2012年07月11日

toujyouka016.jpg いじめ加害者の記憶

これをご覧のみなさんも、「子どものころの自分は
いじめられっ子だった」という経験談を聞くことは、
ときどきあると思います。
あるいは、自分がいじめられっ子だった、というかたも
いらっしゃるだろうと思います。
(かくいうわたしも、いじめられっ子でした。)

これに対して、「自分はいじめっ子だった」、
という経験談を聞くことは、ほとんどないと思います。
いじめ被害者がいるのですから、いじめ加害者も
どこかにいるはずですが、どういうわけか
めったにお目にかかることがないのでした。

 
なぜいじめた側の体験談はすくないのかですが、
ひとつは加害と向き合いたくない、ということがありそうです。
そもそも自分がいじめっ子だった、なんてお話は、
堂々とできるものではないことだと思います。

それから、加害の記憶は忘れやすいこともあると思います。
被害者はいつまでも覚えているが、
加害者はすぐに忘れるというのは、一般則でもありますね。

さらには、自分はたいしたことをしていないつもりでいて、
加害の意識がとぼしいのもあるだろうと思います。
つぎのようなお話もあったりします。
いじめる側はささいなことのつもりでいるのに、
いじめられる側は学校を休みたくなる深刻なことという
受け止めかたのギャップが歴然と現れていますね。

https://twitter.com/cat_chami/status/220454858875076608
いじめやってた人が同窓会で「私らの時代は軽くイジってる
程度だったのに、最近のいじめは酷い」と言ってたので、
「私はあんたがいたから不登校になったよ」と言っておいた。
彼女の仕事は学校でのカウンセラーらしい。
忘れるってこういう事。


>むかしのいじめは陰湿でなかった?

ところで、「いまのいじめは陰湿だが、
むかしのいじめはこんなに陰湿ではなかった」と
言うかたを、見かけることがあると思います。
もっともらしく聞こえるかもしれないですが、
本当にいじめが陰湿になったのは最近のことで、
過去から比べていじめは変質をしたのでしょうか?

つぎのエントリに、藤子A不二雄の『少年時代』という
コミックが紹介されています。

「昔のいじめは陰湿じゃなかった、という幻想」

この作品は、太平洋戦争末期の疎開先を舞台に、
そのときの子どもたちのことが描かれています。
これを見ると、子どもたちのいじめや権力闘争が
すさまじいらしく、むかしのいじめも、
いまとおなじように陰湿だったことがわかるそうです。


「むかしのいじめは陰湿でなかった」というのは、
幻想にすぎないのであり、じつはむかしもいまも、
いじめは陰湿であり、すこしも変わっていないのが
本当のところなのだと思います。

ところが、マスコミなどでいじめが話題になると、
たいてい「むかしのいじめは陰湿でなかった」と言う人が
出て来るように思います。
わたしも、「むかしは陰湿でなかった」とおっしゃる人と、
議論になったことがあったりします。

「むかしのいじめは陰湿でなかった」と
考えているかたも、やはり加害の意識がとぼしかったり、
忘れやすいということが、あるのだろうと思います。
こうしたかたは、おそらくは多くが、いじめに関しては、
加害者か傍観者だったのではないかと想像します。

posted by たんぽぽ at 22:24 | Comment(6) | TrackBack(0) | 政治・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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この記事へのコメント
「むかしのいじめは陰湿でなかった」と言うのは、ここまで露骨な犯罪行為には発展してなかったからじゃないですかね?
それに基本犯罪がらみの行為は他校生へ行うのが基本でしたしね。

ちなみに自分はどっちの立場も経験ありですwww
どっちの場合も教師なんて何の役にも立たず、友人とのじゃれあいに注意してきたり、今だと進退問題になるかもしれない「影でこそこそ勉強しているお前見たいのが一番嫌いなんだよ」と言った言葉まで浴びせられましたからね。
Posted by D at 2012年07月12日 02:45
昭和初期の少年小説、佐藤紅緑『ああ玉杯に花うけて』には、中学校に番長のような、今でいうところのいじめっ子がいて、父親が町のボスであるのをいいことに乱暴し放題だし、試験のカンニングに協力しなかった優等生に腹を立て額を叩き割るような暴行もします。
そういうキャラが描かれるのも、現実にそういう奴が無数にいてリアリティがあったからでしょう。
昔はいじめがなかったとか、いじめを戦後教育のせいにするのは、無知もいいところでしょう。
Posted by 御光堂 at 2012年07月12日 06:33
Dさま、このエントリにコメントありがとうございます。

>ここまで露骨な犯罪行為には発展してなかったからじゃないですかね?

うーむ、どうなのかな?
わたしは、いじめの質や程度はむかしから変わってないと
考えているので、むかしも犯罪がらみのところまでいったのも、
あったのではないかと考えています。
もっとも、むかしはいじめが起きても、
マスコミが取り上げなかったのはあるかもしれないです。

>どっちの場合も教師なんて何の役にも立たず、

わたしも、教師はたいして役に立たないと思いますよ。
見当違いの「解決」を計ろうとして、かえって逆効果になった、
なんてのはまだましなほうで、そもそも教師自身が
いじめられっ子が嫌いで、解決に不熱心だった、
なんてこともありましたし。
Posted by たんぽぽ at 2012年07月13日 06:51
御光堂さま、このエントリにコメント、ありがとうございます。

>佐藤紅緑『ああ玉杯に花うけて』には、

なるほどねえ。
http://honto.jp/ebook/pd_10132682.html
この作品で描かれるいじめも、現実を反映していたことは
じゅうぶん考えられますね。

>昔はいじめがなかったとか、

エントリに書いたように、加害者や傍観者は
記憶に残りにくいのもあると思うけれど、
もっと一般的な記憶の美化(「むかしはよかった」幻想)も
あるのではないかと思います。

>いじめを戦後教育のせいにするのは、無知もいいところでしょう

そうですよね。
いじめの原因は、戦後教育とは関係ないところにあるでしょうね。
Posted by たんぽぽ at 2012年07月13日 06:53
ちなみに、大津事件と同じような学校の実態です。(ここに書かれている事の殆どが事実ですwww)

http://mimizun.com/log/2ch/osaka/963031864/
http://jbbs.livedoor.jp/travel/1348/storage/1067499070.html
Posted by D at 2012年07月16日 11:16
>http://mimizun.com/log/2ch/osaka/963031864/
>http://jbbs.livedoor.jp/travel/1348/storage/1067499070.html

ご紹介ありがとうございます。

やはり大津のようないじめは、日本中どこにでもあるのだと思います。
Posted by たんぽぽ at 2012年07月17日 23:20
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