『官僚制批判の論理と心理』という本があります。
官僚制の思想史について述べたものですが、
現代日本の官僚制批判や、官僚バッシングについて
理解する上でもとても役に立つ本です。
この本の読書メモがあるので、これをご覧になれば、
書いてある内容について、概要がわかるのではないかと思います。
「【1218冊目】野口雅弘『官僚制批判の論理と心理』」
この読書メモについて、「政治主導」と「新自由主義」の
関係について、ここでは触れておきたいと思います。
官僚機構の正当性(正統性)がゆらぎ、官僚に対する不信や
批判が高まって来ると、求められがちなのが
「政治主導」と「新自由主義」ということになります。
政治主導は、国民が選んだ議会・官邸のもとに、
官僚機構を置いて、官僚を適切に働かせるというもので、
わたしのブログでも、何度かお話しているものです。
民主党の基本的な政治方針・目標でもあります。
新自由主義は「小さな政府」主義で、行政を小さくすることで、
官僚の権限や役割をどんどん縮小していくものです。
これによって、官僚の権力がそがれることにもなります。
コイズミ改革や、みんなの党の方針が、これにあたります。
20世紀の後半は、日本だけでなく、ヨーロッパの民主主義国でも、
「大きな政府」主義が行き詰まりを見せ、
官僚に対する不信につながったのでした。
この時代に世界的なレベルで、新自由主義が現れたのは、
決して偶然ではない、という指摘がなされています。
「政治主導」の場合、政治が積極的に行政に手を
入れることになるので、いかにみんなが納得行くように
それを決めるか、という問題が出て来ます。
具体的には、財源をどう確保するかとか、
政策の優先順位や比重をどうするかといったことでしょう。
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そこに踏み込んで「改革」をやろうとすると、
「財源の問題に直面せざるをえず、またわかりやすい『公平性』では
割り切れない、さまざまな『介入』に対して説明が求められ、
試行錯誤をくり返さざるをえない」(p.116〜117)。
そこには、必ず批判を受ける余地が生まれる。
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政治の行政への「介入」は、人為的なものですから、
わかりやすい「公平性」というものは、そこにはありません。
したがって、必然的に試行錯誤をともなうのですが、
いまの日本の世論やマスコミの論調は、その試行錯誤を
とても容認できない状況になのだそうです。
「政権交代後の民主党が陥ったのは、まさにこの泥沼的な
状況であった」とありますが、「まさにその通り!」と
思ったかたも、いらっしゃると思います。
実際世論は、「試行錯誤」に早々に耐えられなくなり、
民主党政権には「実行力がない」と決めて、
見切りをつけてしまったのでしょう。
新自由主義は行政の役割を、どんどん縮小するものですから、
行政に「介入」する必要がすくなくなります。
したがって、決定の負担も小さくなっていき、
それにともなう試行錯誤もすくなくなります。
したがって、効率よくことが進むようにも見えるし、
「強いリーダーシップ」だとか、「ぶれのない一貫性」を
発揮していると思わせやすくもなるので、
世論の支持を得やすくなるというわけです。
コイズミ改革が多大なる支持を得たことや、
みんなの党や、いま話題の橋下大阪市長が人気を博す理由も、
これで理解できるのではないかと思います。
ここで注意を要するのは、政治主導と新自由主義が
共闘をしたときだろうと思います。
「官僚制批判」という立場で、この両者は共闘できる
部分がたしかにあるわけです。
ところが上でお話したように、試行錯誤がすくなく、
「わかりやすさ」を示しやすいという点で、
新自由主義は有利で、政治主導は不利です。
よって両者が共闘をすると、新自由主義に
絡め取られることになりかねないわけです。
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『より多くのデモクラシーを』という方向性と、
『より小さな政府を』という新自由主義の共闘による官僚制批判は、
『正当性』をめぐる争いに直面して、後者に絡め取られていくのである」
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新自由主義のトラップにはまりこむことなく、
政治主導を確立するよい方法は、やはりないみたいです。
政治による「決定」にともなう試行錯誤でごたごたしても、
国民がそれに対して忍耐力を持つ以外にないようです。
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「ゴタゴタの不可避性に対する認識と、
それゆえの我慢強さ」(p.117)をわれわれ一人ひとりが
はぐくむ以外に、この状況から抜け出す手だてはないのだろう。
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政治主導の確立とは議会制民主主義の確立であり、
それを国民全体が支える必要があると、
わたしは、前にお話したことがありましたが、
まさに「民主主義は民度しだい」なのかもしれないです。



そうして公共的使命よりも採算が優先されるわけですよ。
(論点がずれるのか同じ事を言うことになるのかよくわかりません。)
まず私が言いたいことは、『小さな政府』の出自です。これは官僚制批判の文脈で出てきたのではなく、資本主義の行き詰まりを打開しようとして出てきたものだと思っています。一つが金融資本主義、もう一つは市場原理主義への方向です。メモを読む限りは官僚制批判の文脈で捉えてあるように読み取りました。
次に、小さな政府といえども、官僚制の役割が小さくなるわけではない、ということです。むしろ、逆かも。なぜなら、小さな政府を実現し、維持するためには、結果的に生じる『多くの持たざる者』を敵にまわすことになりますから、上手な政策と強力な実行力が必要なわけです。そこが官僚の腕の見せ所。このような話は書かれていましたっけ?
そして、おびただしい管理団体の設立。政策の正当性を与えるためのアリバイ作り。多くの認可権限が非官僚組織に移譲され、官僚はそこに安住の地を建国します。
以上のようなことを私は官僚制と新自由主義との結託と表現しています。
公務員の数は確かに激減するでしょうが、それは下っ端だけ。霞が関官僚にとっては痛くも痒くもないようにシステムを作るでしょう。そういう点では天才的な頭を持っておられるから。
要するにこの本は「国民は賢くなりましょう」と言っていると思うんですが、それが永遠の難問なんですよねえ。
ちなみに「小さな政府」は資本主義の行き詰まりを打破しようとしたものではなく、
むしろ資本主義の原初にあった政治形態ですよ>「アルバイシンの丘」様
それが福祉国家=大きな政府を経て、今また「先祖返り」しているのが実情です。
イギリスの政治史を勉強されると、そのあたりの流れが明瞭に見えてくると思いますよ。
ああ、そうなんですか。それでも結構なんですが、なぜ先祖返りしたのか、と問い直してもいいんです。
きっと財政赤字のせいでしょうね。でも新自由主義の発祥国・米国も大きな政府だったんでしょうかね?(その所為で財政赤字で新自由主義?)
それから先の私のコメで大事な事がもう一つありました。『試行錯誤』についてです。試行錯誤とは、現民主党・野田政権のように自民党顔負けの旧自民党政治にまで行ったりきたりすることではないはずだと思いますけどね。
たとえば、『子ども手当』のやり方を、ああしたほうが良かった、こうした方がよかった、と反省を繰り返すことだと思うんですよね。(元の記事の趣旨はそうなっているんですかね?)
財政赤字と資本主義の行き詰まりと新自由主義の発生の関係について。
結局、製造業にしろなんにしろ、資本主義経済の不振によって、雇用が減る(税収も)、そのため失業者救済、その他で公的支出が増える、とまあ、極めて大雑把に言えばこんな関係です。
その打開のために小さな政府(市場原理主義)と製造業ではない金儲け手段=金融資本主義、が必要になった、という筋書きです。
このエントリにコメントありがとうです。
>「官僚制」が否定されてなくなるわけではなく民営化するだけであり
これは、よくわからなかったです。
民営化したら公務員ではないので、「官僚」ではないように思いますが?
ふたつ目のコメントも、よくわからなかったです。
市場原理がお好きなことと、直接民主制は関係ないように思いますが。
このエントリにコメント、ありがとうございます。
「小さな政府」主義が現れた経緯は、hachiro86さまの
おっしゃる通り、「先祖返り」でよいと思います。
最初のころの資本主義は、「夜警国家」なんて言われて、
国家が市場に介入するのを、極力すくなくする
「小さな政府」主義だったのでした。
ところがそのような野放しでは、やっていけなくなったので、
国家が積極的に手を入れる「大きな政府」主義に転換したのですね。
20世紀も後半になると、日本や欧米の各国で、
「大きな政府」主義が行き詰まってきたのでした。
それでいっそのこと行政の役割をどんどん減らして、
もう一度政府を小さくしてしまえと、
主張する人たちが出て来たのですね。
「小さな政府」主義が批判を向ける対象は、
まさに「大きな政府」を構成している官僚機構です。
したがって、官僚批判、官僚攻撃は、「小さな政府」主義の
コアだと言っていいと思います。
>それは下っ端だけ。
>霞が関官僚にとっては痛くも痒くもないようにシステムを作るでしょう
「小さな政府」主義が進行しても、日本の官僚は、
自分たちの既得権だけはうまいこと守られるように、
工夫をするのだろうと思います。
それでも、それは日本の特殊事情で(日本は官僚大国だし)、
「小さな政府」主義は本質的に官僚を敵視していると思います。
>現民主党・野田政権のように自民党顔負けの旧自民党政治にまで
野田政権は、「政治主導」をもうほとんど
投げ出しているのではないかと思います。
ようするに、そのような「試行錯誤」はやっていない、
ということになるだろうと思います。
わたしのブログにお越しくださり、ありがとうございます。
とてもよい本をご紹介してくださり、まことにありがとうございます。
(わたしはまだ、読んでいる途中ですが。)
官僚制度の本質や、政治主導と新自由主義の関係について、
いろいろと考えをまとめることができそうです。
>要するにこの本は「国民は賢くなりましょう」と言っていると思うんですが
政治主導は、議会制民主主義が適切になされている
状態とも言えますが、民主主義というのは、
成員である国民ひとりひとりが、それを維持しようと
意識しなければうまくいかないのだと思います。
「国民は賢くなりましょう」というのは、
まったくその通りで、民主主義のそうした性質を
あらためて確認したと思います。
(たしかに「永遠の難問」だけど、こればっかりは、
法律や制度をいくら整えても解決しないですからね。)
したがって、官僚批判、官僚攻撃は、「小さな政府」主義のコアだと言っていいと思います。
このあたりは見解を異にしますね。市場原理主義を貫くには国の仕組みを変える必要があります。それまでの規制を牛耳っていたのも確かに官僚制ですが、それを変えるのもまた官僚です。
そのために官僚の強力な後押しもまた必要になります。特に大規模破綻となったときに、官僚がそっぽを向いたら大変ですから。
規制緩和の要求の所為で新自由主義は官僚制を敵に回しているように見えますが、官僚はすぐに金持ちの方になびきます。したがって規制を手放しても官僚は次の手を打てるので、敵対関係は長くは続かない。(正確には、双方折り合えることがわかった、というべきかな?何しろ官僚と新自由主義者の、歴史上初めての遭遇ですから)
ただし、公務員攻撃はコアとしてあります。大きな人件費支出で大きな政府の元凶だからですね。
この、公務員攻撃と官僚攻撃を混同してはならないと私は思っています。
このあたりは日本の特殊事情も大いにあるでしょうがね。
でもまあこの辺で。
またまたコメントありがとうです。
>このあたりは見解を異にしますね
そのようですね。
じつは、わたしは、『官僚制批判の論理と心理』という本を
いま読みかけているところだったりします。
全部読んでまたなにかわかったら、お話したいと思います。
(アルバイシンの丘さまの異論に、お答えできるかどうかは
わからないけれど...)