産科学会の会則改正で、事実婚にも不妊治療が認められたことや、
パスポートの旧姓並記ができる職種が拡大するとか、
事実婚や通称使用の認められる範囲は、
すこしづつではありますが、広がり続けています。
ところで、選択別姓の導入そのものを反対する、
反対論者たちは、このような、個別の事実婚や通称使用の権利が、
広がっていくことを、どう思っているのでしょうか?
このあたりについて、彼らは、述べることがないようで、
どう考えているのか、いまひとつ、よくわからないです。
事実婚や通称使用の権利が拡大すると、彼ら反対論者たちが、
それに反対するというお話は、そういえば、ほとんど聞かないです。
(民法それ自体が改正されそうなときの、
猛烈な反対と打って変わって、まったくもって静かです。)
これは、ふだんから、「事実婚や通称使用でじゅうぶんだ」と、
言い放っているから、反対できないのかというと、
そうでもない感じです。
だからといって、反対論者たちが、事実婚や通称使用の
認められる範囲が、個別に拡大することを、
積極的に支持しているというお話も、やはり聞かないのでした。
「事実婚や通称使用でじゅうぶんだ」と、
いつも言っているわりには、無責任とも言えますが。
わたしが思うに、彼ら反対論者たちは、
事実婚や通称使用が、どこまで認められるか、
ということには、さしたる興味がなさそうな感じです。
そもそも、不妊治療が受けられるか、とか、
旧姓のパスポートが取れるか、といった心配は、
実際に名前のことで、いろいろと苦労しているかたが、
強い関心を持つことです。
おおかたの反対論者は、ご自分では、名前のことでは、
なにも困ってない人たちだろうと思います。
それでこのように、むしろ「くらしの便利帳」に、
属するようなことには、ほとんど関心がまわらず、
具体的な意見もないのかもしれないです。
もうひとつ、反対論者たちは、実際に苗字のことで、
さまざまな不都合のある人たちを直視せず、
「これでうまくいくからいいのだ」と、ひとりよがりに、
納得できる「理由」を探すきらいがあります。
自分自身をあざむき、ここちのよい虚構を幻視するためには、
できるだけ現実のようすを、知らないほうがよいことになります。
それで、事実婚や通称使用の実態といった、
きわめて現実的なことは、見ないでいたいのかもしれないです。