菅首相がなぜ失敗したのか、市民運動出身宰相の限界、
という観点から考察しています。
「「菅首相」なぜコケたか 同じ「市民運動出身」辻元衆院議員が語る」
「「菅首相」なぜコケたか 同じ「市民運動出身」辻元衆院議員が語る」(全文掲載)
(はてなブックマーク)
市民運動出身の宰相が失敗する原因のひとつ目として
批判するのは上手だけど、批判されるのが下手、
ということを挙げています。
「確かに(市民運動出身の政治家には)批判するのは上手でも、
批判を受けるのは下手という特徴がある。私もそうなわけですよ。
そりゃ『総理!総理!』と言ってるほうが簡単やで」
これは、わたしも思い当たるところが、多々ありますよ。
わたしがむかしかかわった、インターネットの
選択別姓の市民団体が、まさにそうでした。
「水伝騒動」が示すように、ブログで政治の話題を書いている、
リベラル・左派の人たちもそういう人は多かったです。
これらの人たちは、自分が批判をするときは
威勢がいいのですが、自分が批判されるときになると、
ほおかむりをして黙り込むなど保身的になったり、
自分の言動に無責任になったりするのですね。
ふたつ目の理由は、考えの異なる人や、やりたくない仕事と
かかわるのが苦手だ、ということを挙げています。
市民運動はおなじ考えの人たちと、やりたいことを
やっていればよいが、総理大臣は「統治」をするので、
そうはいかない、ということです。
でも、総理大臣になったら『統治』をする。
統治とは考え方が違う人、相反するイデオロギーを持つ人をも守ること。
そして、やりたい仕事だけでなく、やりたくないことでも
妥協しつつ利害関係を調整することなんです」
菅(元)首相は自民党や官僚などに対しては、
かえってつけ込まれるような譲歩ばかりして、
党内で立場の異なる人(小沢氏)に対しては、
攻撃的で排他的になることを、以前わたしはお話しました。
これも考えの異なる人への対応が苦手なことの現れと
考えることができるでしょう。
3つ目の理由は、菅直人氏はリーダーとしては、
「市民参加型」だからだ、ということがあります。
これは菅氏の資質というよりは、一般市民の責任だと思います。
市民一人一人に社会に参加してもらう市民参加型です。
こちらは、まず子育てやまちづくりで同じ考えを持った人が地域にいて、
さらにそういう発想の地方議員が増えなければ安定しない。
日本社会においては、一般市民も政治に参加している、
という意識がうすく、「政治とは政治家が勝手に
やっていること」と思って、一般市民と離れていることのように
思われているようだと、以前わたしはお話したのでした。
実際、市民参加型の統治が安定するには、
いまの社会はじゅうぶん成熟していないのかもしれないです。
そしてこれは、日本の民主主義の今後を考えていく上で、
とても深刻なことではないかと思います。
私も以前、上記の名前でブログを運営していた時は、反・安倍晋三から、安倍が自滅したので、次は政権交代を目指す段階まではゆるやかな共闘関係にあった、一連のブログ・オーナーたちの多くが、罵倒や、批判しかしない人ばかりで、政策論ができる人は少なく、政権交代後は、私を含むごく少数のブログ・オーナー(私は、前のブログは閉鎖し、民主党が何をするかしばらく様子見をしていたのですが、1年で正体が割れましたね。今は、やっと新しいブログが落ち着き始めたところです。)だけが、政策論や、思想面での自己構築を試みてきましたが、他のほとんどのオーナーは、批判する対象であった自民党が政権を失うと、バッシングの対象を求めてさまよい、しまいには植草ブログに全面依拠する、小沢真理教カルトに堕落してしまいました。
菅の時は菅批判・罵倒、野田になってもすぐには何も新しい事はできずに、小沢が海江田を支持したことで、実は推進派の黒幕だったことを初めて知り、自分のやってきたことのエクスキューズに終始していたら、植草がまた野田批判を始めたので、またもや野田バッシングに追随。
植草のブログの動機は、彼の有罪が確定した性犯罪が事実なのか冤罪なのかは知るところでは無いですが、植草個人の、国家権力憎しの恨みが元にあるのと、彼の妄想でしょうが、学者としての復権を、今度は自民党に媚びることで取り戻そうとしている様で、実際には思想も政策も無い(と言うか元は新自由主義経済学者でしたし)奴なんですが、似非左派ってのは、学者とか、政権批判をする奴にころっと騙されてしまう傾向がありますね。
自己構築が未熟でも、批判だけならだれでもできますからねぇ。
その意味で市民運動をしている人でも、本当に実のある行動を現実世界で取っている人は、長年「もやい」の様な活動をしてきた、湯浅誠さんみたいな、ごく少数の人しかいないのが現実では無いでしょうか?
その意味では、共産党や社民党の支持者も、ほぼ同じ面があると思います。
しかし、一つのムラの中では少数派に対して(議論のテーブル上ではなく、別の場面で)手厳しい「態度ややり方を貫く」という面を考えると、議論が苦手以前の問題です…
「多数派だから正しい」という認識がまかり通っている(という認識さえも少数派かもしれませんが、集団心理や集団ヒステリーという言葉もありますよね)と考えると、やっていることが変わっただけで、過去のWWU時代と思考パターンは同じような気がするのです。
政治家としての基礎訓練ができていなかったとか統治に慣れていなかったとか,枝葉末節とは言いませんが真の使命感を持っていればこんな混乱状況にはなっていなかったと思います。
菅さんの最大の問題は市民運動家出身のくせに国民を味方につけようとする動きが全く見えなかったことです。菅さんの眼は決して国民を見ていなかった。反対勢力への対抗心と霞が関に対する気おくれ感しか,私には感じられなかったです。
その気になれば国民へ直接語りかけることができたはずで,そうであれば国民は熱狂的な味方になっていたはずです。歴史に残る名宰相の機会をみすみす逃したのです。
やはり,宰相の地位を賭けることへの躊躇とそれだけの決断力と使命感が欠如していたからと見ざるを得ません。(下手な使命感ほど迷惑なものはありませんが,別の話)
尤も,近くで見る機会なんてないので,単なる印象に過ぎません。
たぶん,誰が首相であったとしても大同小異だったとは思いますが,それが批判を免れる理由にはなりません。
このエントリにコメント、ありがとうございます。
>一連のブログ・オーナーたちの多くが、
>罵倒や、批判しかしない人ばかりで、政策論ができる人は少なく
政権交代後、彼らはどうなるかと、わたしも思ってたんだけど、
当初は攻撃目標がなくなって、やりにくそうでしたね。
それからのち、民主党をふたつにわけて片方に肩入れする
という図式が、描こうと思えば描けるようになって、
方針というか目標がまがりなりにも定まったのが、
よかったのかどうかは、わたしにはわからないです。
>湯浅誠さんみたいな、ごく少数の人しかいないのが現実では無いでしょうか?
じつは市民運動の大半は、失敗しているのでは?と、
悲観的なことを、わたしは思っていますよ。
一般の市民団体も多かれすくなかれ、上述のような
問題のブログ書きとおなじ体質は、あるのかもしれないですね。
基本的に反対派はいないですし、権力の批判をしていれば
ことが足りますからね。
ここでわたしが書いたことは、むかしかかわったネットの
選択別姓の市民団体の体質でもあるんですよね。
http://twitter.com/pissenlit_10/status/25923896993652738
菅政権にもおなじ体質があるので、
わたしにはわかりやすかったのでした。
さらに言えば、「サヨク」の体質でもあるんだけど。
社民、共産の支持者に、似たような体質があるのは、
むべなるかな、だろうと思います。
このエントリにコメント、ありがとうございます。
>ほとんどの一般つまり「ふつうの」日本人と言われる人は
>そんな環境の中で育っています。
たとえば、ふたつ目にあげた、考えの異なる人とかかわるのが苦手、
というのは、日本人一般の特徴とも言えますね。
>一つのムラの中では少数派に対して(議論のテーブル上ではなく、
>別の場面で)手厳しい「態度ややり方を貫く」という面を考えると
菅政権の小沢氏に対する扱いは、まさにこれだけれど、
(あれは「サヨク的」でもあるけれど)、
「日本的ムラ社会」の特徴とも言えますね。
このエントリにコメント、ありがとうございます。
>菅さんが失敗した理由についての辻元氏の分析には欠けている点があると思います
辻本氏の分析は、「こういう見かたもある」という
性質のものだと思います。
核心をついたとか、すべてを指摘した、というわけでは
ないと思うので(わたしはそう思った)、欠けているものがあると
感じるかたがいるのは、無理もないと思います。
>国民を味方につけようとする動きが全く見えなかったことです。
そう言われてみれば、そうかもしれないですね。
国民を意識することが効果的と思える、原発事故の対処でさえ、
じゅうぶん国民を見ていたとは、言えない感じでしたしね。
わたしの分析は、何度かお話しているように、
以下のようなので、「保身に終始して国民に眼をむけている
余裕がなかったのだろう」と考えることになるんだけど。
http://twitter.com/pissenlit_10/status/25923896993652738
思想の左右にかかわらず、ひとつのトピックで同じ意見を持っていれば充分味方(敵の敵は味方)であると思うのですが…「党」というものも、かなり詳細なところまで思想の範囲を指定しているので、まとまるより分裂する方がより簡単なんでしょうね。だからこそ彼らは保身に走るんだろう、と予想します。
>そして、本来議論のテーブル上では「意見を同じくする
>『他の視点のグループ』」の人たちも味方になるはずなんですが、
>視点が違うだけで「敵」として扱われてしまいやすい
>という点もちょっと残念です。
わたしがむかしかかわった、ネットの選択別姓の
市民団体も、そうでしたね。
最初の1年くらいは、「お仲間」のうちで意見の違う人を
排除することに、明け暮れていたのではないかと思います。
(わたしも、排除された一員だけど。)
一般に、ヒダリの人は、意見の違いから分裂を起こす
「内ゲバ」を起こしやすいと言われているのですが、
おっしゃるようなことが、よく当てはまるのかもしれないです。