「戦争中のほうがまし」なんて発言をしたのでした。
下の書き起こしを見ると、発言があったのは、
5月3日の「モーニングバード」のインタビューとあります。
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-1834.html
わたしが生きてきた90年でね、
こんな悪い時代はなかった、って言っているの。
戦争中の方がね、まだ、ましでしたよね。
この瀬戸内寂聴氏の発言に対して、いくらなんでも
現在より戦争中のほうがまし、ということはないだろうと、
江川紹子氏がツイッターで批判をしたのでした。
(ほかに、菊池誠氏も批判をしている。)
「江川さんの瀬戸内寂聴さんの批判について…」
江川紹子氏の指摘した点はふたつあります。
ひとつは言論の自由という観点で、戦時中は言論弾圧があったが、
いまはずっと自由にものが言える、ということです。
もうひとつは、戦争では多くの人が亡くなっているから、
いまよりひどいということはない、ということです。
@mukai850 言論・表現の自由という点でも、今より「戦争中の方がまし」ということはないと思います。現に瀬戸内さんは彼女の権利として政府に公然と抗議をし、それをメディアが好意的に報じるということがなされているわけです。戦時中は「横浜事件」のような酷いでっち上げ弾圧もあった。
— Shoko Egawa (@amneris84) 2012, 5月 3
兵士や軍属など約230万人が戦死し、80万人の一般市民が空襲などで命を失った戦争中の方がましだった、という発言は残念…というか、ダメだと思う RT @mukai850 菊池誠氏の「瀬戸内寂聴はダメな人だと思う」という旨の発言が非常に遺憾なのですが、江川さんはどのようにお考えなのか
— Shoko Egawa (@amneris84) 2012, 5月 3
このふたつは、おそらくだれでも思いつくものであり、
きわめて常識的な判断だろうと思います。
江川氏の批判は、まったくその通りというもので、
なんら問題があるとは思えないです。
瀬戸内氏が「戦争中のほうがまし」と発言したのは、
おそらく過去の都合が悪いことは、記憶が薄れて美化される、
という「むかしはよかった」幻想ではないかと思います。
あるいは、江川氏が指摘するように、「ある種の
高揚感の中で言ってしまった」のだろうと思います。
このように瀬戸内氏を江川氏が批判したことに、
納得がいかなかったのか、沖縄の80歳のおばあちゃんも
瀬戸内氏と同様のことを言っているとして、
江川と菊池はこの沖縄のおばあも批判できるのか?
などと言っているかたがいらっしゃります。
「江川紹子は沖縄の80歳おばぁも批判の対象とするか」
明らかにあの凄惨な沖縄戦を経験しているであろう
80歳おばぁが「こんなひどい時代は見ていない」とおっしゃられた。
いかに私たちヤマトの人たちが沖縄を
軽んじてきたかを痛感させられるばかりです。
さて江川氏、それと菊池誠氏は、寂聴さんを批判したのと同様に
上記おばぁを「ダメな人」と批判なされるのでしょうか。
このお答えは、コメント欄の、飛び入りの凡人さまの
コメントが、的確なところを語っていると思います。
ここに引用をしたいと思います。
http://d.hatena.ne.jp/vanacoral/20120509#c1336626000
戦時中よりひどいなどというわけがない。
沖縄のおばあちゃんだって批判対象になります。
リベラルが「昔は良かった」の幻想に
はまり込んでどうするのか、と言いたいです。
沖縄を差別してきたことについても、
戦時中はもっとひどいことをしてきたではないですか。
基地を分け合わないことは、集団自決を強要したことよりも
ひどいことなのですか?
私は価値観の基準がおかしいと断言しますよ。
私は寂聴さんよりも論理的な菊池氏を支持します。
このコメントに対する、ブログ作者の返答は以下です。
福島の被災地を放射能差別しておいて、それを批判されると、
「悪いのは政府と東電」と居直るみたいですね。
http://d.hatena.ne.jp/vanacoral/20120509#c1336662899
本質的に批判されるべきは、戦中派の瀬戸内さんに
そんな事を言わしめた政府・東電であり、
おばぁにそんな事を言わしめた私たちヤマトの人間である、と考えます。
ほかに瀬戸内氏を擁護する意見として、こんなものがあります。
瀬戸内寂聴は戦争体験があって戦時中を知っている。戦後生まれの江川紹子はそれを知らない。その江川紹子が、瀬戸内寂聴に向かって、瀬戸内寂聴自身が戦時中と現在を比較して語った感想に対して、「言論人は絶対に言うべきではない」などと断定調で一般論化して説教できるのだろうか。違和感を覚える。
— 世に倦む日日 (@yoniumuhibi) 2012, 5月 4
これを言い出したら、えんだんじのような人が
「夫が外で働き妻が専業主婦だった時代はよかった」と、
現在と比較して感想を語ったことに対して、
わたしたちは批判ができないことになりそうですね。
江川氏は上述のように、戦後産まれでもすぐわかる
常識的なことしか言っていないと思います。
戦争中を経験した人でないとわからないことに対して、
でしゃばったことを言ってはいないでしょう。
そこへもってきて、「経験がないから」と言って
批判することの正当性さえ疑うのは、
それこそ違和感を覚えることだと思います。
それはそれ、これはこれ、だと単なるご都合主義だし、瀬戸内寂聴氏の真意を汲むとしても、「戦後生まれだから批判すべきではない」というロジックは適切ではないでしょう。
反原発界隈には現在を「非常時」「戦時」ととらえ、「戦時」なのに「戦時体制」になっていない日本は暢気すぎるとして戦時体制への志向(つまり強権を発動しても反原発や反放射能をやりたいという)がくすぶっていますから、それも根っ子にあるのでしょうね。
本当なら政府が強権を発動して全原発の永久停止と順次廃炉を宣言すべきだと
言うのが私の意見です。福島を経験し、原発の何たるかが見えてきた今の日本で、
原発の再稼働なんて、あり得ないでしょう。
なのに、補助金はともかく原発雇用におんぶに抱っこな地元自治体や、原発依存度
を高めてきた電力会社に対して、出来もしない物を「出来るかもしれない」などと
どっちつかずな発言を繰り返すなんて、生殺しみたいなもんです。
『金輪際再稼働は無い』と早く宣言してやれば、地元もそれだけ早く、次に向かう
べき方向を模索出来るでしょう。電力会社だって、ガスタービン発電の利用率を高め
つつアメリカにシェールガス買取交渉を持ちかけるとか、再生可能エネルギー開発に
本腰を入れるとか出来るでしょう。とにかく一日でも早い方が良いに決まっている。
需要者にしたって、原発依存度が最大の関電管内ですら、夏のピーク時、いつぞやの
記録的猛暑となったとしても、たかだか15%の不足なんでしょ。関西電力も先行き
全く不透明(たぶん駄目)な大飯原発の再稼働なんぞに期待せずに、とっとと
最大供給可能量宣言すりゃ良いんですよ。「ウチはこれ以上は出せないから、その中
でやり繰りして下さい。」と、需要者に下駄を預ければ良い。あとは需要者側が
それに見合った節電計画を立てたり、発電機や蓄電池を買うなりします。
これから太陽活動の関係で、地球が寒冷化する説もあるしね。
日本の夏の電力不足は、太陽が解決してくれるかもしれん。
この期に及んで、まだ再稼働とか言っているアホ政権に心底腹を立てているのは、
寂聴氏だけではないと思います。ま、「戦時中よりも〜」は勢いあまり気味ですがね。
江川氏,菊地氏の寂聴批判は,陳腐ながら
『牛刀を以ってイワシの刺身を作るがごとし』
とでも言っておきましょう。
「戦争中の方がね、まだ、ましでしたよね」
とは
「そんなことなら死んだ方がマシだ!」
というのと同じ表現のテクニックとでも考えればよい話。
恐らく,江川氏も菊地氏も寂聴さんの反原発を揶揄したい動機が大いにあったんでしょ。
これが原発推進派の言葉なら,知らん顔してたと思いますね。
ただし,反原発派も,もしこれが原発推進派の発言なら激しく噛みついたかもね。
>日本は原爆を2度受けてて、
わたしが生きてきた90年でね、こんな悪い時代はなかった、って言っているの。<
この文だけ見ると、「こんな悪い時代はなかった」は「原爆を2度受けた時代」(=戦争中)のことを言っているみたいなのですが
そのあとに
>戦争中の方がね、まだ、ましでしたよね。<
があるので、
なんだかシュールだなあと。
瀬戸内さん自身が書いた文章ではありませんし、瀬戸内さんはツイッター等で補足や反論をしているわけでないので、真意はよくわかりませんね。
仮に江川紹子が反原発派であるとしたら、「瀬戸内寂聴ほどの人が『戦時中よりも〜』
などと発言することで、大飯原発再稼働反対運動自体が集団ヒステリー的に扱われて
しまうではないか。」と危惧しての発言、と言う見方も成り立つと思います。
ま、江川紹子がどっち派か、なんて、たいして興味は無いけど。
kiriko様
>瀬戸内さんはツイッター等で補足や反論をしているわけでないので、真意はよく
>わかりませんね。
怒ってるのでしょう、とても。政権に対してや、声を荒げない国民に対してや、色々と。
怒ってまくし立てている人の発言内容の一部をあれこれ言っても意味が無いでしょう。
「何を言っているのか良く分からないがとにかく怒っている」。
実はこれが一番怖い(一番強く「怒り」と言う真意が伝わる)ものだと思います。
ついでに悪乗り。
橋下が本当に大阪のため、日本のため、を思って、脱原発を望んでいるのなら、
今、彼が手にしている権力をフルに行使して、今年の夏場のピーク時(12〜15時)、
大阪市内の全てのエアコン(寝たきりの人が居る部屋の物を除く)を、使用禁止に
してみなさい。
消費電力が一気に下がり、室外機が室外への熱排出を止めるため外気温も下がります。
普通は一首長にそこまでは出来ないでしょう。が、彼なら出来るかもしれない。
彼がもし本当にそれをやってのけたら、私はそれ以降彼のことを、チンピラ芸人とか
下衆野郎とか、一切、言いません。
これはエア御用というカテゴリーそのものです。
別にレッテルを先に貼っているわけではないんです。
菊地氏にしても江川氏にしても,反原発的言動に対しては揶揄がたくさんたくさん込められた発言をよくなさいますが(尤も,仕方ないのも多くありますが),原発推進的な言動に向かってそういう揶揄的な発言をなさっている処を見かけたことが無いからです。(直接的な言及ではないので,私はこれを陰的アルゴリズムと呼んでいます)。
どこかにはありますか?もし御覧になったことがあれば教えてください。ウォッチしているわけではないので,もしそういうのがあれば認識を改めるきっかけにできるかもしれません。
エア御用というのは原発推進をあからさまに説く人と違って,自分の立ち位置をあいまいにできる便利な立場です。
kirikoさん,
>日本は原爆を2度受けてて、
は,
>2度も原爆を受けておきながら,(この放射能に対して国民を見捨てるような態度はなんだ!)
という怒りですよ。
瀬戸内寂聴の言っている事が希望のない閉塞感に関すとならわかるけど、最悪の事態にもなっていない原発の事故を過去の泥沼の戦争状態よりマシだなんて自分の思想に酔っているだけにしか見えませんね。
そういえばそうですね。
著名人や有力者の断片的な発現を自分の都合のいいように解釈(忖度)したり、それに反論したりするのも、ある種ピントが外れた行いなのかもしれません。
>これはエア御用というカテゴリーそのものです。
なるほど納得。
確かに江川氏が、寂聴氏の発言により大飯原発再稼働反対運動の正当性が
損なわれることを危惧するのだとしたら、その前に自身の発言により、
大飯原発再稼働反対運動そのものから論点がずれることを嫌うでしょうからね。
平たく言えば「寂聴氏のお気持ちは非常に良く分かるのだが、それにしても〜」
と言うような書き出しになるはずでしょうから。
>どこかにはありますか?もし御覧になったことがあれば
ないですね〜。
江川紹子ほどの有名人なのに、セリフが聞こえて来ないと言うことは、
言っていないと思って良いんじゃないでしょうか。
>エア御用というのは原発推進をあからさまに説く人と違って,自分の立ち位置を
>あいまいにできる便利な立場です。
テレビ業界的には、その方が良いのかもしれませんが、
むしろ原発推進を公言する人以上に、一般人の信用は失うんじゃないかと思いますよ。
それとD様
ま、良いんですけどね、
>最悪の事態にもなっていない原発の事故を
ってくだりだけは、撤回をお勧めします。
しかし、この事故が原因で生活していた土地を追われ、その土地に何十年も戻ることができない人たちが出てしまったとすれば、私はその状況に対して、「最悪の事態ではない」という言葉は使えません。
これは私の「感情」なのかもしれません。
私は瀬戸内寂聴さんのハンストに敬意を持ちます。
しかし、瀬戸内さんは「言葉」の持つ重さを知っていらっしゃる方だと思いますので、「戦争中のほうがまし」という発言は、間違っていると思います。
私は沖縄の米軍基地は縮小すべきだとも思います。
しかし、「80歳おばぁ」に関しても、その娘である大学教員の金城さんが母親の言葉を使っていること、大学の講義などで沖縄問題を取り上げているらしいことから考えると、「人生終わる間際だが、こんなにひどい時代は見ていない」という発言は、やはり間違っていると思います。
私は瀬戸内さんや金城さんのされていることを支持したいと思います。
しかし、瀬戸内さんや金城さんの発言は強調表現の範囲を超えていると思われ、これらを無条件で認めてしまうと、「煽動」という方法を肯定してしまうのではないかと感じました。
これは作者としては、とても喜ばしいことです。
御光堂さま
このエントリにコメントありがとうございます。
>「戦後生まれだから批判すべきではない」という
>ロジックは適切ではないでしょう
経験者の経験談にたいしてでしゃばったことを
言っているならともかく、
この場合の江川紹子氏はそうではないですからね。
戦後産まれの人でもわかる、常識的なことしか言っていない。
>それも根っ子にあるのでしょうね
「反原発派」の中には、結構本気で現在の世の中が
戦時中よりひどいと思っている人たちも、いるような気がしています。
瀬戸内氏の「戦争中のほうがまし」発言なんて、
「そうだそうだ」と、我が意を得たように
思っている人も、結構いるのかもしれないです。
あきらかにおかしい「戦争中のほうがまし」発言に対して
無批判どころか、無防備に賛同してしまう人も
結構いるという現状を見ると、「脱原発派」は多分に
問題視されるべき状況にあるようにも思います。
このエントリにコメントありがとうございます。
>ま、「戦時中よりも〜」は勢いあまり気味ですがね
>怒ってまくし立てている人の発言内容の一部を
>あれこれ言っても意味が無いでしょう
「勢いあまり気味」どころか、あきらかにおかしいですよ。
ましてや戦時中を実際に経験したかたがこれを言えば、
どんな影響力があるかを考えれば、
危険でさえあるのではないかと思いますよ。
「あれこれ言っても意味が無い」なんてことはないです。
ちゃんと批判することだと思います。
そもそも、瀬戸内氏は文章家である以上、
自分の発言に対して注意は払うだろうと思います。
むしろ、戦時中を経験している自分が発言することで、
どのような影響力を持つか承知の上で
コメントしたのではないかと思いますよ。
文章家であれば、戦略的な発言をすることこそ、
ありそうだと思います。
>ま、江川紹子がどっち派か、なんて、たいして興味は無いけど
>江川紹子ほどの有名人なのに、セリフが聞こえて来ないと言うことは、
アルバイシンの丘さまのコメントでもお話するけど、
「原発依存は縮小が前提だが、当面の電力不足があるので、
ある程度の原発再稼働は容認する」だと思います。
根拠は、「政府は、具体的に需要電力を計算して、
原子力発電所は廃炉何基、再稼働何基という数値目標を、
早くしめすべきだった」という主旨のツイートをしていることです。
http://twilog.org/amneris84/date-120406
それから、脱原発についてのご意見を、
いっぱい書いてくださるのは結構なのですが、
わたしとしては、「戦争中のほうがまし」発言について、
もっと考察してほしかったと思います。
あきらかにおかしい「戦争中のほうがまし」発言に対して
無批判どころか、無防備に賛同してしまう人も
結構いるという現状を見ると、「脱原発派」は多分に
問題視されるべき状況にあるように思いますよ。
このエントリにコメント、ありがとうございます。
>「そんなことなら死んだ方がマシだ!」
>というのと同じ表現のテクニックとでも考えればよい話
残念ながら、そのようには思えないです。
「きっこ」氏はおなじ主旨のことを言っていますが、
この弁護はかなり苦しいと思います。
なぜなら瀬戸内氏に賛同してしているほかの人たち、
「vanacoral」氏や、「世に倦む日々」氏は、
そのようには解釈していないからです。
アルバイシンの丘さまがおっしゃることが真意だとしたら、
「戦争中のほうがまし」は、「死んだほうがまし」のような
常套句ではないですし、あきらかに誤解を招く表現です。
(というか、誤解を招いていることになります。)
瀬戸内氏は文章家として、そのような誤解の可能性に
配慮できないことはないと思います。
なので字義通り、現在と戦時中を比較したコメントだと
解釈するのが、いちばん自然だと思います。
>江川氏も菊地氏も寂聴さんの反原発を揶揄したい動機が大いにあったんでしょ。
>これが原発推進派の言葉なら,知らん顔してたと思いますね
それはいくらなんでも、うがった見かたではないかと思います。
おそらくどのような立場の人であっても、
おかしなことを言えば、批判をしたと思いますよ。
菊池誠氏ですが、「モーニングバード」の書き起こしを
たぶん偶然見つけたものと思います。
それを見て、「こんなことを言ったのなら、
ダメな人だと思う」とツイートしたのだと思います。
http://twilog.org/kikumaco/date-120503
江川紹子氏は、はじめに菊池誠氏の
「ダメな人だと思う」発言をリツイートしています。
このときは、自分の意見は述べていないです。
http://twilog.org/amneris84/date-120503
そのあと、たぶんフォロワーからだと思いますが、
「菊池氏の「ダメな人だと思う」という批判を
どう思うか」と考えを訊かれています。
それにお答えするかたちで、自分の意見を述べています。
http://twilog.org/amneris84/date-120504
ついでながら、アルバイシンの丘さまのコメントは、
反原発運動で熱心な瀬戸内氏を批判されたのが
とても不愉快なので、江川氏と菊池氏に難くせを
付けているように、わたしには見えますよ。
本来なら、「戦時中のほうがまし」発言を
もっと問題視してしかるべきところなのに、
「脱原発派」はやはりそういう反応をするのか、とでもいうか。
http://lacrima09.blog.shinobi.jp/Entry/238/
>エア御用というのは原発推進をあからさまに説く人と違って,
>自分の立ち位置をあいまいにできる便利な立場です
江川氏と菊池氏の立場ははっきりしているでしょう。
「原発依存は縮小が前提だが、当面の電力不足があるので、
ある程度の原発再稼働は容認する」だと思います。
森永卓郎や、小沢一郎とおなじ考えだと思います。
江川氏は、「政府は、具体的に需要電力を計算して、
原子力発電所は廃炉何基、再稼働何基という数値目標を、
早くしめすべきだった」とツイートしています。
http://twilog.org/amneris84/date-120406
菊池氏は、いまさら原発推進なんてありえない、
原発は縮小を前提とした上で、いかに理性的に判断するかが
あるだけだ、という主旨のことを言っていました。
これらを見たところ、江川氏も菊池氏も、
「原発推進派」というわけではないと思いますよ。
(もっとも、「すべての原発を停止しろ」という
急進的な「脱原発派」には、部分的な再稼働も
視野にあるというだけで、「原発推進派」として、
いっしょにくくられてしまうみたいだけど。)
このエントリにコメント、ありがとうございます。
>この文だけ見ると、「こんな悪い時代はなかった」は
>「原爆を2度受けた時代」(=戦争中)のことを
>言っているみたいなのですが
「モーニングバード」の書き起こしを確認しました。
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-1834.html
たしかに、「わたしが生きてきた90年でね、
こんな悪い時代はなかった、って言っているの」は
前の部分、「日本は原爆を2度受けてて、」に
かかっていると考えたほうがいいかもしれないです。
その場合でも、「戦争中の方がね、まだ、ましでしたよね」の
意味は変わらないと思いますよ。
「戦争中はこんな悪い時代はなかった。
でもいまと比べたら、「こんな悪い時代」の戦時中のほうが
まだましだ」という意味になるでしょうから。
>瀬戸内さん自身が書いた文章ではありませんし、
リンクしたエントリは、瀬戸内氏がテレビで
しゃべったことを、そのまま書き起こしているようなので、
瀬戸内氏の発言そのものと考えてよいと思います。
そのあとの瀬戸内氏からの補足や反論はないようですね。
でも、文章家であれば、自分の発言に一定の
注意は払うでしょうから、そのまま字義通りに
解釈して問題ないのではないかと思います。
>最悪の事態にもなっていない原発の事故を
あ、「最悪の事態」というのは、原発事故のことなのかな?
原発の再稼働のことかと、わたしは思ったけれど。
(それで、1基でも再稼働したら「戦争中のほうがまし」
なのかよ?って思ってた。)
いずれにしても、戦争中よりましということはないですよね。
>泥沼の戦争状態よりマシだなんて自分の思想に酔っているだけにしか
「脱原発派」の人たちは、結構本気で「戦争中のほうがまし」
なんて思っているのではないかと思います。
瀬戸内氏の発言を批判しないどころか、
無防備に賛同する人もいますからね。
(瀬戸内氏が「戦争中のほうがまし」と言ったときも、
「そうだそうだ」と内心喝采したのかもしれないです。)
それでも、戦後産まれの人でしたら、
「平和ぼけ」でなんとかなるんでしょうけれど、
戦争中を体験した瀬戸内氏が言ったとなると、
ちょっと危険なものさえあると思います。
>著名人や有力者の断片的な発現を自分の都合のいいように解釈(忖度)したり
「モーニングバード」のインタビューの
書き起こしでしたら、リンクして全部示しているので、
文脈に即した解釈をしていると思います。
「断片的な発言」だけ取り出してはいませんよ?
それから、わたしは「自分の都合のいいように解釈」
などしていないと思いますが?
どのあたりが「都合のいいように解釈」したと、
思ったのでしょうか?
(変な印象操作をしないでよ?と思ったけれど。)
このエントリにコメント、ありがとうございます。
>「最悪の事態ではない」という言葉は使えません。
原発事故は、対処のしかたが悪ければ、
もっと悲惨な事態になったと思うので、
現状が「最悪の事態」ではないだろうと思います。
それでも、被災地のかたたちに配慮して、
そうしたことばを使わないという考えは、
じゅうぶん理解できることだと思います。
>「戦争中のほうがまし」という発言は、
この発言がおかしいのは、もう言を待たないでしょうね。
戦争中を体験した自分がこう言ったら、
どんな影響を与えるか、承知の上ではないかとも思います。
ちょっと危険なものさえ、わたしは感じています。
>私は瀬戸内さんや金城さんのされていることを支持したいと思います。
>瀬戸内さんや金城さんの発言は強調表現の範囲を超えていると思われ、
瀬戸内氏や金城氏の活動を支持することと、
かかる発言に賛同することは、べつのことですよね。
むしろ活動を支持する人たちこそ、
おかしな発言には、批判的になることではないかと思います。
残念ながら、「脱原発派」のかたたちは、
「戦争中のほうがまし」発言に対して無批判だったり、
あるいは、批判した江川氏や菊池氏への攻撃に
転化したりしていらっしゃりますが。
それこそ単なる文学的な比喩でちょっと口が滑った程度で別に深い意味もなかったかもしれないですしね。
>むしろ活動を支持する人たちこそ、おかしな発言には、批判的になることではないかと思います。
>残念ながら、「脱原発派」のかたたちは、「戦争中のほうがまし」発言に対して無批判だったり、あるいは、批判した江川氏や菊池氏への攻撃に転化したりしていらっしゃりますが。
「約20年前に、手伝いをしていたある市民運動の中心の人たちのメンタリティーと同じことが今でもあるのだな。」と素朴に感じてしまいました。
新参者が主催者に気に入られたりすると「生意気」だと言われ、事務局会議などで「それは違うのではないですか。」と少しでも疑問を持った発言をすると、活動自体を「全否定」されたと捉えられて、全面的な批判を受け、徐々に活動から隔離されたり。
瀬戸内さんや金城さんやその周囲で一生懸命活動をされている方々はそういう人ではないと信じています。
あの戦争がいかに悲惨なものであったかは、改めて言うまでもないことであって、瀬戸内寂聴も当然、そう思っている上での「戦争中のほうがまし」発言だったと私は感じましたし、今でも全くそう思っていますよ。まさしく「死んだ方がまし」と、同義である、と。
そもそも彼女がやろうとしたハンスト自体が、まさに「この要求が通らないなら死んだ方がまし」と言う意思表示方法です。
「この要求が通らないなら死んだ方がまし」と訴える人に対して、「命より大切な物は無いのだから、死んだ方がマシと言うのは間違いである。」などとと言ったら、「そんな話をしてるんじゃねぇ!」と逆上するんじゃないでしょうか?
私は、江川紹子の発言にも、それを取り上げたここのエントリにも、「命より大切な物は無いのだから死んだ方がましと言うのは間違いである」的なニュアンスを強く感じたので、「そんな話をしてるんじゃねぇ。」と言う反応として、脱原発の話を少しさせてもらった次第です。
失礼しました。
>江川氏と菊池氏の立場ははっきりしているでしょう。
>「原発依存は縮小が前提だが、当面の電力不足があるので、
>ある程度の原発再稼働は容認する」だと思います。
それって、昨年の3月11日に飲酒運転で酷い人身事故を起こしたバス会社の別の運転手が、乗客に向かって「今日はすごく暑いんで、今、ビール一杯だけ飲ませてもらっても良いですか?いや、ホント心配ないですから。自分、酒は超強いんで。こんなの水と同じですから。」と言ったのに対して、「確かにこの猛暑だし、酒に超強いってんだから、まぁ一杯だけだったら飲んでもいいよ。」と答えるのと、全く同じことだと思います。
江川氏、菊池氏だけが乗っているバスなのであれば、「無謀なヤツもいるもんだ。ま、頼むからウチの近くは通るなよ。」と思うだけですが、残念ながらそのバスには、私も私の家族も乗っている。当然のことながら私としては、「ふざけんじゃねぇ!」とその運転手からビールを取り上げ、「お前らもいい加減なこと言ってんじゃねぇ!」と江川氏、菊池氏を怒鳴りつけることになります。
ブーメラン。
「その後の補足がない」とか言って、
発言されていないことを持ち出してあれこれ言うことこそ、
「しょせん憶測でしかない」と思いますよ。
またまたコメントありがとうございます。
>「約20年前に、手伝いをしていたある市民運動の
>中心の人たちのメンタリティーと同じことが今でもあるのだな。」と
>素朴に感じてしまいました
おおお、市民運動にかかわった経験があるのですね。
じつは、わたしもあります。
なので、この手の精神構造がわかるのもあります。
わたしも、くだんの市民団体に批判を続けていたので、
よってたかって攻撃されたあげく、排除されました。
それはともかく、市民運動は思想をおなじくする人たちが
集まって、閉鎖的な集団を作るので、
だんだんと外からの批判を受け付けなくなって、
自分たちこそ正しいというセントリズム
(中心主義)が強くなるのですね。
「戦争中のほうがまし」発言や、それに無批判な
「脱原発派」の態度も、このセントリズムの
現れかもしれないと、わたしは嫌な予感がしています。
さて,この問題の議論はあまり有益でないことを申し上げたい。寂聴批判者は次の1と2のどちらで批判しているのでしょう?
1.あの時代のほうがいいと『思う』なんてなんてやつだ。
2.あの時代のほうがいいと『言う』なんてなんてやつだ。(たとえほんとに思ってなくても)
1なら歴史修正主義者となって寂聴さんはトンデモの仲間入りですが,そうではないことを以下に示します。
ある歴史修正主義者に登場してもらい,「アレは侵略戦争ではなかった」と言ってもらいましょう。それを意訳すれば
A「あの時代は良かった!」
という発言と解釈できましょう。これと,寂聴さんの
B「戦争中の方がね、まだ、ましでしたよね!」
はよく似ていますが,同じか違うか?
2点,違いを感じます(無論,主観的文学的な話)
まず一点目。AとBはよく似ていますが,歴史修正主義者さんは決してBのようには言わないでしょう。
Aは「あの時代への羨望のようなもの」が感じられますが,Bには感じられません。
さらにBは重点を現在に置いています。「現在はなんという(悪い)時代だ!」
二点目は,Aを発言した人はホントにその時代が良いと思っているのに対し,Bの発言者は,別にホントにその時代が良いとは思っていないことです。ご安心ください。
「死んだ方がマシ」と言ってもホントに「死にたい」という意思表示ではないのと同じです。
重点は戦争中のことにはないのでレトリックと考えれば良い話。よって批判2も大げさすぎます。
ということでこの発言はことさら問題にする必要はないのです。
ただし,経産省前の座り込みなどに反発を感じている人たちからは,今のように付け込まれることを寂聴さんは想定していたのかな?
それで困っているのなら甘かったし,想定内なら知らん顔していればいいと思う。
念のため,私は別に寂聴さんは好きな方(ほう)ではないです。
まあ、90歳のお婆さんの発言として聞き流せば良かったかなとも思います。
これを批判したことにより、こんどは寂聴氏支持者(つまり反原発派)が反論せざるをえず、なんだか寂聴氏を置き去りにした不毛な議論の応酬でしかなかったと思われます。
そこで最初のコメントに戻りますが、「戦後生まれは批判するな」というロジックに関しては適切ではないでしょう。
またまたコメントありとうございます。
>まさしく「死んだ方がまし」と、同義である、と
そのように解釈するのは、無理があると思いますよ。
「戦争中のほうがまし」は「死んだほうがまし」とちがって、
慣用が固定されていないですからね。
そのような使いかたをしたら、誤解を招くと思います。
現に、瀬戸内氏に賛同や擁護をしている、
「vanacoral」氏や「世に倦む日々」氏も、
そのように解釈をしていないのですし。
瀬戸内氏は文章家なのですから、
表現についてこのように無配慮とは思えないです。
「死んだほうがまし」と言いたいのであれば、
直接そう表現すると思いますよ。
>江川紹子の発言にも、それを取り上げたここのエントリにも
>「命より大切な物は無いのだから死んだ方がまし
>と言うのは間違いである」的なニュアンスを強く感じたので、
ニュアンスもなにも、現在と戦時中とで状況を比較すれば
「戦争中のほうがまし」はあきらかにおかしいと
結論せざるをえないと思いますよ。
>「そんな話をしてるんじゃねぇ。」と言う反応として、
わたしは、このエントリでは、瀬戸内氏の発言が、
大飯原発の再稼働に対する不満として、
出てきたものだということは、
できるだけ前面に出ないようにしたんですよね。
これが脱原発運動に関わることだとわかると、
それだけでバイアスがかかるおそれがあるし
(というか、現にバイアスが出ているし)
「だれが言ったか」ではなく「なにを言ったか」で
判断してほしいと思ったからだけど。
わたしは、このエントリでは、発言者のスタンスに関わりなく
成り立つことしか書いていないつもりです。
>それって、昨年の3月11日に飲酒運転で
>酷い人身事故を起こしたバス会社の別の運転手が、
>と答えるのと、全く同じことだと思います
単に原子力発電所を稼働するというだけでしたら、
飲酒運転とは違うのでは?と思いますよ。
普段とちがってずさんな安全対策で運転をした、というのなら、
「飲酒運転」に相当するかもしれないけれど。
(あるいは、事故を起こしやすい、というのでしたら、
現在酷使されている火力発電のほうが、
危ないかもしれないですよ。)
>批判の為の批判はみっともないよん
まー、ニャオ樹・ワタナベさまの、瀬戸内氏擁護と
江川氏批判は、さすがに苦しいと、わたしは思います。
>戦時中は言論弾圧があったが、いまはずっと自由にものが言える
>戦争では多くの人が亡くなっているから、いまよりひどいということはない
こんなの全て常識です。と言うか全ての日本人が常識として知っておくべきものであり、寂聴氏も勿論知っている。そう考えるのが自然でしょう。
従って寂聴発言の「戦時中」は、単に「現在までの90年間の中で最悪の時代」として引き合いに出されただけであって、その最悪の時代よりも悪いと言う位『今の時代状況は悪い』と言うための比喩の対象に過ぎない、ということは直感的に感じられるのではないですか?
引き合いに出したものが悪すぎたので、結果的にどぎつい表現にはなってますけどね。
そのどぎつさがイヤなのだったら、「それは幾らなんでも言い過ぎだ。表現が悪すぎる。」とか言えば良いだけの話。
「戦争では多くの人が亡くなっているから〜」などと、当然、それを知った上で発言している人に向かってわざわざ言うなんて、教科書通りの発言で貶めているとしか思えません。
>そのような使いかたをしたら、誤解を招くと思います。
どんな誤解でしょう?
まさかとは思いますが「ひょっとして今よりも戦時中の方が良かったのか?」と本気で思ってしまうとか??
それこそ「平和ボケ」。しかも重度の。勉強して下さい。
そんな人がそれなりに居るのだとすれば、それは寂聴発言の問題ではなく、戦後教育の問題ですよ。
(実際、問題が多々あるようなので、誤解する人も結構いるのかもしれないけれど。)
>現に、瀬戸内氏に賛同や擁護をしている、「vanacoral」氏や「世に倦む日々」氏も、
>そのように解釈をしていないのですし。
誰ですか、その方達は?(そもそも名前も読めないよ・・・)
知らない人の解釈なんて私には分からないし、答えようが無い。
彼らが重度の平和ボケなのか、そうでなくて私とは違った見方で寂聴発言の何かを問題視しているのかも、分かりません。
私が寂聴発言をさほど問題があるとは思わないのは、この発言で傷付く人が思い当たらないから、です。
勿論、政府に対しては痛烈な皮肉ですが、政府を皮肉ってはイカン、ということは無い。
対して江川発言は、言い方こそ落ち着いた風ではあるが、明らかに寂聴に対する個人攻撃であり、寂聴の提起した問題から論点をずらすことで、更に寂聴をおちょくっているように感じられます。
またまたコメントありがとうございます。
1のように「戦争中の時代はよかった」と
瀬戸内氏が思っていないことは、たしかだと思いますよ。
瀬戸内氏の「戦争中のほうがまし」発言は、
「現在も戦争中もどちらもひどい時代だが、
現在のほうがひどさの程度が大きい」ということでしょう。
「瀬戸内氏は、戦争中はよかったなんて言ってる!」
なんて、だれも言ってないと思いますけど。
>この発言はことさら問題にする必要はないのです
戦争中を体験した自分が、「戦争中のほうがまし」と
言えばどんな影響を与えるか、瀬戸内氏は
それを承知で言ったことが考えられます。
となると、見過ごすわけにはいかないと思います。
ましてや、これが「脱原発派」の体質に
かかわることであれば、なおさら問題だと思いますよ。
すくなくとも、無批判だったり、無防備に
賛成している人は、いらっしゃりますしね。
またまたコメントありがとうございます。
>やっぱり口が滑った程度の文学的比喩であり
口が滑った程度であれば、本当にいいのだけれどね。
発言に戦略があったとすると、見過ごせなくなってきます。
>90歳のお婆さんの発言として聞き流せば良かったかなとも
瀬戸内寂聴氏はメディアで発言したのですから、
その内容に対しては、一定の責任があると思いますよ。
そこに問題があれば、批判の対象になります。
「90歳のお婆さんの発言として」なんて言ったら、
識者としての瀬戸内氏に対して、
かえって失礼ではないかと思いますが。
>こんどは寂聴氏支持者(つまり反原発派)が反論せざるをえず
反論しないという判断もあるでしょう。
いささか残念な事態になっていると、わたしは思ってます。
>なんだか寂聴氏を置き去りにした不毛な議論の応酬でしかなかったと
有名人の発言が、本人のいないところで議論されるのは、
それはそれでとうぜんではないかと思いますが。
それを言い出したら、有名人の発言に対して
なんら議論ができないことになってしまうし。
>保守反動的な復古を意図してはいないでしょう
そのように思っている人は、さすがにいないと思いますよ。
「戦争中のほうがまし」発言は、ひどさの程度が
現在のほうがはなはだしい、ということであって、
戦争中も現在もひどいと言っていることはたしかですし。
たんぽぽさんが寂聴発言を看過できないのは,それが
「ひどさの程度が現在のほうがはなはだしい」
という意味だからですか?
寂聴さんがそのように思ったことが問題?
寂聴さんがそのように言ったことが問題?
それとも喩えの言い方が問題?
すぐ上のコメの最後の趣旨がわかりにくかったので失礼ながら確認する次第。
あなたには、花道を作ってあげたほうがいいのかしら?
この議論から引き上げるための花道だけど。
>たんぽぽさんが寂聴発言を看過できないのは,
瀬戸内氏を擁護する人たちや、江川氏を攻撃する人たちが、
つぎつぎと出て来るからですね。
江川はきっことのバトルで「日本人の半数が癌になるのに云々」と言っている。これはいくらなんでも頭が悪すぎます。日本人の半数が癌で死ぬにしても、大半はおじんおばん、じいさん婆さんです。子供が癌になることの悲惨さと同じに捉えるなんて、ひどい。それに癌だけの問題ではないし。
江川はアホかクズであると結論します。
どうでもいいことじゃないか。
「戦争中より今はひどい」という発言が、具体的にどんな悪影響をもたらすというのか、ばかめが。
この発言が原因で日本人が戦争に向かうとか?
はじめてコメントをくださるのなら、
簡単な自己紹介をいただきたく思います。
この件に関して、江川紹子氏を攻撃する人、
もしくは瀬戸内寂聴氏をかばう人が、どんな人なのか、
その特徴が伝わって来るコメントだと思います。
あなたがお書きになったことは、このエントリおよび
このコメント欄の議論の中に、お答えがあります。
それをもう一度ご覧いただきたいと思います。
(このレスとは直接関係ないけれど)、
「戦争中のほうがまし」発言に関するツイートが
まとめられていたので、ここにリンクしておくことにしよう。
「瀬戸内寂聴氏「戦争中の方がまし」とはあまりに酷い」
http://togetter.com/li/297939
今と戦時中とどちらがいいかと問われたら私は今と即答しますけど。
>瀬戸内寂聴さんがそう感じたわけだから
それが「過去が美化されている」というのだ、ということです。
>彼女が今よりも酷い体験を戦時中にしていなかった
本当に自分が経験していないのだから知らない、
というのでしたら、戦時中は言論の自由がろくになくて、
ハンストデモなんてことも、とてもできなかったことも、
ご存知ないということになります。
あまりにナイーブすぎるというものです。
言論の自由を考えれば戦時中の方がはるかに酷いですが考慮すべき事柄は他にもあるわけで、その他の部分を考慮したうえで今の方が酷いと感じているのであればどうしようもないでしょう?
そんなに絡むような話ではなく「宗教家がまた馬鹿な話をしている」という事でしょう?
>考慮すべき事柄は他にもあるわけで、その他の部分を考慮したうえで
>今の方が酷いと感じているのであればどうしようもないでしょう?
寂聴氏と同じかどうかは分かりませんが、私が感じるものを2つ。
一つは環境汚染。
戦争はそれ自体が環境破壊行為であるとも言えますが、そんな先の戦争中でさえ、数万年先まで環境に悪影響を与え続けるような物質を、今の自己利益のためだけに生産し続けるような行為はありませんでした。
即ち、原発の稼働により放射性廃棄物の大量生産が行われている現在に比べたら、戦争中の方がまだましだと言えます。
もう一つは政治(内閣)。
戦争中最後の鈴木貫太郎内閣は、軍部が声高に「本土決戦!一億玉砕!」を叫ぶ中、密かに戦争の早期終結を図り、本土決戦前に天皇に終戦の詔書を発布させ、国民向けに玉音放送を行うことにこぎつけました。しかし現野田内閣は、経産省や電力会社の圧力に屈して、国民の不安を無視し、おざなりの安全宣言で大飯原発の再稼働を強行しようとしている。
こうして見比べれば、現野田内閣よりも戦争中の鈴木内閣の方がましだと言えます。
問題はこうした発言に対して、「戦争中を引き合いに出すなんてとんでもない!」と、中身を一切問わず完全否定しようとする態度でしょう。
何かと言えば「自虐史観だ!」として非難する歴史修正主義の対極を成す態度であり、全て「戦争は悲惨だ」「戦争は駄目だ」で終ってしまう「忘れたい歴史に蓋」主義、のように感じます。
どちらの態度も、「過去の歴史に正面から向き合う」と言う本来あるべき態度とはかけ離れたものであり、先の江川発言、菊池発言は、まさにこの「忘れたい歴史に蓋」思想に基くものだと言えるでしょう。
>私は瀬戸内さんが過去を美化しているのだとしても
>彼女がそう感じたのであるから
感じたことが、「カチカンの違い」であれば、
内心にまで踏み込めない、という考えは成り立ちますが、
「客観的事実の誤認」であれば、それは批判の対象になります。
そして「戦争中のほうがまし」は、「客観的事実の誤認」でしょう。
それでも「他人が内心にまで踏み込むことはできない」のを
厳格に適用せよというのなら、瀬戸内寂聴氏の発言を
おかしいとする、江川紹子氏やわたしの「感じかた」を
あなたは批判するべきではありません。
>言論の自由を考えれば戦時中の方がはるかに酷いですが
>考慮すべき事柄は他にもあるわけで
「戦争中のほうがまし」発言はハンストデモに関して
なされたのですから、言論の自由について考えるのが当然です。
「考慮すべき事柄は他にもある」というのなら、
それはなんなのかをおっしゃっていただきたいです。
>そんなに絡むような話ではなく
絡んでいるのは、こうやってコメント続けている
あなたがた瀬戸内寂聴氏を擁護する人たちだと思いますよ。
環境汚染は、たぶん意識されていないのではないかと思いますよ。
関係なさそうですからね。
いちばん環境汚染がひどかった時代は、高度経済成長期です。
そう考えると、戦時中と現在とを比較するとは思えないです。
政治のほうは、多少は意識されているかもしれないです。
でも、壊滅的敗北を招いた未曾有の大戦争に導いた政治が、
現代の政治より「まし」ということなど
ありえないであろうことは、あきらかだと思いますよ。
それは「中身を問わない完全否定だ」というのなら、
もうすこし立ち入ったことをお話すると、
戦時中は、女性に参政権がなかったですよね。
(瀬戸内寂聴も、彼女がいくら聡明でも選挙権はありませんでした。)
それから、議会の多数派が政権を作るという
議会制民主主義も定着していませんでした。
これらが、女性にも参政権があって、議会制民主主義が
完全に定着している現在の政治より悪いとは、とても思えないです。
べつにむずかしいお話でもなんでもないと思うのに、
瀬戸内氏を擁護する、あるいは江川氏を批判する人が
なぜにこんなに後を絶たないのかと思いますよ。
わたしはなにか、やっかいな深みに足を突っ込んで
しまったのかもしれないです。
>関係なさそうですからね。
原発の再稼働に反対してハンストした人が、「原爆を2回落とされて」、「恐ろしい国、滅びつつある」、「これから生きていくね、若い人とかね、子どもたちはどうするんですか」と言われているのですから、将来に及ぶ放射性物質による環境汚染を意識していることは間違い無いでしょう。
それを「関係無さそう」などと、よくもそんな酷い事が言えたものだと、怒りを通り越して悲しくなりました。
原発問題に関して、そうした揚げ足取りに終始する態度を、少なくとも私は許さない。それだけ。
高度成長期の環境汚染は、数値上だけでなくはっきりと体感すらできるレベル。
それに放射性物質による環境汚染は、核実験などによるもので日本は既に汚染済みともいえるしね。
てめぇにはしゃべっちゃいねぇんだよ。
ってかクソ虫は黙っとれや。
私は前半にコメントをして、
そのあと、瀬戸内寂聴氏を擁護する人達が凄まじいので、
ずっと傍観していました。
たんぽぽさまが
>わたしはなにか、やっかいな深みに足を突っ込んで
しまったのかもしれないです。
と言われているのは、その通りだと思います。
「さようなら原発 1000万人アクション」は、
昨日の時点で、約752万人の署名を集めています。
凄いと思います。
瀬戸内氏は、「さようなら原発1000万人アクション」の9人の呼びかけ人の一人です。
呼びかけ人:内橋克人氏、大江健三郎氏、落合恵子氏、鎌田慧氏、坂本龍一氏、澤地久枝氏、瀬戸内寂聴氏、辻井喬氏、鶴見俊輔氏
これらの呼びかけ人の方々が11年6月15日に「さようなら原発集会」と「さようなら原発1000万人署名」を呼びかけて、この運動は今日まできていると私は理解しています。
752万人の署名への評価は人によって違うと思いますが、私は「大きな声」だと思っています。
(「原発止めて、日本の国際的な競争力が落ちたらお前責任取れるのか!」と恫喝されて、現政権(たぶん橋下大阪市長も)は「再稼働」を選択したのだと、私は勝手に妄想しています)
また、事務局に原水禁が協力していながらも共産党が好意的に関わっていることも、
呼びかけ人の方々をはじめとして、
党派を超えた国民運動に徹したいという思いが守られているからだと思っています。
賛同人(追加の方々も含めます)にも、
企業家や経済人と思われる人達がいて、
運動の裾野が広がっています。
瀬戸内寂聴氏は、このような国民運動の呼びかけ人のお一人なのです。
5月4日にハンストに参加したときも、瀬戸内氏は、当然、呼びかけ人という立場を背負います。
また、瀬戸内氏は著述家です。
言葉を使うことを生業とされる方です。
さらに、宗教家という性格もお持ちだと理解しています。
著述家であれ、宗教家であれ、
「自分が発する言葉」に対しては、
一般の人よりもその重さを理解し、厳しく振る舞うべき人です。
(著述家や宗教家でも、言葉を軽く扱うことをスタイルとされる人もいるでしょう。
私は瀬戸内氏は、そういうタイプの方ではないと思います。)
他の呼びかけ人の方々は、通信や集会での発言を見る限り、言葉を大切に扱っていると私は感じます。
福島第一原発の事故を受けて、原発を考え始めた人達は少なくないと思います。
しかし、そういう人達に原発問題を、生活の中で続けて考えて欲しいと思えば、いたずらに感情を煽るのではなく、なるべく正確に考えて欲しいと思うのではないでしょうか。
通信などで発言されている呼びかけ人の方々からは、その方向性が感じ取れます。
だから、一層、瀬戸内氏の5月4日の発言は「奇異」に思えてならないのです。
そして、瀬戸内氏を擁護される方々にはより一層違和感を持つのです。
瀬戸内氏は、思いあまって言い過ぎてしまったと個人的には考えています。
私は「沈黙」や赤旗の書き方が、瀬戸内氏の発言に対するギリギリの対応だと思います。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-05-03/2012050315_01_1.html
「原発を廃止にしたい」と言う心情は理解できるが、「さようなら原発1000万人アクション」の呼びかけ人、著述家、宗教家としては、適切さを欠いた発言だろうと私は思っています。
しかし、瀬戸内氏があのような発言をしたからと言って、
それをもって、「さようなら原発1000万人アクション」を全否定するつもりはありません。
なぜならば、他の呼びかけ人や事務局が、瀬戸内氏の発言を補う活動をしているからです。
(福島や大飯などの各現場で活動されている方々を無視している訳ではありませんので、ご理解を)
瀬戸内氏は呼びかけ人ではありますが、呼びかけ人の一人です。
瀬戸内氏は、「さようなら原発1000万人アクション」と一体化している訳ではありません。
ですので、瀬戸内氏の発言をもって「さようなら原発1000万人アクション」を否定する意見は「的外れ」だと思います。
同様に、瀬戸内氏の発言に対する批判を「さようなら原発1000万人アクション」全体に対する批判だと捉えて、積極的に擁護することも、「過剰反応」だと思っています。
私から見ると、どちらの立場も建設的な議論を作り出せていないと思います。
さようなら原発1000万人アクション
http://sayonara-nukes.org/goods/
ホームではなく、ニュース等が置かれているページにしてあります。
瀬戸内氏が呼びかけ人となっている運動が、どの様な趣旨に基づいて何をしているか、肯定・否定の立場に関わらず、もう一度考えて頂ければ幸いです。
そのことにより、瀬戸内氏の発言と「さようなら原発1000万人アクション」には距離があることが、理解して頂けると幸いです。
その距離を前提に、江川氏も菊池氏もたんぽぽさまも発言をされていると私は解釈をしています。
たんぽぽさま
長い文章を書いて済みません。
瀬戸内氏=「さようなら原発1000万人アクション」と規定されたくなければ、原発問題なんかに絡めて苦しい擁護をするのは下策でしかありません。
その場しのぎの言い訳や無理な擁護は、後になって自分達の立場や発言と整合性がとれなくなって追い詰められるだけですからね。
あなたがた瀬戸内寂聴氏を擁護する人たちだと思いますよ。
私は擁護したつもりはありませんけどね。昔の方が良かったったいうおじさんやおばさんはどこにでもいるでしょう?その年寄りの戯言にいちいち目くじらをたてて間違いを指摘することはあまり格好いいことではないと思ったからコメントしたまでです。
どこかのおばさんが言った明らかにおかしい戯言に対し本人にではなく、大げさに取り上げて間違いを指摘する行為は大変立派なことですから否定するつもりももちろんありませんよ。
>「原爆を2回落とされて」、「恐ろしい国、滅びつつある」
「環境汚染」というのが、広島と長崎の原爆投下による
放射性物質によるもののことだ、ということでしたら、
あきらかに福島第一原発の事故よりも被害甚大ですよ。
「戦争中のほうがまし」ということはないですね。
>そうした揚げ足取りに終始する態度を
いったい、どこが揚げ足取りなのでしょうか?
環境問題を出してきたのは、あなたなのですし、
わたしはそれに対して、自分の考えを述べたまでですよ。
わたしの考えがおかしいというのでしたら、
それに反論すればいいだけのことです。
揚げ足取りと言われるいわれはないと思います。
>福島レベルの放射性物質による環境汚染は
>高度成長期の環境汚染は、
福島第一原発による放射性物質の汚染と、
高度経済成長期の環境汚染を比べたら、
あきらかに後者のほうがひどいでしょうね。
この場合も「むかしのほうがまし」とは言えないことになります。
>以前の水伝騒動なんかも似たようなものでしたね
>その場しのぎの言い訳や無理な擁護は、
無理矢理な主張を続けても、自縄自縛になりかねないし、
これ以上はなにも言わずに、放置するのがいいと思うんですけどね。
「水伝騒動」は、おさまりがつかなくて、
無理な擁護をする人が後を絶たなかったので、
どんどん事態が大きくなったのでしたね。
(この件は、「事態が大きくなる」というところまでは
行っていないかな。)
>ってかクソ虫は黙っとれや
>クソ虫以下のみっともない人がいるようですね
それにしても、ニャオ樹・ワタナベさまとDさまとの仲が、
険悪になっていくのではないか、というのが、
わたしとしてはとても心配だったりする。
こないだから、気になっていたことなのではあるが。
あと、ハンドルには敬称をつけてくださいね〜。
こちらにもコメントありがとうございます。
>>わたしはなにか、やっかいな深みに足を突っ込んで
>>しまったのかもしれないです。
>と言われているのは、その通りだと思います
瀬戸内寂聴氏は、「脱原発派」のあいだで、
カリスマがあるもののようですね。
わたしがこのエントリを書いたのは、
瀬戸内寂聴氏を擁護する人が、後を絶たないので、
ちょっと問題だと思ったからでした。
ところが、こちらでさらに瀬戸内寂聴氏を擁護する人が
後を絶たない事態になってしまいました。
>「さようなら原発1000万人アクション」
わたしは、このエントリで考察しているのは、
あくまで「戦争中のほうがまし」発言についてです。
「1000万人アクション」については、なにも言っていないです。
なので、「戦争中のほうがまし」発言の是非をもって、
「1000万人アクション」を否定するつもりは、まったくないです。
ただ、瀬戸内寂聴氏を擁護する人たちが、
「戦争中のほうがまし」発言の批判を
どう受け止めたのかは、わたしにはわからないです。
>私は擁護したつもりはありませんけどね
「瀬戸内寂聴さんがそう感じたわけだから否定のしようが
ないんじゃないでしょうか」というのは、
じゅうぶん擁護しているとしか思えないですよ。
>その年寄りの戯言にいちいち目くじらをたてて
瀬戸内寂聴氏は、文化勲章まで受賞している文章家ですよ。
「年寄りの戯言」などと言ったら、かかる文章家としての
瀬戸内氏にたいへん失礼なのではないですか?
>大げさに取り上げて間違いを指摘する行為は
大げさに取り上げているのは、瀬戸内寂聴氏を
擁護する人たちのほうだと思います。
瀬戸内氏を擁護する人が、こんなにたくさんいなければ、
わたしも問題視をしなかったでしょう。
>あくまで「戦争中のほうがまし」発言についてです。
>「1000万人アクション」については、なにも言っていないです。
>なので、「戦争中のほうがまし」発言の是非をもって、
>「1000万人アクション」を否定するつもりは、まったくないです。
たんぽぽさまの仰る通りです。
それゆえ、6月23日の私のコメントでも
>瀬戸内氏の発言と「さようなら原発1000万人アクション」には距離があることが、理解して頂けると幸いです。
>その距離を前提に、江川氏も菊池氏もたんぽぽさまも発言をされていると私は解釈をしています。
と書きました。
「距離」という言葉で
瀬戸内氏と「さようなら原発1000万人アクション」が一体でないと言うことを表現したつもりでした
(そのための資料としてリンクを張りました)
が、
誤解を産む書き方をしてしまって申しわけありません。
>「原発を廃止にしたい」と言う心情は理解できるが、「さようなら原発1000万人アクション」の呼びかけ人、著述家、宗教家としては、適切さを欠いた発言だろうと私は思っています。
>瀬戸内氏があのような発言をしたからと言って、
>それをもって、「さようなら原発1000万人アクション」を全否定するつもりはありません。
今回の件に対する私の立場は上記の通りです。
>瀬戸内氏は文章家である以上、
>自分の発言に対して注意は払うだろうと思います。
Posted by たんぽぽ at 2012年05月19日 08:56
>瀬戸内氏は文章家として、そのような誤解の可能性に
>配慮できないことはないと思います。
Posted by たんぽぽ at 2012年05月19日 08:58
>市民運動は思想をおなじくする人たちが
>集まって、閉鎖的な集団を作るので、
>だんだんと外からの批判を受け付けなくなって、
>自分たちこそ正しいというセントリズム
>(中心主義)が強くなるのですね。
>「戦争中のほうがまし」発言や、それに無批判な
>「脱原発派」の態度も、このセントリズムの
>現れかもしれないと、わたしは嫌な予感がしています。
Posted by たんぽぽ at 2012年05月21日 23:08
私は上記のたんぽぽさまのコメントを支持した上で自分の意見を書いたつもりでした。
しかしここでも誤解を招く書き方をしたようです。
申しわけありませんでした。
ごていねいにコメント、ありがとうございます。
>しかしここでも誤解を招く書き方をしたようです。
>申しわけありませんでした
ああ、いえいえ。
これくらいでしたら、ぜんぜんどうってことないですよ。
わたしは気にはしていないので、
ごりらさまも、どうか気にならさないでくださいね。
>その部分だけ切り取れば、確かに異論があるかもしれませんね
>一部分だけを揚げ足を取る様な批判はどうなのでしょうか。
わたしは、瀬戸内寂聴氏の当該発言を
切り取ったのでも、揚げ足を取ったのでもありません。
発言の前後を確認して、文脈に即して当該発言を検討しています。
モーニングバードの瀬戸内寂聴氏の発言を、
全部書き下ろしたものを、このエントリからリンクしています。
これを見れば、当該発言が出て来た文脈が確認できます。
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-1834.html