9月27日エントリのコメント欄でも出て来たことで、
すこし前のことですが、ここでもご紹介したいと思います。
婚外子の相続差別に対して、高裁が違憲判決を下しました。
「婚外子の相続差別は違憲 大阪高裁決定「家族観が変化」」
「婚外子:差別は「違憲」…同等の相続認める 大阪高裁」
「社説:婚外子相続差別 国会は解消に向け動け」
「【裁判】大阪高裁 婚外子差別の民法規定は違憲と判断 8月24日」
高裁決定は8月24日でした。
新聞記事になったのは10月4日なので、マスコミが情報を得るまでに、
なぜか1ヶ月以上経っていたりします。
それでも翌日には、違憲判断を支持する社説も書かれてはいます。
決定理由は、mネットの記事を孫引きすると、つぎのようです。
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「子の法律上の取り扱いを嫡出か非嫡出かに区別することは、
本人の意思によっては左右できないことによる区別となるうえ、
非嫡出子(婚外子)の法定相続分を嫡出子(婚内子)の
法定相続分より少なくすることは、法が非嫡出子(婚外子)を
嫡出子(婚内子)より劣位に置くことを認める結果となり、
法が非嫡出子(婚外子)に対するいわれない差別を
助長する結果になりかねない」
「平等化を促す事情が多く生じている」とする根拠に、
96年の法制審答申、婚姻や親子関係の実態や国民意識の多様化、
規約人権委員会からの意見、諸外国の差別撤廃の進捗などを挙げています。
また、法律婚を尊重するという立法目的と相続分の区別に
合理的な関連がなく、「区別を放置することは
立法府の裁量判断の限界を超えている」と厳しく指摘しています。
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また朝日の記事を見ると、08年に改正された
外国人の母と日本人の父とのあいだの非嫡出子に関する
国籍法のことも根拠に挙げられています。
この国籍法改正は、法案の審議に入ったところで、
「国士さま」たちが騒ぎ出して、大変なことになったのでした。
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外国人の母と日本人の父との間に生まれた後に
父から認知されても、両親が結婚していないことを理由に
日本国籍を認めない当時の国籍法は、憲法の「法の下の平等」に反すると
判断した08年6月の最高裁判決にも触れた。
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1995年に最高裁判所で最初に婚外子差別について、
審査されたときは、合憲判断が下されたのでした。
違憲としたのは15人の裁判官のうち、5人だけでした。
そのあと最高裁の小法廷で、3回違憲審査がなされています。
3回とも、5人のうちふたりが違憲、3人が合憲ですが、
合憲とした3人のうちひとりが「違憲の疑いもある」
「すみやかに法改正を期待する」という補足意見をつける、
という膠着状態が続いたのでした。
最初の最高裁判断から16年を経て、婚外子の相続差別に対して、
ようやくはっきりと違憲の判断が下されたことになります。
昨年の7月に婚外子差別について、最高裁が大法廷回付をして、
判例を書き換えるかと期待をされたのでした。
(この訴訟は、今回の高裁の決定とはべつのものです。)
大法廷回付の訴訟は、今年の3月に当事者が和解したので、
結局大法廷での判断はなかったのでした。
大法廷に回付がなされたときは、民法のうち
婚外子差別に関するところを改正しようという動きが、
民主党内であったのですが、和解により却下となってから、
民主党はこれを放置してしまいました。
(9月16日エントリでご紹介の、CEDAWのNGOレポートによる。)
>結婚制度のあり方のようにして擁護する論調は、論点のすり替えだと思われます。
これは、「婚外子に相続差別があるのは、法律婚を守るため」
という主張を指しているのかな?
ご指摘のように、戦前の民法では、本妻とめかけがいて、
本妻の娘よりも男子の庶子のほうが、相続が優先されるなど、
女性と子どもとが複雑に対立させられていたのでした。
戦後の民法は、こうした対立を解消させ、
本妻の立場を守るものなので、「婚外子差別は
法律婚の妻を守るため」という事実はあることはありますよ。
>という主張を指しているのかな?
そうですね。
もともと、法律婚と事実婚という二種類の結婚様式が存在し選べるのはそのどちらか一方だけという状況において法律婚を優先するための規定ではなかった、ということです。
イエ制度としては理解できるんですが、ひとつ違うと韓国のように「正妻との間に男子が生まれるまで妻に産ませ続ける」世の中になっていたかもしれませんね。実際韓国人男性の友人はそうやって2人の女子をもうけた今でも「次」を考えています。
ものすごく遅くなりまして、まことにもうしわけないです。
>法律婚と事実婚という二種類の結婚様式が存在し
>選べるのはそのどちらか一方だけという状況において
>法律婚を優先するための規定ではなかった、
くりかえし読んで、やっと意味がわかりました。(汗)
戦後民法は、「本妻」と「めかけ」が対立していたのであって、
「法律婚」と「事実婚」の併存ではない、ということですね。
最初にいただいたコメントとおなじ主旨ですね。
お返事が遅くなってもうしわけないです。
>この差別だけが残っているのがおかしいんだと思います
前のpulinさまのコメントにも書いたように、
戦前は女性と子どもの利害が複雑に対立していたのでした。
戦後民法によってそれらを解消させたのですが、
婚内子と婚外子の差別だけ残ってしまったのですね。
婚外子を差別しないと、本妻の立場が守れないという
判断が入ったんだと思います。
婚外子差別は戦後民法の取り残した部分と言えそうです。
>ひとつ違うと韓国のように「正妻との間に男子が生まれるまで妻に産ませ続ける」
日本は戦前でさえも、そのようにはならなかたですね。
さすがにそれは非現実的と思ったのか、
本妻のほかにめかけが持てるのが、男性の欲望と一致したので、
その制度化へ向かったのか、それはわからないけれど。