2006年05月02日

toujyouka016.jpg 蛇を助けた男

これは、ネチズンだからではなく、
もっと一般的なことだけれど、「蛇を助けた男」のお話も、
あまり受けがよくないように思います。
わたしがリンクを貼った、ページの作者のかたも、
「子供の教育上よろしくないのでは?」と、心配しているくらいです。
http://marineko.moo.jp/kiite16.htm

========
『・・・ある寒い日、ひとりの男が畑のあぜ道で
凍えている蛇をみつけました。
可哀相に思い、彼はぐったりと動かない蛇を懐に入れて温めてやります。
しばらくすると、蛇が元気を取り戻したのでしょう、
男の懐のなかで、もぞもぞ動き始めました。

男は、自分が蛇を助けてやったのだと気をよくしながら、
もっと元気になれと、なおも蛇を懐に抱いていました。
蛇の動きはだんだん活発になり、
あっと思う間もなく男の脇腹に鋭い痛みが。
蛇に噛まれたのです。男は苦しみにもがきながら
自分のしたことを後悔しましたが、それも後の祭り、
その場に倒れ伏して死んでしまいましたとさ』
========

 
わたしが思うに、「害意ある相手に、
善意をほどこすのは、愚の骨頂」というお話は、
日本人一般に、評判が悪いのでは? という気がします。
ページ作者のかたも書いているように、
これは、中国のお話であって、日本のものではありません。
また、おなじような教訓は、西洋にもあるようです。

また、ページ作者のかたは、
「こんな昔話は読んだことがない」とも、言っていますが、
そういえば、日本には、この手の寓話や教訓は、
見当たらないように思います。
(あったとしても、そんなによく知られた
お話ではないことは、たしかそうです。)


もしかすると、日本人は、「どうやっても相容れられず、
理解し合えない異質な存在」が、考えられない
(考えたくない?)のかもしれないです。
異質な人たちのこと(とくに、その敵対心)を言うと、
「敵味方の色分けをしたがる」とか、
かえって非難を受けることも、あるでしょう。

なんでこんなことを、思ったのかというと、
「話せばわかる」という、民主的に聞こえる
お題目の背後には、「みんないっしょだから...」
という、均質幻想があるのでは?と、
いやな予感がしたからなんだけど...

posted by たんぽぽ at 00:10 | Comment(4) | TrackBack(0) | ウェブサイト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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この記事へのコメント
うーん、考えさせられる教訓。

日本では、「飼い犬に手を噛まれる」という表現はよくありますけどね。こういう裏切りって日常よくあることですね、、本当に。(蛇の話は死に至っているわけだから日常的にはないんですが)。まあこれって、見返りを期待しすぎるせいもあるんでしょうね。偽善だから見返りを期待するというか・・。


>日本人は、「どうやっても相容れられず、理解し合えない異質な存在」が、考えられない
(考えたくない?)のかもしれないです。

日本こそ閉鎖的で異質な存在を見つけてはハブンチョにしているように思いますけどね。

たんぽぽさんがここで言いたいことはよくわかります。
助けてあげたのだから、こちらが手を差し伸べてあげたのだから、お互いにわかりあえる、そんな裏切りはない。的なところなのかな。

そういえば、椋鳩十の「片耳の大鹿」の話を思い出しましたよ。
猟師達が撃ち損ねた片耳の大鹿。猟師たちは嵐の夜遭難して洞窟で動物達と抱き合って生き延びたのですが、洞窟の中には片耳の大鹿もいた。でも獣達は猟師達を襲わずお互いに助け合ったのです!その後、片耳の大鹿に会った猟師は、彼を撃たなかった、という話。

勧善懲悪的がすべて、みたいな文化では蛇の話が受け入れられないのかもしれませんね。
Posted by うーがんざき at 2006年05月11日 12:39
こんにちは、コメントどうもです。

>「飼い犬に手を噛まれる」

いちおうありますね。(どうもありがとうです。)
でも、このことわざは、「信頼していたのに裏切られた」
という、ニュアンスではないかと思います。
(もともとは、信頼できた相手から、
裏切られたときも、使うように思いますし...)

「蛇」は、はじめから信頼できないと、わかっている相手に
好意をしめした、という感じなんだと思います。


>異質な存在を見つけてはハブンチョ

「ハブンチョ」は、異質なものを、あからさまに排除ですが、
「蛇を助ける」のは、言ってみれば、異質なものを、
異質ではなく、同質だと思いこもうとすることに、
相当するんじゃないかな...?
どちらも、異質なものを「ないことにする」のは同じで、
行動への現れかたが、裏返しになっただけだろうと思います。
Posted by たんぽぽ at 2006年05月12日 00:45
>異質なものを、
異質ではなく、同質だと思いこもうとすること
に、

なるほど〜そういうことですか。
確かに、蛇も、信頼できないとわかっている相手に好意を示した、そういうことですね。
意図はわかりました。

同質だと思い込もう、という勇気ある日本人がどうの程度居るんだろう(笑)という感じもしなくもなく、私の意見としては、「同質だと思い込もうとする”偽善”」、とでも書いておきます。
Posted by うーがんざき at 2006年05月12日 18:20
力道山が、自分のアイデンティティに悩んだ、
というお話を、しばし思い出しました。
(力道山は、単に異質だというだけで、どこも攻撃的ではないから、
「排除でなければ同化」という、メンタリティを考えるには、
わかりやすいかもしれないです。)
http://homepage1.nifty.com/masada/globe/riki.htm

「蛇」のお話は、あからさまに敵意を持った相手を擁護する、
というファクターが入っている(というか、そっちがメイン)から、
わかりにくいかもしれないです。
Posted by たんぽぽ at 2006年05月14日 23:13

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