「グローバルな社会だから、英語を学習しましょう」と
言われるのを、聞くことがあるだろうと思います。
それでなんとなく「英語をやらなきゃイカンのか」と
思っているかたも、いらっしゃることと思います。
このかたも、そのようにご主張していらっしゃります。
https://twitter.com/india_kotaro/status/189214330527559680
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新いちねんせいのみなさん、にゅうがくおめでとう!
ぐろーばるってしってるか?これからはきみたちジュニアも
えいごがはなせないときびしくなるぞ!
がっこうやおうちでもどんどんえいごをつかっていこう!
あっぷる!ぶっく!きゃっと!どっぐ!!えっぐ!
ふぃっしゅ!ごりら!india!!
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わたしはいつも思うのですが、グローバルというのは、
国際的な感覚や、知識・常識を身につけることであって、
英語ができることではないのではないかと思います。
大学のとき、英語の先生に言われたことがあります。
さらに言えば、国際的に非常識なことを改めることだと思います。
「非常識」というのは、具体的にはたとえば、
「南京事件なかった」と政治家が言っちゃうとか、
「子ども手当てはポルポト」などと言って反対するとか、
そういったことだと思います。
はなはだ遺憾なことに、日本は国際的に非常識とされることが、
多数「常識」としてまかり通る国だと思います。
なまじ英語ができると、こうした非常識な現状や思想を
英語で発信できるから、かえって外国のかたに
非常識さがよく知れてしまうかもしれないですね。
くだんの英語の先生に言わせると、
国際的に非常識なことをいつまでも続けていると、
「なんだお前、日本人か」と、日本人というだけで
後ろ指を刺されるようになると、懸念していました。
さすがにそこまですさんではいないようですが、
それでもノルウェーの右翼テロリストに
「理想の国」と言われるところまでは来ています。
いつどこで、外交的に不利な扱いを受けても
文句は言えないかもしれないですね。
それにしても、「英語ができてもグローバルじゃないよ」と、
英語の先生がおっしゃったのが、すごいと思います。
我田引水をしていないのですよね。
いくら言語ができようとも「相手を尊重しようとする」という人情味のある姿勢ができなければどんな外国人とも「普通」の友達にも仲間にも同僚にもなれません。…完全菜食主義の台湾人に何とかして日本食を体験させたいと必至で勉強してご飯を作ったり、「日本人は絶対コレ嫌いでしょ!」と言われたことに腹を立てて口に入れようとしたり、売られた喧嘩はしっかり買った上で友達になる(理解されづらいですけど…)、そういうのがないとたぶん話になりません。
人情、つまり隣人愛こそが人間関係の根っこ、だと思っています。
でも、あくまでも「方法、手段」ですよね。必要条件かもしれないけど、充分条件ではない。
ところで、mmmさま。
>売られた喧嘩はしっかり買った上で友達になる
これは、はじめから親しくないと無理なのではω
いや〜いるんですよ、そうやって相手を試すヤツが。そういうヤツには「あんた私との関係とその話題とどっちが大事なんだよ」と言ってやることがありました。特に相手が日本にいる時、更に相手に貸しがある場合は効果的。東洋人相手だと完璧!西洋人相手だと、数日後忘れて会話してるので気にする必要自体がない感じで、むしろそこで喧嘩して存在感アピールしないと「いない人」扱いされるので注意が要ることもあります。あ、中東の人と喧嘩すると話題によっちゃそこで関係が終わるのでご注意を(笑)。私にとっては一番神経質になる相手です。
喧嘩は相手に貸しを作った上でやりましょう…って喧嘩を勧めてるわけじゃないんですけどね。
わたしのお返事が遅くなって、もうしわけないです。
>「相手を尊重しようとする」
外国人が相手でも尊重できる、という姿勢も、
グローバリゼーションのためには、たしかに必要そうですね。
外国人に対して尊重ができなければ、
外国人との交流はできないでしょうし、
外国人との交流ができないのは、グローバルとは
言えないだろうと思います。
>いや〜いるんですよ、そうやって相手を試すヤツが
いろいろと大変そうですね。
異文化との接触、というものなのでしょうか。
このエントリにコメント、ありがとうございます。
>あくまでも「方法、手段」ですよね
そうそう、英語は「手段」なのだと、わたしも思います。
英語ができると、外国からの情報を取りやすいので、
グローバルな感覚や知識を得やすいとは思います。
でもそこには、グローバルな感覚や知識を身につけようとか、
あるいは、相手を尊重しよう、という姿勢が必要なのであり、
それがなければ、いくら英語ができても
グローバルにはなれないのだと思います。
英語やら何やらより、諸外国の文化を理解することが大事ですよね。
ちなみに、世界で2番目に使われているのはスペイン語だそうです。
このエントリにコメント、ありがとうございます。
わたしのお返事が遅くなって、ごめんなさいです。
>英語やら何やらより、諸外国の文化を理解することが大事ですよね
そうですね。
なんだけど、英語がちょっと得意だったりすると、
「英語ができること」にやたらこだわったりするのよね。
>世界で2番目に使われているのはスペイン語
これは、使われている範囲かしら?
英語は使われている範囲は世界一なんだけど、
話す人の人口は、中国語がいちばんなのですよね。
相手を試すやつばかりが外国人じゃないから...(笑)
>キンシャチさん
>>相手を試すヤツ
そんな人はたいてい相手を試しては「利用する」か「あなた自身を知ろうとしている」のどちらかなので、まずは自分が相手とそのトピックの間でどんな立場にあるかを学ぶのがスタートラインです。後者は見方がまったく逆だとしても友達にはなってくれますよ。
外国人相手だと、「平和」「(特にWWU時代についての)謝罪」のために自分の国の政府を否定的にしか見れない人もいたりします。リアルで見て残念な人だなと思いました、正直ね。国家と個人の区別程度はした方がいいですね。
相手があなたを知ろうとしている時に、自分が自身を知らなかったら…というのも見かけました。何か特定の宗教信条を持たないのが日本のマジョリティですが、私のような「特定の宗教信条を持つ人物」に会った時、そういう人は自分をどうやって何にカテゴライズすればいいのかわからなくなって新興宗教や何やら奇妙な団体なんかに巻き込まれたりするようです。これは危険を伴うので、「自分をしっかり保つ」ために、色んな価値観の中でも自分を把握できるといいですね。大学でも新興宗教の勧誘場所になっているようですから、高校生くらいで「自分(の家庭・周囲の倫理的環境)について」勉強する機会があればとは思います。「宗教は危険だ」と言って本から遠ざかる無邪気な宗教アレルギー持ちこそ、これに巻き込まれやすいです。何故なら、無知で相手の言うことに何も反論できないからです。反論できないうちに周囲を囲まれたら、日本人の大多数が無意識に持つ集団心理に勝てないでしょう。
見方の違う人々の中では、反論は何も悪いことじゃないんです。喧嘩してるわけでもない。ただ、自分が相手と異なるモノの見方をしている存在であることを主張し合っているだけなんですよね…
例えば、相手を屈服させるためだけの主張は空しいですね。「選択的夫婦別姓」に反対する人たちは我々が「夫婦同姓も選択可能」という選択肢を作っても反対していますね。そういう意味では、反対派は空しい人々だと思います。
またまたコメントありがとうございます。
>「利用する」か「あなた自身を知ろうとしている」のどちらか
>後者は見方がまったく逆だとしても友達にはなってくれますよ
なるほど。
外国では「他人というのは異質」という考えが、
日本より強いですから(実際日本より異質性が高いですし)、
他人を理解するためには、相当の努力が必要で、
いささか過激(?)なことをやる人もいる、
ということかもしれないですね。
「見かたがまったく逆でもともだちにはなってくれる」
というのも、「他人というのは異質だから」
という考えが、浸透しているからかもしれないですね。
>大学でも新興宗教の勧誘場所になっているようですから
大学はカルト教団の格好の勧誘場所ですね。
カルトに誘い込まれない方法は、いろいろ研究されているけれど、
宗教一般について一定の知識を持っておく、
というのもひとつの対処法かもしれないです。