予算関連法案の審議が、あいかわらず続いていますが、
自民党が組み替え予算案を出してきましたよ。
子ども手当てや高校無償化などを廃止して、
公共事業を増額するというものです。
自民党が与党だったときの内容に、すっかりもどっています。
「自民、予算組み替え案まとめる 子ども手当やめ公共事業増額へ」
しょせん自民党はこういう政党だと言ってしまえば
それまでですが、議会運営上の戦略としては、
民主党に公約を「ほご」にさせることで、
解散総選挙に持ち込もう、ということです。
わたしが問題にしたいのは、子ども手当てを廃止して、
公共事業にあてる、というところです。
子どもの福祉そのものに反対の人はいざしらず、
「子ども手当てより保育所の充実を」と唱えていた人たちは、
これをどう受け止めているのでしょうか?
子ども手当てをやめても、その財源が保育所の整備に
あてられるとはかぎらなくて、
むしろ手当ても保育所もなくなる可能性が高い、
という危惧は、以前から言われていました。
「子ども手当--「手当より保育所整備を」は「対案」なのか」
「手当てか保育所か?」
自民党は、組み替え予算案を、
菅政権に丸飲みさせようとしているし、
菅政権は丸飲みの可能性も、なきにしもあらずです。
手当てに反対したら保育所もなくなるという、
以前の危惧が当たりそう、というわけです。
「手当てより保育所」と言っていた人たちが、
自民党の組み替え予算案の「手当てより公共事業」に
反対している声は、顕在化していないようです。
あれだけ子ども手当てに反対したのですし、
本当ならだまっていないで、組み替え予算について、
なにか釈明する必要があるように思います。
子ども手当ての意義は、子どものために
一定の予算を確保することで、
「子どもは社会全体で責任を持って育てる」という
意識を定着させることにもあります。
子どもの福祉が、こうも簡単に風前のともしびと
なるようでは、日本社会というのは、
それだけ子どもを大切にしていないことになります。
子どもの数が減って行く、いわゆる「少子化社会」になるのも、
ごもっともなことだと思います。
関連エントリ:
「子ども手当てがあぶない」
「子ども家庭省が先送り」
「福祉のバランス」
「福祉のバランス(2)」
2011年02月27日
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ところで、何十年も前から、「日本は高齢化が進んで◯人で一人のお年寄りを支える時代が来る」と言われているわけですが、自分がその支えられる側になることを想像できない人がいるんですね。
教育もなく低収入の国民ばかりの社会よりも、知識と技能のある国民が多い方が豊かな社会になるわけで、高齢者を支える余裕も違いますよね。
利己的に考えても、子育ての一端を社会が担う方が得なわけです。
だからこそ、皆で豊かな社会にしたいんですがねー。
「公共事業に充てる」って、どんな目的でどんな公共事業に充てるつもりなのかを言ってもらわんと、具体的に何をしたいのか、ちぃとも分かりません。
ここから読み取れる主張は、以下の2点だけですね。
・法案の中身はともかく、民主党の一番のウリなんだから、俺らはぜってぇ反対。
・連中が国民にばら撒きたがっている金は、俺らがバッチリ取り戻して官僚の皆さんにお配りしますんで、応援ヨロシク!
こんな主張しか出来ないようなら、さっさと解党しなさい。
>キンシャチ様
>教育もなく低収入の国民ばかりの社会よりも、知識と技能のある国民が多い方が豊かな社会になるわけで、高齢者を支える余裕も違いますよね。
横からでなんですが、当然だと思います。
そうでなくともこの先、子供の数は確実に減り続けます。出産適齢期の女性の人口が、この先40年は減り続けるんだから。だからこそ一人でも多くの子供が、己が持てる才能を存分に発揮出来るように育てることが、何よりも国益にかなうことではないでしょうか。
そのためには、親や教師や地域社会が、精神的に余裕を持って子供に接することが出来るようにする。それしか無い。人を育てるのは人ですから。
そのために国が出来ることは何か、と言うような観点での議論を少しはしなさいよ、と、いっつも思うのですが、最近、思っても空しいだけで・・・。
そもそもその前に、今現在、充分な知識と技能を持っている何千万人もの日本人女性を、夫婦同姓の強要、配偶者控除、第3号被保険者などと言う怪しげなアメとムチで家庭に押し込めていることが、どれだけ日本のポテンシャルを下げているかを、少しは考えろっての。どっちが亡国なんだか・・・。
それでいてGDPが中国に抜かれたら、「日本の没落が始まった!」とか大騒ぎするし・・・。
10倍以上の人口差を忘れているウルトラ馬鹿っぷりは置いておくとしても、片足にスパイクを履きながら、もう片足は下駄履きのまま徒競走を繰り返すような愚行を、いつまで続けるつもりなんでしょうか?
なんだかんだ言って、「子は親の持ち『物』」という考えに囚われているような。大事にされなかった子どもたちにたかるのは紳士淑女なのかなーと。20代としては、ただたかられているように思います。こちらはそう思いたくないんですが。親世代側が歩み寄らなければただ潰れてIMFに助けてもらうだけですが、歴史に恥の記録や不名誉を残してまで今を続けるかどうかが見ものだと思っています。私は一般市民ですから、そうなったらせめてその結果はしっかり受け取って次世代に引き渡したいと思います。
実は、私は諦めています。
少子化対策に反対する人の意見のうちに、
むかし(明治とか江戸時代)は、少子化対策などしなくても、
女性はたくさん子どもを産んでいた、というものがあるんですよね。
そういう時代は、子どもひとりにかけるリソースが
すくなかったからで、そのぶん、早死にも多かったし、
教育水準も低かったんですよね。
子どもにリソースを使ったほうが、
知識や技量のある国民が増えるのですから、
将来的には国が発展するに決まっていますよね。
まがりなりにも、国民の知的水準が上がったから、
よりたくさんの生産的活動もできるようになって、
ひとりのお年寄りを支える人数が、
だんだんすくなくてすむようになっているのですし。
>市民はみな自由な個人
>だからこそ、皆で豊かな社会にしたいんですがねー
はーい、それはもちろんのことですね。
子どもにリソースを使うのは、
将来的に社会に還元してもらう以前に、
子ども自身が知的で豊かになってほしいと、
わたしも思っているところです。
女性政策の立ち後れと少子化の進行については、
さまざまな議論がなされるところですね。
子どもの数が減っているからこそ、ひとりあたりに使う
リソースを増やすときだとも、言えると思います。
国民の知的水準が上がれば、すぐは効果がなくても、
将来大躍進する可能性が出てくるのですしね。
「自民党な人たち」が考えそうな、子どもの福祉は減らしても、
女性は家庭に入れて、子育てに専念させば、
リソースを使わなくても、子どもの数が増える、
という考えは、いまさらうまくいかないですよね。
たとえ、うまくいったとしても、子どもに使う
リソースを減らして、人口ばっかり増えるのですから、
国民の知的水準は下がると思います。
人口過剰な開発途上国と状況が似て来て、
負担にしかならないことでしょう。
>それでいてGDPが中国に抜かれたら、
>「日本の没落が始まった!」とか大騒ぎするし
あの手の人たちの考えていることは、よくわからんですね。
見識が狭いのかもしれないです。
>自民党やべえ、と思ったのは、
戦後の日本はずっと、国民の福祉は企業に任せて、
国は企業が利益を上げることに関心を払って来た、
「手当てより公共事業」というのは、
そういう時代の考えかたなんだと思います。
国民の多くがまがりなりにも「自民党やべえ」と
思っていたことはたしかで、それがおととしの
政権交代につながったんですよね。
新政権の権力基盤は思ったより脆弱で、
既得権益層はまだまだ堅牢だった、というところでしょうか。
>親世代側が歩み寄らなければ
20-30代(若年層)の親世代は、
残念ながら、まだまだ前の時代的な考えかたに、
とらわれているみたいですね。
>実は、私は諦めています
この社説を見ると、日本は高校生も
「私個人の力では政府の決定に影響を与えられない」と
考える子が、外国と比べて多いんですよね。
無力感は、若い世代に蔓延しているようです。
http://sierblog.com/archives/1371181.html
ヒトとして残念すぎますが、「民主主義は数が動かす」のです。大多数が明らかに狂っている。カネの無い人の存在を無視したり税金の役割を「たかっている」と見ているであろう癖とカネを持つ上の世代や彼らに付き従う従順な「こどもたち」を、誰が説得できましょうか。驚くべきことに、彼らは「孝行している、正しいことをやっている」と信じているのです。そして、カネを持たないお年寄りは自分を責めている。「自己責任」を信じているのは上の世代からだと思います。
自己責任が問題だという理由は…自己責任が行き過ぎれば自己依存(ひとりよがり)となる…この表現はクリスチャン系書籍に時々現れるもので耳慣れない・読みなれないものかもしれませんが、これは日本人像の一部になるかもしれません。
>むかし(明治とか江戸時代)は、少子化対策などしなくても、女性はたくさん子どもを産んでいた
産んでいましたが、予定以上に産んでしまった場合の間引きも、江戸時代にはやむを得ないものとして暗に認められていました。
明治政府は法律で間引きを禁止し、強引な人口増加計画を推進しましたが、農村では食べさせられなくなった娘を、都会に身売りするケースが多発したそうです(その先の話も含め下記参照)。
http://www.inagakilaw.com/asof/html/2010/08x10/081310.html
そんな時代と現在とを同列で論ずるなど、ナンセンスもここに極まれり、ですね。
>女性は家庭に入れて、子育てに専念させれば、リソースを使わなくても、子どもの数が増える、という考えは、いまさらうまくいかないですよね。たとえ、うまくいったとしても、子どもに使うリソースを減らして、人口ばっかり増えるのですから、国民の知的水準は下がると思います。
心配なさらなくてもそんな方法で、子供の数が増えるわけがありません。日本人女性はブロイラーではない。
今は、女性用ハイテク体温計やルナルナ等の携帯サイト、各種避妊具などなど、己の身の丈やライフスタイルに合わせた家族計画を実行する術がたくさんありますのでね。
(それでも予想外や望まない妊娠も勿論あるのですが・・・)
(男性にも各種自家発電用グッズから疑似体験専門店まで、色々ありますね・・・)
もっと言えば、「福祉のバランス」エントリで、たんぽぽさんに御紹介頂いたグラフの出生率。
子育て福祉が充実している(と私が思っている)、フランスやノルウェーであっても出生率は1.9人ですね。2.0人未満と言う事は、単純に考えればこれらの国でさえ、この先人口は減るのです。ちなみに日本は1.3人と言ったところですが・・・
「少子化対策」と言うとイコール「子供の数を増やす」とか「でもって人口を増やす」と考えてしまいがちですが、私はこれは大きな勘違いだと思うんですね。「大雨対策」と言われて、どうやって降水量を減らそうか考えるみたいなものではないかと。
子供の数が減ることを前提として、その状況に即した社会に変えていくことが、真の少子化対策ではないでしょうか。
フランスやノルウェーなどの子供のための福祉の充実は、そうした「真の少子化対策」であって、出生率が1.9人まで回復したのはその副次的効果に過ぎない、と言えるのかもしれないと思います。
無事に修論が終わったところです。
今は予算案、参院で審議中ですね。
ともあれ自民案、一歩譲って公共事業が景気対策になるとしても、それが民主案に比べてどれだけ効果的かをしめさないと。
民主の造反組も、理念や政策が語れないなら一致団結すべきです。
お返事が遅くなりまして、もうしわけないです。
ああ、いや、
あきらめるのが悪いと言っているんじゃないです。
問題なのは、高校生にまであきらめさせている、
オトナたちのほうだと思います。
問題があるオトナたちの力は相変わらず強くて、
どうにもならなかった、というのが前のコメントの趣旨です。
彼らに対して効果的な対策があるとは、わたしも思えないです。
>http://www.inagakilaw.com/asof/html/2010/08x10/081310.html
このコンテンツ、おもしろいですね。
人口膨張政策は、明治のはじめからあったのですね。
このころ多産だったのは、子どもの何人かを
都市労働者にすることを前提としたものだったのですね。
じつは江戸時代も、子どもの何人かは、
都市労働者の予備軍だったようです。
http://www.nagaitosiya.com/a/population.html
江戸時代は人口抑制政策として働いていたんだけど、
明治政府は、これを積極的にやって、
(たぶん、都市の衛生環境を改善したのではないかな?)
人口が増えるようにしたのでしょう。
いずれにしても、多産だった時代も、
子だくさんは家計の負担になるに違いはなく、
多産が実現しているのは、それを補償するものが、
国から与えたからには、違いないのですね。
>(その先の話も含め下記参照)
最後、過剰な人口を支えきれなくなると、
オトコもオンナも、「人類史上最古の職業」になるのですね。(悲)
>子供の数が減ることを前提として、その状況に即した社会に
>変えていくことが、真の少子化対策ではないでしょうか。
たしかにそうですね。
(子どもの数が増えることにばかり、眼を奪われがちだけど。)
>子供のための福祉の充実は、そうした「真の少子化対策」であって、
>出生率が1.9人まで回復したのはその副次的効果に過ぎない
そう思ったほうが、むしろいいかもしれないですね。
>無事に修論が終わったところです
おつかれさまでした。
>一歩譲って公共事業が景気対策になるとしても
>それが民主案に比べてどれだけ効果的かをしめさないと
ごもっともです。
でも、あれはどうみても、議会運営上の戦略という感じですね。(悲)
>民主の造反組も、
こちらは、小沢氏の扱いに対する抗議だからね...
>じつは江戸時代も、子どもの何人かは、都市労働者の予備軍だったようです。
http://www.nagaitosiya.com/a/population.html
こちらこそ面白いサイトを御紹介頂き、感謝します。なるほどねー、です。
30年以上昔に読んだ「学習漫画日本の歴史」の1シーンを、今、思い出しています。
時は江戸後期、農村から江戸に出てきた若い大工が風呂屋に行き、同じく農村出身の「風呂屋のさんすけ」に背中を流して貰いながら、二人して「稲刈りは終っただろうか?」みたいな話をしていると言う・・・
参勤交代で諸藩の武士を大勢、江戸に住まわせるのですから、当然、それを支えるための産業が必要になりますね。そしてその産業を担う人を支えるための産業が必要になり栄える、と。まさに、一大公共事業な訳です。
そこまで考えての「参勤交代制度」だったんだとしたら、これこそまさに慧眼ではないかと思います。
お隣の中国は現在、「一人っ子政策」なる超強引な手法を取っていますが、それより400年も前の日本で、このようなきちんとしたシステムが組まれていたことは、驚きですね。
>いずれにしても、多産だった時代も、子だくさんは家計の負担になるに違いはなく、多産が実現しているのは、それを補償するものが、国から与えたからには、違いないのですね。
江戸幕府はね。
明治政府も、「補償」するものを与えようとしたのかもしれませんが、それが何だったのか。そもそも国を挙げて「多産」を奨励した目的は何か、が気になります。
徴兵制で集める兵隊の数を増やすこと=富国強兵、と言う理屈?
これだって働き手としても余ってしまう農村・漁村の男子に、国が飯を喰わせてくれるのですから、その点だけ見れば、徴兵期間中の数年間にせよ、完璧な「多産に対する補償」です。その兵隊をどのように使ったか、あるいは使おうとしてたのか、と言う、極めて重大な問題があるにせよ。
>そう思ったほうが、むしろいいかもしれないですね。
私の言いたかった通りに受け取って頂けて、これまた感謝しております。
>駄目押しとして、まさに公共事業をばらまこうとしているので
「ばらまき」は、民主の4Kじゃなくて、
自民の1K(公共事業)じゃないかってね。
自民党は公共事業をばらまくやりかたが破綻したと
思っていないんでしょうかね。
(それとも、失敗したと思っているけど、
票のために既得権益層に愛想をふりまきたい?)
>http://www.nagaitosiya.com/a/population.html
>こちらこそ面白いサイトを御紹介頂き、感謝します。
>なるほどねー、です
ご覧いただき、ありがとうございます。
参勤交代のことは、わたしはくわしくないので、
残念だけどコメントは控えますね。
>明治政府も、「補償」するものを与えようとしたのかもしれませんが
おそらく、江戸時代から続いている、子どもを江戸(東京)に
奉公に出す、という習慣をベースに、
東京の環境を改善して、積極的に人が集まるようにした、
ということではないかなと思います。
東京で暮らすことがステータスになるようにしたのですね。
目的はやはり富国強兵策でしょう。
もちろん徴兵を課して、戦争のないときにも常時兵を雇って
訓練をほどこすのですから、お金がいっぱいかかります。
たしか、明治の初めに「地租改正」という
大規模な増税策があったと思います。
その財源をあてたんじゃないかと思いますよ。
わたしは、明治時代もくわしくないので、
憶測だらけになって恐縮だけど。
(なので、信憑性はその程度と思って聞いてください。)