2011年01月09日

toujyouka016.jpg 専業主婦は病気?

仙谷官房長官が、「専業主婦は病気」と言ったとか
言わないとかいう記事が、昨年の暮れにありました。

「仙谷氏「専業主婦は病気」と問題発言か 本人は「記憶にない」と釈明」
========
 仙谷由人官房長官が4月の子育てシンポジウムでの講演で
「専業主婦は病気」と受け取られかねない
発言していたことが27日、分かった。
========

 
なにごと?と思って、オリジナルを当たると、
昨年4月の幼稚園情報センターにおける
講演であることがわかります。
以下のPDFの資料の中に「専業主婦という病気」
というセクションがあって、これがもとの発言です。

「保育政策は人づくりと労働の長期的国家戦略」

戦後の高度経済成長期に専業主婦世帯という
家族が多く現れたが、不況になり女性の社会進出が
求められているにもかかわらず、
女性を専業主婦という立場に囲い込む状況が続いて
閉塞状態になっていると、言いたいことがわかります。

ようするに、戦後から現在にかけての家族に関する
常識的なことを述べているだけのことです。
「専業主婦」が多く現れたという社会現象を
「病気」と呼んでいたのでした。

かくして仙谷氏が、専業主婦をしているかたたちを、
「病気」などと個人攻撃をしているので
ないことがわかって、安心することになります。


オリジナルの「専業主婦という病気」が、
産経の記事では「専業主義は病気」に変化したのですが、
そのプロセスは、つぎのエントリでくわしく検証しているので、
これをご覧になればじゅうぶんでしょう。

「仙谷由人官房長官は、「専業主婦は病気」と言ったのか?」

産経の記事には、親切なことに出典が
出ているのですが、例によってあの八木秀次ですよ。
「仙谷氏の講演は、幼稚園つぶし、専業主婦つぶしの
共産主義イデオロギーだ」と、いつものような曲解を
『正論』2月号で展開しているとあります。

それを参照した産経新聞が、「専業主婦は病気」と
仙谷氏があたかも個人攻撃したと受け取れるかのように
解釈した記事を書いたことになるみたいです。


ずいぶんむかしの講演を、きゅうに産経新聞が
話題にしたのですが、やはり仙谷氏を叩いて、
一気にとどめを刺そうと考えたのでしょうか?

前のエントリでお話したように、いまの菅政権は、
でたらめでもなんでも叩いてびびらせたもの勝ち、
という状況になっているからです。
さいわいにして、取り上げたのは産経だけで、
ほとんど問題にならずに終わりそうですが。

それから、八木秀次などバックラッシュたちが、
文脈や文意を無視して曲解し、デマを拡散させるのは、
大むかしからの常套手段ですね。

それゆえ、バックラッシュに反論するかたたちは、
できるかぎりもとの出典に当たったり、
文脈に即した解読をするよう、心がけてきたのでした。


付記1:
今度のことで、八木秀次たちバックラッシュの手口が、
あの菊池誠さんにも見つかりましたよ。
http://twitter.com/kikumaco_x/status/19956711246794752

付記2:
おなじ問題意識にもとづくよい記事です。
「子どもを産むと“懲罰”が待っている日本」

付記3:
仙谷氏の講演に対して、建設的な批判があるとしたら、
社会現象に対して「病気」ということばを
使うのはよくない、という指摘くらいでしょうか。
「レガシー」

posted by たんぽぽ at 22:44 | Comment(25) | TrackBack(0) | 家族・ジェンダー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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この記事へのコメント
 せめて、“幻想”と表現すれば良かったのでしょうかね。
 でも、仙谷氏は
 「記憶にない」
 と逃げないで、
 「誤解だ。わざと自分の言っている事をねじ曲げている」
 くらい言っても良かったと思います。私としましては、この仙谷氏の言っている事は的を射ていると思いますし。たんぽぽさんが書かれている様に、
>ようするに、戦後から現在にかけての家族に関する
>常識的なことを述べているだけのことです。
>「専業主婦」が多く現れたという社会現象を
>「病気」と呼んでいたのでした
 だと思います。

 「自衛隊は暴力装置だ」も、最もな理論だと思うのですよ。どう見たって、自衛隊は軍隊ですし。他国と違うのは、
 「こちらから攻める事はしない」
 という解釈をされているという点でしょうが、軍隊である以上は仙谷氏も言っていたと思いますが、「シビリアンコントロール」をきちんとしなければならない組織であるのは、まず間違いないと思います。
 が、仙谷氏は、この時も逃げました。

 この政権では、きちんと説明責任を果たす、ということが出来ないのでしょうか?
Posted by 銀猫 at 2011年01月09日 23:19
昨年暮れですので、民主党が配偶者控除の廃止を断念した直後ですよね。その流れにだめを押しつつ、仙石降ろしを、との意図なのだろうな、と、私は解釈しておりました。

御紹介頂いた八木クンを経由しての言葉尻の変化のプロセス、面白かったです。改めて八木クンと産経新聞のろくでもなさを、再確認出来ました。
Posted by ニャオ樹・ワタナベ at 2011年01月09日 23:41
>銀猫様

>「シビリアンコントロール」をきちんとしなければならない組織であるのは、まず間違いないと思います。が、仙谷氏は、この時も逃げました。

おっしゃりたい気持ちは良く分かります。私も、なんであそこで謝ってしまい、丸川珠代には言われたい放題で(明らかに分かっていないのは丸川珠代の方だと私は思いましたが)、TVニュースで見ていて、本当にイライラしました。
ましてや菅総理は、考えてからしゃべる時間があったはずなのだから、「仙石氏の発言は至極真っ当であり、自衛隊の文民統制の重要性を述べたものだと解釈しています。」くらい言えよ!と思い、なおのことイライラしましたね。

たんぽぽさんの言われるとおり、菅政権は臆病なのかも知れませんが、私は、いちいちそう言う難癖付けが、もううっとうしくてしょうがない、と思っているんじゃないかと思います。
で、うるさいから適当にいなそうとするので、逆にそこに噛み付かれる、と言う感じなんじゃないでしょうか。

もう、開き直って、好き放題やれば良いと思うんですけどね。党内部にも足を引っ張るヤツがいるので、そうも行かないってことかなぁ。
ちゃんと切るべきところを切れるか。まずはそこが非常に気になりますね。
Posted by ニャオ樹・ワタナベ at 2011年01月10日 00:01
専業主婦に家事労働や育児をもっぱら担わせようというのも、戦後民主主義に毒された小市民的な考えではあります。
復古主義が理想とするような「古き良き日本」では、ちょっとした家なら「女中」を置いて家事や育児をさせていました。今でも地方の金持ちならありますね。
専業主婦が始終ベタベタ乳児幼児をあやしたりなんかしてませんでした。家事も主婦は女中を指揮。
母親が育児に密着せよというのは、戦後アメリカから導入された育児思想であり、つまりは家事育児をこなす専業主婦モデルもまた日本の伝統とは異質の「左イデオロギー」とも言えます。
戦後の専業主婦育児モデルを奨励したのは「左」の松田道雄氏あたりじゃないですかね。
Posted by pulin at 2011年01月10日 09:53
はっきり書いちゃうと、菅氏を支持する人々が反論して、本人は自分のbus"y"ness(本来忙しくすべき本業)に集中すればいいんですよね…なぜ政治家がグループになるかってーとそういうのが目的じゃなかったっけと思っちゃいます。

付記3については、「病気」ではなく「病的」と言い換えれば普通の表現だと思います。神経質も行き過ぎれば病的になるし、更に行き過ぎれば病気でもあります。価値観はグラデーションの中で相対的で時代に沿って変わりつつありますが、「夫婦のうちどちらかがいなくなったらすぐに家庭が成り立たなくなる」というレベルで考えれば、「日本の一般常識」は病的かもしれません。保守的な人々の夢想する理想的な日本の家庭は、いまだに協力ではなく分業なんですよね。

pulinさんの仰るように、かつては幼い子を見るのはその兄弟姉妹か、お手伝いさんだったんですが、出生率が減り、更にお手伝いさんの起こすトラブル(モノを盗んでいってしまう方もいらっしゃるとか…)が原因でなかなか「家」が直接お手伝いさんを雇用することが困難になってしまった現状もああいう認識を促進してしまったかもしれませんね。

アメリカでも、今は親側が「虐待していない」証人を立てるためにベビーシッターを雇うのが普通になってしまいましたね。でもそれって目的がちょっと違うっていうか(苦笑)。
Posted by mmm at 2011年01月10日 11:43
銀猫さま、コメントありがとうございます。

>「記憶にない」

記事を見たけれど、もうすこし釈明したみたいですよ。
(もちろん、記事になっていないだけで、
もっと反論したことも考えられます。)

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101227/plc1012271319010-n1.htm
|仙谷氏は同日の記者会見で「そんな表現をした記憶はない。
|男性中心社会の固定観念が病気であると、
|絶えず申しあげてきた」と釈明した。

産経が記事にするとき、「記憶にない」だけ
見出しに入れて、目立つようにしたんだと思います。


>「自衛隊は暴力装置だ」

こちらは本当におそまつでしたね。
筋を通すべきだと、わたしも思うのですが、
世論が吹き上がっちゃったので、
すなおに(?)「謝罪」してしまったんでしょう。

世論に逆らって筋を通そうとすると
かえって支持率が下がると思っているのでしょう。
それで世論がおかしいと思っても、
おとなしくそれにしたがったほうがいいと
判断するんだろうと思います。

「専業主婦は病気」も、話題にならなかったから、
なにごともなく過ぎているけれど、
世論が吹き上がったら、また筋を曲げて
「謝罪」していたんじゃないかと思います。
Posted by たんぽぽ at 2011年01月10日 22:43
ニャオ樹・ワタナベさま、
コメントありがとうございます

>その流れにだめを押しつつ、仙石降ろしを、

仙谷氏は、じつは政治主導法案の責任者なんですよね。
それで、この法案の審議を妨害したくて、
仙谷氏を目のカタキにするのもあるんだと思います。

>八木クンを経由しての言葉尻の変化のプロセス

今回は、親切にも(笑)、産経新聞が出典をあきらかに
したこともあって、軌跡がはっきりわかりましたからね。
これはもういつものことなんですよね...
どこかで本当に、がつーんと痛い目にあわないと、
反省しないんだろうと思います。
Posted by たんぽぽ at 2011年01月10日 22:46
pulinさま、コメントありがとうです。

「専業主婦」の発明は、19世紀はじめの
ヨーロッパだと思います。
当時はブルジョワだけのもので、
すべての社会層に広がったのは戦間期でした。

日本で定着したのは高度経済成長期だけど、
戦中の人口政策にも、「女のしあわせは、
結婚して子どもを産むこと」と教える母性教育があったので、
その連続もあったのかもしれないです。

アメリカの影響を受けた部分もある、というのは、
聞いたことある気もしますが。
Posted by たんぽぽ at 2011年01月10日 23:42
mmmさま、コメントありがとうです。

>菅氏を支持する人々が反論して、

そうそう。
ところがなぜか、一丸となって反論する、
という雰囲気が出てこないのね。

>「病気」ではなく「病的」と言い換えれば

わたしも、「病的」ならいいように思います。
社会現象にも使うことばでしょうしね。
(時代に合わなくなっているのに、前時代からの惰性で
いつまでも温存されれば、「病的」にもなるでしょうね。)

>でもそれって目的がちょっと違うっていうか(苦笑)

たしかにね。
方向性が「??」ですよね。
Posted by たんぽぽ at 2011年01月10日 23:46
育児は母親がスキンシップ的に行うのがベストで、日本でも太古の昔からそう考えられてきてそれが実践されてきた日本の美徳の一つである、(そこから、母親が働くからといって子供を保育所とかに預けるのは良くないという考えが導かれるわけですが)、しかし、これはどうも違うのではないかと私は考えましたので。これもまた作られた伝統観の一種かなと。
育児の歴史をきちんと研究している人もいると思いますから自分は深く言及はしません。また自分の考えが見当はずれなのかもしれません。
Posted by pulin at 2011年01月11日 03:33
>そうそう。
>ところがなぜか、一丸となって反論する、
>という雰囲気が出てこないのね。
なんだか残念ですね。同じ(または近い)考え方だからこそ集まっているんじゃないのかなと不思議に思います…

横レスしちゃいます。pulinさんへ。
>、日本でも太古の昔からそう考えられてきて
>それが実践されてきた日本の美徳の一つである
子には親と別の脳ミソが詰まっていることを忘れて「支配」と「服従」を愛しすぎる母親とそれを善しとしている人々も相当多いように感じます。そして結果、「理想的な家族」の子がある程度成長すると精神科に通ったりとか。自分の周囲も見る限り、母性も父性も扱い間違えるとそういう残念な方向に向かうみたいですね。そう考えると、日本の伝統的な善悪って誰にとっての善悪なんだっけ?って感じです…

「親は子を大事にすべきとはなかなか語られない。しかし子は親を大事にすべきとはあらゆる社会で常々語られる常識になっている」ある場面で聞いた言葉ですが、これが日本の伝統の真実だと思います。
Posted by mmm at 2011年01月12日 08:08
育児における母親の密着的愛情こそが日本の伝統的美徳で人間の自然でありそれ以外はおかしい、みたいな対立構図を作って暗黙の強制を図ろうとする風潮に対する疑義ですね。現代の企業社会の要請でしかないものを唯一無二の真理として押し付けられても?
Posted by pulin at 2011年01月12日 21:21
pulinさま

>育児は母親がスキンシップ的に行うのがベストで、

こう信じられるようになったのは、ご想像のとおり、
比較的最近で、250年くらい前からのことです。
http://lacrima09.web.fc2.com/teardrops/surround/bushi/instinct2.html

それ以前は洋の東西をとわず、育てきれない子どもを
里子に出すのはめずらしくなかったです。
しかもいったん里子に出したら、
ほかに跡取りがなくなった、なんてことでもないかぎり
実家に呼び戻されることもなかったのでした。

それから、母親がスキンシップ的に、というのは、
「母性本能」という(にせ)生物学で、語られることが多いです。
「科学的」は「伝統」よりも強制力が強いと思いますよ。
Posted by たんぽぽ at 2011年01月12日 22:08
mmmさま

>なんだか残念ですね。

このあたりは、前のふたつのエントリで、
書いたとおりだと思います。
打たれ弱く風に流されやすいので、不利な状況でも
下手に妥協せず筋を通す、という意識が働かないのでしょう。
http://taraxacum.seesaa.net/article/178478893.html
http://taraxacum.seesaa.net/article/179300877.html


それから、「子は親を大切にするのが美徳」という
伝統はあると思うけれど、「親は子を大切にしろ」という伝統は、
たぶんあまりないように、わたしも思います。

母親が育児をするのが好ましいというのは、
前のpulinさま宛てのコメントでもお話したように、
「生物学的基盤がある」と信じられている、
すなわち「本能」だと思われているからだと思います。
Posted by たんぽぽ at 2011年01月12日 22:10
戦後、「科学的」な「母性観」を弘めたのは先に述べた松田道雄氏などの線なのかなと思ったりもしますが、事情が複雑そうで自分は想像程度しかできないです。
Posted by pulin at 2011年01月13日 00:16
元々世の中って「親」側の論理でできてるわけで…だから未成年の人権ってのが難しい課題になっちゃったりするんですね…

>pulinさん
ああ、連想できるキーワードを入れてませんでした。ごめんなさいね。「墓守娘」というのが世にはあるんですよ。「これだけ子供に尽くしてやったんだから見返りをよこせ」というのが。

出典は: 「母が重くてたまらない―墓守娘の嘆き」
http://www.amazon.co.jp/%E6%AF%8D%E3%81%8C%E9%87%8D%E3%81%8F%E3%81%A6%E3%81%9F%E3%81%BE%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E2%80%95%E5%A2%93%E5%AE%88%E5%A8%98%E3%81%AE%E5%98%86%E3%81%8D-%E4%BF%A1%E7%94%B0-%E3%81%95%E3%82%88%E5%AD%90/dp/4393366255

まあ親がきっかけで精神科に足突っ込むのはよくあることですが、これは親側が「当然だ」と思ってるのでタチが悪いのです。
Posted by mmm at 2011年01月13日 17:30
過去の自分にもかかわることなので、意を決して書いてみます。

>pulinさん
>現代の企業社会の要請でしかないものを
>唯一無二の真理として押し付けられても?
善意を以って「してやった」から「喜べ」という命令が裏側に潜んでいる何かをぜひ思い出してみてください。私のブログの方に「全国のタイガーマスク様へ(http://mmmthinking.blog.shinobi.jp/Entry/19/)」というエントリでも暗に触れているのですが、善意というのはなかなか複雑で、状況によっては実はもらって困る善意というのもあります(匿名で玄関先に届けられた食べ物を何も考えず喜んで食べられますか?)。そして一方的に「(してやったのだから)喜べ、感謝しろ」というのもエゴであることに気づけるはずです…これは、家族内、親子内でも同じことと思います。

一例ですが、まじめなお母さん(子どももそう思っていた)が、子どもの自立準備を目の当たりにした時突然現金を出せ、とか、一人暮らし(または結婚)し始めたら職場や住居に押しかけて迷惑行為をし続け、子を失業や離婚にまで追い込んでしまうこともあります。しかも親子なので縁を切ることができません。こんな状況に追い込まれれば普通は精神科系の病気になりますよね。まあ、詳細は語りかねますが、過去私も「墓守娘」の一人でしたから「美徳としてのみ扱われる母性」という価値観に疑問を抱きます。

解決策は、「相手が本当にそれを望んでいるか」確認することと、「自分が相手に何か目当てを見出していないか」を自分に問うことだろうと思います。
Posted by mmm at 2011年01月13日 18:33
pulinさま、

松田道雄氏のことは、わたしはほとんど知らないです。
よって、コメントできないです、ごめんなさいね。



mmmさま、コメントありがとうございます。

のちほど、なにかコメントしたいと思います。
(こちらで議論を続けるのは、まったくOKですので、
遠慮なさらないで結構ですよ。)
Posted by たんぽぽ at 2011年01月13日 22:34
>たんぽぽさん
あ、どうぞよろしくです。私の考え方は「墓守娘」経験者としての「偏見」かもしれませんが、客観的なご感想を教えていただければと思います。

母子密着を「それが生物学的に正しい」としている間に、逆に父親を家族関係やその責任から遠ざけているような、そんな気もしています。仲間たちの話にはよく出てくるのですが、「俺は無関係だ、家庭のことはカアチャンに任せているという父親」は一歩間違えると「何があってもきづかない」。これは母子密着の裏返しかもしれません。
Posted by mmm at 2011年01月15日 17:28
mmmさま

pulinさまのおっしゃっているのは、
たぶん、母親が直接子どもを育てるべきだ、という、
「母性神話」や「3歳児神話」のたぐいのことだと思います。

(2011年01月12日 21:21)のコメントにある、
「暗黙の強制を図ろうとする風潮」というのは、
女性にこういう役割(母親や専業主婦)を
押し付けることを言っているんだと思います。

「現代の企業社会の要請でしかないものを」
という事実もあって、高度経済成長期に
日本ではこうした家族政策が採られました。

つまり外で働くのは父親で、母親は専業主婦となって、
外から帰って来た夫のために、家のことをやるのがよい、
という家族が「幸せ」であると、
企業利益のために普及させたのでした。


pulinさんは、おおむかしからの「伝統」と
考えていらっしゃるみたいだけど、
そうではなく、こうした考えが出て来たのは、
比較的最近の250年くらい前からですね。

子どもは母親が育てるべし、という考えは、
「母性は本能である」のような(にせ)生物学に
もとづいて普及してきたものだと思います。
専業主婦も、19世紀初頭のブルジョワジーの家庭から
はじまったもので、やはり2世紀程度の歴史です。


pulinさんは、このような母親、専業主婦といった、
女性の役割の固定化を批判したのであって、
(2011年01月12日 21:21)のコメントは
その釈明なのではないかと思います。
「子どもは親を大切にするべし」という伝統のことは、
pulinさんは、なにも言ってないんだ思います。

ただ、女性の役割固定が「伝統」と言ったので、
伝統なら「子どもが親を大切にするべし」だ、
mmmさまが訂正してきた、というところだと思います。
Posted by たんぽぽ at 2011年01月15日 23:54
母親のスキンシップが何より大切の育児観・産む喜びの母性観は、日本では古来からの伝統でも明治からの伝統ですらなく、戦時中の産めよ増やせよが戦後社会的に形を変えた時に(アメリカから)導入された育児思想なのではないか、というのが私の仮説でした。
Posted by pulin at 2011年01月16日 01:13
昔の日本で、「嫁ぐ喜び」はあっても「産む喜び」だとか「主婦として家事育児をやる喜び」なんて感覚が持たれたのかは疑問です。
それを持つように(持つべきとみなされるように)なった比較的近年の段階は進歩と捉えられなくもないにしても、戦後企業社会の要請でしかないと思う。
Posted by pulin at 2011年01月16日 01:19
お二方お返事どうもです。

>たんぽぽさん
>「子どもは親を大切にするべし」という伝統のことは、
>pulinさんは、なにも言ってないんだ思います。
言ってはいないのですが、まじめに「母性」を繕ってきた女性たちの結果に「子供に(無茶な)見返りを要求する」が含まれている、という話です。私は20代後半ですが、目にする話聞く話に、妙に私の親世代の親に「育ててやったんだ、もっともっと服従しろ」というのが多いのですよね…

>ただ、女性の役割固定が「伝統」と言ったので、
>伝統なら「子どもが親を大切にするべし」だ、
>mmmさまが訂正してきた、というところだと思います。
あ、逆です。「子供が親を大事に」は「孝行」としてかなり厳しく語られるのに比べて、「親が子を」は「従える」といった姿勢になってしまうのがより旧い伝統だと思います。しかし日本では、これは、未成年以上になっても変わりません。

また、「親が子を大事に」といった時、その「親」には時々「父親」が含まれていません。幼い子は母親とのある程度の密着は好むかもしれないけれど、あまりにそれを強調しすぎて子が父親を拒絶しているかのようにまで解釈されてきた点で、「異常」が発覚していると思います。わざわざ「イクメン」という単語を作っている時点で、「それは珍しいことだ」と認識されていることがわかります…

その比較的新しい伝統は家庭の人数が少なく、母親以外に子と一緒にいる人がいないので安全装置が働きません。

>pulinさん
アメリカから導入された思想であることは同感です。ただ、導入された当時の政治家たちの意図が組み込まれていると思います。「ご当主」であった祖父母を孫から遠ざけなければ、あのままのイエ制度が存続していたことでしょう。それでは、「親子」は今の形にはなっていないでしょうから、それは当時の政治家たちは不満を持っていただろうことは推測できます。

「嫁ぐ喜び」はまあ生家で邪魔者扱いされるよりは結婚できた方がずっとよかったでしょうね…「産む喜び」は、正式な妻としての立場を守ることができたという喜びの方がずっと強かったと思いますよ。男子を産めないとホントあの時代の女性は立場ありませんでしたから…
Posted by mmm at 2011年01月16日 12:48
>pulinさん
私はどうも一部読み違えたようで申し訳ございませんでした。私側は「美徳」は普遍なものとして見ていましたので、そこが「現代でも美徳」と表現しているように見えてしまいました。

ただ、その「理想的な母子像」への疑問に、私の挙げた内容を追加していただければ、と思います。墓守娘の親たちは50〜60代に妙に多いんですよ…それも、警察を呼ばなくてはならないほどの刃傷沙汰があったり、子が入院せざるをえないほどの鬱を発症したり、孫にまで影響が及んでいたり…明らかに極端なできごとも含まれるので、個別ではなく何かもっと巨大な共通背景があるに違いないと思っています。
Posted by mmm at 2011年01月16日 13:02
pulinさま、mmmさま
ていねいにコメント、ありがとうございます。

おふたりのやり取りを見ていて、すれ違いがあるなと
思ったので、おっしゃりたいことはこうではないかと、
わたしなりに考えてお話してみました。
一部不正確なところもあってもうしわけないです。
Posted by たんぽぽ at 2011年01月17日 22:55
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