2月21日エントリ「福祉のバランス」で紹介した図録に、
「フリーライド」ということばが出てきています。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1587.html
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福祉国家の発達により、高齢者扶養が私的扶養(家庭内扶養)から
社会的扶養(社会保険や税による扶養)に変化したのに、
子育て・教育が私的扶養でのみあり続けると、
子供を産み育てないで、高齢者になったときに
社会的な便益を受けようとする者(フリーライダー)が
増えることが示されていると思われる
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ところが、この表現に引っかかるという、ご指摘があります。
わたし自身引っかかったし、同様に感じたかたも、
すくなからずいるのではないかと思います。
http://twitter.com/Tetsuro_S_Phil/status/39677183957929984
http://twitter.com/Tetsuro_S_Phil/status/40080420594921473
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拝読。このデータは解りやすくて良いですね。
少子化対策には子どもに社会がお金をかけるのが効果的だと。
一方で、子なしが即フリーライダーと見做される事態は勘弁
(私みたいに子ができない等)
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たぶん、図録で書いている「フリーライド」とは、
「福祉のただ乗り」のことだと思います。
単に「子どもがいない」ことではないでしょう。
子ども手当や高校無償化など、子どもの福祉のために、
一定の税金を払っていれば、子どもがいなくても、
「フリーライド」にはならない、ということです。
ところが、図録の文章を見ると、子どもがいないこと自体が、
「フリーライド」と言っているようにも取れます。
とくに子どものいないことに対する、
現在の日本社会の風当たりを考えると、
そのように受け止められがちです。
諸般の事情で、子どもを持てない人もいます。
行政は本来価値中立であってしかるべきですから、
特定のライフスタイルを批判するありかたを、
行政がしてはならないですし、そういう意味なのでは、
おそらくないだろうと思います。
それから、現実には、「フリーライド」をしたいから、
あえて子どもを持たないというかたは、
めったにいないのではないかと思います。
http://twitter.com/Tetsuro_S_Phil/status/39699169434148864
http://twitter.com/Tetsuro_S_Phil/status/39698516326612992
実際には、お仕事と家庭の両立がむずかしいとか、
子どもを育てるには、経済的な負担が大きいとか、
あるいは、不妊などの医学的な事情で、どちらかというと、
やむをえず子どもを持たない、という感じのかたが、
多いのではないかと思います。
図録の当該部分は、子育ての当事者の視点ではなく、
天下国家の問題として少子化対策を語るかたを
念頭に置いているのでしょうか?
「フリーライド」とは、現状を分析したものではなく、
結果的にそうなるという、意味合いかもしれないです。
http://twitter.com/Tetsuro_S_Phil/status/40077026618515456
謝辞:
このエントリの内容について、コメントをくださった、
Tetsuro_S_Philさま、まことにありがとうございます。
子を持たないイコール「フリーライド」とみなしちゃう発言はそういった前時代的な思想背景を持っていそう…本当に税務署頑張ってー…
ちょっと調べたけれど、リンクした図録のような
使いかたが妥当なのかどうか、よくわからなかったです。
子を持たないイコール「フリーライド」は、
図録を読むと、そう言っているように聞こえるということで、
実際にそう考えて、図録を書いたのではないだろうと、
わたしは、いちおう考えてはいるのですが。
>実際に「子どもがいないと一人前じゃない、世の中に
>貢献していない」と公言してしまう人もいますしね(汗)
「少子化対策」というと、子どもを作らせる圧力をかけることで
解決しようとする人が、まだまだ多いんですよね。
一定の税負担をしていれば、子どもがなくても
いいはずなのですが、なぜかお金を出すことは、
猛烈に反発されるんですよね。