2012年01月22日

toujyouka016.jpg 反原発運動の考察

反原発運動がおかしな方向に向かっている、という考察があります。
これは、市民団体全般に見られる通性でもあるので、
ここでご紹介したいと思います。

「かばおくんの考察/反原発運動ってこのままでいいの?」
(はてなブックマーク)

 
ここでのメインの論点は、反原発運動の多くが、
「自分たちの中(だけ)で通用する論理」を
振り回わすようになっている、ということです。

https://twitter.com/krishna_bb/status/155277613424852992
========
そうやって「自分たちの中(だけ)で通用する論理」を
振り回して「自分たちは正しいのになぜ聞かないんだ!」と
言ってる人の話を聞きたい人はあんまりいないよ。
そこを改善していかないと、本当に尻すぼみに
なっていくんじゃないかと心配になる。
========

基本的に市民運動というのは、こころざしを
おなじくする人たちが集まっています。
意見がみないっしょですから、おのずと「自分たちだけで
通用する理論」に走りやすくなるのもあるのでしょう。
そうしたことを続けていると、そのような内輪だけで
盛り上がる理論であっても、正論を吐いていると
錯覚するようになっていきます。

そうなってくると、外部の人たちに働きかけるときも、
「内輪だけで盛り上がる理論」を振り回すので、
外部の人たちには、とうぜん訴えないものとなります。
ところがそれでも、自分たちの正義を疑わないので、
「正論を吐いている自分たちを理解しないのが悪い」と、
理解しない外部の人たちに責任転嫁するわけです。


さらには、内輪の論理で盛り上がってばかりいると、
内部批判は出てこなくなり、外部からの批判も
受け付けない(聞こえてこない)状態に陥ります。
内からも外からも軌道修正が入らないわけで、
いよいよもっておかしな方向へ迷走することになります。

自分たちは正義だという自負が強くなって、
外から自分たちがどう見えているか、顧みなくなります。
「とんでも」理論に傾倒しても、なんら修正が入らず、
どんどん「とんでも」にはまりこんでいきます。
こうして、気がつくとはたから見てびっくりするくらい
非常識になっている、というわけです。


これは市民運動の宿命みたいなもので、反原発運動にかぎらず、
なんの運動であってもこうなる傾向があります。
(というより、反原発運動もやはりそうだったか、という感じです。)
おそらくほとんどの市民運動が、このような状態に陥って
失敗しているのではないかと、わたしは考えています。

「市民団体の宿命?」
「市民団体の宿命?(2)」

わたしがむかしかかわった、ネットの選択別姓の
市民団体も、内輪の論理で盛り上がるようになって、
はたから見て非常識になっていきました。

彼女たちは、「とんでも」理論をかばって、
自分たちは多様なカチカンを尊重している、なんて、
うぬぼれるようになっていったのです。
わたしが、その非常識ぶりを、第三者にはっきり
わかるようにしめしたら、彼女たちは黙り込んでしまいましたよ。

「市民団体の思い出」
「市民団体の思い出(2)」

ところで、「自分たちだけの論理で盛り上がる」と言われる
市民団体よりももっと大きな政治団体があります。
それは「日本共産党」です。
共産党の支持が伸びない理由のひとつに、コアな支持者受け
することばかり言って、一般の人たちに視線が向かわないからだ、
というのは、よく言われることです。


>「セシウム米」の真相

ところで、一連のツイートの発端となったツイートには、
経済産業省前のテント村による餅つき大会は、
「セシウム米」を使っていた、などと書いてあります
この餅つき大会に関しては、つぎの記事に経緯が出ています。

「脱原発新年餅つき大会は盛大に! 誰もかも 心ひとつの テント前」

各省庁からお餅の受け取りが断わられた事実はありますが、
ついたお餅はみんなで食べたとあります。(このかたも食べたそうだ。)
ようするに、セシウム米などではなく、
なんのことはない、食べられる安全なお米だったわけです。
お役人がお餅を断わったのは、セシウム米だからではなく、
まったくべつの理由によるものでしょう。

そもそも、放射線で汚染された(暫定規制値を超えた)農産物は
出荷制限がかかるので、売ることができないはずです。
一般の人が手に入れられるものではないと思います。


(付記:用心深くなったほうがよいという主旨の
ご指摘があったので、記述の一部を削除しました。)

posted by たんぽぽ at 21:29 | Comment(12) | TrackBack(0) | 政治活動・市民運動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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この記事へのコメント
たんぽぽさんのこの記事と、こちらの記事↓

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-6f43.html

を読んで考えてみたのですが、どんな活動にも共通することでしょうが、社会運動には活動動機に自分探し及び仲間探しの側面もあって、そこで見つかった自分及び仲間を失いたくないから、どうしてもタコ壺的になっていくことを免れないのではないかな、と思いました。
Posted by 御光堂 at 2012年01月23日 13:16
たんぽぽさん,↑上のようなコメントが現れたので,やはり書いておきます。

たんぽぽさんが紹介しているかばお君の記事は,かばお君が「セシウム米で餅つき」というツウィートを見て書かれたんですよね。発生源は次です。riko0058なる人物のものです。

『経済産業省前のテント村の人たちが、 セシウム米で餅つきをして、経済産業省の 皆さんにお届けしようとしたそうですけれども、 あんなに国民に「安全だ」と言っていたのに、 全力で受け取りを拒否していたそうです。 「安全な餅をありがとう」って ムシャムシャ食べろよ、バカ!』 riko0058 2012/01/05 03:36:20

このアホ人物は経産省テント村の住人とは全く無関係のように見えます(少なくとも,主宰者の責任ではない)。このバカ者の下らぬツウィートを見てそう断定します。それを前提として,以下の話を続けます。(そうでなければ以下の話は深いお詫びと共に撤回します)。
このバカ者が,反原発派か,原発推進派の廻し者なのか,無関係であることにご注意ください。

ところが,ホントはこのような事実はなかったのです。ガセネタだったんですね。あるコメンテーターの指摘でかばおくんもそれに気づいて,そのことを認めていますね。
であれば,知らなかったこととはいえ,かばおくんはデマを拡散したことになります。

第一に,かばおくんはまず,この点について反省文を掲示すべきです。(今あるのは反省文になっていません)。
常々『反原発運動の多くが、「自分たちの中(だけ)で通用する論理」を振り回わすようになっている』などと思っているので,典型例が現れたと思ってそれに飛びついた,と言えるのではないかな。自分が批判したいそのような反原発派の態度そのものを,自分自身で演じているわけです。

次に,かばおくんはこの,ガセネタに基づいた記事を即刻,お詫びと共に削除しなければなりません。なぜなら,自分の記事はこのたんぽぽさんの記事のように引用されるからです。
つまり,たとえriko0058なる人物が反原発派であっても,

『反原発運動の多くが、「自分たちの中(だけ)で通用する論理」を振り回わすようになっている、』

ということの根拠として使うことはできません。なぜなら,このバカ者が自分勝手に一人で言っているだけだからです。それを言うのであれば,このバカ者の発言をみんなで持ち上げあって盛り上がっている場を示さなくてはならないのです。かばおくんもそういう場を見つけて,そこをヤリ玉に挙げるのなら私から批判はされなかったでしょう。
現実にどこかにあるのかもしれませんが,かばおくんの記事にはそれを示してありません。よって,かばお君は自分の記事のような一般化はできないし,たんぽぽさんはその引用をすべきではないと思います。
長文失礼。
Posted by アルバイシンの丘 at 2012年01月23日 21:45
こうしたことは、社会運動だけに限らず、商売にもみられることですね。
特に今はモノが売れない時代だから、明日の100人の客よりも、今日の10人の客をしっかり繋ぎ止めて置くといったことが大切になったりもします。
ニッチ志向とは蛸壺に特化した商売だと思います。
Posted by 御光堂 at 2012年01月24日 07:16
御光堂さま、コメントありがとうございます。

>http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-6f43.html

ご紹介ありがとうございます。
拝読したのですが、「仲間を求めるための絶対反対主義」
という考え、なかなかおもしろいとは思います。

でも、残念ながらわたしには、ぴんと来なかったです。
やはり多くの場合は、「考えがおなじだから仲間になる」
という順だろうと思います。

それでも、そのように感じるかたもいる、と理解したいと思います。
今後わたしも、「たしかにそのようにも言える」と
実感できることがあるかもしれないですしね。


(あまり共感できなくて、もうしわけないです。)
Posted by たんぽぽ at 2012年01月24日 23:17
アルバイシンの丘さま、コメントありがとうございます。

>第一に,かばおくんはまず,この点について反省文を掲示すべきです

「セシウム米」のツイートが、デマであることは、
「まとめ」の中でも言及があります。
わたしも、このエントリでデマであることを、改めてお話しています。
よってこれ以上は深刻な誤解はないと思われるので、
反省文を書かせる必要があることとは思えないです。


>『反原発運動の多くが、「自分たちの中(だけ)で通用する論理」を
>振り回わすようになっている、』
>ということの根拠として使うことはできません

かばおさんは、反原発派のこの手の発言を
ツイッターでよく見かけるのだろうと思います。
(わたしも、ときどきTLで流れて来るのを見ます。)
それで、「セシウム米」のツイートが流れてきたときも、
「またこういうのがある」と思ったのだと思います。

かばおさんのツイートの中で、ソトンや早川由紀夫(青プリン)が
引き合いに出されていますし、見ている事例は結構あると思います。
かばおさんの考察は、いくつもの事例から帰納されたもので、
思い込みや先入観ではないと思います。


多くの反原発派が、「自分たちだけで通用する論理」を
振り回すようになって、「とんでも」に陥ったり、
はた目に非常識になっているのは、残念ながら事実だと思いますよ。
わたしも、このブログで、これまでに何度か、
そういう人たちを、ご紹介したことがあります。

「エイフィー」で出て来た、「原子力発電所が近くにあると、
放射線の影響で、女性は白血病の子を産む可能性が
高くなる」と信じている人たちはそうでしょう。
http://taraxacum.seesaa.net/article/196254731.html

あるいはこないだの、訓告を受けた早川由紀夫氏とか。
http://taraxacum.seesaa.net/article/245430712.html
http://taraxacum.seesaa.net/article/243322974.html
http://taraxacum.seesaa.net/article/242585003.html

きっこもかなりすさまじいです。
http://lacrima09.blog.shinobi.jp/Entry/211/

「ソトン」「早川由紀夫」「きっこ」はフォロワーが多いですから、
「自分たちだけで通用する論理」を好んで聞く人たちが
それだけ多いことをしめしているとも言えます。
Posted by たんぽぽ at 2012年01月24日 23:19
たんぽぽさん,一点だけ申し上げておきますね。

>わたしも、このエントリでデマであることを、改めてお話しています。

ここはまあ,いいでしょう。しかし,本文中の
>「セシウム米」の真相
の中に書いてある,

>わたしが想像するに、この餅つきのお話を知った「反原発派」のだれかが・・・・

から

>こんなデマを流すのも、「内輪だけの論理で盛り上がる」から

について,ここの「想像」は全然根拠のないものです。それこそ,「内輪だけで盛り上がる反原発派だったらやりかねない」,という先入観に支配されたものであり,たんぽぽさんたちがよくヤリ玉に挙げる「反原発トンデモ派」のやり口を自ら演じておられるように見えます。
(最後に,「かもしれない」と書かれていますが,文意としてあまり効いていません。)

この部分はない方がたんぽぽさんのためではないかと思いますが,無論たんぽぽさん自身がお決めになることです。
Posted by アルバイシンの丘 at 2012年01月25日 08:51
アルバイシンの丘さま

いろいろ考えたのですが、用心深くなったほうがいいと判断して、
当該箇所は削除することにします。
Posted by たんぽぽ at 2012年01月26日 22:38
たんぽぽさん,素晴らしい英断だと思います(<素晴らしい英断>って重複してるかもしれませんが,私は気にしません)。
今はこれだけにします。また。
Posted by アルバイシンの丘 at 2012年01月27日 01:42
たんぽぽさん,改めて申し上げます。

一旦,削除されたことに深く敬意を表します。

また,熟慮された後,復活されるとしても,これ以上申し上げるつもりはありません。
騎士団の一人としての責任は果たしたと思いますので(え?とっくに解任?)。(^o^)/^^^^^^^^^^
Posted by アルバイシンの丘 at 2012年01月28日 00:10
この件ですが、今まで反原発運動は統制のとれたいわばエリート集団の運動だったのが、事故後に一挙にいろいろな人が参入してきて、その中には当然短慮な人も多いのでこういうことも起こりがちである、つまりそれだけ反原発運動が広範に大衆化したのである、という意見に接して、成程と思いました。
セクト主義になりがちなのは運動が閉ざされているからではなく、逆に拡がった結果だという観点でとらえているわけです。どうやらこのあたりが真相を衝いているようです。
Posted by pulin at 2012年01月28日 11:28
アルバイシンの丘さま

>今はこれだけにします。また

またなにかありましたら、そのときはよろしくです。

>騎士団の一人としての責任は果たしたと思いますので(え?とっくに解任?)

いえ、騎士団なるものの存在が、すでになくなっております、はい。
Posted by たんぽぽ at 2012年01月28日 14:03
pulinさま、コメントありがとうございます。

>という意見に接して、成程と思いました。

いや、そうではないのではないかと思います。
たとえば、このエントリでリンクしている
「エイフィー」は、あきらかに3.11より前のものです。

それから、むかしわたしのブログにお見えになってた
ジャッカルさまが、東京電力にお勤めだったころ、
脱原発派の人たちと対談する機会があったそうなのですが、
「この人たちは、相手と対話するとか説得する、
というあたまがなく、自分の言いたいことを
一方的に言って悦に入っている」とおっしゃってました。

3.11よりずっと前から、「脱原発運動」というのは、
ここに書いたような「あっちの世界」に
行っている人が多かったんだと思います。
すでに末期症状だったのが、3.11で注目されるようになって、
それがあらわになった、というところだと思います。
Posted by たんぽぽ at 2012年01月28日 22:39
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