよ。
(わたしは、法学はくわしくないので、合っているかはわからないけど。)
>議論の場所や方法で提案があれば、たんぽぽピョンに従うピョン。
わたしも、ここで続けていただいて、かまわないですよ。
(読みづらいので、場所を変えたいとなったら、
さしあたって、伝言板を使っていただいても、結構だけど。)
http://www1.rocketbbs.com/110/lacrima.html
たんぽぽピョンの考えって、突き詰めるとこの話と同じ結論に行き着くと思うんよ。未だに回答もらってないけんど、(1)誰が「蛇」の判断をし、(2)どのように「蛇」を規制する社会なのかにゃ?
創価学会は政教分離の原則を破っている困った宗教団体なのら。だから「ナチス的な存在だ」というのもある意味正しいピョン。「だから弾圧してしかるべきだ、あいつらは蛇なんだから。」これを可とする社会には、たまごどん住みたくないピョン。そのうちポルポト政権下のカンボジアみたくなりそうだしね。
>未だに回答もらってないけんど、(1)誰が「蛇」の判断をし、
>(2)どのように「蛇」を規制する社会なのかにゃ?
回答していますよ。
そういう「蛇」も、現れることがありえるという、
数学でいう「存在証明」くらいのことしか、言えないです、と。
こうしたことで、「だれが」「どのように」を、
一般的にはっきり言うことは、それこそ危険だと思います。
(個別のケースでしたら、もうすこし具体的に、
言えることも、ありそうだけど...)
>そのうちポルポト政権下のカンボジアみたくなりそうだしね。
この場合、ポルポト派が、「蛇」なんだと思いますよ。
たまごどんも、そう思っているのではないですか...?
(「これを可とする社会には、住みたくない」のでしょう...?)
わたしからも、お尋ねしたいのですが、
「蛇」の言論の自由を擁護したために、
「蛇」が、だれかを噛み切る惨事になったら、
たまごどんは、どのように責任を取るおつもりですか...?
自分が噛み切られるのでしたら、自業自得とも言えるでしょう...
でも、他人が巻き添えを喰うとか、とばっちりを受けるとかしたら、
蛇をかばった(あるいは、黙認した)ことについて、
たまごどんも、責任追求を受けることと思います。
えーと、ポルポトは善意でもって国民を虐殺していったピョン。ロペスピエールもフランスの自由のためにギロチンでフランス国民の首をスパスパ切り落としたピョンな。共通するのは「オレは正しいことをしている」っていう自己の無謬に対する確信なのら。
たんぽぽピョンが蛇と判断した相手も、たまごどんはその理屈を聞いてみるピョン。なぜなら、たんぽぽピョンの判断が間違っている可能性があるからなのら。人間は間違えるものだピョン。
>「蛇」の言論の自由を擁護したために、
>「蛇」が、だれかを噛み切る惨事になったら、
>たまごどんは、どのように責任を取るおつもり>ですか...?
蛇の言論も認める、そしてそれに対する批判も言論で行うってのが、人間が多くの犠牲を払ってたどり着いた知恵なんだあ。蛇がオウムでも、暴力団でも、政治結社でも同じように発言できると日本国憲法は定めてないかにゃ?憲法21条ね。
「蛇がだれかを噛み切る惨事」ってのはサリン事件みたいなこと?それは刑法で裁けるピョンな。
言論の自由も含めた民主主義ってのは、「人間は誤る動物だ」という前提に立っているのら。蛇の言い分を聞かずに叩く行為は、中世の魔女狩りまででたまごどんはお腹いっぱいなんだピョン。
そりゃあ、「自分は危険でまちがった存在です」なんて、
わざわざさらして回る人なんて、いないでしょうね...
(自分は正しいと本気で思っているか、
本性を隠して善人面するかの、どちらかでしょう。)
カンボジアのことも、あまり知らないので、多くは語れないです。
フランス革命も、やっぱりくわしくないけど、
これは、そんなに単純には、割り切れないんじゃなかったかな...?
オウム真理教も、よくお出しになりますが(くわしいのですか?)、
わたしもこれは、刑法で対処できていると思いますよ。
いずれにしても、まちがった判断の例や、
どう評価したらいいのか、決めるのが難しい例、
あるいは、小物すぎて、弾圧があきらかに
過剰になる例なんて、探せばいくらでもあるでしょう。
でも、そんなのを、いくら並べたところで、
危険な「蛇」はありえないという、保証にはならないですよ。
(だれが「蛇」かの判断は、最大限慎重になるべきだという、
あたりまえのことは言えるけれど。)
>蛇の言論も認める、そしてそれに対する批判も言論で行うってのが、
>人間が多くの犠牲を払ってたどり着いた知恵なんだあ。
そして、言論の自由を悪用して、言論の自由のない社会を
築こうとする「蛇」には、積極的に対抗せねばならない、
というのが、ヒトラー・ナチスという、
空前規模の莫大な犠牲を、払って得た教訓だったのでした。
専制君主の時代の、哲学者の格言だけにこだわって、
20世紀の現代社会に起きた、世界史上最悪の集団妄想事件を、
歴史の教訓としないのは、どうしてですか...?
>蛇の言い分を聞かずに叩く行為は、中世の魔女狩りまでで
>たまごどんはお腹いっぱいなんだピョン。
わたしは、「魔女狩り」も、「ナチズム」も、両方いやなもので...
(だから、魔女狩りだけでなく、ナチズムにも、警戒するんです。)
>人間が多くの犠牲を払ってたどり着いた知恵なんだあ。
ご回答、ありがとうございます。
でも、モンダイは、「蛇」に対する批判も、
言論で行なったんだけど、その上で「蛇」が、
噛み切る事態になったら、どう責任を取るかなんだけど...
たまごどんと、あなたのお仲間は、「蛇」の理屈は、
トンデモないことを、すでによく知っているとします。
そして、「蛇」は、あまり知識のない人たちの前で、
演説や討論を行なって、見聞を広めているとしましょう。
お仲間は、「『蛇』に発言させるだけでも、
危険があるから、妨害したほうがいい」と、主張しました。
(実際、いま妨害すれば、「蛇」の勢力は立ち消えしそうです。)
しかし、あなたは、「『蛇』にも言論の自由はある」と、
お仲間に反対して、彼の言いぶんを制して、
あくまで対抗言論で、対処する方針に決めたのでした。
ところが、「蛇」のほうは、多くの人たちの支持を得て、
いつのまにか、強大な権力を持ってしまいました。
あなたがたも、じゅうぶんな発言権があって、
「蛇」の批判をしてはいたのですが、「蛇」は手がつけられなくなり、
有無を言わさず、あなたがたの弾圧にかかりました...
(「レームの粛正」みたいに、なったとしましょうか。
あるいは、ポルポトや、魔女狩りでもいいけど。
とにかく、たまごどんのいわゆる「お腹いっぱい」の状況ね...)
このとき、あなたに反対していた、お仲間から、
「だからあのとき、『蛇』に、余計な発言をさせなければ、
こんなおそろしいことには、ならなかったのだ!」と、
粛正の陰で怯えながら、批判されたら、
どのように、責任を取るおつもりですか...?
ところがたんぽぽピョンが言うように、蛇に対する言論の自由の制限を設けると、蛇は地下に潜ってこう主張するピョンな。「奴らは我々から主張する権利を奪った。こうなったら実力行使あるのみだ。我々が政権を握ったら、奴らに言論の自由を認める必要なんかないぞ。現に我々がそうだったのだから。」この主張はある程度の正当性があるのら。
ナチスの台頭のときに、ヒトラーは第一次世界大戦の戦後処理の不合理を強く訴えたのら。これは確かにその通りだったんで、ドイツ国民はナチスを支持し、後の連合国もズデーデンまでは仕方ないかとなったのら。このときまでのナチスの主張は、正当性があるのら。
ナチスが政権を握ってワイマール憲法を骨抜きにしたのが、大統領緊急命令権という「例外」だったことも記憶しておくべきだピョン。「例外」が先例となって日本国憲法第9条が骨抜きにされているのと似ているピョンな。
つまり「言論の自由を認め、例外を極力認めない」ってのは、蛇の抑止力にもなるんよ。
たまごどんも蛇の台頭は嫌いだピョン。だけんど、(1)誰が蛇と認定し(2)どういった法律で縛るのかについて、たんぽぽピョンは分からないと主張するのみなのら。たまごどんの見解は、この法律は治安維持法とか共謀法と同じで、悪法になると思うピョン。
それから賭けてもいいけど、ナチス賛美を除けばドイツでも言論の自由はあるピョンよ。あと、レームの粛清の話って、今回の議論に関係するのかにゃ?軍人として無能なレームをヒトラーが粛清したって話だけんど。
〔一応、なとるむさん経由で〕
「民主主義を否定する言説の否定」
というのは、憲法学的には『戦う民主制』と称されています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E9%80%A3%E9%82%A6%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD%E5%9F%BA%E6%9C%AC%E6%B3%95#.E7.89.B9.E5.BE.B4
↑「憲法忠誠(戦う民主制)」参照
> 表現の自由や結社の自由などを自由主義・民主主義に敵対するために乱用した場合は、これらの基本権を喪失する
・・・つまり、「自由主義・民主主義の敵は基本的人権の保護に値しない」という論理構成です。ドイツだけでなく、欧米では10ヶ国くらいが、この「戦う民主制」を採用しております。
ただし、その制限も必要最低限であるのは間違いなかろうと思われます(個別の条文を知ってるわけではないのですが)。例えば、規制は「表現の自由」「結社の自由」などの、それも極一部に限定され、「思想信条・内心の自由」には及ばないとか。だからこそ、ネオナチやら民族主義的極右政党やらの台頭が可能なわけで。
面白い(←不謹慎)のは、そういう他者の自由を否定したい方々が、真っ先に「表現の自由」を訴えることでありまして
http://donzokoblue.blog55.fc2.com/blog-entry-53.html
で、日本国憲法は「戦う民主制」は採用しておりません。憲法十二条にもありますように、あくまで国民がそれを守るのだ、と。
> 国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。
つまり、権利を守るため(国家に守らせるため)「みんなで努力せい」ということですな。
と、いうのは、「戦う民主制」は、そもそも本質的には人権を直接制限する強権でありまして、この強大な武器を使いこなすには、国民や政治家、裁判官などに民主主義擁護者としてのかなりの熟練を要し、一歩間違えれば、それこそファシズムへと繋がる危険性があることを理解した上で用いなければならんわけで。
では、現在の日本人が、民主主義的に成熟してるかというと・・・・・・すみません。「疑問」…を通り越して「懐疑的」…よりも悪い「否定的」にならざるを得ん。民主主義を多数決主義、自由・権利を自分勝手と勘違いしてる者の、どれほど多いことか。
で、憲法改正案に「義務」を増やせい、という方々が与党に多かったりするのがその最たるモノで。更に、その与党に投票して自由にやらせておるのは誰ぞな、て話になると、もはや君ら、自分を縛りたいマゾヒストのケでもあるのか、と。
こういう方々に「戦う民主制」みたく強権持たせた日にゃ、何をしでかすか分からん。「多数に従わない者は、民主主義破壊者だ!」とか、言い出しかねませんからいやマジで。
要は、「ガキに分不相応な武器を与えてはいけない」という、非常に情けない理由で、ドイツ他欧米のような「戦う民主制」の制度化には反対。
あと何百年かかるか分からんですが、民主主義の成熟のため、地道に努力するしかなかろう、と。
>「奴らは我々から主張する権利を奪った。こうなったら実力行使あるのみだ。
>我々が政権を握ったら、奴らに言論の自由を認める
>必要なんかないぞ。現に我々がそうだったのだから。」
「蛇」は、自分たちの言論の自由が、認められても、
認められなくても、どのみち権力を持ったら、
都合の悪い人たちの、言論の自由を封殺するつもりですから、
その意味では、逆恨みされないよう気を遣うのは、
むだとも言えるのではないかな...?
どうなっても、「蛇」が権力持ったら最後ですから、
彼らが、権力を掌握する危険が、大きくなるのでしたら、
(「耳の痛いこと」を聞かせたり、一定の「抑止力」になるメリットや、
逆恨みされたりや、「実力行使」のリスクも、全部こみにした上で)
「蛇」の言論の自由を規制する戦略が、
得策になることも、ありえるのだと思います。
>よって蛇の「言論の自由を認めない」という主張に
>正当性を持たせることは、大変に苦労すると想定されるんだピョン。
「市民派議員の悲哀」でしたら、選挙公約を守るという、
かなりはっきりした、正当な理由がありますよ。
一般的なケースなら、「蛇」がでしゃばろうとすれば、
だれかの権利や自由と、抵触することが多いでしょうから、
そこで正当性は、結構主張できるんじゃないかな...?
ヒトラー・ナチスは、まがりなりにも、政権掌握は、
すべて合法的手続きによったので、やっかいなのでしょう...
存在自体認めず、まったくの合法な手段でも、
議席を取ったら、失格させるというのは、それもあるのだと思います。
軍閥化して、じゃまなだけになった、SAのレームを消したから、
「レームの粛清」というのですが、それだけではないです。
かつてヒトラーと手を組んだ右派の、シュライヒャーや、
ブレード、クラウゼナー、あるいは、ナチス党のライバルだった、
カールやシュトラッサーも、いっしょに消されたのでした。
(右派の中心人物の、パーペンだけは助かったけど、
彼が読んだ批判演説の、原稿を書いたユングは消された。)
彼ら右派は、自分たちの権力を伸張するために、
ヒトラーの人気を利用しようとしました。
この扱いに、ヒトラーは根に持ったようで、
自分が政権を取るまでは、利用されたふりをして、
政権を取ったら、報復するつもりでかまえていたのでした。
そこで、彼ら右派が「クーデター」を起こして、
ヒトラー政権を倒そうとしたのを理由に、
いっしょに抹殺を図ったのでした。
彼ら右派たちは、ナチスに対して、どうすることもできず、
粛清の陰でただおびえるだけでした...
でもって、最後だけど、「蛇」をかばって惨事が起きたとき、
かばった人たちが、責任を取らず、無視黙殺を決め込む、
というのが、わたしは許せないのだ...
わたしが、よく批判している、インターネットの
市民団体は、まちがいなくそうでした。
反対論者をかばうたびに、惨事を招いて失敗するんだけど、
責任追求をしても、だまって無視するだけで、
しばらくすると、またおなじことを、くりかえしていましたよ。
こうした人たちは、「多様な価値観を尊重する」とか、
「言論の自由を保証する」という「絶対正しい」ことをしているので、
それで、まちがいが起きることは、あってはならないのでしょう...
そのため、そのような「都合の悪い事実」は、
「なかったこと」にするよりないのだと思います。
コメント、ありがとうございます。
ウェブサイト、見せていただきました。
(うーむ、見覚えある気がするんだけど、どうも思い出せない...)
いろいろと、情報提供、まことにありがとうございます。
>この「戦う民主制」を採用しております。
わたしが、よくわからないと悩んだ、
法学的根拠は、このようになっているのですね...
ドイツ以外にも、ナチス非合法化に相当する
法律があるというのは、お恥ずかしながらはじめて知りました。
(10カ国くらいですから、結構多いんですね...)
>そういう他者の自由を否定したい方々が、
>真っ先に「表現の自由」を訴えることでありまして
じつは、「蛇」がいちばん、「表現の自由」を訴えるんだって...?
(最近の傾向だと、そうかもしれない。)
ご紹介のウェブログは、ざっと見ただけですが、
どういうかたかわからないので、くわしいコメントは避けますね。
当該エントリを見ると、いかにも典型的な、
ネチズンのご意見って感じだけど。
(こういう意見を見ると、ヨーロッパの国で、
なぜ「戦う民主制」が、採られているのか、
その経緯を知らないかたって、多いんだなと、思ってしまいます。)
>制度として「戦う民主制」を採用するのは、
>危険なので止めた方が良ろしかろう。
日本には、ドイツにある憲法裁判所のような組織は、
人材がとてもそろわないので作れない、ということでしたら、
わたしもそう思います、はい。
情報ありがとなのら。ドイツの「戦う民主制」ってのの核となる概念は、抵抗権だと思うピョン。実はたまごどん、最近この抵抗権って言葉を知って、まだまだ理解が十分ではないのら。
この「戦う民主制」ってのは権力側が人権制限できると言う意味だピョンな。それに対抗する国民の権利が抵抗権というものだと思うのら。例えば自衛隊員が現職のまま「イラク攻撃は憲法9条違反だから参加しない」と主張できるという権利だと考えているけんど。つまり権力側の人権制限に対抗する国民の権利が、抵抗権だと思ってるんだピョン。つまり国民は、圧政に対して武器を取って対抗できるピョンな。
この抵抗権、日本国憲法の12条に内在していると解釈されているようなのら。日本の民主主義は、こうした権利を意識するほどには成熟していないと、たまごどんも思うピョン。
たんぽぽピョンへ
どうも感情が先走っているように思うのら。政争がエスカレートして粛清されるってのはよくあるし、たまごどんはそれについて何も主張していないピョン。今の小泉首相も政敵に対して冷酷で、殺さないだけマシの恐怖政治とも言えるのら。
ついでに言うと、たまごどんも蛇だけ規制できるのならそれに越したことはないと思っているのら。蛇を規制する委任状を現日本政府に与えると、この政府はロクなことをしないんとちゃう?ってのがたまごどんの見解。正直言って、たまごどんは現政府を信用していないのら。
抵抗権について、もう少し議論したいと思うんだピョン。あと、どうすれば日本の民主主義が成熟するのかについてもね。
>たまごどんはそれについて何も主張していないピョン。
んん...?
これは、わたしが、レームの粛清のお話を、
したことについて、おっしゃっているのかな...?
たまごどんが、疑問に思われたので、お答えしただけですけど?
「それでしたら、SAの抹殺だけでなく、右派政治家たちが、
『蛇』を助けたために、逆にかみ殺された事件でもありますよ」と。
(政争がエスカレートして、粛清されることについて、
たまごどんが、なにか主張した、なんて、
わたしも、言ってないですよ...)
>蛇を規制する委任状を現日本政府に与えると、
>この政府はロクなことをしないんとちゃう?ってのがたまごどんの見解。
(きゅうに、現実の日本の政治をどうするか、という、
お話になってきたけれど)、そういう「委任状」は、
実際に作るとしたら、憲法裁判所のような、
国会からも内閣からも、独立した機関に持たせるのでは...?
それで、政府や議会が逸脱したとき、弾劾するんだと思いますよ。
(...のようなことを、わたしはイメージしていたけど。)
「戦う民主制」などの「国家権力が例外的に国民にかける規制」は、民主主義に対する深い理解と洞察、それを守ろうとする国民の意思と努力があって、初めて正常に機能するものと思われ。
蛇を捕らえるつもりが、逆にその制度を蛇に悪用されて無害な動物がバッサバッサ……てなことになりそうだから怖いわけで。
制度に頼るより先に、「国民の不断の努力」つまり、個々人の努力と活動によって蛇退治してくれい(但し、実力行使抜き)、てのが憲法の趣旨なんでしょう。
まぁ制度の運用も結局は人次第。人が腐れば制度も腐るわけで、日本が正常な時期にこの制度が存在していれば、また違った運命になってたやも(個人的には、制度があろうとなかろうと腐ったんじゃないかと思うけど)。
>抵抗権 ↓こちらですな
http://www.eris.ais.ne.jp/~fralippo/demo/review/MZT031228_resistance/index.html
憲法と民主主義の理念を守らしむる点では、確かに「戦う民主制」と共通するところ。
もっとも、「戦う民主制」はワイマール憲法下での反省から発生した、あくまで例外的な規制であるのに対し、「抵抗権」は自然法・自然権的発想から、ほぼ全ての憲法、全人類に存在する、という違いはありましょう。
前者には、特に権力機構による恣意的運用の危険性があるというリスク。後者の場合は、下手すればテロリズムの口実になりかねないリスクがありますな。
↑のサイト【抜粋】部分引用
> 抵抗権を主張する者は、全人格をもってそれについての責任を負う覚悟を有することが要請される。
> そうした覚悟なしに、軽々しく抵抗権をもち出すのは、無責任なエゴイズム以外の何ものでもないこと、
> そして、そうした無責任なエゴイズムのもたらすものは、救いがたいアナアキイ以外の何ものでもない
P.S. 以前、とあるニュースで反小泉(抵抗勢力)の議員さんが、「小泉総理には抵抗しますよ。私には抵抗権がありますから(大意)」とか言ってて、思いっきりひっくり返りましたわ。
「抵抗権」の意味を根本的に誤解しておるな。こんなのが国会議員か、ううむ(笑……えんぞ、こりゃ)
コメントと、リンクさきのご紹介、どうもありがとうございます。
(いろいろと、おくわしいんですね...)
>「戦う民主制」
すべての存在に、基本権と民主制度を守らせる、
その「すべて」の中に、国民自身もふくまれる、
ということなのでしょう...
(大衆政治の時代ですから、国民自身が破壊の主体にもなりうる、
というのは、そんなに突飛でもないとも言えるけど...)
(たまごどんもそうだけど)、「権力で基本権を規制する」のように、
考えるかたが、いろいろ見ていると、多いみたいだけど、
わたしは、「(『蛇』以外の)国民の基本権を、『蛇』から守る」
という、受け止めかたをしているんだけど...
>抵抗権
ドイツには、ナチス政権時代に、ヒトラー暗殺計画や、
最近映画で話題だった、白薔薇団のような、抵抗運動があって、
それがいまの抵抗権意識の、もとになっているみたい。
そういえば、日本には、昭和のファシズムに対する、
このような抵抗運動のお話は、ほとんどないですよね...
(それともあるのかな...? あったとしても、
膨大な文献の山ができるほどでは、ないと思いますが。)
日本の抵抗権意識のとぼしさは、源流の時代から
すでにはじまっていたように思います。
>日本が正常な時期にこの制度が存在していれば、また違った運命になってた
日本とドイツの違いは、戦後処理の差によるところも、大きいと思いますよ。
(違った運命になっていたことだけは、たしかでしょう。)
今までの投稿を読み直すと、たんぽぽピョンは肝心な事に答えていないんで、どうにも困るのだ。たんぽぽピョンの蛇の定義はなくって、蛇の規制の方法も具体的にはないということでいいピョンかな?憲法裁判所のことが出てきたけんど、現司法との性格の違いもよく分からないのら。
時々出てくるナチスやポルポト派が蛇という認識はまあ良いと思うんだあ。それでたんぽぽピョンの意見ってのは、蛇が強大になる前にぶっ潰せっちゅうことだピョンな。それが可能ならばたまごどんも賛成なのら。問題はぶっ潰す側の人間が無害な蛇もどきとの区別を正しく判断できるのかってことなんだけど、それについてはたんぽぽピョンの考えが示されていないのら。たまごどんには無責任に見えるこの一文があるだけで。
>いずれにしても、まちがった判断の例や、どう評価したらいいのか、決めるのが難しい例、あるいは、小物すぎて、弾圧が明らかに過剰になる例なんて、探せばいくらでもあるでしょう。【2006年5月18日01:30】
galleryピョンが言っていたドイツの事例は、政府の蛇に対する判断をドイツ国民は信用する(権力による基本的人権の制限)ってことで、それに対して国民も政府に対抗する権利を有する(抵抗権)という概念だと思うのら。ようするに権力側も国民側も武器を強くした状態だピョン。こうすることでバランスをとっているのが、ドイツをはじめとする「戦う民主制」の肝だと思うのら。
galleryピョンが触れているように、「前者には権力機構による恣意的運用の危険性があるというリスク、後者の場合は、下手すればテロリズムの口実になりかねないリスクがありますな。」こうしたリスクを互いに背負っても、国民と政府が信頼関係を持って民主主義を守るということだと考えられるピョン。こうした理念は明らかに日本式の民主主義よりも一段進んだ民主主義なのら。
>きゅうに日本の政治をどうするか、っていう、お話になってきたけど【2006年5月25日16:42】
たまごどんは一貫して、どうやったら基本的人権の制限法がうまく機能するのかを知りたいと思っているピョン。この議論の前までは、蛇だろうと言論の自由を認めるべきだし、それしかないだろうと考えていたのら。しかし抵抗権という概念には、こうした結論を覆す可能性があると思っているピョン。だったらそれを良く知りたいと思うのは当然じゃないかにゃ?「ドイツに出来てなぜ日本では出来ないのか」
あとは落ち葉拾い的な回答だピョン。
レームの話は権力闘争の話だし、今回の話と関係しないんとちゃう?昨日の友が今日は敵だなんて、歴史を調べれば一杯出てくるピョン。北朝鮮の権力闘争史は面白いピョンよ。
「民主主義の制度を利用して、民主主義を抹殺せんとする存在。」
あるいは、もっと単純に言えば「他人の好意を悪用する存在。」
じゅうぶん、はっきりしていると思いますが?
それとも、マニュアル的な定義を、期待しているのかな...?
前にも言ったけど[2006年05月15日 21:01][2006年05月16日 21:29]、
それこそ危険なので、避けることだと思います。
(「民主主義とはなにか?」「基本的人権の範囲はなにか?」を、
はっきり決めすぎないほうがいいのと、同じようなものかな?)
それから、事情をよく知っている当事者なら、
「蛇」と必要な措置の判断は、だいたい正しくできると思います。
(「まちがった判断」は、「蛇」だからかばうなという、
批判もあったにもかかわらず、それが無視されたから、
というケースが、ほとんどのようですし。)
>たまごどんには無責任に見えるこの一文があるだけで。
そうではなくて、「蛇」でないものを、「蛇」だと思って
弾圧したという、「まちがった判断」の例を、お聞きしたいのかな?
でも、それは、わたしは知らないのでした...
(たまごどんが挙げたのは、はじめから実力行使だったりで、
だれかにうまいことかばってもらった、というのではない、
ケースばかりのようですし...)
それから、ポルポトが、「蛇」に当たるのかどうかは、
わたしには、わからなかったです。
(「蛇」だとしたら、擁護や黙認をしたのはだれか、という問題もあるが。)
「判断が難しいとき」や、相手が「小物すぎる」ときは、
弾圧するべきでないと思いますが...?
ドイツの場合だけど。
http://64.233.167.104/search?q=cache:wNiihjAAy4gJ:www.tatsachen-ueber-deutschland.de/2377.0.html
>レームの話は権力闘争の話だし
たまごどんのいわゆる「お腹いっぱい」の状況を、
イメージできるようなサンプルを、持ってきただけですよ。
(どうせなら、かばった「蛇」に噛み切られた、
という事態に近いほうがいい、くらいのことは、思ったけれど。)
レームでなくても、ポルポトでも魔女狩りでも、
なんでもいいよと、お断わりしたとも思いますが...?
[2006年05月18日 01:32]
ところで、たまごどんも、答えてくださらないことがあるんだけど...
「蛇」をかばったことで、だれかが噛み切られたら、
どのように責任を取るのでしょうか...?
(責任を取る必要はない。 「言論の自由」のために、
噛み切られた人たちは、犠牲にしてよい、ということですか?)
あるいは、[2006年05月24日 23:38]の後半でお話した、
市民活動家たちは、どう思いますか...?
「蛇」をかばって、だれかが噛み切られたのを、
「なかったこと」にすることこそ、無責任にほかならないし、
またこれは、「自己の無謬に対する確信」の産物以外の、
なにものでもないのですか...?
ほんじゃ質問にお答えするピョン。「蛇をかばったことで誰かが噛み切られたら」ということは、日本式民主主義におけるリスクなのら。かばうという表現よりも、蛇の基本的人権を認めるということなんだな。それに、蛇のおかしな発言に、たまごどんは批判する権利も持っているのだ。
たんぽぽピョンの質問って、「麻原彰晃を生かしておいて事件が起こったら、一体どう責任を取るのですか」という主張と同じに思えるんだけど。はっきり言うと、たまごどんだけが責任を取る必要は無いピョン。蛇を支持した多くの人たちの責任があり、そうした人が蛇に政権を与えてしまうほど居たという民度の帰結なのら。たまごどんが恥じるとすれば、蛇の発言を認めたことじゃなくて、レームのSAみたいな暴力組織に怯えて、たまごどんが発言しなくなった場合なんだピョン。
市民活動家の例[2006年05月24日 23:44]ってのを読んだけど、
http://taraxacum.hp.infoseek.co.jp/teardrops/movement/liberal.html←このことだピョンな?議論ってのは相手を納得させられればそれに越したことは無いけんど、議論の争点を明らかにし、どちらの主張により整合性があるのかをギャラリーに示すことが議論の本筋なのら。したがって、この市民活動家は言論の自由を間違って理解しているし、それだけの話なんだピョン。
或る人には、創価学会が「民主主義の制度を利用して民主主義を抹殺せんとする存在」と考えているのら。理由としては自由言論に対する政治的圧力http://www.kinyobi.co.jp/old/fusoku_oldf/319、政教分離原則の違反、公明党を通して自民党を操り、学会が欲する法案を次々と成立させる手腕があるピョン。さてたんぽぽピョンは、創価学会が蛇だと思うかにゃ、そうじゃないのかにゃ?
>「蛇をかばったことで誰かが噛み切られたら」ということは、
>日本式民主主義におけるリスクなのら。
たまごどんは、「蛇」の基本権を守って、
噛み切られた善良な人たちの、基本権が侵害されても、
リスクが発生したと、してしまうのですね。
(たんぽぽは、「蛇」のリスクを減らして、噛み切られる、
善良な人たちの基本権を、守りたいと思います。)
>そうした人が蛇に政権を与えてしまうほど居たという民度の帰結なのら。
そういう考えかたが、ヒトラー・ナチスの成功を、
底辺から支えた、最大の原因だったのでした...
それで、そういう、ばかげた選択をさせないよう、
国民に制限をかけることも、必要だというのが、
ドイツなどでは、教訓になっているのでしょう...
>市民活動家の例[2006年05月24日 23:44]ってのを読んだけど、
> http://taraxacum.hp.infoseek.co.jp/teardrops/movement/liberal.html
読んで下さって、どうもありがとうです。
リンクさきは、じつは、「市民派議員」のことであって、
「市民活動家」ではないなんだけど、やっていることは、
おんなじだから、ここではまったくさしつかえないです。
じつは、「市民活動家」のほうが、もっとひどくて、
こういう失敗を何度やっても、無視黙殺して、
おなじことをくり返すんだけどね...
こんなのも、参考になるかもしれない...
http://taraxacum.hp.infoseek.co.jp/teardrops/against/vindication.html
>この市民活動家は言論の自由を間違って理解しているし、
そのように、「判断をまちがえる」ことも、人間だからあるでしょう。
そのうえ、さらに、「蛇」に批判的な意見を言うと、
「言論の自由の否定だ!」などと決めつけて、
封殺するという、本末転倒までやることもあったりするんだけど...
(でも、彼らには、「自己の無謬に対する確信」があるので、
本末転倒に、なかなか気がつかないのでした...)
>民主主義を抹殺せんとする存在」と考えているのら。
> http://www.kinyobi.co.jp/old/fusoku_oldf/319
前にもすこし、書いたことがあるけれど、
公明党は、連立政権内での影響力など、ないくらいですよ。
独自の法案なんて、ほとんど通せないか、
通せたとしても、党の方針に反する政策と、交換だったりします。
(ついでだけど、連立政権内での、公明党の無力さが、
非常によく現われているのが、民法改正法案ですね...)
http://taraxacum.seesaa.net/article/10627978.html
公明党が、自民党を操るなんて、とてもありえないと思います。
自民党のたりない議席を埋めるために、
公明党のほうが利用されている、というならわかるけれど。
(こんな状況に甘んじているのは、政教分離を楯に取って、
自民党が、創価学会を、激しく攻撃したことがあるので、
組織の保身のためだ、なんて、言われているけれど。)
http://www.geocities.jp/taraxacum_off/log/1-9/856.html
>創価学会が蛇だと思うかにゃ、そうじゃないのかにゃ?
とても、「蛇」だとは思えないです。
(ここからは、創価学会と関係ない。)
「蛇」の弾圧とは、ドイツの憲法裁判所がやっているように、
ネオナチが、議席を取ったら失格させる、
といったことで、流血をともなうことではないです。
(「具体的な手段」の中身として、これははっきり言っていいと思う。)
命を奪うのではないので、その意味では、
「弾圧」しても取り返しが効くし、魔女狩りや、ポルポト、
ロベスピエールとも、おなじとは言えないでしょう。
それから、ドイツというか、ヨーロッパでは、ナチス肯定や、
歴史修正主義の主張は、著作に書いただけでも逮捕されますね。
(わたしが、思っていたより、ずっと厳格でした。)
http://japanese.china.org.cn/japanese/227510.htm
ドイツでは、エルンスト・ツンデルみたいに、
外国(カナダ)に移住していても、国際逮捕状を出して、
カナダ政府を説得して、帰国させています。
(ドイツはどうか知らないけど)、ベルギーは、ナチス関係以外の、
歴史の否定にまで、禁止の適用範囲を、広げるつもりのようです。
なおたまごどんは、「太平洋戦争の皇軍の蛮行はなかった」という類の言論を制限する法律はアリだと考えているピョン。たんぽぽピョンの主張はもっと強くて、蛇の言動を制限せよということなのら。この考えはリスクが大きすぎるんで、たまごどんは賛成できないピョン。
創価学会が蛇じゃないなら、現代の日本には蛇が居ないみたいなんで、たまごどんも安心なんだピョン。
(楽しんだかな? >temaさま)
一時期は、「ドイツ」「言論の自由」で、
グーグル検索をかけると、いちばん上に来ていましたし。
(「言論の自由」は、タイトルそのものだけど、
「ドイツ」は、コメント欄にしか、出てこないからね...)
>現代の日本には蛇が居ないみたいなんで、
そうかな...?
論理で相手を説得するのは、やはり難しいんですね。
ところで、タイムスタンプに、6がいっぱい並んでいるけど、
ダミアンの到来だったりして...(笑)
しょせん人間の集まりである政府に強大な権限や裁定能力を与えようというのは愚かだと思います。
>しかし、初歩的なことになるが、(学問の自由も含めた)表現の自由は、自分が容認できる主張だけに限定されるべき権利ではない。また、この権利は、誰もが軽蔑し唾棄するような主張についてこそ、特に積極的に擁護されねばならないものである。もともと弁護の必要もないような主張をかばったり、公敵による市民権侵害を非難する大合唱に参加するだけなら、誰にだってできるのだ。
>わたしにとってスキャンダルなのは、自分にはヘドがでそうな思想であってもその表現の自由は徹底的に擁護するとヴォルテールが200年も前に述べているというのに、いまだにこの問題を議論しなければならないということである。
>自分たちを虐殺した者たちの根本教義が後世に採用されたとなっては、ホロコーストの犠牲者たちも浮かばれまい。
それと同じ理屈で、歴史修正主義者の表現の自由も学問の自由も、やはり認められるべきです。
国境なき記者団の、ランキングの影響かしら...?
そうでしょうね。
私は最終的にはナチスの意見にだって表現する自由は認められるべきだと思いますけど、それには社会が習熟しないとね。
安倍一派程度の言論統制にやすやすと屈する社会は、まだまだ成熟度が全然足りなくて、そんな社会には無制限の自由は荷が重すぎると思います。
こんなエントリ、よく見つけたねって、思っちゃったよ。
検索エンジンで、ひっかかりやすいエントリだとは、
思っていたけれどね...