『「邪馬台国」と日本人』という本のあとがきに、
政治主導と官僚主導に関したことが書いてあるそうです。
本自体はもちろん日本の古代史のお話ですが、
あとがきに歴史学一般のことが出ているようです。
わたしは、直接本を確認していないのですが、
以下のエントリに引用されているので、
孫引きで恐縮ですが、紹介したいと思います。
「万邦無比の国家(3)邪馬台国は近代歴史学の道具」
========
歴史学は民主主義社会を築き上げていくのに
なくてはならない学問である。
なぜならば,民主主義社会を築き上げていくためには,
あらゆるレベルの官僚制的専門家集団に対して,
一般の国民が優位に立たなくてはならないが,
素人が玄人に対して優位に立つためには,
常識と経験に頼るしかない。・・・・・
・・・・・・
それを体系化するための特別な知が,
民主主義社会を維持・発展させていくためには必要になる。
その特別な知が実は歴史学なのである。
========
「政治主導」というと、議会や官邸が官僚機構より
優位に立つことだと理解しているかたは多いでしょう。
ところが同時に、一般の国民が官僚より優位に立つこと、
すなわち政治主導とは「国民主権」ということだと、
意識しているかたは、あまりいないのでは?と思います。
議会や官邸が国民の代表、という感覚があまりないのか、
「政治主導は政治家が勝手にやっていること」と、
自分たち一般市民と離れているかのように、
思われている気がしないでもないです。
官僚(テクノクラート)は、その道の専門家集団です。
しろうとである一般市民がみずから判断して、
彼らより優位に立つためには、経験と常識しかなく、
それらを体系化したものが「歴史学」だ
というのが、本で述べていることだそうです。
ところが、ここ1-2年の様子を見ていると、
一般市民が官僚より優位に立てているとは、
とても言えない状況ではないかと、わたしは思うのです。
たとえば、「子ども手当なんてばらまきしないで、
代わりに保育所を作れ!」なんて、
子ども手当の嫌いらしい官僚が考えたと
思われる言説に、そのまま乗っかって、
民主党を批判するかたも多いと思います。
政治主導をどんどん後退させる、
民主党のていたらくを批判するのはたやすいです。
しかし一般の市民が、官僚の手玉に取られては、
政治主導が定着しなくても、無理もないでしょう。
まさしく「国民は自分たちのレベルに
ふさわしい政治家を持つ」のだと思いますよ。
2011年01月01日
この記事へのトラックバック
万邦無比の国家(6)イデオロギー創造の苦悩
Excerpt: 5.苦悩の始まり 内閣の議会に対する優位性を主張する「超然主義」は,議会が民衆の側に立っていたことを意味する。たとえそれが議員のパフォーマンスっぽいものを含んでいたとしても,政府が軍備に予算を..
Weblog: アルバイシンの丘
Tracked: 2011-01-03 00:06
『よい政治主導』とは?
Excerpt: 民主党政権の迷走のためか、『政治主導』そのものに疑問を呈する声が、あらたにすなどの投稿で出ている。 『官僚主導』でよかったものと。 だが、本当にそうだろうか。 僕は違うと思う。 行政組織のト..
Weblog: 早乙女乱子とSPIRITのありふれた日常
Tracked: 2011-01-12 00:57
今の日本の政治屋たちは、世襲のバカ息子か、極端な右翼か、労組のごろつき幹部か、マスコミに出ている電波芸者ばかりです。
どこに、まともな政治家がいるでしょう?
まぁ、私らは、それへのささやかな抵抗をしようとしているのですが、それでも、参加者はわずかです。
ある意味、日本の政治がこの程度なのは、日本人がこの程度、と、昔自民党の議員が言ったことがそのまま当てはまるでしょう。
政治主導も官僚支配の打破も案外、国民一般的には広く期待していないのではないのかとも思われます。
上の方のコメントにもあるように、政治屋がいい加減にやっていても官僚がしっかりしているから日本はもっている、のような考えが国民にはまだ根強くあるのではないでしょうか?
市役所職員の待遇を引き下げろ、みたいな次元での役人叩きはあっても、エリート中央官僚はしっかりやってくれてる、という信頼感を抱いている人は多そうです。
だから、政治主導や官僚支配の打破というスローガンにも積極的な支持が集まっていないのではないかと考えます。
記事をご紹介いただき,ありがとうございました。
>『「邪馬台国」と日本人』という本・・・本自体はもちろん日本の古代史のお話ですが、
この本の題目は出版社の「ひっかけ」ではないかと思います(^o^)/
正確には『近代皇国史観の形成史』のようなタイトルがふさわしい,というのが読後の感想です。
もちろん,邪馬台国論争の一方の主役である白鳥庫吉に関しては多くの紙数が費やされていますが,それは古代史そのものではなく,古代は近代歴史学確立のための「道具」の役に甘んじています。
処で,上のお二方のコメントでpilinさんの分析は誠にその通りと思います。
>政治屋がいい加減にやっていても官僚がしっかりしているから日本はもっている、
>市役所職員の待遇を引き下げろ、みたいな次元での役人叩きはあっても、エリート中央官僚はしっかりやってくれてる、という信頼感を抱いている人は多そうです
というご感想は誠にその通りと思います。そういう認識でも高度成長期では何の問題もなかったわけです。資本家対労働者という『階級闘争』を尻目に,税金を少しずつ掠め取ってこっそりと官僚王国を建設する,これが可能だったわけです。何しろ,富は泉のごとく湧き出すわけで,そういう状態でも官僚は「よくやっている」かのように見えました。
しかし,その当時の官僚たちの「作為」と「不作為」の双方で,農業は破壊され,経済も轟沈したわけです。これは絶対に官僚はよくやっていた,ということにはなりません。無論,政治家も国民もバカだったわけですが,この壮大な「実験結果」は決して官僚組織自体を信頼してはならないことを示していると思います。これを証拠と感じることが「歴史学の知」でしょう。
結局は国民のレベルに戻るのですが,初めの方が言われたような,
>今の日本の政治屋たちは、世襲のバカ息子か、極端な右翼か、労組のごろつき幹部か、マスコミに出ている電波芸者ばかりです。
という何でも一緒くたにした,皮相な見方に堕すことは止めたいものです。
自公政権を交代させたということは大したレベルだと思います。それなのに,その意味までが過小評価される,こうなるとまだまだ感は付いてきますねぇ。
「自民も民主も一緒だ」という特に左翼方面の人たちは,この低いレベルをいつまでも続けたいのだと思われます。(決して来ないであろう,自分たちが主導権を握る時代まで。)
ジャッカルさまとpulinさまにおっしゃりたいことは、
アルバイシンの丘さまの横レスでじゅうぶんで、
わたしから述べることはない、という感じですね。
ジャッカルさま
政治家を叩くのは簡単だけど、一般国民の多くが、
官僚の手玉に取られて世論が変な方向に流れてしまい、
菅政権が身動きを取れなくなっている
一面もあると思うのですよ。
新年早々からおもしろくないお話で恐縮だけどね。
議会制民主主義は全員参加のシステムですからね。
国民すべてがそこに参加するし、批判の対象にもなりえる、
ということで、あえて一般国民に対して
わたしが思っていることを、書いてみました。
pulinさま
「政治家より中央官僚のほうが信頼できる」と
思われている雰囲気はわたしも感じています。
最近とくに強まったように思います。
90年代だったか一時期は官僚に対する不信が
強かったこともあったと思ったんだけど...
(コイズミのころも、まだあったように思います。)
いつのまにかもとに戻った感じですね。
わたしの代わりに、おふたりにお返事したみたいで恐縮です。
>『近代皇国史観の形成史』のようなタイトルがふさわしい
なるほどねえ...
その本、ちゃんと見てみたほうがいいのかな?
それなら現代的な歴史学の話題に、自然とつながりそうですね。
わたしが思うに、民主党が政権を取れば、
あとは順調にことが運ぶ、という意識が、
いたるところにあったように思います。
(わたしも、この読みの甘さはあったので、
エラそうなこと言えないんだけど。)
そして、これはわたしの印象なんだけど、
国民の多くは、民主党を政権につけたのだから、
あとはまかせておけばなんとかなる、
くらいの感覚だったのかもしれないです。
つまり、前におっしゃっていたけれど、
「何かに引っ張られていく」という感覚のままで、
「自分たちもいっしょに政治や社会を作る」
なんて意識は希薄なのではないかと思います。
議会制民主主義は、構成員がそれを守ろうとする
意識がないと、なかなかうまくいかないものです。
国民全般における、このあたりの意識のとぼしさが、
官僚に振り回される原因の根源のように思います。
>「自分たちもいっしょに政治や社会を作る」なんて意識は希薄なのではないかと思います
これなんだと思うのです。ということは我が国民は民主主義学校のまだホントに低学年のままだということでしょう。
民主党政権の意義は,このことに気づかせてくれた,ということかもしれませんねぇ・・・
政治もそうだけど,国民自体が脱官僚を果たさなければならないですね。
>その本、ちゃんと見てみたほうがいいのかな?
ですが,この本で官僚制度そのものに言及した箇所はこの部分だけなんです。
それでもご興味があるようでしたら,ぜひお勧めです。なにより,学術的に非常に価値が高いのではないでしょうか。専門外の素人判断ですが。
ああ、いえいえ。
わたしもエラそうですから...
>これなんだと思うのです
エントリに書いたけれど、政治が一般市民と
離れたところにある、政治主導は政治家が勝手にやっている、
と思われていると、わたしが思ったのも、
このあたりにあったりします。
>国民自体が脱官僚を果たさなければならないですね
自民党は乗り越えたんだけどね...
>それでもご興味があるようでしたら,ぜひお勧めです。
こちらについてもご紹介ありがとうです。
こんど本屋さんに行ったとき、探してみるかな。
時として閉鎖的になりやすい官僚組織を、民間人から選ばれた政治家がコントロールする、行政の外側からコントロールするという点でも。
それに今は民間人の閣僚(片山さん)もいますし。
ただ、問題は政治主導を『いかに』行うかでしょうね。
これは閣僚に限らず、会社社長の場合でも言えるんですけれど、組織のトップというのは『雰囲気』を作るのが大事だそうです。
つまり、どんなことに力を入れるのか、優先順位を付け、それを下に指示していく。(なるべく足まめに)
閣僚も菅総理ももう少し、『何がやりたいか、何が大事か』をはっきりと発信してほしいと思いますね。
そうすれば政治主導が具体的な形で表れると思いますし。
コメントありがとうございます。
民主党政権の場合、なにをしたいかは、
じつははっきりしていて、衆院選のときのマニフェストです。
それをどうやって行なうかという実行力が、
代表(首相)には、求められているわけです。
民主党の代表選のうち、前回と前々回は、
そうした性質のものでした。
やることは決まっていて、あとはだれがいちばん実行力を
発揮できるかを選ぶ選挙だったのでした。
ところが、メディアや世論(ネットもふくめて)が、
変な「対立軸」を作って議論していて、
こうした事情があまり理解されていないなと
あらためて思ったりしたんだけど。
>『何がやりたいか、何が大事か』を
>はっきりと発信してほしいと思いますね。
ゆゆしいことに、現時点では、一般市民のほうから
かなり積極的に知ろうとしなければ、
わかりにくくなってますね...
メディアもあまり書いてくれないですしね。