2011年11月27日

toujyouka016.jpg いまさらの水伝騒動(3)

11月25日エントリでご紹介の、「水伝共感派」による、
わたしへの誹謗中傷について、もうすこしくわしく
見ていきたいと思います。
一部に意味不明のツイートもあるのですが、
わけのわかる範囲で、言及していくことにします。

「いまさらの水伝騒動再燃(2)」

 
http://twitter.com/mimizuh/status/129559370466996224
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「まったく無実の人(正真正銘の別人)を捕まえて、
言いがかりをつける」という発想は、
やったことのある人ならではだね!
========

これはなんのことかわからないです。
わたしが言いがかりをつけられたことは、たくさんありますが。


http://twitter.com/eboli_fr/status/129645301354086400
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あと「負け惜しみ」とか「妬み」とかなw
毎日僻んで生きてる人ならではだね!
そうじゃなきゃ他人が楽しくしてる人間関係壊してやろうって考えて
リアル凸メール送ったりとか思いつかないわフツーww
========

「リアル凸メール」というのは、なんのことでしょうか?
ブログを荒らされたので、わたしが通報したことでしょうか?
わたしは被害にあっているのだから、
しかるべきところへ訴えるのは当然のことです。
プロバイダの利用規約違反という反社会的なことをしていれば、
相応の処分をされるのも当然です。

それから、わたしは、「他人が楽しくしてる人間関係
壊してやろう」などと考えたのではありません。
自分が言いがかりを付けられていれば、釈明するのは当然だし、
自分が誹謗中傷されていれば、抗議するのも当然だからです。

これら「共感派」の人たちは、自分たちには他人を中傷して
楽しんでも、なんら批判を受けない「特権」があるかのように
考えているのでしょうか。


http://twitter.com/mimizuh/status/129865125099352066
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リベラルのうんこの投げ合いの、いきつくところは
「論理」VS「感情」がデフォルトなのかwww
「論理派」の姫が、おぐりん擁護をしないのは、七不思議のひとつだな。
今回の姫の立ち位置は「共感派」のほうだもんなwww
========

「うんこ」を投げたのは、あなたがた「水伝共感派」だけでしょう。
双方からの「投げ合い」ではありませんよ。
ちなみに、「連合赤軍の総括」発言「ルルドの泉」発言は、
かかる「うんこ」の見本だと思います。

「おぐりん」は、10月31日11月12日にお話した
小倉弁護士ですが、このかたは「論理的」だったのでしょうか?
すくなくとも、小倉弁護士を批判していた人たちのほうが、
「論理的」だったと思います。(たとえばこのエントリ
なぜに小倉氏を批判する立場が「共感派」なのか、わからないです。


http://twitter.com/mimizuh/status/129865592156078081
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「自分こそが論理である!」と言い張る側のイタさは、
いずれも同じなのが面白いところだなあ。
========

「自分こそが論理である」とはだれも言っていませんよ。
「論理的でありたい」と言った人はいましたが。


http://twitter.com/mimizuh/status/129912185865515011
========
自称「論理派」の方々は、論理が破綻していなかったとでも?w
========

「論理派」と自称もしていませんよ。
「論理派」「共感派」と派分けしたのは、「共感派」でしょう?

posted by たんぽぽ at 15:44 | Comment(2) | TrackBack(0) | たんぽぽのなみだ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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この記事へのコメント
どうも、こちらではお久しぶりです。
最近ネットですら出不精でして…(^^;

>「論理」VS「感情」?

なんというか…かの方は

「男・論理(・理系)」VS「女・感情(・文系)」

という差別者側のテンプレートを相変わらずしっかり抱き込んだままみたいですね。
「余裕っぽい・平静っぽい振る舞い=理性的・論理的」なんて事は全然なくて、そんなもん既得権益のなせる業でしかないんですが。
差別肯定・容認の言説の中身を分析してみると、寧ろニセ科学に親和的だったりしますからね。科学と道徳を混ぜ込んだりとか、「である」から「べきである」にいきなり飛んだりとか。
(性差別への関心からニセ科学にコミットされてるたんぽぽ様には、言うまでもないことかとは思うんですが)

かの方は多分その差別者側のテンプレートで散々やりこめられてきた経緯とかお持ちだと思うので、そう考えると被害者でもあるんだとは思う(あと、「感情・文系」が必要以上に貶められる部分は何とかしないといけないのも事実の一面ではあると思う)んですが…だからといって、当時から現在までの一連の言動の問題は消えないと思います。

>小倉弁護士がいくとこまでいっちゃった件

あたし自身はツイッターやってないのですが、外側からうっすら観察しておりました。
「既得権益層だからこそ」の言動の典型だなぁ、と思いました。ミスコンの件も、もっと酷かった件も。
(その辺も語り出すと長そうなんですがここでは割愛で(ぁ))

かの方の中では、「反差別=共感」ということになっているんじゃないでしょうかね。
「反差別」において「他者への想像力」が基本になるのは確かですけど、それが「かわいそう」とかそういう次元だとまずいですよね。「理想の被害者像」っていうか、「理想の被差別者像」っていう余計なイメージに引きずられそうですし。
現にかの方が共感の穴に落ちてますからね。

http://togetter.com/li/221711
小中学生の頃にここで言われてるような次元で文章が書けたつもりは全くない(寧ろここで問題にされてるテンプレに沿ったもの書いてそう)ので自分に突き刺さるものを感じるのですが、参考になればと。
Posted by 七重 at 2011年12月03日 02:26
七重さま、おひさしぶりです。
このエントリにたくさんコメントをくださり、
まことにありがとうございます。
(なかなか興味深いご指摘ですよ。)

>差別者側のテンプレートを相変わらずしっかり抱き込んだままみたいですね

「共感派」のやっていることって、お仲間の「保身」なんですよね。
それだと醜いことはあきらかなので、そこから眼をそらして
自己正当化するために、イメージのよい「共感派」
ということばで自己規定するようになったんだと思います。
「論理的でありたい」「共感を重んずる」と
書かれたことがあって、そこに乗っかったのでしょうね。

自分たちのやっていることが保身にすぎない、
という事実と向き合わないかぎり、「差別者側のテンプレート」に
乗っかり続けるんだと思います。

>差別者側のテンプレートで散々やりこめられてきた経緯とかお持ちだと思うので、

きっとそうでしょうね。
それで「共感派」と称することは、自己肯定しやすいんだと思います。


>かの方の中では、「反差別=共感」ということになっている

おお、なるほどね。
それで小倉弁護士を批判する人たちは、「共感派」になるのね。

http://togetter.com/li/221711

ご紹介、まことにありがとうございます。
沼崎一郎先生、さすがだな、という感じです。

人権問題というと、自分以外の被差別者に対する
共感物語になっている、ということになるのかな。
「日本人の一般的な人権感覚」は、たしかにこんなものかもしれないです。
「かの方」の人権感覚も、ここで言われている
「共感物語」的なものなのかもしれないですね。


>小倉弁護士がいくとこまでいっちゃった件

ミスコンの議論とか、ひどかったですよ。
わたしも、男性識者の限界を見たような感じです。
わたしがリンクした記事は、全体の一部だけど、
それでもじゅうぶん様子は理解できると思います。

ツイッターは興味がありましたら、やってみるといいかもしれないです。
こういったものの常として、性に合う、合わないがあるし、
やらなきゃだめ、ということはもちろんないけれど、
やれはそれなりに楽しいと思いますよ。
Posted by たんぽぽ at 2011年12月03日 18:06
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