3月31日エントリ、4月22日エントリに引き続いて、
「夫婦別姓・未来予想図」の第3回目です。
今回は「下」について、お話したいと思います。
話題はお墓や戸籍のことで、選択別姓の反対論者たちは、
これらもまた「守る」ことに情熱を注ぐものです。
「【未来予想図 選択的夫婦別姓】(上)」
「【未来予想図 選択的夫婦別姓】(中)」
「【未来予想図 選択的夫婦別姓を問う】(下)」
>お墓
まずお墓ですが、記事では、夫婦別姓の浸透で
個人単位になる、などと書いています。
お墓だって建てる土地が必要ですし、霊園によっては
土地の不足に悩んでいるところもあるでしょう。
場所を取るであろう個人単位のお墓が、
そう簡単に普及するとは思えないです。
ちなみに、現時点でも夫婦別姓対応で、
ふたつの苗字を墓石に刻めるものがあります。
そうでなくても、苗字が異なる人も
おなじお墓に「合祀」することがあります。
夫婦別姓が浸透したところで、このようなお墓が
増えるだけではないかと思います。
記事では、夫婦別姓が浸透すると、お墓参りに来る人のいない
無縁仏が増える、などと書いています。
現在でも、結婚改姓で苗字が変わったのに、
ほかにだれもいないので、実家のお墓を管理するかたもいます。
無縁仏が増えるかどうかは、夫婦別姓とは無関係に
縁者がいるかどうかだと思いますよ。
お墓が「なんとか家」と家族単位になったのは、
明治から大正にかけてで、イエ制度の普及にともなうものです。
それまでのお墓は個人か夫婦単位でした。
また庶民がお墓を作るようになったのは、
徳川幕府が檀家制度を導入して以来と言われます。
いずれも、お墓に関する習慣が変化したのは、
権力が庶民を管理するシステムを導入した副産物です。
先祖とのつながりを守るために
お墓を造ったのではないことを、お断わりしておきます。
>戸籍
くだんの産経の記事では、選択別姓が認められると、
戸籍も個人単位になると書いています。
世界のほとんどの国では、個人単位の身分登録を使っています。
家族単位で管理する「戸籍」を使う日本が異常なくらいです。
身分登録が個人単位になったところで、
いったいなにが問題なのかわからないです。
台湾では太平洋戦争までは日本統治時代の
戸籍を使っていましたが、戦後になってからは
個人単位の身分登録に切り替えています。
それからすでに60年以上経っていますが、
なにか深刻な問題が起きたというお話はありません。
戸籍には「家族の連続性、一体性を記し」ていると書いています。
たぶん、いつ産まれたとか、いつだれと結婚したとか、
そういった情報のことだと思いますが、
必要な情報は個人籍になっても保持するでしょう。
なんで戸籍でないとだめなのかがわからないです。
想像するに、この記事の著者も反対派のご多分にもれず、
戸籍が「理想の家族」幻想を書類のかたちで
体現したものになっているのではないかと思います。
それで、戸籍の書式が変化すると、「理想の家族」幻想が
壊されるような気がするのかもしれないです。
>家族解散式
それから、福島瑞穂の「家族解散式」が出て来ます。
なにかけしからんことのように書いていますが、
おそらく、これは家族の否定だとか家族の破壊だとか、
字づらから決め込んでいるのでしょう。
家族解散式というのは、子どもが18歳になったら
親元を離れて、精神的にも経済的にも自立しようというものです。
こうあってしかるべきことで、いつまでも親離れや
子離れができず、依存しているほうが問題だと思います。
>欧米諸国
またこの記事では、「別姓先進国、欧米諸国が
そうであったように家庭を維持する義務や努力をきらい」
などと書いてあります。
これは偏見にもとづく言いがかりにすぎないのは、
言うまでもないだろうと思います。
前のエントリですこし触れましたが、
平均的なアメリカ人は、男性、女性を問わず、
日本人よりも家族を大切にします。
そのほかにも、ヨーロッパの国では、
「子ども手当て」が当然の制度として定着しているなど、
家族に対する公的な扶助が充実していて、
国から家族が大切にされている、ということを、
一例としてあげておきます。
>>お墓が「なんとか家」と家族単位になったのは、
>>明治から大正にかけてで、
>>イエ制度の普及にともなうものです。
>>それまでのお墓は個人か夫婦単位でした。
私の先祖の「有名人」も「(私の旧姓)家」の墓とは別に
都内の観光名所に祀られています。
江戸時代の人なんでね…
>>家族解散式
え、よく読んでみたらただの「元服式」じゃありませんか。なあに、成人前のケジメをつけただけのことですね。
>>いつまでも親離れや子離れができず、
>>依存しているほうが問題だと思います。
…色々読むに、「保守派」の人は自分たちの子どもを一人前にさせたり自立させたりしないで親元に置き、地元を離れさせず人生経験も狭めておき子どもに「おんぶにだっこ」をするのが理想だって感じがしないでもないんですが…。甘えたいんですかね、そうとしか読めません。
お年寄りがそういうこと言う時はたいてい老後を見てほしくて不安になって言うもんですが、ある程度若い人がこんなこと言ってたらお先真っ暗ですね。自立もできない人が親の老後を見るなんて不可能だというのに。
あと、戸籍制度の問題のひとつが重大すぎて理想云々言ってる人を叱りたくなります。親子間・兄弟姉妹間でトラブルがあると、「籍を抜く」「複数回の移転」などの手続きを取らないととんでもないことになります。個人情報筒抜けですから。親子間兄弟姉妹間でもストーカーってありえるんですよ…
すでにこんな↓のもあるようですね。
http://www.2musashino.com/sangou.html
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012042602000090.html
死生観なんてそれこそ、個人個人ばらばらでしょう。
安藤クンが「○○家の墓に○○姓の人だけが埋葬されて、○○家の末裔が墓守を
することだけが正解」と思うのは勝手ですが、そうは思わない人にも思わない人
なりの死生観があり、先祖に対する畏敬の念は当然あるはずです。
自分とは異なる他者の死生観を否定することなど、失礼にも程がありますよ。
チベットには鳥葬なる死者の弔い方があるそうです。亡くなった方の体を鳥に食べ
させて葬る。彼らの死生観を私は知りませんが、「一生の間に、自然から色々と
与え貰ったことに対する感謝の気持ちとして、残った不要な体だけでも自然に
お返しする。」と言うようなイメージならば、むしろ私自身もそうして欲しいと
思ったりもしますね。これだと観念的に「墓所」すら不要でしょうね。
戸籍ねぇ・・・
戸籍筆頭者欄を無くし(あっても構わんが)、同姓だろうが別姓だろうが、
「戸」なる一パックに所属する全員の姓名を書けば良いだけでしょ。
現在の書式でも、縦書き式なら上に、横書き式なら左に、各人の姓を書くくらいの
余白は十分にあります。良かったね、安藤クン。
ま、国民総背番号制が導入されれば、そもそも戸籍自体が不要になりますけどね。
それでも戸籍を死守したいと言われると、もはや戸籍のダークサイド、即ち「他者
がその者の出生を確認出来る機能」を死守したいと思っているとしか思えません。
その人自身よりもその人の出生にこだわる、差別大好き君だということですな。
>「結婚は博打(ばくち)」となったのだ。
なってるっつうの(笑)。
ってか、昔の方がもっとギャンブル性が高かったはずですが。
親同士や仲人さんがセットした、名前も知らない相手とくっ付いてたんだから。
のるかそるかの大博打だと思って腹をくくったからこそ、少々ソリが合わない
くらいむしろ当たり前。それを受け入れた上でお互い添い遂げようと努力する、
と言うメリットもあると思います。
むしろ現在のように恋愛結婚が当たり前となり、事前に相手を良く知ってから
本人が結婚を決断するスタイルだと、結婚生活が順風満帆でなくなった時に、
自分達に対して言い訳がしづらくなります。「失敗した」と思い込んでしまって
「仕方ない、グレートリセットだ。」と離婚に至る、と。
文句があるなら選択別姓推進派ではなく、結婚情報産業に言いましょう。
>取材に基づく「未来予想」でそのことを実感した。
基づいてねぇし。最後まで嘘ばっかしだな、このクソ馬鹿タレは。
「他者がその者の出生を確認出来る機能」があっても、本人以外誰も参照できない機能なんですよね…ちょっと昔ならば会社がその人を採用するにあたってどの身分の流れをくむ人かを確認してしまえたようですが。
また、戸籍なんかを家の記録だの何だの随分と大袈裟に考える人もいるようですが、家の記録を官に頼むなんて充分家を軽んじた行動だと思います。家系図は家に置いておいた上で寺に過去帳を置き、また同じ系統の他の寺に写しを置くのが「普通」です。家制度を既に解体した官を信用して家の記録を官に頼むなんて、自己矛盾していると私は思いますが。本当に「守る」人たちなんでしょうかね?ただ昔の(本当に大昔の、ではない)家制度に「憧れている」だけに見えます。または、制度を変えるのが面倒くさいと思っている官に媚びている人たち?
あと、今のままの届出主義では高齢者所在不明問題も、住民票を移動していないまま生活が困窮し死んでいった孤立死の件も解決しないままですね。
他国のIDカードには「期限があり」、毎回写真を撮影して申請し、すべての項目を確認します。それに引き替え戸籍制度は現状を把握すらできない欠陥商品になっていると思います。現状が把握できなければ問題も把握できず、解決に導くこともできない。それは客観的に見て間違いないことですね。
いつもいっぱいコメントをくださって、まことにありがとうございます。
>YES!
Thank you.
>よく読んでみたらただの「元服式」じゃありませんか。
そうそう。
反対派は字づらだけに反応するんだよね。
でも、こういうデマは「言った者勝ち」みたいな
ところがあるから、結構効果があるんだけど。
>「おんぶにだっこ」をするのが理想だって感じがしないでもないんですが…。
>甘えたいんですかね、
そういうことだと思います。
前のエントリで、結婚とは別個の人格を持った
他人どうしが一生をともにすることだ、というのが
理解できない、というお話が出て来たけれど、
「精神的・経済的に自立することは、一生をともにせず、
他人として遠ざけることだ」というふうに、
理解しているのだろうと思います。
このあたり、日本は社会福祉が貧弱で、家庭の自助に
押し付けてきたことと、関係があるのかもしれないです。
>親子間・兄弟姉妹間でトラブルがあると、
>「籍を抜く」「複数回の移転」などの手続きを取らないと
>とんでもないことになります。
そういえばそうなんですよね。
戸籍は第三者は閲覧できないけれど、
おなじ戸籍に入っている「身内」であれば閲覧できてします。
親子やきょうだいでトラブルになったら、
たがいに閲覧できないように防御する必要が出て来ますね。
>戸籍なんかを家の記録だの何だの随分と大袈裟に考える人もいるようですが
なるほど。
家がそんなに大切なら自分で家系図を書け、かもしれないですね。
(「ブッデンブローク家の人びと」じゃないけど。)
このエントリにコメント、ありがとうございます。
>http://www.2musashino.com/sangou.html
>http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012042602000090.html
ご紹介、ありがとうございます。
やはり霊園も土地が足りなくて困っているのですね。
>これだと観念的に「墓所」すら不要でしょうね
モンゴルではお墓を建てる習慣はないそうですね。
もともと遊牧民族なので、しばらくすると
他の場所に移動するから、埋葬場所にお参りすることが
だれもできなくなるからだけど。
インドでも、死体を焼いた灰を川に流す習慣の地方は、
やはりお墓は建てないそうです。
お墓って、世界共通の習慣ではないのですよね。
日本人でも、自分が死んだら灰をどこかに流してほしい、
というかたがいるけれど、こういう「死生観」も
もっと定着してもいいかもしれないですね。
>その人自身よりもその人の出生にこだわる、差別大好き君だということですな
現在戸籍が第三者に閲覧できないのは、
同和地区出身者に対する配慮だとされています。
もともと同和地区出身かどうかを確認するために、
戸籍が利用されていたんだけど。
戸籍に出自がしめされていることが大事だ、などというのは、
同和地区対する差別に鈍感だと思います。
>>「結婚は博打(ばくち)」となったのだ。
>なってるっつうの(笑)。
そうそう。
育ちの異なる他人といっしょになるのですからね。
ギャンブル性をすこしでも減らすためにも、
結婚前の同棲の習慣を定着させたいものです、はい。
多過ぎないかなとか思ったりしますがつい…あまりにも面白(interesting!な意味で)くて、ついつい雑談ばりに書いちゃってます。
>>こういうデマは「言った者勝ち」みたいな
>>ところがあるから、結構効果があるんだけど。
も、もしかしてちゃんと読んで自分で噛み砕いて理解してない人が多いってことじゃないかと心配してます。ツッコミを入れるっていうのは大阪人の素敵なところだけど、関東人も見習うべきだ!なんて。
>>「精神的・経済的に自立することは、一生をともにせず、
>>他人として遠ざけることだ」
結婚に際してだけは、自分一人で立ち上がれない人同士が結ばれてはいけないと思うのにね。またもダブルスタンダードというか、なんというか(汗)。
>>親子やきょうだいでトラブルになったら
経験者のつぶやきです(笑)。トラブルそのものは「悪いこと」だけれど、それが周囲で起きそこから逃げおおせたからにはそれに対処する知恵を他者に与えたり、同じようなことが起こらないようにするための行動が求められると思っています。私が戸籍制度廃止・ID制度開始を求める理由のひとつがコレです。
>>家がそんなに大切なら自分で家系図を書け
当然ですよ。だって、お家制度廃止したのは政府ですから、家の記録という一番大事にされるべきものをその政府に渡すなんて、どういう自爆行為でしょう(爆)。しかも被災地では低地に置いて流されて紙は汚されてるし一部一度は失くしてるし、家制度ばんばんざいの視点で見たら「とんでもない管理の仕方だ、記録は血縁と信仰(神社でも寺でも教会でも)の中で管理すべし」ですよ。
>多過ぎないかなとか思ったりしますがつい…
ああ、いえいえ。
コメントをいっぱいいただけて、とてもうれしいですよ。
(わたしのお返事が追いつかなくて、もうしわけないです。)
>あまりにも面白(interesting!な意味で)くて、
おおおお!
わたしのつたないブログに、たくさんの興味を
持ってくださって、大変ありがたく思います。
>もしかしてちゃんと読んで自分で噛み砕いて理解してない人が多いって
最初にデマを飛ばす人たちは、わかってやってると思います。
彼らはでまかせを流布させることが、
平気でできる人たちなのだと思います。
そして、彼らの主張を見た人が、原典を確認せずに
真に受けるというわけです。
>結婚に際してだけは、自分一人で立ち上がれない人同士が
>結ばれてはいけないと思うのにね
恋愛には精神的にも経済的にも自立しているほうが有利、
http://lacrima09.web.fc2.com/teardrops/surround/independent.html
というのが、わたしの持論なんだけど、
結婚はなおさら自立が必要でしょうね。
>>>親子やきょうだいでトラブルになったら
>経験者のつぶやきです(笑)。
あらあら、そうだったのね。
察するに、大変だったと思います。
>>>家がそんなに大切なら自分で家系図を書け
>当然ですよ。
考えてみればそうですよね。
「家」なんて個人的なことに属しますからね。
お役所の書類なんかに頼らずに、
自分の財産並みに管理することかもしれないです。
ピント外れかもしれませんが書かせて下さい。
お墓について。
夫婦別姓で「無縁仏」が増えることは少ないと思います(「夫婦別墓」なら増えると思います)。
経験的には、地方の過疎化と少子化の方が「無縁仏」の原因として深刻だと思います。
地方の過疎化が進むと、その土地にある先祖代々の墓を管理する人がいなくなり「無縁仏」が出ます。
また、少子化が進むと、「家」単位でお墓を作っても、お墓の数よりも子供の数が少なくなり、結果として「無縁仏」が出ます。
いずれも、共に「家」のお墓を管理している私と配偶者が今直面している現実です。
蛇足ですが、私の知っているお寺では夫婦別姓で1つのお墓に入ることを気にしません。それどころか、供養と管理ができれば、友人でもお墓に入れられます。
未来予想図はデマだと思います。
戸籍について
現在、税金も社会保険も個人単位で加入することが実質です。夫婦共稼ぎになると、少ない方の収入が1人の生活費すら賄えない少額で、「一人前」として独立させられてしまいます。
ですから、経済的な実態を重視すると、筆頭者を頂点にした戸籍で私たちを「家」単位に管理している意味はないと思います。
夫婦別姓について
多くの勤労者が夫婦一人の収入で満足に生活できない状態になっているのだから、結婚前後で働き続けることに負担をかけない選択的夫婦別姓は必要だと思います。
未来予想図は、私の経験や現実には説得力を持っていません。
初めてなのに長くなってすみません。
こちらにもコメント、誠にありがとうございます。
いえいえ、ピントが外れている、なんてことはないですよ。
主旨に合っているコメントです。
>地方の過疎化と少子化の方が「無縁仏」の原因として深刻だと思います
無縁仏になるかどうかは、そのお墓を管理する人が
続くかどうかですよね。
ひとつのお墓に苗字の異なる人を合祀できるんだけど、
これは結婚改姓によって、実家と婚家の両方のお墓を
管理しないといけない人が増えたからでもあるそうです。
こんなのも、少子化の影響と言えるでしょうね。
>供養と管理ができれば、友人でもお墓に入れられます
やはり、少子化や地方の過疎化の影響で、
そうしないとお墓の管理をする人が確保できなくなる、
というのもあるのかな?
形式的には、「先祖累代の墓」と刻むのだと思いますが。
>戸籍について
>現在、税金も社会保険も個人単位で加入することが実質です
あとからできた住基ネットは、個人単位の身分登録なんですよね。
諸外国の身分登録が、ほとんどすべてそうであるように、
市民に対するサービスのためにも、
個人単位の身分登録が望ましいと思います。
住んでいる家単位で管理するなら、住民票がありますしね。
(戸籍は「家」単位の身分登録でありながら、
住んでいる家単位の管理になっていない。)
>私の経験や現実には説得力を持っていません
「未来予想図」が説得力を持つのは現実を知らない、
思い込みだけの人に対してだろうと思います。
(それでも、その「思い込みだけの人」が
結構たくさんいるから、嫌になってしまうんだけれど。)
>初めてなのに長くなってすみません
ああ、いえいえ、ぜんぜん長いなんてことないですよ。
どうもありがとうございます。
日本人の家族観が、現在のように
なったのは、高度経済成長期の
あたりからだと思います。
なので家単位のお墓が国民全体に
普及したのも、高度経済成長期
なのかもしれないです。
「伝統」と思われているものが
意外と歴史が浅く、とても「伝統」と
言えないしろものである、ということは
案外たくさんあるようです。
http://taraxacum.seesaa.net/article/282021753.html